七十話 移動と港町
ヒューヴィレの町を商隊の護衛として離れて、二十日ほど経った。
着いた村で、護衛していた商人さんから、港町のサーペイアルに向かう別の商人さんを紹介してもらった。
「ほう。兄ちゃんは、弓使いなのか。なら、うちの馬車とは相性がいいな」
海の塩水で焼けているんだと思う、浅黒い肌を持つ商人さんの言葉に、俺は少し首を傾げた。
弓と馬車に、相性なんか関係あるのかって疑問に思ったからだ。
しかし、その理由をすぐに体験することになった。
「あはははっ。どうだ、兄ちゃん。馬車の上の乗り心地は!」
手綱を操る浅黒肌の商人さんが、笑いながら声をかけてくる。
けど、返答する余裕はない。
なにせ、俺と他の護衛の人たちが乗っているのは、馬車の上も上。屋根の上に乗っているからだ。
そもそも、この商人さんが持っている馬車自体が、普通の馬車じゃなかった。
まず、俺が乗っている場所は、トラックの荷台のような大きな金属製の直方体な箱で、下には十個ほどの車輪がついている。
その大きな箱を、丸太のように太い脚を持つ、三・四メートルはありそうな巨大な馬が、四頭で引っ張っている。
なので表記上なら四馬力なはずだけど、大きな箱を引きながら、時速五十キロは普通に出てそうな感じがしている。
「あははははっ。どうだ、速いだろこの馬車は。サーペイアルから新鮮な魚介類を、大量に運ぶためのものなんだぞ。今は帰り道だから、馬を疲れさせないように、少しゆっくり目に走っているがな!」
これでゆっくりなのかって驚き、行きのときはどれだけ速度が出るんだと身震いしてしまう。
そんな速度なので、屋根には転落防止のローブが渡されていて、俺はうつ伏せになってローブを握って落ちないようにしている。
この馬車に乗りなれているらしい護衛の人たちは、俺の姿に苦笑しつつ、ロープに片足を引っ掛けながら、両手に弓矢を持って周囲を警戒していた。
彼らの様子を見て、人間って慣れればできないことなんてないんだなって、変な感想を抱く。
しかし、こんな速さで進んでいて、危険はないんだろうか。
そう思っていると、進行方向に何かの影が見えた。
どうやら草むらから出てきたばかりの、ゴブリンたちのようだった。
武器を振り上げて、この馬車を威嚇する姿が小さく見え、それが秒毎に大きくなっていく。
荷台の屋根から護衛の人たちが弓矢を放ち、追い散らそうとする。
でも、ゴブリンたちはやる気なようで、矢から身をかわすと、こちらに突撃してきた。
すると、手綱を持つ商人さんが、こちらに大声で喋ってくる。
「護衛の人ら。揺れるから、縄に捕まっていろよ!」
そう言うやいなや、馬車の速さが一段と増した。
そして馬の嘶き声と、ゴブリンの悲鳴が上がる。
「「「「ルヒイイイィィィィィン!」」」」
「「「「ギギィィアアアアアアアア」」」」
蹄が何かを踏み潰す音。荷台の車輪が何かに乗り上げつつ、すり潰す衝撃。
ガタガタと揺れる荷台の屋根で、俺はロープを握り締めながら、それらを体感する。
少しして、馬車の速さが元に戻った。
道の後ろを見やると、ぐちゃぐちゃに轢き潰された肉塊が、赤い血と共に地面に広がっている。
前世の自動車交通事故が可愛く見える光景に、思わず生理的な嫌悪感を抱いた。
しかし護衛の人たちは慣れているのか、掴んでいたロープを放すと、屋根に立ちなおして、周囲の警戒を再開させる。
その様子を見て、屋根に寝そべる自分が弱い存在な気がしてきて、なんだか悔しくなった。
彼らの行動を真似て、俺も片足にロープを引っ掛けるようにして立つ。けど、へっぴり腰なのは、初めてなので大目に見てもらいたいかな。
そして、怖々と周囲に目を向ける。
「うわぁ……」
地上から五・六メートルは優に高い場所からの眺めは、そんな声が出てしまうほど雄大なものだった。
