二百九十七話 船旅
近況報告会から飲み会へと移行した食堂の一件から数日後、俺とテッドリィさん、イアナにチャッコは船上の人となっていた。
用意が整ったグランダリア侯爵の船に乗って、目指すは開港予定の場所だ。
グランダリア侯爵の船が嫌われているのは本当らしく、見送ってくれるのはフィシリスと見張りの自警団数人だけだった。
フィシリスは口に手を立てると、こちらに叫んでくる。
「バルト! 港を作ったら、真っ先に連絡をくれよ! 絶対にあたいも移住するから! テッド姐さん、バルトをよろしく頼みます!」
「任せときな、フィシリス!」
どうやら昨日の一件で、テッドリィさんとフィシリスは仲良くなったようだ。
切っ掛けは知らないが、愛している女性と昔に恋した女性が忌み嫌い合うよりかはいいなと、気にしないことにした。
船員たちが出航作業しながら、こちらに羨ましそうな目を向けてきている気もするが、それも気にしない。
錨が上がり、半分ほど広げた帆が風で膨らむと、船がゆっくりと進み始める。
中型船だからか、以前に乗った大型漁船よりも、滑り出しがなめらかだ。
サーペイアルの港から外界へ出ると帆が満杯に広げられ、船員たちがロープ捌きで帆に風を捕まえると、船足がさらに速くなった。
帆に風を当てながら波を蹴立てて進むため、船体は若干斜めな状態になり、かなり前後に揺れる。
船に初めて乗るというテッドリィさんとイアナは、すでに船酔い気味だ。
「こうも足元がぐらつくと、なんだか気分が悪くなってくるねぇ」
「頭がフラフラしてきます……」
チャッコはどうかと見ると、全然平気な様子で甲板に伏せて、さんさんと降り注ぐ太陽光で日向ぼっこをしている。
その様子に微笑んでいると、先日俺の実力を確かめるために挑んできた大柄な船員が近づいてきた。
「今日の波は穏やかですが、進んでいる最中に荒れるかもしれねえので、船内に入っていたほうがよいです」
慣れない敬語で喋る彼の警告に従って、俺たちは用意された船室へと向かう。
階段一つ上がれば甲板に出られる場所にある、少し広めの部屋。
ベッド代わりのハンモックが三つと、毛布を敷かれた大き目な箱が一つある。
チャッコは早速箱の中に入ると、毛布を踏んで位置を調整してから横になっている。縁に顎を乗せて、俺たちに休まないのかと問いかけてくる余裕ぶりだ。
一方で、テッドリィさんとイアナはハンモックの用途が分からないようで、小首を傾げている。
「なんで部屋の中に網が張ってあるのかねぇ?」
「壁と紐でつながっているから、漁に使うものじゃなさそうですけど?」
「二人とも。これは船の中で使う寝具で、この上に乗って寝るんだよ」
俺は剣帯を外して壁に立てかけると、ハンモックの上に寝転んでみせた。
ゆらゆらと揺れて落ちそうになるが、努めて全身の力を抜くように心がければ、あっさりとバランスが取れて、寝心地のよい寝床になる。
俺の慣れている俺の様子を受けて、テッドリィさんとイアナもハンモックを試してみる気になったらしい。
「それじゃあ――っと、なんだか寝るのにもコツが要るねぇ」
「でも寝転がってみると、船の揺れが軽減されて、普通のベッドよりも快適っぽいですね」
最初は恐々と、次第に慣れて楽々とした様子で、二人はハンモックを楽しんでいる。
しかしそれは、船が外海の波で大きく揺れ始めるまでだった。
「うっぷ。揺れは馬車で慣れているはずなのに、本格的に酔ってきたねぇ」
「ああうううぅ。こうも大きく揺れると、お腹の中がぐるぐるかき回されているみたいな感じがして、段々と気分が悪くなって……」
俺はハンモックから抜け出ると、すっかり青い顔になった二人に、用意していた革の水筒を一つずつ渡した。
「気分が悪くなったら、一口ずつ飲んで。あんまり一気に飲むと、逆に吐き気が増えるから注意な。あと、首筋や額に濡れ手ぬぐいを当てると、少しはマシになるらしいよ」
「ありがとう。だけど、よくそんなことを知っているねぇ」
「サーペイアルに住んでいたときに、漁師の人たちとの交流の中で対処法を教えてもらったんだよ」
俺は酔いに強い体質らしく必要なかったけど、こうして二人の世話ができるのだから、話の種として記憶に残しておいてよかった。
しかしながら、グロッキー状態の二人は起き上がるのも辛くなってきたらしく、段々と口数が減ってくる。
このまま体調が悪化すると、二人とも内容物を逆流させるのも時間の問題だろうと、念のために桶を貰いに俺は部屋を出たのだった。
船旅は続く。
不思議なことに、船員たちは交代しながらも船を夜通し走らせ続けている。
中継地のない船旅なので、物資の消費を抑えるために急いでいるのかと思いきや、別の理由があった。
「下手に沖で船を止めていると、小型の魔物が乗り込んでくるんでさ。そのうえ、倒した魔物の血肉に、大型の魔物がやってきて、結局休むどころじゃなくなるんで、こうして走り続けているってわけでさ」
「それなら、風のない場所にきたら困りませんか?」
「困るねえ。だからこそ、常時風が起こっている場所を狙って移動しているのでさ」
「風が起きる場所がわからないと、それは無理なんじゃない?」
