七十五話 異世界の漁
出港する直前、船の中が途端に騒がしくなった。
「船を出すぞ! 漕ぎ手ども! 力を入れろ!!」
そんな声と共に、すぐ上の階層から、太鼓が鳴る音が響いてきた。
ドン……ドン、と間をかなり空けた鳴らし方だ。
それに伴って、大きな船がゆっくりと進む感じがしてくる。
船が進み始めると、より上の層からの声が大きくなってくた。
「おらッ! 冒険者や奴隷ども、息を合わせろ! そーれ、そーれ!」
「「「そーれ、そーれ!!」」」
オールのものだと思う、ギッギッと木がしなる音も聞こえてきた。
船足がぐっと早まった感じがして、船が波に揺れる幅も大きくなっている気がしてくる。
そんな漕ぎ手たちが奮闘する様子を感じながら、甲板の上からも慌しく歩き回る船員の足音が聞こえてもきた。
出港から少ししたら船の揺れる幅がさらに大きくなる。
出港から十分ほど経つと、布を広げたような音が聞こえてきた。
「縄を手繰れ! 風を捕まえるんだ! もたもたしていると、獲物が魚場を通り過ぎるぞ!!」
そんな声に、きっと帆を張ったんだろうなって思いながら、さらに奮闘する船員の声や足音に耳を傾ける。
こんなに慌しいんだから、操船に関係ない俺や戦闘員役の冒険者たちがいたら、出港の邪魔にしかならないよね。
そう魚臭い場所に押し込められている理由に納得して、のんびりと役目が来るまで待つことにした。
二時間ほど体感で経つと、揺れる船内にずっといたからか、少しだけ気分が悪くなってきた。
魚臭さには慣れたので、軽い船酔いだと気がつく。
あまり意識すると気分の悪化が加速する気がするから、注意を違うほうに向ける。
俺のいる場所には、冒険者風の人たちが三十人ほどいて、ほぼ全員が目を瞑って寝ていた。
奥にいる女性たちは、この船の揺れもなんのその、楽しそうに会話に花を咲かせているみたいだ。
両者を隔てている魚人の男たちは、揺れる足場にも小揺るぎしないで立っている。
凄いなと感心していると、階段を下りてくる音が聞こえてきた。
顔を向けると、俺をこの船に誘ってくれた、あの男性だった。
「おーい、冒険者さんたち。今から海に網を投げるからよ、引き上げ役と銛撃ちは甲板に、戦闘員はここで武器を構えて待機しててくれ」
この場所にいたまま戦うのかって、ちょっとだけ不思議に思った。
けど、他の冒険者たちは、当たり前のように移動や武器を構え始める。
俺は彼らに倣って、とりあえず鉈を構えておくことにした。
甲板に上がらずに残った冒険者の数は、俺を含めて十人。
この十人で、魚に混ざった魔物を倒すんだなって思いながら、気分の悪さを忘れるように気を引き締める。
ほどなくして、ぐっと船足が鈍った感じがした。
それと同時に、オールの漕ぎ手がいる場所から、怒鳴り声と太鼓を大きく鳴らす音がしてくる。
「おらッ! 魚どもに負けるんじゃねえ!! そーれ! そーれ!!」
「「「そーれぇ! そーれええ!!」」」
鈍った船足を戻すためにだろう、掛け声と太鼓が鳴る間隔が短くなった。
漕ぎ手が奮闘する中、甲板からも大声がやってくる。
「海に投げた網を手放すんじゃねえぞ! 海に落ちたら魔物の餌だ、しっかり踏ん張れよ!」
「「「おおぅ!」」」
「手にかかる重さがより重いほど、魚どもがかかっている証だ! この海域の獲物を総ざらいする気で網を掴んで引き寄せろ!」
「「「おおおおううぅぅ!」」」
「よし、一投目を引き上げる! 声を合わせろ! や、とー! や、とー!!」
「「「や、とー! や、とー!!」」」
甲板上で網が引き上げられ始めたらしい。
網を上げるときに水の抵抗がかかるからだろうか、また船足が鈍くなった気がした。
いや、それだけじゃない。
漕ぎ手がいる場所から、何かを立てかけるような音が聞こえてきた。
興味を持って階段から上を覗いてみる。
階段の両端に、戸板のような物が立てかけられていた。
それは甲板の上でも同じようで、階段の出口に板が立てられている。
これがどういう意味か考えて、ハッと気がついた。
