五十八話 中継村での自由な一日
翌朝、耳元で上がった悲鳴で、俺は強制的に起こされた。
「ひゃーーーー!! なんでバルティニーが隣に寝てるのさぁ!!」
俺の意識が覚醒しきる前に、蹴りで押されてベッドから落とされた。
「ぐあっ――なんだよ、朝っぱらから、酷いじゃないか」
蹴り落としてくれたコケットに苦情を言うと、いつになく真剣な顔で睨まれてしまった。
「それはこっちのセリフだし! 酔い潰れたからって、襲ったんでしょ! このケダモノ!」
「……あのね、よく見てみなよ。お互いに服は着ているだろ。それに、酔っ払って俺を放さなかったのは、コケットの方だからね。嘘だと思うなら、ベッドの中で迷惑そうにこっちを見ている、ティメニに聞いてみなよ」
話を振ると、ティメニは物凄く迷惑そうな顔で、ため息を吐いた。
「はぁ~……バルティニーくんが言っている通りですよ。コケットがずーっとしがみついて離れなかったから、一緒のベッドで寝る羽目になっていたんです。誓って、それ以上のことはなかったと証言します」
「そ、そうだったんだ~……」
「コケット。俺になにか言うことは?」
「うぅ……ごめん、悪かったしぃ……」
「はい。許します」
まだ朝早いから寝なおそうとすると、なぜかコケットに止められた。
「今度はなに?」
「……ごめん。トイレに、連れて行って、欲しいんだけど~」
意味が分からず顔を見ると、しかも今にも吐きそうな真っ青な顔をしていた。
二日酔いだと判断して、部屋の中で吐かれても困るので、コケットに肩を貸しながら大きく揺らさないよう静かにトイレまで移動する。
この宿のトイレは男女共用で、便座のある小部屋の扉を閉めてしきりにするタイプなので、乞われて中まで入っていく。
そしてその小部屋の一つにコケットを入れて扉を閉めると、エロエロと吐く音が聞こえてきた。
つられて俺の口の中がすっぱくなるけど、唾を飲み込むことでどうにか抑える。
「もう、お酒なんか、こりごりだしぃ――うぷっ」
「最後まで吐いちゃったほうがいいよー」
言葉をかけながら、コケットがトイレで昨日の反省をし終わるまで、個室の外で待機する。
ようやく全て吐き終えたようで、コケットが疲れきったような顔で出てきた。
「うえぇ、口の中とかが気持ち悪いしぃ」
「ほら、洗面台があるから、そこで手荒ってうがいしなよ」
少しすっぱい匂いのするコケットを、手を貸して移動させてあげる。
ここの洗面台は、バケツのような木製の水受けと、大きな水瓶で作られている。
水瓶の中にある水を手桶ですくい、手や顔を洗うことが出来るようになっているわけだ。
けど、コケットは水瓶の水を見てから、俺に両手を揃えて差し出してきた。
「この水で洗いたくない~。魔法で水出してよぉ~」
「はいはい。分かったから、そんな情けない顔で頼まないでよ」
細胞から魔力を生み出ささせて、コケットの手に生活用の魔法で水を浴びせる。
コケットは喜びながら手で水を溜め、口に含んでゆすぎ始めた。
三回ゆすいだ後は、顔を洗ってから水を一口飲んで、さっぱりとした様子になる。
しかしまだ気持ち悪いみたいで、顔を少しゆがめている。
「なんだか、喉の奥がまだすっぱいしぃ~」
「なら『うがい』をすれば、いいんじゃない?」
「……なにそれ?」
知らないのかなと、うがいを実演してみせた。
それを見て、コケットは驚いた顔をする。
「器用なことするしぃ。よくそれで、喉の奥に水が入らないなぁ」
感心するコケットを見て、うがいを見せられて外国の人が驚いていた、テレビ番組の場面を思い出した。
「試しに一度やってみたら?」
「止めとく~。変な場所に入ったら、また吐いちゃいそうだしぃ~」
まだ気持ち悪そうなので、コケットの背中を擦ってやりながら部屋に戻る。
すると、昨日の夜からいなかったオレイショと、廊下でばったり出くわした。
「やあ、バルティニー。それにコケット。良い朝だな!」
……だれだお前は?
