三話 少し成長した
ファンタジックな世界に生まれ変わって、早くも一年経った。
これは別に日数を数えていたわけではなく、家族に誕生日を祝ってもらったわけでもない。
単に、暑い季節の次に寒い季節がやってきて、また暑い季節の番がきたからだ。
それで、この一年で分かったことといえばだ。
さっきも出たが、俺が生まれた地域には、夏と冬の二つの季節しかないということ。
季節の変わり目のとき、カッと暑かった翌日に空から雪が降って、かなり驚いたものだ。
まあ、前世でも四季がちゃんとある地域の方が珍しいと、テレビ番組でやっていたぐらいだ。こんな場所もあってもおかしくはないだろう。
次に分かったことは、魔法を使える人と使えない人がいるらしい、ということ。
その事に気がついたのは、たまに母親が部屋の外に連れ出してくれることがあって、雇っている使用人の仕事風景を見る機会があったときだ。
そこでは、多くの使用人が魔法を使える人――俺の部屋を覗いて指に火を灯したあの女性に、火や水の魔法を頼んでいる光景があった。
このことから、使える人と使えない人に分かれていると、予想したわけだ。
でも、魔法を使える人は他にも数人見かけたので、さほど使える人が珍しいというわけでもなさそうな印象だった。
そうそう。使用人が多数いることから分かるように、俺の生家はお金持ちのようだった。
けど、貴族という感じではない。
なにせ、赤ん坊の俺を、使用人たちがあれこれと構ったり悪戯するのを、母親が笑って許しているのだ。
たまに、使用人に俺の世話を頼んで、母親がどっかにいくなんてこともある。
尊い人の子なら、こんなマネはさせないだろう。
なので、きっと豪商とか豪農とか、そういった家なのではないかと思う。
ちなみに、俺には兄がいるようだ。それも十歳近くは年が離れているように見える兄が二人。
俺が母親に抱えられて散歩していると、兄たちは構って欲しそうにやってきて、お互いに先を争うように喋ってくる。
例の魔法を使える女性か年老いた老人が後ろにいて、なにやら教本のような物を持っていたので、勉強したことを語っているのだと思う。
母親はそれをちゃんと全部聞くと、俺を使用人に一時預けると、二人の兄の頭を撫でて抱き寄せて褒める。
今世での自分の母親ながら、出来た人物だ。
話には出していなかったが、父親もちゃんといるぞ。朝早くに出て、日が暮れる頃に帰ってくるらしく、あんまり顔を合わせたことはないけどな。
そんな感じで、兄が二人いるので、多分俺が生家の生業を継ぐことはないだろう。
なら将来どんな職に就くかと考えると、折角のファンタジックな世界なので、願わくば魔法を使って生きていければいいと思っている。
そう、魔法。このことを忘れていた。
正しくは魔力についてのことを忘れていた。
この一年、毎日魔力を動かそうと努力し続けてきた。
その甲斐もあって、ヘソの位置からは動かせないけれど、小石のようだった魔力の形を、少し伸ばすことに成功した!
次の段階を目指し、形を粘土のように伸び縮みさせて変えていると、ぐっと大きく伸ばしたときに体が熱っぽくなった。
体調のいい風邪のような、不意に体温だけが上がったような違和感。
これを不思議に思い、色々と試してみたわけだ。
分かったことは、形を引き伸ばしたときに体全体が軽く発熱するけれども、縮めても体の変化は特になかった。
そして、魔力の形を変えるのを止めてよくよく魔力を確かめると、量が少し増えたようだった。
気のせいかとも思ったが、検証のために毎日続けてみると、着実に増えていることが分かった。
なので、この方法を続けてきた。結果、小石程度だった魔力が、いまでは赤ん坊の握り拳大にまで増えた。
着実に大きくなる魔力の量に、これで魔法使いになれる可能性が上がったって、とっても喜んだ。
「やあうーーーーーーーーー!」
って大声を上げてしまって、使用人が何事かと部屋に走って入ってきたぐらい。
ともあれ、この魔力増量法を、理屈っぽく考えるとこうなるんじゃないかと考えている。
恐らく魔力を作る工場は体の各所――恐らく細胞にあって、ヘソにある塊は貯蔵庫のような場所。それで、貯蔵庫の形を思いっきり引き伸ばすと、魔力が減ったと体が誤認して、慌てて細胞が働き出した。細胞が動くと体温が上がるが、この世界では自然なこと。
勝手な予想だが、自分ながらおおむね間違っていない気がしている。
この理屈で考えれば、ヘソにある塊をストレッチしながら、細胞の意識的に発熱状態にできるようになれば、魔法使いの道は近いんじゃないかな。
赤ん坊でまだ時間もあることだし、魔法について誰かが教えてくれるまでは、この方法が出来るように試してみることにしよう。
あと変わった事といえば、つかまり立ちを始めて、少し歩けるようになったぐらいだな。
離乳食も食べるようになったが、不味さに吐きかけたのは悪い思い出だ。
どうやら、食料事情は前世の日本の水準は、望めないようだ。
しかし、食べることは成長に必要だ。我慢して飲み下している。
この一口が、将来の一センチに繋がると思えば、耐えられるというものだ。
それと、言葉はちょこちょこと覚えられた感じ。
ハッキリしているのは、前世でいうとこの『ママ』と『ご飯』と『おむつ』にあたる単語だけ。
母親も使用人も、こっちに言葉を無理にでも喋らせようという感じはないので、言葉が遅いと受け取られているわけではなさそうなのが救いだった。