きっと、網で引き上げた魚たちを、階段からこの場所まで流しいれるんだって。
その想像が正しいように、他の冒険者たちは手馴れた様子で階段から離れ、壁際か詰まれた空き箱の近くに退避していた。
安全のためか、女性たちはさらに船の奥へと一塊になり、護衛の屈強な魚人たちは彼女たちの近くに陣取っている。
倣って俺も壁際に立つと、上から声が降ってきた。
「今から一発目を流すぞ! 冒険者さんたちは、魔物は頑張って仕留めてくれ!」
その言葉が来て数秒とせずに、階段を何かが大量に滑り落ちてくる音が聞こえてくた。
やがて、土石流のような勢いで、前世で見たような魚やヒトデや貝が転がり出てくる。
その光景にビックリしていると、続いて針や尖った鱗を持つ、魚やウツボの魔物らしきものがやってきた。
「ギィーギイー!」
「ガチガチガチ!」
鳴き声と歯を鳴らして威嚇する、海の魔物たち。
しかし、水から出されてしまうと弱くなるのか、びちびちと跳ねたり、床板の上をくねるだけで、人を襲ってくる素振りはなかった。
戦闘員役の冒険者たちも、警戒感が薄い感じで、床に広がる魚や貝を足で軽く退けながら近づく。
そして、剣や槍などで、頭部を貫いて殺した。
それを見て、俺も近くにいた、体の全方位に針がついた鯛のような魔物に、鉈を振り下ろす。
「てぇやあああああ!」
魔物は避ける素振りもなかったので、簡単に鉈が当たった。
頭を半分抉り飛ばすと、動かなくなった。
呆気ない手応えに、ちょこっとだけ海の魔物に対して拍子抜けしながら、魔物を次から次へと鉈で倒していく。
そうして、生きている魔物がいなくなると、他の冒険者から一本の道具を渡された。
それは棒の先に、横広な板がついたものだった。
たしか、野球の道具に似た感じのものが――そう、トンボって呼んでいる、グランドを慣らす道具にそっくりだった。
これをどうするのかと、手渡してきた冒険者に首を傾げてみせる。
「なんだ、この依頼は初めてか。この道具はな、こう使うんだ」
その冒険者は、床面にトンボを押し付けると、モップで掃くような感じで、この場所の奥へと魚などを押し始めた。
奥にいた女性たちは、待ってましたとばかりに、やってくる魚や貝などを箱の中に手早く入れていく。
種類ごとに分別しているみたいだけど、息のいい魚なんかは床に叩きつけて殺したりと、手つきが荒っぽい。
女性の護衛役な魚人の人たちは、俺たちが倒した海の魔物たちを銛でつつき、生死を確かめてから網籠の中に放り入れていく。
このトンボで移動させたり、箱や籠に入れるときの魚の扱いに、俺は思わず眉を潜めてしまう。
前世のテレビ番組でみた漁師特集だと、もっと丁寧に魚を扱っていたのに。
でも、この方法がこの世界の常識なんだろうと納得して、俺もトンボで魚を奥へと押しやる。
そうして、だいぶ床板が見えてきたところで、また上から声がきた。
「二発目だ! 今日の漁場は当たりなようだから、あと最低四回はやるつもりだからぞ。最後までへばらないように、気張りすぎないでくれよ!」
再び、どさどさと魚や魔物が、階段から降ってきた。
大漁も大漁な量に目を丸くしながら、これをあと少なくても四回もするのかって、驚いてしまう。
しかし、俺がやることは、海の魔物を鉈で殺すことだ。
不意の攻撃で怪我をしないように気をつけながら、俺は鉈を魔物へ振り下ろし続けるのだった。
最終的に、十回も網を投げて、魚介類を引き上げた。
投げる旅に大量の獲物がかかるから、俺たちがいた場所にあった全ての箱を使っても、余った魚や貝が出ていた。
それらも売り物のようなんだけど、ゴミのように端の方に掃き集められている。
その様子を見て、前世の魚の扱いに神経質な日本人気質が出て、あれは食べたくないなって思ってしまう。
なにはともあれ、漁は終わって、サーペイアルの港への帰っている。
船内は、出港と漁のときとは打って変わり、のんびりとした空気が流れていた。
漕ぎ手は交代交代で、半数が漕いで残りは休んでいるようだし、甲板を移動する足音もあまりしてこない。
