三百七話 海の竜との戦い
海藻を脱ぎ捨てた――海から出てきた竜だから――『海竜』の突進を、俺は横に走って避けた。
横を通り過ぎるその姿を、改めて間近で観察する。
足は前に感じた通りに、亀の足を象以上に大型化したものに似ていた。
顔は竜に似ているが、唇がくちばし状に変化していて、その奥に小型化した乱杭歯が並んでいる。
その首から下は、ウミヘビを樹木並みに成長させたかのような、背に小型の翼を乗せた長細い鱗のある体と尻尾が続いていた。
そんな奇妙なアンバランスさを感じる姿だが、海流の身動きにチグハグな部分は感じられない。
そこのことから、唐突にこんな形になったのではなく、長年の世代交代の間に竜が変化したのだとわかる。
しかしながら、退化しているとはいえ、翼持ちの竜だ。
エルフの集落を襲った、あの空飛ぶ竜ほどの強敵ではないだろうが、魔物の中でも上位に食い込む種族であることは疑いようがない。
警戒して、戦法を考える必要がある。
そう考える俺の目の前で、海竜は停止すると、自分が踏みつぶした魔物を捕食し始めた。
食事をするなんて暢気だなと感想を抱きかけて、海竜の口元から零れる物を見て、ハッとさせられた。
魔物の肉が、くちばし状の口の端から零れ落ちている。
なのにその肉には、一切骨がくっついていない。
まさかと理由を予想すると、答え合わせのように、海竜の口から白い刃が飛んできた。
至近距離で回避が間に合わないと判断し、赤熱化させた鉈で撃ち落とす。
すると、激突の衝撃で飛来してきた白い刃が砕け散った。
俺は腕で顔を覆って刃の欠片を防ぎながら、食った骨を急いで加工してすぐに射出したために、強度が確保できなかったのだろうと推察した。
そして、急造の刃を使いだした点から、海竜には刃を打ち出すストックがないと予想を立てた。
「そういうことなら――」
魔物の死体を食べる暇を与えなければ、白い刃が飛んでこないということだ。
俺は気合を入れ直すと、地面に散らばる死体に口をつけようとしている海竜の頭へと斬り込んだ。
「でぇいいやあああああああ!」
「――ウオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」
赤熱化している鉈が、その亀に似た顔を大きく傷つけた。
右目の上からくちばしの横を通る長い傷に、海竜は大きく悲鳴を上げて、再び斬られないように首を大きく上向かせる。
これで、体躯の差から俺が手を伸ばしても、海竜の頭を攻撃することが出来なくなった。
それならと、前足の片方に集中して斬りつけていく。
巨木だって何度も斧を打ち付けられれば倒れるように、赤熱化させた鉈を何度も振るって両断を狙う。
「ウオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」
度重なる攻撃に激怒の声を上げて、海竜は蛇に似た長い尻尾を振るってくる。
俺が攻撃の手を止めて足の後ろに隠れると、その尻尾が傷ついた足に激突した。
「グウオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!」
俺の攻撃よりも痛かったのか、さらに憤怒の声を上げて、海竜は周囲一帯を踏みつぶそうとするかのように足踏みを始めた。
その体重から一発でも当たれば即死級の踏みつけを、俺は必死で回避しながら、傷をつけた足を狙ってさらに攻撃していく。
何度と振るってようやく骨に当たる手ごたえを得たとき、俺の至近に海竜の大口を開けた頭が素早く近づいてきていた。
「チッ――」
舌打ちをしながら跳び退ると、俺の目の前でくちばしが閉じ、裁断機のような音がした。
あれに噛まれたら、魚鱗の防具があろうと、体が切り取られてしまうに違いない。
空寒い心地を抱きながらも、踏みつけと噛みつきに注意しながら、足を傷つけることは止めない。