そんな感想を抱きたくなるほど、オレイショはうざったいほどにさわやかな笑みを浮かべていた。
「なんだか、昨日までとは景色が違って見える気がする。これが一皮剥けた男の視界ってやつなのかな」
「いや、そんなこと聞いてないから」「そんなこと、聞いてないしぃ」
俺とコケットが同時に突っ込んでも、オレイショのさわやかな笑みは崩れない。
「ふふふっ。バルティニー、商売女はいいぞ。この世の極上の快楽を教えてくれた」
「だから、聞いてないから」
コケットを連れて部屋に戻ろうとすると、オレイショもついてくる。
そういえば、同じ部屋だった。
ちっと内心で舌打ちしながら中に入り、コケットを彼女のベッドに寝かせてシーツをかけてやった。
オレイショも部屋に入ってくると、寝なおそうとしていたティメニに近づき、その手を取ろうとする。
いつになく積極的な行動に驚いていると、ティメニがその手を振り払ったことにも驚いた。
「な、どうしたんだ、ティメニ。オレだ、オレイショだ」
「……不潔。他の女を抱いた手で、わたしに触らないで」
静かな口調でも、かなりのトゲがある言葉を受けて、オレイショの顔がさわやかなものから悲痛なものへと変わった。
しかしオレイショは諦めきれない様子で、ティメニに手を伸ばす。
そのお返しに、ティメニは平手打ちを食らわせた。
かなり、いい音だった。
俺が思わず忍び笑いしていると、オレイショがいつもみたいに不機嫌な顔で睨んできた。
「ふんっ。ティメニは嫉妬しているだけだ。後で話せば分かってくれる」
「いや、何も言ってないから。それとなんで俺に言うんだよ?」
「うむむっ……いや、いい。それよりも隊長からの伝言だ。今日一日は自由行動で、明日の早朝に出発することになる。宴会で体調を崩した人は、それまでに治しておけと言っていたぞ」
そう伝えた後で「寝る!」と不機嫌そうに言って、オレイショは部屋のベッドに一人もぐりこんでいった。
まだ朝は早いようなので、俺ももう少し寝ることにしたのだった。
朝食を食べてから、コケットは二日酔いによる体調不良、オレイショはティメニの機嫌を取るのに忙しいみたいで、俺は一人でこの村の中を歩いてみることにした。
村の中心を貫く大通りを歩いていくと、不思議なことにあまり店や住居がないように見える。代わりに宿屋がたくさんある印象だ。
そういえば、この村とこの先の開拓村は、特定の商会が牛耳っているんだったっけ。
よく観察すると、村の中にいる人の大多数が、冒険者風の格好をしているか、商人らしき仕立てのいい服を着ているかだ。
二つの開拓村の中継地点ってことだし、純粋に村人と呼べるような人は、あまりいないのかもしれないな。
道を進んでいくと、行商らしき人が馬車の前で商品説明を大声でしている場面に出くわす。
品物に目を向けると、鍋や包丁などの調理器具が多いみたいだ。
それだけを持ってきたのか、それとも牛耳っている商会に買い取ってもらえなかったのか。
どちらにせよ、俺にも必要がないので前を通り過ぎる。
ふと思い立って路地を一本横にずれると、ああやって路上販売をする商人は、かなりいるみたいだった。
箱を開けて中にある少し萎びた果物や野菜を売ろうとしたり、何かの肉を吊るしながら呼び込みしたり、剥き身の武器を掲げて周囲に見せていたりしている。
それらを買うのは冒険者風の人たちだけで、通りがかった他の商人は見向きもしていない。
つまりは、それなりの品質でしかないってことなんだろうな。
この世界のこの村でしか見れないような景色を見ていると、唐突に鐘が鳴り響く音が聞こえてきた。
それも激しく何度も打ち付ける音が。
周囲の人たちは一瞬驚いた様子で顔を上げるが、すぐに何事もなかったかのような態度に戻った。
どういうことかなと思って、俺は黄色いリンゴみたいな果物を売っている行商人に近づく。
「その果物、一つ売って」
「おお、じゃあ一つ銅貨二十、いや十枚だ。さらに、おまけに二つやるよ」
「いや、一つで十分だから。オマケの二つ分で、さっきの鐘がなんだったのか教えてよ」
銅貨を十枚払いながら言ったんだけど、きっちり三つ渡されてしまった。
「今日の午後に出発するんで、あっても荷物になるだけだから貰ってくれ。それであの鐘のことについてだな?」
「うん、教えて」
「さっきのはな、この村に魔物が攻めてきたって合図さ」
「それって、かなり大変なことなんじゃないの?」
「いやいや。今のはやってきたって知らせで、戦い始めたっていうのは――お、この音だ」
さっきは連続した音だったけど、今度は二回打ったら一回休みな感じになっている。
「この音の後で、一回ずつゆっくり鳴らすようなら、迎撃成功。三回ずつになったら、塀を突破されたって合図になる。もっとも、突破された方の音は聞いたことがないね」
「ふーん。なら、この村ってけっこう魔物に襲われるんだね」
「いやいや。道を行く行商は襲われることが多いが、この村を襲ってくるのは稀だったんだ。しかし最近は引っ切りなしにくるって、愚痴を言われたよ」
きっと牛耳っている商会の誰から話を聞いたんだろうなと予想しながら、買った果物の一つを服で表面を磨いてから、齧りつく。
――すっっっぱーい! なんだ、このリンゴの甘みを薄くして、すっぱさだけを凝縮したような味!?
「おいおい、もしかして食べるの初めてだったのか? それは生でも食べられなくはないが、焼いたり煮たりして食べるものだぞ。おっと、返品は受け付けてないからな」
そんな遅すぎる忠告の後で、行商の人は笑顔を向けてきたのだった。




