二百九十五話 あれからのサーペイアル
食堂に移動してすぐに、俺たちとフィシリスたちの手には、エールが注がれた杯が握られていた。
「懐かしい同胞に!」
フィシリスが音頭をとりながら、こちらに視線を向けてきたので、俺も声を上げる。
「潮の香りのする町と住民に!」
「「乾杯!」」
見知った相手、見知らぬ相手の杯を打ち付けて乾杯すると、全員が一気にエールを煽り呑む。
喉を滑り降りた感触に、ほぼ全員がため息を吐き出す。
それはフィシリスも同じだった。
「くはー! それにしても、バルト。この町に戻ってきたんだったら、まず最初にあたいに顔を見せに来なよ」
「悪い。一応、お貴族様の依頼で、この町に来ることになったからさ」
「あの船にいたってことは、グランダリア侯爵が雇い主ってこと?」
少し嫌そうにしているフィシリスに、俺は首を傾げる。
「俺は実際に会ったけど、悪い人じゃなさそうだったけど?」
「貴族様はそうかもしれないけど、その手下までいい奴とは限らないし」
「……なにかあったのか?」
少し踏み込んで尋ねてみると、露骨なまでに眉をしかめてみせてきた。
「あたいらが、海の魔物の大物を釣り上げることが出来るようになってから、あの船の奴らが取引に参入してきたんだけど。その交渉の仕方があくどくてね」
「横から掻っ攫おうとしたとか?」
「もっと酷い。正面切って乗り込んできて、こちらに寄越さなきゃ町に被害を出すって脅してきやがったんだよ。しかも、通常の取引価格の三分の一程度で寄越せってね」
「それじゃあ強盗と変わらないな」
俺は苦笑いしながら、気になる点に気付く。
「でも、そんな強気な交渉をされたところで、フィシリスたちは屈しないんじゃないの?」
「あたいにも意地があるからね。頑として売ってやらなかったさ。けど、大物釣りの綱本は、もうウチだけじゃないんだよ」
フィシリスが売らなくても、他が脅しに負けて売ってしまったらしい。
「話は分かるけど、あの尖塔のように大きな釣り竿を、新しく作ったっていうの?」
「そうさ。大きな魔物の背骨を流用すれば手早く作れるって、バルティニーが前にいたときに分かっていたんだよ。なら、釣り上げる数を増やすために、竿を複数用意するのは当然だろ?」
「そりゃそうだけど、竿を作ったって、釣り人の腕が下手なんじゃ釣れないものじゃない?」
俺がフィシリスに協力したときは、餌の工夫に四苦八苦して、なかなか大物を釣り上げることが出来なかったものだ。
その苦労を、新しい竿の釣り人が平気で乗り越えられるとは思えなかった。
俺のそんな考えを、フィシリスは否定する。
「あたいもそう考えていたし、それに餌の作り方は誰にも教えてなかったから、釣れるはずがないと思っていたんだけどね。意外と、創意工夫でどうにかなっちまうらしい」
「例えばどんな工夫をしたんだ?」
「あたいがやっているような手間をかけずに、大物の肉を取って置いて、それを餌に使っているらしいのさ」
その方法を聞いて、なるほどと納得した。
魔物は魔力に反応し、魔力の源を食おうと近寄ってくる。
転じて、長く生きている強い魔物は、それだけ多くの魔力を食って生きてきたことになり、その肉には強い魔力が宿っているはず。
強い魔力がある肉を餌にすれば、なるほど釣れる確率は高くなるだろう。
「それにしても、随分と高額な餌だね」
釣りの餌なんて、食い取られたりすることが当たり前なのに、大物の海の魔物の肉という高額で売れるものを使うなんて、大盤振る舞いもいいところだろう。
そんな危惧を持つ俺とは違い、フィシリスは口元を笑いの形に歪めた。
「一匹釣れれば、金貨がどっさり入るんだ。仮に餌が金貨数枚の値段したって、気にするほどのことじゃないんだろうさ」
フィシリスは店員が運んでいるエールの杯を掴むと、一口飲んでから続きを話していく。
「なんにせよ、まだまだあたいの一人勝ちな状況は変わってないさ。餌が格安な物を使っているし、釣れる頻度もあたいの方が高いしね」
「繁盛しているようで何よりだ。それにしても、この人たちはフィシリスの部下とか従業員とかなのか?」
以前は一人で大物を釣っていたフィシリスだったのに、食堂の中を見ればわかるが、二十人近くの漁師が彼女に従っている様子だ。
