八十一話 大物釣り
餌の付け替えの作業に戻ったんだけど、フィシリスはどこかに出かけようとし始めた。
「帰ってくるまで、装置の見張りをよろしくね」
「それはいいけどさ、どこにいくの?」
「ちょっと、なじみの食堂までにね」
言いながら、フィシリスは手にした大型ジョウロのような水差しを振ってみせる。
それで、軟体生物の魔物に飲ますための水を、その食堂にもらいに行くんだって理解した。
「水なら、俺が出せるけど?」
「出せる? ああ、その水筒の水じゃ足りないねえ。んじゃ、行ってくるから」
フィシリスは俺の腰元にあった水筒を見ると、話を聞かずにさっさと移動を始めた。
「え、あ、ちょっと!?」
呼び止めたものの、聞こえなかったのか、フィシリスは食堂へとまっしぐらに向かっていく。
まあ、水なんてどれでも一緒だしねって、帰ってくるのを待つことにした。
ぐねぐねと動く軟体生物の魔物を隣に、よく晴れた空を眺め、流れる雲の形を見つめていく。
前世と空は変わらないなって、改めて実感していると、こちらに来る気配を感じた。
顔を向けると、フィシリスが戻ってきた。
「おかえりー、ってあれ?」
俺が見て首を傾げたのは、フィシリスが不機嫌そうに、水差しを乱暴に振りながら歩いていたからだ。
「食堂で水をもらえなかったの?」
「……ふんっ、あのクソジジイの差し金さ。この町のほとんどの魚の取り引きは、金持ちのアイツが牛耳っているからね」
「えっ、そうなの? じゃあ、俺の乗ったあの大きな漁船も、あの太っちょの持ち物だったり?」
もしそうだったら、良くしてくれた船員の人たちには悪いけど、あの船に今後乗るつもりはない。
けど、それは要らない杞憂だったようだ。
「ああ、違うよ。バルティニーの乗っていたって魚船は、高速馬車を運行させている別の商会が作ったものさ。アイツが持つのは、多くの小型漁船と、あの渡来船さね」
指し示したのは、幾つかある桟橋の一つと、魔物を連れてこの町に入ってきたあの船だ。
その桟橋にある全ての漁船と渡来船が、あの太っちょ――センシシの持ち物だとすると、警護隊の人たちがあっさりと諦めた理由が分かった気がした。
多くの漁師が漁船を借してもらっていて、その他の町人たちは他の港との交易品という貴重な物が手に入れられる。
そりゃあ、センシシ相手に、強く物を言える人はこの町にいないよね。
「でも、色々と役立っている割には、あの太っちょって嫌われているみたいだよね?」
「ふんッ。あたいのお爺ちゃんと長年組んでいたから、あれだけの物を持てるようになったのさ。あのクソジジイの手腕じゃないんだよ」
イライラとした様子から察するに、尊敬しているお爺さんが、評判の悪いセンシシと組んでいたことを、フィシリスは納得できないんだろうな。
気持ちは分からなくはないけど、いまは真水をどう確保するかという話が先決だろう。
「それで、他の食堂に水をもらいにいくの?」
「……いや。あたいが他のところに行っても、追い払われるだろうさ。あのクソジジイは、陰険なことだけは、頭が回るからねえ。だから、バルティニーに代わりに言ってもらいたいんだけどねぇ」
「でも、俺は町の外から着たばかりだし、それに警護隊の詰め所で会ったときに顔を覚えられていると思う。無理なんじゃないかな」
「やっぱり、そうだよねぇ……」
フィシリスは、どうするかと頭を掻いて悩み始める。
それを見て、何で悩むんだろうと俺は首を傾げかけた。
そして、そういえば魔法が使えることを、まだ話してなかったって思い出した。
「フィシリス、その水差しを貸して」
「いいけど、なにするのさ?」
「こうするのさ」
水差しの口に指の先を入れてから、魔塊を回して細胞から魔力を生み出す。
その魔力でもって、飲み水を出す生活用の魔法を使った。
じゃばじゃばと指先から出てくる水で、あっという間に水差しを満杯にしてあげた。