「風を掴むのは経験と、丁寧な下調べがあってこそですよ」
羅針盤を見ている船員が、手元の地図をこちらに差し出してきた。
グランダリア侯爵に見せてもらった物と同じく、海岸線が詳しく書き出された地図だ。
しかし船員が持つ地図は、より海面が占める紙面の割合が多く、ところどころに歪な丸が書きこまれている。
「この丸が、風が起こる場所ってことか?」
「その逆で、風が滅多に起こらない場所でさ。この地点を逸れるように、船を動かせば、滅多に凪に当たらないんでさ」
「船乗りにとって、値千金の地図だな」
「そりゃあもう。この地点を割り出すために、大量の奴隷を乗せた大型の櫂船を行き来させたっていう、金のかかった地図でさ」
船員が誇らしげに語る話を、俺がどうして聞いているかというと、仲間が全員船室で寝ているからだ。
少し日にちが経った今日では、二人とも船旅に慣れて吐くことはなくなったものの、立って歩くとまだ酔ってしまうらしく、ハンモックの住人になっている。
チャッコは船の中では活躍できないと悟っているかのように、箱の中でゆったりしていて動こうとしない。
結果的に、俺は暇つぶしも兼ねて、船員と会話を楽しんでいるわけだった。
けど、俺が甲板上に出ているのは、なにもコミュニケーションのためだけではない。
付近の海上をマストの物見台から監視していた船員が、甲板に向かって大声を放つ。
「怪しい白波が、こっちに向かってきてまさ! 小型の魔物が多数な可能性、大!」
「聞いたな野郎ども。船に乗ってきたら、叩き潰してやれ!」
「「おうともさ!」」
薄い身幅の曲剣――カトラスに似た武器を手に、船員たちが威勢を放つ。
俺も出番に備えて、弓矢を構えることにした。
見張りが警告した白波は、この船の横腹に突っ込むような形で到来し、その中から魔物たちが海面から上へ飛び出てきた。
壁に張り付いて上ってくるその魔物の姿は、カラフルな大型の魚に人の手足を取り付けたような、奇怪なものだった。
その姿を見て、船員たちが気味悪そうにうめく。
「陸地の生物を模した魚――ダインマスか。チッ、食えるに食えねえ魔物だなんてついてねえ」
「食料のあるうちに、あの魔物を食いたい奴なんていねえよ」
どうやら、あの魔物は食用らしい。
きっと、味よりもあの見た目で、船員たちは食べることを忌避しているんだろう。
続々と船の壁面を昇ってくるダインマスというらしき魔物は、そのまま甲板まで上がってきた。
その先頭の一匹に、俺は矢を放った。
ダインマスの顔面を貫き、狙い通りに甲板上に転がった。これで戦闘終了後に、矢を回収することができる。
俺は次々に矢を放ってダインマスの足並みを乱してから、手振りで合図を出す。
それを受けて、船員たちは武器を手にダインマスへ襲い掛かった。
「オレらの船に上がってくるんじゃねえぞ!」
「魚臭えの、ブラシで洗い落とすの大変なんだぞ!」
「「「クゥタフウウウ!」」」
船員の猛攻に、武器を持たないダインマスは一匹一匹と殺されていく。
あまり必要そうではないが、俺も万が一に備えて、鉈で参戦する。
程なくして、ダインマスは駆逐され、甲板上に死体が転がった。
その後すぐに、舵輪を握る船員が大声を上げる。
「ダインマスを海に放り込め。その後、急いで海域を離れるぞ! 予備の帆も全開に張れ!」
「「「おうともさ!」」」
船員たちは、海にダインマスを放り込む役と、予備の帆を展開する役とに分かれて動いていく。
俺は放った矢を回収しながら、放り込む組に参加する。
全てのダインマスを甲板から放棄した後、船員たちはロープを掴むと、号令役の指示に従って巧みに帆を操り、船足をさらに早める。
その様子を、邪魔にならない位置――舵輪を握る船員の後ろで見ることにした。
そして数分後、ダインマスを捨てた場所らしき海域から、海面を叩きまわるような音が聞こえてきた。
見れば、中型の海の魔物が海面に顔を出して、食い物の争奪戦を繰り広げていた。
さらにそれらすべてを、後からやってきた超大型の――俺にとっては懐かしい――シャチ柄の頭を持つクジラに似た魔物が、丸のみにして海面下へ消えていった。
相変わらず、海の魔物はスケールが違うと感心していると、シャチクジラを見た船員たちは顔を青くしていた。
「あんなもんに襲われたんじゃ、この船だって丸呑みだ! おら、帆を操る手を止めるんじゃねえ!」
「オレの指示をちゃんと聞けよ。ここで風を掴み損ねたら、明日にはあの魔物のクソになっちまうぞ!」
「「「おうともさ!!」」」
必死に操る彼らの奮闘を横目に、俺は海面下へ視線を向け、さらに曖昧ながらも気配を探っていく。
シャチクジラはあれだけの魔物を食って満足したようで、こちらに近づいてくる魔物の気配はないように思えた。
そのことを船員に伝えるか迷ったが、陸地ではともかく海面下の気配察知は得意ではないこともあり、船員たちに任せることにした。
予備の帆を立てて船足が速まっているので、この状況を放置すればより早く目的地に到着するかもと期待したことも事実だったりする。
なにはともあれ、大した危険はない調子な船旅は、まだまだ続きそうだった。