二百九十八話 開港予定地
二十日ほどの船旅の後に、グランダリア侯爵が指定した開港予定地についた。
この海域は海の魔物が大人しいらしく、船が停泊しても危険が少ないらしい。
ここで避難艇の一つに俺と仲間たちと数人の船員が乗って、陸地まで進むことになった。
船を櫂で漕いで進ませていると、中型船の看板にいる船員たちが声を放ってくる。
「水はバルティニーさんのお陰で余裕があるから、新鮮な果物や野草をだけ狙って集めてこいよ!」
「お前らの成果で、オレたちがいつ出航できるかが決まるんだからな!」
どうやら、俺たちと同乗している船員に向けての言葉だったようだ。
櫂を漕ぐ船員は「うるせー! 初上陸の場所で、そんなに上手くいくか!」と言い返していた。
距離が離れて彼らのやり取りが終わった頃に、俺は漕いでくれている船員に話しかける。
「果物や野草が入用なら、俺が採ってきましょうか?」
「ありがたいんですが、いいんで?」
「長々と船室にいたせいで、チャッコが森の中に行きたがっているので、そのついでですよ」
船員が視線をチャッコにずらすのに合わせて、俺も見やる。
チャッコは迫りつつある陸地に目を固定したまま、接岸と同時に走り出そうと画策している気持ちが、全身から放射されている。
これは俺が制止しても森に飛び込みそうだなと苦笑いしつつ、避難艇が海岸に着くまで、しばし待つことにしたのだった。
岩礁の多い場所を抜けて、小さな砂浜に避難艇が到着した。
周囲が岩壁だらけなのを見るに、ここが奇跡的に上陸可能な場所であることが分かる。
俺は船員と共に砂浜の上に避難艇を砂浜の上に引っ張り上げていく。
その間、チャッコは気持ちが抑えられなかったのか、一足先に砂浜の乾いた場所に跳び降りると、森に向かって一目散に駆けていった。
「チャッコ! ここの森には謎の魔物が――って、聞いちゃいないか……」
「チャッコちゃんなら、きっと平気で戻ってきますって」
砂浜に降り立ったイアナは、笑いながら言うと、体が横にフラフラと揺れた。
「なんだか、地面が揺れている感じがするんですが。ここって、そういう地形なんですか?」
「常に地震が起きている場所なんてあるはずがないだろうに」
「あははっ。そいつは陸酔いってやつですよ。長い間船に揺られて、体がそれに慣れちまったことで起こる、錯覚でさよ」
船員に笑われるイアナの姿を見てか、続いて降り立ったテッドリィさんは、体が揺れることを押さえているかのように、全身に力が入っていた。
そういう意地っ張りな部分が可愛らしいんだよなと思いつつ、俺は船員たちに尋ねる。
「それで、俺たちはここを開拓することになるわけだけど、皆さんはどうするんですか?」
「あっしらは船に戻りまさ。そんで、五十日に一度ぐらいの割合で、様子を見るように侯爵さまに言われているんでさ」
「それまで必要であろう食料は――ほら、いま避難艇で持ってきてまさ」
指す先を見ると、中型船からこちらに向かってくる小舟が見えた。
その上には、食糧や資材と思わしきものが満載されている。
「けど、あれだけの量じゃ、三人と一匹で五十日は持たないな」
「そこはほら、バルティニーさんの手腕で、どうとでもなるのでやしょ?」
「正直言えば、その通りだけどな」
俺は生活魔法で水を得ることもできるし、攻撃用の魔法を使えば海水から塩だけを取り出すこともできるだろう。
鍛冶魔法で岩壁や大岩の中をくりぬいて住居にすることだってできるし、狩りの知識を生かして森で肉や果物に野草を入手することも簡単だ。
サーペイアルで暮らしていたときに釣りも学んだので、森で釣り竿や網の材料を手に入れて、魚を釣ったり獲ったりもやれるはずだ。
そう考えると、あまりグランダリア侯爵の援助は必要ないのかもしれないな。
二隻目の避難艇を砂浜に引っ張り上げ、保存食が満載された箱や、家の骨組みに使えそうな木やレンガなどの少量の建築資材を砂浜に積む。
その他に、採取に使えそうな麻袋や布製の肩掛け大鞄なども渡された。
「それじゃあ、ちょっと森の様子でも見てこようか」
「食べられる草とか、果物とかないか、見ないといけませんもんね」
「あんたたち、食えるものがあったら持ってきてやるから、留守番しとくんだよ!」
「「お待ちしてまさ!」」
船員たちを残して、イアナとテッドリィさんを連れ、砂浜の向こう、岩肌の坂の上にある森へと入ることにした。