「はい、これでいいでしょ?」
水差しを受け渡すと、フィシリスは中が水で一杯になっているのを見て、破顔した。
「なんだよー、バルティニー! 水を出す魔法を使えるなら、先に言ってくれりゃあよかったのにさ!」
「さっき、言おうとしたんだけどね」
「そうなのかい? いや、そんなことよりもさ。お爺ちゃんのように、バルティニーが水を出す魔法が使えるなら、もっとこの魔物を大きく膨らませられるよ」
うきうきとした様子になったフィシリスは、軟体生物の魔物を掴むと、そのナマコやホヤっぽい口を大きく開く。
その口に水差しの注ぎ口を突っ込むと思いきや、何をしているんだって顔を、フィシリスは俺に向けてきた。
「バルティニー、話を聞いてなかったのかい。さっきの魔法でこいつを満杯にするんだって」
「ああー、なるほどね。じゃあ、やるね」
俺は飲み水を生み出す生活用の魔法で、この軟体生物の魔物に水を注ぎ入れていった。
水はどんどんと吸い込まれていき、魔物の体が膨らんでいく。
「……すでにその水差し分ぐらいの水は入れ終わっているけど、あとどれぐらい入れればいいの?」
「口と尻穴から水が出るまでだね。それが満杯になった合図だって、お爺ちゃんが言っていたよ」
「そうなんだ。でもさ、それぐらいの水を入れなきゃいけないのが秘訣なら、水差し分の水を入れただけじゃ足りなかったんじゃないの?」
遠回しに、それが大物が連れなかった原因じゃないかと伝える。
すると、フィシリスは困ったような顔になる。
「いや、流石に満杯にする量の水を食堂から分けてもらうのは、気が引けてね。それに、あたいが飲むっていって分けてもらっていたから、そんな量を集めるのは無理だったってわけさ」
理由を聞きながらも注いでいるんだけど、この魔物が真水を飲む量は、とても普通じゃなかった。
もう大樽を一杯にするほど水を入れているけど、まだまだ入る。
そして水が噴出すように魔物の口と尻から出てきたのは、大樽一つ半ぐらいの量だ。
流石に、この量を食堂からもらうのは、無理だね。
理由に納得する俺とは違い、フィシリスは嬉しそうに水脹れした魔物を、少しだけ持ち上げる。
「あはははっ。お爺ちゃんが使っていた餌と、全く同じだよ」
フィシリスは重そうに、魔物を地面に横たえる。
そして、人間大の釣り針を持ってきて、魔物の口から入れて尻から出した。そのとき、詰め込んだ水が漏れたように、ぴゅっと噴出していた。
その光景すらも、彼女のお爺さんがやっていた通りなのか、フィシリスのうきうき具合が増していく。
「こりゃあ、今日は大物が釣れそうだよ」
フィシリスは期待しきった顔で、餌のついた釣り針を掲げ持つ。
けど、樽一つ半分の水を入れてあったから、その重さによろめいていた。
俺は駆け寄ると、持つのを手伝う。
フィシリスは少し驚いた目をしていたけど、次の瞬間には満面の笑みを見せてくれた。
「ありがとな、バルティニー。水のことや、こうして手伝ってくれることだけじゃなく、色々とね」
「いいってことさ。俺たち、友達だろう」
「あははっ。そうだね、友達だ」
軽く笑みを向け合いながら、俺はフィシリスと共に釣り針を持って崖を上がる。
そして先に立つと、海に釣り針を刺した魔物を、海へと投げ入れた。
どぼんと大きな音を聞いて、俺は下を向いて海面を見る。
釣り針の浮きと、海面のすぐ下にたゆたう魔物が、沖に戻る海流に乗ってするすると移動を始めていた。
釣り針が魔物たちのいる沖の場所につくのは、たぶん夕方になる。
そんな予想を、フィシリスがした。
フィシリスは装置を動かすのに忙しそうなので、俺は食料とお酒を買いに、崖にすぐ戻れる近場の食料品店にやってきた。
センシシとの件があるので、売ってくれないかもって、ちょっと警戒していた。
しかしそんなことはなく、当たり前に食料を売ってくれた。
ちょっと不思議に思っていると、店主がイタズラっ子のような笑みで理由を教えてくれた。