肉と骨が焼き切れ、あと少しで両断できるというところで、今度は頭上から海竜の体が降ってきて、こちらを圧殺しようとしてきた。
これはまずい。
大慌てで走って逃げ、間一髪避け切ることができた。
しかし海竜の攻撃はこれで終わりではなかった。
「マジか!」
海竜は逃げる俺に向かって寝返りをしてきたのだ。
樹木のように太い体が回転しながら迫ってくる姿に、俺は背を向けて走り逃げる。
逃げる先にいた魔物たちも逃げ始めるが、初動が遅れた一部が回転する海竜の体の下に飲み込まれた。
「ギイイイィイ――」
悲鳴と水風船を割ったときのような音の後に、海流の体に血の痕が広がる。
ああなってはたまらないと逃げ続けると、海竜の鳴き声が聞こえてきた。
「ウオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」
それは俺が逃げる姿を面白がるような声色だった。
そして寝転がる攻撃がこちらに有効だと思ったのか、太い足を器用に折りたたむと、連続してこちらに転がってきた。
動作はゆっくりに見えるものの、その巨体のせいで、こちらにくる速度は意外に速い。
しかし、先ほどのは不意打ちだったから逃げただけだ。
迫ってくるとあらかじめ分かっていれば、魔法を撃つ準備を整えることはできる。
「舐めるなよ――」
空飛ぶ竜にも通用した魔法を使おうとして、視界の端――森の際のあたりに、つる草で体を覆った例の魔物の姿が見えた。
じっとこっちを窺っている様子から、きっと俺と海竜の共倒れを待っているんだろう。
そして悪いことに、いま俺がここであの白い光線のような魔法をぶっ放すと、海底を隆起させて赤熱化させた鉈を振るい続けた影響もあって、魔塊の量は一割未満になるだろう。
つまり、漁夫の利を得ようとするつる草の魔物を倒す算段がつかなくなるということだ。
かといって、目の前に迫りつつある海竜の回転攻撃を止めないと、少し遠くで戦うテッドリィさんたちも狙われてしまうことになる。
俺は素早く考えを巡らして、海竜を倒しつつもつる草の魔物も倒せる、賭けのような算段を立てた。
「すうー、はあー」
深呼吸して動機を静めると、俺は回転攻撃する海竜の頭が直撃してくる場所に移動した。
そして、生存本能が逃げようと発する警告を無視して、腕を引き絞るように引きながら、力を込めて鉈を構える。
恐らく、攻撃可能なタイミングは一瞬だけ。
それを逃せば、回転攻撃の直撃を受けることになる。
体に纏っている魔法の水で衝撃は軽減されるだろうが、怪我をすることは避けられないだろう。
こんな博打をする羽目になったつる草の魔物の存在を恨みながら、一瞬の好機を待つ。
「―――――いま!」
回転移動する海竜の頭の天辺が見えた瞬間に、俺は突進し鉈を突き入れた。
深々と頭頂部に刺さった鉈が、海竜の回転の勢いで、こちらの手から離れようとする。
その一瞬前に、白い光線の魔法を放てる分量だけ残し、その他の魔塊の魔力を全て使って鉈を限界以上まで高熱化させた。
溶鉱炉の壺の中を直に見たような熱気と光を鉈が発したのを見届けてから、俺は体に纏う魔法の水のアシストを使って上へ跳んで回転攻撃を避ける。
「これで鉈は全滅か。後でまた作らないと」
足下を通過する海竜の体を見ながら愚痴りつつ、視線はつる草の魔物に固定する。
海竜のような飛び道具を放ってこないか警戒するが、つる草の魔物はまだ静観する姿勢のままだ。
着地し、視線を海流に戻す。
「グウオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛――!」
火柱を上げる頭頂部の熱さに呻きながら、海竜は慌てた様子で海へ逃げようとする。
海水で消火する腹積もりのようだが、俺がほぼ断ち切った前足の存在が、海竜を素早く移動することを阻害していた。