森の中は、他の場所と大差ないように感じられた。
ただし、人の手が入っていない魔境だけあり、野草や木の実は豊富にありそうな様子だ。
「森の緑が濃いですね」
イアナは興味深そうに周囲を見て、ある方向を指さす。
「あの木の実って、食べられるんでしょうか?」
それは、形が洋梨に似た、抹茶色の果物だった。
俺は木をよじ登って、果実のいくつかに鳥や虫が食った痕を見てから、虫食いのない数個をもぎ、船員から渡された革鞄の中に収納する。
地上に戻ってから、改めて観察してみた。
「手触りや、匂いは、まんま梨だな」
鉈で半分に切り分けると、より梨っぽい匂いがしてきた。
革の色はともかく、果肉は洋梨そっくりの色と柔らかさ。
冒険者組合にある図鑑でも見たことのない果実に警戒は必要だが、とりあえず一口齧ってみることにした。
「はぐっ」
歯ごたえは熟した洋梨そのままの、柔らかい粘土を噛み千切るような、ねっとりとした感触。
噛んでいくたびに濃く甘い果汁が溢れてきて、思わず飲み込んでしまいそうになる。
けれど、いまは毒見中なので、判断の邪魔になる果汁は地面に吐き捨てて、口の中の状態に集中する。
三分ほど噛み続けてみたものの、口内で痺れや傷みなどは発生しない。
舌に感じるのも、果物特有の甘さと酸味だけで、毒の味にありがちな苦みや変なうま味はない。
可食と判断して、採ってきた果実をテッドリィさんとイアナにも渡す。
テッドリィさんも長い冒険者人生で毒の判別に覚えがあるし、イアナは孤児の出自で腹を壊す類いの食べ物には敏感なので、二人とも大丈夫と判断すればこの果実は無害という証明となるためだ。
「これは平気な食いもんだねぇ。美味いから、大目に収穫しといたほうがいい」
「いくら食べても、お腹壊しそうな感じはないですよ。というか、新鮮な果物久しぶりなので、もう一個食べたいです!」
二人のお墨付きが得られたので、この果物は洋梨として扱うことにした。
気になっていたものの大半を革鞄に詰め、別の食い物がないかを調べていく。
野草やキノコを大量に発見し、草とキノコの毒は初見で試すには洒落にならないものもあるので、食べられると知っているものだけに限って収穫していく。
その他、クルミやドングリに似たものや、先ほどとは別種の果実を数種類回収する。
満杯になった革鞄を引っ提げて砂浜に戻ろうとすると、俺の気配察知に引っかかるものがあった。
「その木の陰に隠れて。待ち伏せする」
この森で初めての動物の気配に、俺は用心しながら弓矢を構える。
やがて茂みから出てきたのは、灰色の犬かと見間違うほど、大きな野ネズミだった。
この鼠を追いかけてきている気配も気にかかったが、折角の獲物を逃がすのもなんなので、さっくりと矢で仕留めることにした。
脳天に突き刺さった矢で倒れた野ネズミの回収は少し待ち、こちらに追ってきている次の気配の対処に移る。
先を競うように茂みから出てきたのは、三匹のゴブリンたち。
この森の食糧事情は良いのか、他の地域にある森でみられる個体よりも、だいぶ肌艶がよく筋肉も発達しているようだった。
屈強そうに見えるとはいえ、所詮はゴブリンだ。
俺の矢の一本、鉈の一振りで、瞬く間に二匹が死亡する。
最後の一匹も、イアナが気合を入れて棍棒を振るえば、即座に絶命した。
ゾンビ化対策にゴブリンの頭を斬り落とし、野生動物に食べて貰い易いようにその腹を裂く。
その処置を終えたところで、イアナがしょんぼりとした顔をしていることに気付く。
「どうかしたのか?」
「さっきの一撃で、棍棒が曲がっちゃって……」
見てみると、たしかに金属製の棍棒がひしゃげていた。
イアナの棍棒はもともと使いすぎてボロボロになっていたので、いつこうなってもおかしくはなかったことを思い出した。
故郷の荘園から競売会にかけて色々と忙しくて、つい買い替えることを忘れてしまっていた。
「仕方がない。あとで俺が直して――いや、いっそのこと作ってやるよ」
「いいんですか?! でも、作ると言っても、鉄とかどうするんですか?」
「鉄づくりなんて、石を集めれば、鍛冶魔法で出来るから心配するな」
「わかりました。新しい棍棒、楽しみです!」
曲がった棍棒を手に、足取り軽く歩くイアナに苦笑いしつつ、射止めた野ネズミを拾い上げて、俺たちは一度砂浜に戻ることにしたのだった。