「あの肉塊にね、キミに食料を売らないようにって言われたんだ。けどね、アンタの部下を倒したって噂になっている冒険者に、なんで売ってくれないんだって暴れられたら困るって言い返したんだよ。そしたら、脅されたなら売っていいってことになったのさ」
「……あのー、まだ暴れても脅してもいないんですけど?」
「あははははっ。キミと顔を合わせてみて、強そうだってこっちが一方的に怖気づいちまった、ってことさ」
朗らかに笑っている様子から、明らかに俺を恐れていない態度なんだけど。
まあ、方便ってやつなんだろうなって納得して、軽くお礼を言ってから崖にある装置に引き返した。
その途中、フィシリスの大声が聞こえてきた。
「くのおおおおおおおお!」
センシシの部下がまた襲ってきたのかと、俺は大慌てで走る。
「大丈夫か!?」
大声で問いかけながら、装置の周囲を確認する。
しかし、フィシリス以外の人の姿はない。
襲われていたんじゃないんだって安堵しつつ、ならなんで大声が聞こえてきたんだろうと首を傾げた。
そんな様子の俺を見て、フィシリスが楽しげでありながら、必死そうな顔を俺に向けてくる。
「おーい、バルティニー。ちょっと手伝ってくれよ!」
「手伝うって、何を?」
「なにって、この鉄綱を引き上げるのをだよ!」
フィシリスが必死にぐいぐいとレバーを引くと、装置の力で太いワイヤーが少しずつ巻き上げられていく。
俺は買った食料品を一まとめに地面に置くと、事情が分からないままに近寄る。
「ついさっき餌を投げ込んだばかりなのに、もう引き上げるの?」
「なに馬鹿なこといってんのさ。獲物がかかったからには、引き上げるのが釣りってもんさね!」
数瞬、フィシリスがなにを言ったのか、理解できなかった。
しかし、装置とワイヤーが、なにかに強く引かれているように、ギリギリと鳴っているのを聞いて、ハッとする。
「も、もしかして、もう大物が釣れたの!?」
「そうさ! だから、手伝ってくれって言ったのさ!」
その答えを聞いて、俺は大慌てで近寄り、フィシリスが握るレバーを一緒に掴む。
そしてフィシリスに合わせて、俺もそのレバーを引く。
引く重さはそれほどでもなかったけど、ワイヤーが巻き取られた長さは、指一本分の長さもない。
「あれ? なんだか、ぜんぜん巻き上がらないんだけど!?」
「装置にある歯車の噛み合わせ方を、ちょこっと変えたからだよ。こうでもしなきゃ、海にいる大きな魔物を、人の力では釣り上げられないからねえ!」
フィシリスに合わせてもう一度レバーを引くけど、やっぱり十センチぐらいしか巻き戻らない。
ということは、かなりの回数、レバー操作を繰り返さないといけないってこと!?
これは大変だって思いながらも、レバーを引いては戻し、引いては戻ししていく。
レバー操作を始めて、どれほど経ったか。
軽い単純作業だけど、延々と続けていたため、フィシリスも俺も汗だくになっている。
大物を港の近くまで引き入れられているのか、水面をバシャバシャと叩く大きな音が聞こえてきていた。
それに伴って、ワイヤーと装置がギリギリと抗議するような音を上げる。
そんな奮闘を続けていると、音を聞きつけたらしき人たちが上げる声が聞こえてきた。
「お、おい! 見てみろよ! 大綱の先を咥えて、大きな魔物が暴れているぞ!」
「すげえ! 大物が釣れているぜ! 何年ぶりだよ!?」
そんな声が他の人を呼んだのか、段々と海岸が騒がしくなる。
けど、俺とフィシリスは、どれだけの人が集まっているか気にしている余裕はない。
ひたすらに、レバーを動かすことに徹し続ける。
すると、奮闘する俺たちへと、騒ぎを聞きつけたらしき漁師風の人たちが近寄ってきた。
男性だけでなく女性も。そして人間だけでなく、魚人の人もだ。
「お、おい。なにか手伝えることはあるか?!」
「久しぶりの大物だから、逃しちゃだめよ!!」