この時間になると、冒険者は自由に移動を許されるみたいで、階段を上って甲板に上がっていく人の姿が多い。
俺も、この世界では初めてとなる、海上の景色を楽しもうと、階段を上ることにした。
甲板に出てみると、外はすっかり日が昇っていて、海の水を照り返す光で眩しい。
目を細めながら、周囲を見回す。
船の大きなマストには、継ぎ接ぎが目立つ薄茶色の帆が張られていて、風を受けて膨らんでいる。
船員たちは周囲の海に視線を向けながらも、革袋から何かを飲んでいる。
風が運んできた匂いからすると、なにかのお酒っぽい。
飲んでいるのは舵輪を握る人も同じで、船の飲酒運転っていいのかなって思ってしまう。
苦笑いしつつ、船の縁から下を覗くと、真っ青な海が見えた。
透明度がとても高く、深海を表す濃い青までの間に、泳いでいる魚の姿が見える。
前世の海では見ることができなさそうな光景に、思わず見入ってしまう。
そんなあまりにも興味深々に海を見ていたからだろうか、誰かから笑われてしまった。
「わっはっは。初めて海にきた兄ちゃんには、こんなに水があるのが不思議だろう」
顔を向けると、俺をこの船に誘ってくれた、あの船員さんだった。
前世で日本に住んでいた知識があるので、あまり海が珍しいという気は、俺はしない。
けどよく考えてみると、この世界で人が住む漁港は数えるほどしかないから、普通の人は珍しがるんだろうな。
そう気がついたけど、嘘で驚くのはちょっといやだった。
「えっと、海の水の量より、この水の綺麗さと、泳いでいる魚が上から見れることに、驚きました」
「おー、そりゃまた珍しい感想だ。ははん、さては兄ちゃん。魚介類好きだろ?」
「はい。サーペイアルの食堂で食べた魚介類、とっても美味しかったですよ」
って思わず答えてしまって、ハッとした。
これじゃあ、食い意地が張っているみたいじゃないか。
慌てて発言を撤回しようとするけど、そのまえに船員さんに大笑いされた。
「わっはっはっは。そうかそうか、魚好きか! よしよし、じゃあ銛漁をさせてやろう」
銛漁ってなんだろうと思っていると、船に備え付けられている巨大なボウガンにまで引っ張られてしまった。
「この機械弓は、本来は船に近づいてきた大物に銛を打ち込んで追い払うものだ。だがな、その銛にロープを繋いでおいて、刺した獲物を引き上げるって寸法だ。兄ちゃんは弓も扱えるようだから、銛を発射して当てるのは、お手の物だろう。上手く獲れたら、港に帰るまで、それで一杯やろうや」
そうは言いながらも、俺が獲物を取れるとは思っていないような、笑顔をしていた。
俺は対抗心を燃やして、巨大ボウガンに近づく。
「面白そうですね。やってみます」
「おう、やってみろ。銛に縄を着けるのはやってやるから、手間にある金具に弦を引っ掛けておいてくれ。あとは、そこの引き金を引っ張れば、狙った先に銛が飛んでいくからな」
そんな説明を聞きながら、俺は弦を引っ張ろうとした。
けど、少ししか動かず、金具まで到達しない。
台座に脚をかけて引っ張るけど、それでも金具までは届かない。
俺のそんな様子を、船員さんはどうしたんだという目で、縄をつけた銛を手に笑っている。
少しムッとして、弦から手を離す。
そして袖をまくってから、水筒の水を両腕にかけた。
「そりゃあ、どういうおまじないだ?」
「まあ、見ててください」
俺は魔塊を解した魔力で攻撃用の魔法の水生み出し、濡らした腕に薄く纏わせた。
傍目からだと特に変化は見えないだろうなって思いながら、両手でボウガンの弦を引っ張る。
魔法のアシストのお蔭で、楽々と金具にかけられた。
ふふんって得意げに船員さんをみやると、驚いた顔をしているのがみえる。
「お、おおー。兄ちゃん、力持ちだな」
「いやいや、おまじないのお蔭ですよ。こうやると、気合が入るんです」
適当なことを言いながら、俺はボウガンを動かして、海面の下を泳ぐ獲物を狙う。
どれがいいかなと思っていると、カジキマグロのような魚が、遠くの海面から飛び出て宙を舞った。
