三百五話 船着き場の急変
接弦した船から、船員たちが補給物資と共に降りてきた。
その誰もが、いま踏んでいる船着き場に驚きを隠せないでいる。
「短期間に、こりゃすごい」
「他の魔物の領域が遠い港にだって、こんな立派な船着き場は少ねえってのに」
「でも、やっぱり船の素人が仕事したって点もあらぁな」
不満を漏らした人が皮切りとなって、他の船員たちもあれがないこれがないと言い始めた。
横で聞いている俺は、足りないと語るものを覚えて、後で作っておこうと思っていたのだが、語る彼らの様子が途中から少し変わる。
「って、そんな至れり尽くせりな港、どこにあるってんだよ」
「そりゃあもちろん、オレらの想像の中にある理想の港さ」
「そんなものを現実に求めちゃいけねえって、いつも言ってんだろうよ、うははははっ!」
という締めの言葉から船員たちが語っていたのは、海の男たちのみ通じる、ある種の冗談だったらしい。
まあ、船乗りにとって必要な港の設備は聞いたし、船着き場とそこに至る道を作って少し手すきになるよていなので、作れる範囲は次から用意しておこう。
そんなやり取りの後、俺は船員たちと共に補給物資を持って、家へと向かう。
総石製でありながら、周囲に枝や草で擬装している家は、船員たちにとっては驚きだったようだ。
「周りの草木は貧弱な家を魔物に見つからない工夫かと思えば、その実、頑丈な家じゃねえか」
「少し手狭な点を引いても、拠点に最適な作りだな」
「おいおい。オレたちにゃ、船って言う海上の砦があるだろうが。よその家を褒めてどうするよ」
不思議な言葉に、俺は聞き返す。
「海上の砦って、あの中型船がですか?」
「そうとも。外壁は水のしみ込んでこない、木目が詰まった木材を使っている。こいつは、ちょっとやそっとの魔物の攻撃じゃ、傷すらつかねえ硬さがあるんだ」
「もっとも、それだけの硬さがなきゃ、海の中から突撃してきた魔物の体当たりに耐えられねえってだけだがな」
「つーわけで、陸地に魔物が溢れようが、船に乗って少し沖に出りゃ、あの船は砦に早変わりするってえわけよ」
「そーすりゃ、周りは海っていう天然の堀だ。魔物だって、おいそれと攻めてこれやしねぇ」
そして海から船に上がってくるような、水陸両用の魔物は大して強くないため、船員たちでも十分に仕留められる。
つまりは、変に強力な魔物に狙われない限り、海上の船はほぼ無敵という主張らしい。
そんな状況になった場合を想像してみると、それはもっとものような気がした。
面白い話に感銘を受けていると、テッドリィさんとイアナが食料庫から食べ物を手に手にやってくる。
「長旅で疲れてんだろ。あたしらがご馳走を振舞ってやるから、外の竈の近くに座りな」
「食料庫の中身を少し中身を減らしたいので、遠慮なくじゃんじゃん食べちゃってくださいね」
「うおおお! やったぜ!」
「保存食じゃねえ肉なんて、どれぐらいぶりだ!」
騒ぐ船員たちは竈の近くに集まり、早く早くとテッドリィさんとイアナを急かす。
落ち着けと身振りしたテッドリィさんは、竈に火を入れて熱した石板で肉や野草を焼いていく。
焼き上がるまでのつなぎに、イアナが果物を配っていった。
こうして始まった宴会は、船員が補給物資から無断で酒を持ち出したことで加速していく。
「あはははははっ! 見ての通り、食糧はたんまりあるんだ! 次の補給物資は、酒だけにしてくれな!」
「ぎゃははははっ! その通りだな! どうせ船で運べるのは、クソ不味い保存食だけなんだから、要らねえよな!」
酒に酔って馬鹿笑いする、テッドリィさんと船員たち。
イアナは肉を焼きつつ、狂騒に白い眼を向けてから、こちらを見てくる。
「……バルティニーさん、あれ、いいんですか?」
「俺たちの中で酒を好んで飲むのはテッドリィさんだけだから、なくなったって痛くもないから放って置けばいい」
「みんなが飲んでいるあの度数が高そうな酒は、きっと消毒用で、治療薬の扱いだと思うんですけど」
「傷口を消毒なら、綺麗な水で汚れだけを洗い流した方がいいと聞いたことがある。酒で洗うのは、綺麗な水がないときの代用だったはずだ」
「そうだったんですか? それならどうして、傷口にかけるのはお酒ってことになったんですか?」