「魔物の表面が傷つくがら、早く巻ぎ上げたほうがいいんじゃないが!?」
そんな言葉を口々に言われて、フィシリスは怒声を浴びせた。
「うっさいよ、アンタら! 大物釣りの素人が、横からグチャグチャ言うんじゃないよ! 手伝ってもらいたいことがあったらいうから、そこらで大人しくしときな! ほら、バルティニーは、レバーを引く引く!!」
「分かっているって!」
フィシリスの指示に合わせて、ぐいぐいと何度も引いていく。
すると、海岸にいるらしき人たちから、歓声が上がった。
装置の近くにきた人たちの何人かは、居ても立ってもいられない様子で、崖の先から海を見始める。
そして状況をこっちに教えてくれた。
「もうだいぶ近づいてきている。小型漁船で十分もかからない距離だ!」
「魔物は疲れているみたで、あまり動いていないぞ! 今のうちに急いで引き上げるんだ!」
「アンタら、そこから海を見るのはいいけどね、身を乗り出しすぎて落ちるんじゃないよ!」
フィシリスは有り難くも迷惑そうな顔で注意すると、レバーを引いていく。
俺もそれを手伝いながら、そこから小一時間奮闘し続けた。
その後で、唐突にこの崖がなにかにぶつかったかのような音がして、小さな揺れが走った。
「うわわわー!?」
「近くまで釣り上げられた魔物が暴れて、崖を崩そうとしているぞー!!」
大慌てでやじ馬が逃げ出す中、フィシリスはまだレバーを引き続ける。
「海の魔物ってのはね、水から引きずり出せば大人しくなるものさ。だから、さっさと巻き上げて、崖に吊るすよ」
「分かったよ、フィシリス」
そこから三分ほどレバーを引き続けていくと、魔物の暴れ方が段々と大人しくなっていくのが分かった。
やがて、全く崖から音がしたり揺れたりしなくなると、汗だくのフィシリスはやりきった顔になる。
「ふぃ~……。これで、大物釣りは終了だよ。バルティニー、崖の先に一緒にいくよ。いいものが見れるからね」
「いいもの?」
俺も額の汗を拭いながら、フィシリスの後に続いて崖を上り始める。
そうして、崖先から下を見て、驚いた。
なにせ、ワイヤーによって釣り上げられた、体表が銀色の巨大な魔物の顔がすぐそこにあったからだ。
そんな風に最初はビックリしたけど、少し落ち着きを取り戻し、改めて観察する。
顔は秋刀魚みたいな細長い顔だ。
少し視線を外して体を見ると、太刀魚っぽく扁平で、全長は海の中に大半があるから良く分からないけど、二十メートルは確実にありそうだ。
改めて顔を見返すと、この魔物は観念したような目をしているなって気がついた。
釣り上げられて海から出ているのは、何十メートルもある体のうち、頭から胸鰭までのほんの一部。
だから、暴れようと思えば暴れられるはずなのに、フィシリスがちょっと前に言っていたように、大人しくなってしまっている。
それが海の魔物の特性なのかなって、ちょっとだけ不思議だった。
そう思っていると、フィシリスが俺の首元に腕を回してきた。そして脇に抱えるようにして、俺を引き寄せる。
「やったなバルティニー。これ、オゥラナーガだ。ずいぶんな高値で売れる、一級品の大物だよ」
「えっ、これがオゥラナーガなの?」
蛇みたいって防具屋で聞いていたのに、明らかに魚っぽい顔なんだけどなぁ。
あ、でも、ちゃんと銀色だ、この太刀魚っぽい魔物。
なら本当に、オゥラナーガなんだ。
釣り上げた感動というよりも、事前情報との食い違いに気を向けていると、後ろの方が騒がしくなった。
振り向くと、この崖に続く道の遠くに、配下を十人ほど引き連れたセンシシが見えた。
彼はその太った体を揺すりながら、明らかに装置のある方へと近づいてきている。
チラッと俺が自分の横を見ると、忌々しそうなフィシリスの顔があった。
なんだかもう一波乱ありそうだなって思いながら、俺はフィシリスと共に装置のある場所に戻ることにしたのだった。