前世で見たものとは違って、口先が鋸みたいだなって見ていると、船員さんが焦った様子であの魚を指す。
「おい、兄ちゃん。あの魚の魔物を狙ってくれ!」
「あの魚、美味しいんですか?」
「違う! あれは船に穴を開けようとしてくる、厄介な魔物なんだ! 銛撃ちに雇った冒険者を呼びにいくから、牽制でいいから撃って足を鈍らせてくれ!」
慌てて駆け出した船員さんを見て、それは大変だと、俺はボウガンの狙いを、そのカジキマグロの魔物に向けた。
魔物は、飛び上がってこちらの船を確認したからか、水面に戻ると一直線にこっちに向かってくる。
魚雷みたいだなって思いながら、これほど動きが単調なら狙い易いな。
銛が水面下へ打ち込まれる時間を予想しつつ、引き金を引いた。
予想外にボウガンから打ち出される銛が速く、魔物の大分手前を撃ってしまった。
次はと周囲を見て、箱の中にある銛に縄がついてないのが見えた。
縄を結ばないまま、銛をボウガンで撃っていいか判断がつかない。
仕方なく、俺は再び腕に魔法の水を纏わせると、先ほど放った銛に結ばれた縄を、勢いよく引っ張った
海面から銛が飛び出て、空中を船へと戻ってくる。
手早くローブを引っ張り寄せてキャッチすると、ボウガンの弦を引いてから、その銛をセットした。
さっきの一発で、どれほどの速さで銛が撃ち出されるかは分かったので、冷静に狙いをつける。
カジキマグロの魔物は、もう目の前まで迫っていた。
「退け、小僧! 射手を変わ――」
誰かに何かを言われた気がしたけど、狙いが合ったので、ボウガンを発射させる。
俺が狙った通りの場所に銛が打ち込まれたのを確認した途端、横から誰かに押されてしまった。
たたらを踏んで、何をするんだよって振り向くと、屈強そうな冒険者らしき男性が大慌てで、新しい銛をボウガンにセットしようとしている。
その隣には、先ほどの船員さんの姿もあった。
そこでようやく、この屈強な男性が銛撃ちに雇ったって人なんだと思い至った。
けど、いまはもう、お役ご免だと思うんだけど?
そう思いながら、船の縁から海を覗き込む。
海面の下では、銛を頭に打ち込まれたカジキマグロの魔物が、海の底へと沈んでいこうとしていた。
その姿を確認してから、俺は船員さんに顔を向ける。
「あの魔物って、回収しなくてもいいんですか?」
「へっ? あ、ああ! ちゃんと仕留めてやがる! しかも、縄付きの銛で!?」
「な、なんだって!?」
船員さんと銛撃ちの人が驚き声を上げ、二人して慌ててロープを引っ張り始める。
ほどなくして、絶命したカジキマグロの魔物が、甲板に引っ張り上げられた。
すると、船員の人たちもワラワラと見に来た。
「おお、この魔物が上がるなんて、珍しいんだぞ。こりゃ、高値で売れるな」
「しかも、体に何発もじゃなくて、頭に一発だからな。剥製用として、好事家に売れるかもしれない」
集まった人たちが物珍しそうにする中、俺を船に誘ってくれた船員さんが、背中をバシバシと叩いてきた。
「兄ちゃん、いい腕だな。次からは、銛撃ちとして雇いたいもんだ。この魔物をとった特別報酬は、商人との交渉後で渡すからな!」
「あ、はい。ありがとうございます。それで、あの、さっき言っていた、食べる分の魚を獲らなくてもいいんですか?」
褒められるのがこそばゆくて、つい関係ないことを尋ねてしまう。
すると、船員さんたちが大笑いし始めた。
「あははははっ。そうだな、この腕があれば、船の近くに集まった魚なんか、止まっているようなもんだろうな」
「よし、兄ちゃん。上手い魚を教えてやるから、銛を撃ち込んでくれ。港に帰ったら、作業が終わり次第に宴会しようや」
船員さんたちが数人、俺に付きっ切りで、狙う獲物を教えてくれたり、ボウガンの弦を引いてくれたり、銛にロープを結んだりしてくれた。
俺は言われた通りの獲物を十匹ぐらい、何回か狙いを外してしまったけど、銛で撃ち殺して船に引っ張り上げた。
その腕前を見て、銛撃ちに雇われた冒険者の人がコツを聞いてきたので教えたりしながら、俺の初めての漁は幕を閉じたのだった。