道の左右に広々とした草原には、様々な草花が生い茂っている。その間に隠れるように、動物や魔物といった存在が確認できる。遠くには森の緑が小さく見えてもいた。
視線を道の先に向けると、平坦に思えていた道が、実は緩やかに勾配がついていることが見て取れる。
さらに先には、人の集落がある。柵に囲まれた中に畑があって、住居と思われる建物がまばらに存在していた。
この高さからなら、港町のサーペイアル――いや、海が見えないかなと、さらに遠くに目を向ける。
けど、流石にまだ距離があるようで、海の青さは見えてこなかった。
早く見えないかなと期待感が高まっていった結果、馬車の屋根にいる恐怖や、ゴブリンたちの轢死体のことなんか、俺の頭の中からすっかり消え去っていたのだった。
物凄い速さで進む巨大な馬車の護衛として同行して、まる二日が経過した。
海が近くなり、勾配の平坦さが増してきたからか、草原の中に沼地が混ざるようになってきている。
通り過ぎる村には、泥の畑に麦とは違う種類っぽい穀物が青々と茂っていた。
日本の水田とは見た目が違うから米とは違うのかなと思う。でも、米みたいなものでもいいから食べられないかなって、ちょっと期待している。
屋根の上にいることにも慣れてきて、どうにか進行の邪魔になる魔物や動物に矢を射掛けられるようになった頃に、港町サーペイアルが見えてきた。
整然と並んでいる建物は、前世ではテレビ番組でしか見たことがないような、赤い瓦の屋根に白い壁に統一されている。
海岸線は弧を描き、小さい砂浜と広い岩場に大別できるみたい。
砂浜には人の姿があり、海辺で遊んでいる人や、釣りをしているらしき姿がある。それに加えて、何かを干しているらしき道具が置かれたりもしている。
海岸の先には澄んだ海があり、その青さを見て鼻に薄っすらと潮の香りを感じた気になった。
まだ着かないかなと待ちわびていると、商人さんも早くサーペイアルの町に行きたくなったみたいだ。
「護衛の人ら、馬車の速さを少し上げるぞ!」
パシッと巨大馬に手綱が打ち付けられる音が響き、ぐんっと馬車の速さが上がった。
体が後ろに流れそうになり、慌てて身をかがめてロープを掴む。
そんなヒヤッとする体験をするほど馬車のスピードが上がったので、すぐに町の外延部に到着してしまった。
すると、馬車の速さが人が歩く程度まで落ち、商人さんが声を上げる。
「護衛の人ら。ここまでで大丈夫だ。報酬はいつもの場所で受け取ってくれ」
その言葉を聞くや、護衛の人たちは弓矢を軽く仕舞うと、屋根からひょいっと気軽に飛び降りていった。
流石にそれは真似できないなと思いつつ、降りないと馬車が止まるまでここにいる羽目になるしと悩む。
すると、護衛の一人が馬車と並走しながら、受け止めるから飛び降りろとジェスチャーしてきた。
折角の申し出なので、腹を決めて、俺は馬車の屋根から飛び降りる。
俺を受け止めた護衛の人は、一・二歩よろめいたが、しっかりとキャッチしてくれた。
「ありがとうございました。助かりました」
「いいってこったよ。この馬車を停める倉庫まで運ばれたんじゃ、町の中心地に戻るのに時間食っちまうしな。お、そうだ。同行したよしみだ、これから一杯いかねえか。美味い店、教えてやんぞ?」
「はい。お願いします」
「よっしゃよっしゃ。おおーい、この兄ちゃんも打ち上げ連れてっから」
「うーい。飯は大勢で食わにゃ、美味くねえしな」
護衛の人たちは大らかな気風を発揮しながら、俺と連れ立って歩き、この町についてあれこれ教えてくれた。
「兄ちゃんには海は珍しいだろ。試しに、しょっぱい水の中で泳いでみなよ」
「でも、泳ぐなら砂浜の方だけにしときなよ。岩場のあたりは、船持ちたちの縄張りだ。仕事以外で近づくと、怒鳴られっぞ」
「仕事といえば、冒険者組合の場所だな。あっちの方にあるから、仕事を請けに行くときに、通行人に尋ねるといい」