その変化について尋ねると、フィシリスは違うと手を振る。
「あたいの部下ってわけじゃないよ。というより、多くの人が小型船で漁を商う漁師さ」
「それがなんで、フィシリスについてきて、グランダリア侯爵の船に文句を言いに来たんだよ」
「市場を独占していた商会が弱くなった上に、海の魔物の大物が釣れるようになって、この町も活気づいてきたからね。羽振りの良い町には悪い奴も来たりするんだ。そいつらから町を守るために、あたいらのような暇人が見回りしてるんだ」
なあ、とフィシリスが顔を向けた先にいた男性が、酒に赤らんだ顔を困らせた。
「あっしらは、姐さんのように一年に一度釣れればいいって身分じゃねえんで、暇じゃねえんですけどねえ。町を守りたいから、ちょっとばかし作業を早く終わらせているだけですし」
「冗談いうなって。去年作った奥さんに、見回りするからって作業を丸投げしてるって、あたいが知らないと思ってんのかい」
「前みたいに、カミさんに告げ口するのは勘弁して下せえよ。あの日からしばらく、おかずが小魚一匹だけになっちまったんですから」
情けない漁師の声に、周りの人たちが大笑いする。
その輪の中に入るようにフィシリスも笑い声を上げてから、こちらに視線を戻してきた。
「そんなわけで、こいつらは同士ではあるけど、部下や手下じゃないんだよ」
「へえ。数年前は常に一人ぼっちだったフィシリスが、そうして自警団に参加しているのは、ちょっと意外かな」
「うっさいな。あのときだって、好きで一人でいたわけじゃないし」
ムスッとした表情の後で、フィシリスは小首を傾げる。
「なあ、バルト。さっき、なににあたいが参加しているって言ったか、もう一度言ってくれるか?」
「一人ぼっちだったフィシリスが自警団に参加している、って部分?」
「そう! その『自警団』ってのはなんだい?!」
知らない単語だったのかなと首を傾げながら、自主的に町を守る住民の集団だと説明した。
それを聞いて、フィシリスは嬉しそうな顔になる。
「何て名前でこの集まりを呼ぶか悩んでいたんだよ。自警団、格好いい名前だ。気に入ったよ。これからは、あたいらは自警団と呼ぶことにするよ」
「ちなみに、いままでなんて、この集まりを呼んでいたんだ?」
「見回り組とか、警戒の集まりとか、警邏ごっことか、そんな適当な感じだった」
大雑把で大らかな気質のサーペイアル住民らしい呼び方だと、つい笑ってしまう。
そんな感じで会話をしていた俺たちの間に、イアナがエールをちびちび呑みながら割って入ってきた。
「仲がとっても良さそうですけど。お二人が分かれる前、どんな関係だったんですか?」
鋭い上に、反応に困る質問だ。
俺が何というか困っている数秒の間に、フィシリスがあっけらかんと言い放ってしまっていた。
「一つ屋根の下で暮らして、肌を合わせたこともある、恋人だったんだ」
ありし日を思い出しているのか、フィシリスが頬を染めて、目を上向かせている。
その様子を「ほへー」っと見つめるイアナとは違い、現在の俺の恋人であるテッドリィさんの反応は劇的だった。
なにせ、怒りと微笑みが混在している表情で、俺の首を腕でぐいぐいと締め上げているのだから。
「バルティニー。アンタの元恋人がこの町にいるなんて、初めて聞くねぇ」
「うぐっ。つい、言いそびれていただけだって」
「ふーん。それじゃあ、この場で、キリキリと昔のことを吐いてもらおうじゃないか」
衆人環視の中で、昔の情事を話せるはずがないと抵抗しながら、フィシリスに視線を向ける。
すると、昔のことは昔のことと割り切っているような身振りで、さっさと話してしまえと身振りが帰ってきた。
これが男女の差ってものかと納得して、諦めて赤裸々な昔話を語っていく。
その中で、この事態の元凶となったイアナは、テッドリィさんとフィシリスを交互に見てから、エールの入った杯を口元に当てて独り言を呟いたのが聞こえてきた。
「顔つきや体形は違うけど、二人とも似た性格っぽいなぁ。バルティニーさんの好みって、分かりやすいなぁー」
放って置いてくれと心の中で反論しつつ、テッドリィさんからくる追及に真摯に対応していくのだった。