それでも、怪我が深い片側の前足を引きずるように動かしながら、海竜は海を目指す。
このまま逃がしてはまずいと、攻撃手段を探すものの、使えるのは弓矢と手裏剣。
つる草の魔物の備えのために、魔法による補助が使えないため、どちらも海竜へのダメ押しには不十分だ。
それでも攻撃しないよりかはいいだろうと、弓矢を放って攻撃する。
矢は海竜の顔に突き刺さるが、逃げる速度を遅くする効果は得られなかった。
ここで確実に仕留めるために、魔塊の魔力を必要最低限だけ消費しよう。
そう決めかけたところで、突然に海竜の頭がぐらりと大きく揺れ、体勢が大きく崩れる。
そして海まであと一歩という場所で、重たい地響きを立てながら横倒しになった。
……効果が出るまで少しかかったが、高熱化した鉈の熱気が、海竜の脳を焼き切ってくれたようだ。
海竜の体は少し痙攣しているものの、見るからに絶命している様子に、安堵から息を漏らす。
――その瞬間、背後から突き飛ばされた。
「ごはッ?!」
なにが起きたのか、誰の仕業かわからないまま、俺は地面の上に転がった。
急いで立ち上がろうとして、背中に耐えがたい痛みが走る。
「ぐうぅつぅぅ――」
付近に気配はなかったため、なにかしらの遠距離攻撃を受けたんだと理解し、痛みを無視して立ち上がる。
隠れる場所を探し、近場の岩は海岸を整地したときに消費し尽くしてしまっていることに舌打ちする。
唯一の逃げ場は、痙攣が治まりつつある海流の死体だけ。
痛みでよろめきそうになる足を叱咤しながら移動し、再び背中――続いて手足に衝撃を受けながらも、どうにか海竜の死体の陰に入り込んだ。
「いづうぅぅ……これは、骨が折れてそうだな……」
飛んできている何かが海竜の死体を抉る音を聞きながら、俺は攻撃を受けた手足と背中の状態を確認してみた。
すると、類い稀な防刃性能を誇る魚鱗の防具が破れている。
予想外の事態に驚きながらも、この防具がなければ、最初に受けた背中への一撃で致命傷だったことも理解した。
魚鱗の防具を手に入れる助けとなった、サーペイアルにいるフィシリスに感謝をささげつつ、そっと海竜の死体の陰から顔を出して、どこから攻撃されているかを確認する。
「やっぱり、あのつる草で覆われた魔物か」
半ば予想通りの結果とはいえ、森の際から海岸まで高速で達する飛距離がありながら、魚鱗の防具や海竜の死体を穿つような飛び道具を持っていことは予想外だった。
警戒していたのにと悔しい思いを抱きながら、いったいどんな武器を使っているのだろうかと見極めようとする。
そのとき、隠れている俺の近くで着弾があった。
海竜の死体に弾き飛ばされたその『何か』は、空中を飛びつつ陽光を反射する煌めきを発したあと、海中に没した。
つる草の魔物の攻撃を受けないよう、俺は海竜の死体の陰から出ないよう気をつけつつ、海に入り落ちてきたものを拾い上げる。
それは手のひらを超えるほど大きな、茶色い宝石だった。
琥珀のように見えるが、爪では傷つかず、手裏剣の刃が負けてしまうほどの硬度を持っている。
俺の知識にない宝石なのかと首を傾げかけたとき、海竜の死体を抉る攻撃の音が止んだ。
まさか狙いをこちらから、テッドリィさんたちに移す気じゃないだろうな。
警戒しながら顔を出すと、つる草の魔物が森の中に帰っていくところだった。
呆気に取られていると、海岸に集まっていた中で、まだ生きていた魔物たちがそれぞれ森や海へと帰っていく。
森の魔物たちが帰るのは、つる草の魔物が呼んだからだろう。
海の魔物たちは、俺が海竜を倒したことで、次の海域の主になるべく海中で魔物同士が戦うことにしたからに違いない。
真相はともあれ、これで一息つける。
「はぁ~~――って、痛たたたっ」
走る背中の痛みに眉をしかめつつ、つる草の魔物が飛び道具として使った宝石を見つめて、今後どうやって対処するかを考えることにした。