「この世の中では、生活用のでも魔法が使えない人の方が多いからな。傷を洗い流す際に、井戸や川の生水よりも、酒精で殺菌された酒を使ったほうが傷が化膿しないんだろうさ」
前世のうろ覚えの知識を語っていると、ふと気配察知に感があった。
チャッコも気が付いたようで、俺と一緒に顔を海――中型船がある船着き場に向けた。
海は穏やかにしか見えなかったが、潮騒に異変を感じた。
さざめく波音に混じって、石を擦り合わせているような、ゴリゴリという小さな音が混じっている。
警戒が必要なんじゃないかと船員の一人に尋ねると、逆に笑われてしまった。
「ははははっ、心配しなくていい。そいつは、船に着いた貝を魔物が食べているんだ」
「船底が綺麗になれば船足も速まるからな。オレたちゃ、あの音を聞いても、貝食い虫の魔物は放置することにしてんだ」
そういう事情ならと納得しかけて、船が少しずつ傾いているような気がしてきた。
「本当に放置していて大丈夫ですか? 例えば、船底に穴を開けられたりなんかはしないんですか?」
「へーきだ。木なんて栄養のない食い物、魔物だって食べようとしないさ」
「もし木を食う魔物がいたら、魔の森なんてものはないはずだろ?」
気にし過ぎと笑う船員たちだったが、時間が経って一目で船が傾いていると明らかにわかるような段階に至って、急に焦り始めた。
「お、おい。なんか変じゃねえか?」
「係留だってちゃんとやったんだ。あんなに船が傾くことなんてないはずなんだが」
「留守番は残していたよな。魔物の襲撃や船に異常があれば知らせてくるはずだぞ」
「あっ! あいつ、今頃になって緊急事態の合図を出してやがる!」
一人が指さす先――中型船の甲板に出てきた船員が、大慌てで白と黒の旗を振っている。
他の留守番の船員たちは、まるで沈没船から逃げる鼠のように、甲板から船着き場へと脱出していた。
なんだなんだと、焼肉を楽しんでいた船員たちが騒がしくする中で、中型船はさらに傾き、ゆっくりと海中に沈んでいく。
食べる手を止めて呆然とした人たちは、次にこちらに逃げてきた留守番役に怒鳴り散らす。
「なにやってやがるんだ! 大事な船が沈んじまったぞ!」
「しょうがねえだろ! 貝食い虫かと思っていたら、全く違う化け物が船底を食い破っちまったんだからよ!」
「はぁ?! 船底が食われたって、どういうことだ!!」
「知るか! 気づいたときには、船の底に水が溜まっていて、その中を海藻のような魔物が泳いでやがったんだ!」
言い争う言葉の中に、嫌な情報が混ざっていた。
もし俺の予想が当たっていたら、彼らの喧嘩を長々と待っている余裕はない。
俺は、誰にも有無を言わせない大声を放つ。
「聞け! 船を沈めた魔物が船着き場にいるんだ! 船員たちは急いで家の中に入って籠城だ! テッドリィさんとイアナは武器を持って待機! チャッコは俺と、船着き場に行って様子見だ! 分かったな!!」
一瞬、船員の一部が反抗的な程度を見せた。
議論する時間も惜しいので、見せしめに、一人を掴むと家の中へと放り込む。
すると、こちらの真剣度合いが通じたのだろう。船員たちは大人しく家の中に入っていった。
空間的に許容量の限界だろうが、無視して船員たちを家に押し込み、扉を閉める。
これで彼らの安全は確保できた。
次は、なにが船を沈めたかの確認だと考えたとき、傾いた船の甲板に伸びる触手のようなものが見えた。
それはある魔物が纏っていた海藻に、とても良く似ていた。
嫌な予感が当たっていたことに、思わず舌打ちしてしまう。
「チッ。なんだって海の主が、中型船を襲いにきたんだか」
理由は分からないが、放置もしていられない。
中型船は沈んでいるが、海岸近くで引き上げて補修できる可能性は残っている。
しかしこのままでは、海の主によって中型船はバラバラになってしまう運命に至る。
そうなったら、船員たちが帰るに帰れなくなってしまう。
加えて、あの船着き場にやってきた船が今後も襲われるようだと、この場所を港にすることができなくなってしまう。
理由はどうあれ、ここであの魔物を倒す必要がある。
面倒な事態に頭を悩ませながら、俺は仲間たちを引き連れて船着き場へと向かったのだった。