八十話 二人で一緒に見張りをする
装備を返してもらってから、俺は釈放になった。
道を歩きながら、警護隊の詰め所で貰った銀貨は、なんとなく手元に残しておきたくなかったので、早々にお店で食べ物とお酒に換えた。
それらを手に、フィシリスが心配しているかもしれないからって、大物釣りの装置に戻ることにする。
警護隊の人たちは俺の姿を見ると、なにか伝令でもあったのか、足早に引き上げていった。
前世の日本警察も対応はドライって聞いたことはあったけどって、少し残念に思いながら後ろ頭を掻く。
一方で、装置のすぐ近くの地面に座っていたフィシリスは、俺の顔を見るなり飛び上がるように立ち上がり、大慌てで近づいてきた。
「バルティニー、大丈夫かい!?」
ペタペタと体を触ってくるフィシリスに、苦笑いを浮かべる。
「大丈夫だったよ。まあ、フィシリスの言う『クソジジイ』って太った人が、お金払って示談になっただけなんだけどね」
掻い摘んで事情を話すと、フィシリスは嫌な言葉を聞いたって顔になった。
そして、何かを決意する顔になる。
「ムッ。やっぱり、あのジジイの差し金だったのかい。こりゃあ、これからはしばらくは、この装置につきっきりになるっきゃないねえ」
「えっ。もしかして、ここに泊まる気なの?」
周囲を見回しても、屋根のある建物はなく、とても休めそうもない。
大丈夫なのかなと心配していると、フィシリスは満面の笑みを向けてきた。
「バルティニーのことだから、あたいの心配をしてくれてんだろうけど、要らない心配だよ。あたいら魚人は、寝る必要がないんだからね」
「寝る必要がないって、睡眠が要らないってこと?」
異なる世界にいる、人間とは違う人種なのだから、そういうこともありなのかもしれない。
けど、ニワカには信じがたい気持ちなのもたしかだ。
なにせ俺は、睡眠は体の成長を助けるから、毎日ぐっすり寝る派の人間だ。寝ないで要られるだなんて、とても頭からは信じられない。
そんな俺の気持ちが通じたのか、フィシリスは苦笑いした。
「人間には理解してもらえないんだけどね。睡眠はちゃんと取るけど、頭の半分は寝て、もう半分は起きているってことをやるのさ」
俺自身には出来ないので、上手く理解できないけど、どこかで聞いた話だなって思った。
えーっと――たしか前世の教育番組で、イルカやクジラなんかの海洋哺乳類の睡眠の仕方が、そんな感じだって言っていたような……。
うろ覚えの知識なので確証はないため、とりあえず魚人は半分寝て半分起きていることが出来る人種だと、そう思うことにした。
「それなら、この装置の周辺を寝ないで――いや、半分起きた状態で見ることができるね」
「その通りさ。でもね、ちょーっとだけ心配事があるのさ」
「心配? どんなこと?」
問題なんてなさそうだけどと首を傾げると、フィシリスは困ったような顔になる。
「実を言うと、あたいは陸の上の戦いが、からっきし駄目なんだよ。大人一人にだって、簡単に取り押さえられちまうぐらいにね」
その理由を聞いて、先ほどの暴漢たちが、武器を投網しか持っていなかった理由が分かった。
フィシリスが弱いってことを、あらかじめ知っていて、必要ないと思っていたんだろうな。
「ああ、なるほど――って、その事情を教えてくれたってことは、俺に見張りを付き合って欲しいってことだよね?」
「……頼めるかい?」
無理に頼むつもりはないようで、控えめにそう頼んできた。
もちろん頼られたからには、俺の選択肢は一つだけだ。
「もちろん、手伝うよ。なんたって、友人の頼みだからね」
「おお、ありがとう、バルティニー。大物がこの装置で釣れたら、絶対にお礼はするから!」
「お礼だなんて――」
って断ろうとして、魚鱗の布が手に入る絶好のチャンスだと気がつく。
けど、それを見返りに要求するのは、友情を利用しているようでいやだった。
なので、冗談に聞こえるように、要求することにした。
「――じゃあ、大物が大量に釣れたら、一つぐらい魚燐の布の防具を作るために使わせてもらおうかな」
「よっしゃ、じゃあそれがお礼な。あれだけ、海の魔物がうようよいるんだ。バンバン釣って、バルティニーに良い防具を作らしてやるから!」
契約成立とばかりに手を差し出してきたので、俺は笑顔で握り返す。