「そんで、あそこの食堂が、オレッチたちの行き着けの店だ。美味い料理がぎょうさんあるぞ。楽しみにしとけ」
やいのやいのと説明をしつつ店に入ろうとする姿を見て、俺は少し気になったことがあった。
「あのー、皆さんは馬車の護衛の報酬を、受け取りに行かないんですか?」
俺としては当然の疑問だったんだけど、護衛の人たちが大笑いし始めた。
「あっはははー! いやいや、今報酬を受け取っちまったら、ここで全部使っちまうよ」
「そうだぜ。こいつなんか、前にそれやっちまって、かかあにこっ酷く絞られたんだぜ」
「おいおい、蒸し返さないでくれよ。あの件はベッドの中で語り合って、愛しているって言葉で決着したんだぜ」
ぎゃははははーって、俺には分からない笑いのツボで、護衛の人たちが大笑いする。
けど、そんな姿を見て、心の広い海の男って感じがして、好感を持った。
うん。ここで暮らして、気風の良い人と親交を深めれば、俺もデカイ男に近づける気がする。
ならまずは、この食堂での打ち上げを精一杯楽しもうと決意した。
「仕事終わりと、生還を祝してー」
「「「「乾杯ー!!」」」」
木杯を打ち合わせた後、護衛の人たちはぐいっと中身を飲み干していく。
俺もそれに倣いながら、丸いテーブルに所狭しと並べられた料理を、勧められるがままに食べていく。
「おいひー! 魚が大きいのに、美味しい!」
豪快に塩振って焼いただけの顔ぐらいある魚だけど、前世でスーパーで買える魚なんて比べ物にならないほど、魚の味が濃い!
そして、貝や海老もぷりっぷりで、とても甘い!!
魚介と海草のサラダ! ああ、ワカメってこんな食感だったよね……。
さらには、烏賊と貝と野菜のパエリア! 粒が長いけど、立派なお米!! 今世では初めてな、お米!!
そんな風に大喜びで食べていると、護衛の人たちが感心したような顔を向けてきた。
「おおー、いい食いっぷりだ。男ってのはそうじゃなきゃな。よし、食え食え!」
「この町で出された料理を食えねえって言いやがる軟弱者に、兄ちゃんのその美味しそうに食べる姿を見せてやりてえな!」
不意の言葉に、俺は首を傾げる。
「食べられない人がいるんですか? こんなに美味しいのに?」
海老の殻を剥きながら尋ねると、その海老を指差された。
「まずはそれだ。足がウジャウジャある海の虫を食わせるなんてって、外様は怒りやがるんだぜ」
「どうやら、足が四つより多いものは、食いもんじゃねえって思ってやがるらしいな。こんなに美味ぇのに、勿体ないこった」
「そんで次は、この『沼麦』だ。食ってみりゃ、普通の麦より美味いのによ。見た目が蛆虫みたいだからって、拒否しやがる」
愚痴りながらパエリアを食べたので、この世界では長粒米のことを沼麦というらしい。普通の麦と紛らわしいから、頭の中で米に変換しておこう。
それで米が、ウジ虫みたいか。
考えたこともないけど、一粒だけとってよく観察してみれば、なるほど小さな白い芋虫に見えないこともないかな。
でも、米を見て虫を思い浮かべるなんて、その発言をした人は想像力が豊かに違いない。
話をさらに聞くと、海藻類は濡れてうねった人髪みたいとか、烏賊を海の魔物の子供だなんて言って拒否したそうで、表現力に幅があるのは間違いなさそうだ。
「でも、そんなに食べられないものばっかりだったら、その人はどうやってこの町で暮らしたんですか?」
「パンと干し魚を齧っていたぜ。逃げ出す直前なんかは、海が魚の腐った匂いだってんで、魚すら食わなくなっちまったがな」
「やせ細りすぎて、波にさらわれちまうんじゃねえかって、仲間内で心配したもんよ」
わはははー、っと笑い声を上げているので、どうやら冗談の類な話だったみたいだ。
それにしても、食べ物が合わないと悲惨だなって思いながら、前世の知識を持って生まれてよかったと、遠慮なく海産物に舌鼓を打つことにしたのだった。