そのとき、魚人って体温が低いんだなって、全体的にひんやりとした手の感想を思ったのだった。
装置の近くで寝泊りし始めて、三日が経過した。
その間、フィシリスは言っていたように、傍目ではずーっと起きていた。
けど、装置の番を手伝っている俺は、彼女が暇な時間に頭を半分ずつ寝かしていることを、俺は知っていた。
なにせ、フィシリスは半分寝ているときは、動きが機械的というか半自動的な感じになるからだ。
人間の状態で例えるなら、ちゃんと作業はしているのに上の空っぽい、って感じが近いかな。
そんな状態でも、一日中起きているのは変わらないので、周囲の警戒や装置のワイヤーの状態について把握できているようだった。
なので、フィシリスは俺にある要望をしてきた。
「バルティニーは、夜ちゃんと寝といてくれよ。寝不足で戦えないんじゃ、意味ないからね」
「大丈夫なの?」
「もちろん。そんなに心配しなくても、誰かが来たら遠慮なく起こすさね」
そういうことならと、俺は言葉に従って夜はちゃんと寝ることにして、フィシリスが起こしたときに素早く対応出来るように心がけた。
けど、三日間で一度も起こされたことはない。
俺が要るのを見て妨害を諦めたのか、それとも機会をうかがっているのか。
どちらかは分からないけど、平和なことはいいことだ。俺の睡眠時間が削られないしね。
それはさておき、いまフィシリスは装置を動かして、ワイヤーを巻き上げていた。
魔物の群れの中心に釣り針を置いても、全く餌を食う様子がないので、新しいものに取り替えるのだそうだ。
「お爺ちゃんは、魔物は気が抜けた餌は食べないって、口癖のように言っていたからね」
そう理由を話してくれたけど、俺はある表現に首を傾げる。
『気が抜ける』はこの世界でも前世と同じく、緊張が緩んだときや、アルコールや炭酸が飛んだ飲料に使う言葉だ。
餌の気が抜けるっていう表現が、どうしても腑に落ちなかったんだ。
「それって、元気な餌じゃないと、魔物は食べないってこと?」
自分の解釈で言葉の意味を尋ねると、フィシリスは首を傾げる。
「うーん。そんなことは、なかったと記憶しているよ。何日も前に海からあげた死にかけを餌にしても、あの方法なら大丈夫だって、お爺ちゃんは言っていたしねえ」
あの方法――軟体生物の魔物に真水を飲ませる方法には、そんな利点があったんだって、フィシリスのお爺さんの知恵に感心する。
そんな受け答えをしている間に、ようやくワイヤーが巻き上がったようだ。
崖の先端の滑車まできた人間大の釣り針を見ると、あの軟体生物はついたままで、まだ生きているようだった。
フィシリスは崖を上り、その軟体生物をナイフで真っ二つに切り裂いて針から外してしまう。
その後で、その死骸を手に装置の部分まで戻ってきた。
「バルティニーは、それを見といてくれな。あたいは、海に潜って新しいの探してくるからさ」
「……見ておいてって、どうするの?」
「どうするって、食べるのさ。生で」
「えっ。こ、これ、食べられるの!?」
ナマコやホヤっぽいとは思ったけど、まさか人間大の針につけられるほど大きな軟体生物を、生で食べるとは考えもしなかった。
そんな俺の反応を見て、フィシリスはにやっと笑う。
「バルティニーは、魚を生で食べられるんだろ。それと海草も食えるそうじゃないか。なら、ソレだって食べられると思うけどねぇ」
「それは、そうなんだろうけど……」
前世でも、ナマコやホヤが夕食に出るような家庭じゃなかったしなぁ。
そして、釣りの餌に使っていたものを食べるような文化は、流石の日本にはなかった。少なくとも、俺の知る範囲内では。
むぅ。せめて酢醤油か酢味噌があれば、どうにかなる気もしなくもないけど……。
俺が難しい顔をしている間に、フィシリスは楽しみが出来たっていう笑顔で海の中に入っていった。
三十分ほどして、新しい軟体生物を抱えて持って海から上がったフィシリスは、宣言通りに軟体生物の魔物の刺身を提供してくれた。
ままよ! って海水で洗って食べたところ、昆布締めされた魚の刺身のような味。
あっ、これは大丈夫だって気がつくと、ぱくぱくと食べることが出来た。
俺が平然と食べ始めると、フィシリスは少し期待外れっぽい表情で、その刺身を口に入れ始めたのだった。
喉風邪ひいたのと、選挙に投票しに行くので、明日はお休みになります。




