二百九十四話 港でひと騒動
港にたどり着いてみると、以前と比べて港がより大きく、そして立派になっていた。
大型船が数隻、個人漁師用の小型船が大量に繋がる桟橋はそのままに、多くの中型船が泊まれる場所が新たに増設されている。
よくよく見ると、中型船の中には『高速戦闘艇』とも呼べる、二本マストと複数の大型機械弓が目を引くものもある。
どうしてそんな船があるのかと見ていると、ちょうど港内にやってきた大型船に、二つの戦闘艇が付き従って入ってきた。
危ない外海を安全にわたるための、護衛船のようだ。
離れていた数年間での変わりように、俺は驚きっぱなしだ。
もちろん、テッドリィさんとイアナも驚いている。
「こんなにデカイ船が水に浮くなんて、不思議だねぇ」
「風を受けて進んでいるなんて、よくあんなに大きなものが動くことができますよね」
その横で、チャッコは打ち捨てられた小魚に鼻づらを押し付けて、初めて体験する海魚に興味津々な様子だ。
「海の小魚は腐りやすいから、落ちているものは食べちゃ駄目だからな」
「ゥワウ」
分かっているとの返事に頷きながら、グランダリア侯爵の旗印がある船を探す。
順々に見ていくと、中型船の一つに目当ての旗がはためいていた。
そちらに向かい、船の横で作業中の船員らしき男性に近づく。
「すみません。こちら、グランダリア侯爵の船でよいでしょうか?」
「ああん? なんだテメエ?」
船の男らしく、荒々しい言葉での誰何に、俺は口調を変えて自己紹介を始める。
「俺はグランダリア侯爵に頼まれて、新しい港を突くように言われた、冒険者のバルティニー。この二人は連れの、テッドリィとイアナ。こっちが従魔のチャッコだ」
少し威圧気味に告げると、男は値踏みするような顔をこちらに向けてくる。
「魔導師の代わりが、こんな従魔連れのガキとはな。悪いが掟だ。腕前を確かめさせてもらうぜ」
男が指笛を鳴らすと、中型船の甲板に新たな人影が現れた。
その人物はためらいなく船から飛び下りると、荒々しい足音と共に桟橋に着地する。
身長が二メートルを超える、鍛えられ日に焼けた筋肉を見せつける、上半身裸の大男だ。
彼は首を曲げて鳴らしながら、こちらを睨み据えてくる。
「合図があったってことは、そのチビが例の冒険者か?」
久しぶりに聞いた、前世から嫌いな単語に、俺の不快感が急上昇した。
俺の目つきが急冷したのが分かったのか、大男の顔に嘲りの色が生まれる。
「やろうってのかよ、このチビガキが」
二度目の嫌いな言葉に、俺の堪忍袋は緒が切れる寸前だ。
「腕前を確かめるって、そっちのヤツが言っていたが、相手はお前ってことでいいんだな?」
俺の口調に怒気が多量に含まれているからか、テッドリィさんとイアナが一歩後ろに離れる。
こちらの確認に大男はニヤリと口元を曲げると、ボクサーのような構えを見せた。
「そうだ。こちとら、大波や海賊、船に上がってくる海の魔物相手に命懸けで戦う海男さまが、陸で安穏と暮らしてきたチビの腕前をたしかめてやろうってんだ。さっさとかかってこいよ」
三度目の言葉に、もう容赦する気はなくなった。
だが、魔法を使って瞬殺したのでは、こちらの気が晴れない。
俺は剣帯を外して丸腰になると、構えもせずに、大男を手招きする。
「御託はいいから、かかって来いよ。下し油の大魚」
まずい脂身ばかりの海の魚――前世でいうウドの大木と同じ意味の言葉で挑発する。
大男は怒り顔になると、顔色だけでなく、晒している上半身を真っ赤に染めて、こちらに突進してきた。
「そいつを言いやがったな!」
俺と同じように、大男にも言われて嫌な単語があったらしく、怒り心頭で殴りかかってきた。
オーガもかくやという大振りは、当たれば致命傷になりそうな迫力がある。
だが、最大限に褒めて『オーガ並み』だ。
俺の敵ではない。
こちらに迫る拳を横に一歩ずれて避けると、カウンターで大男の顎にアッパーを叩きこむ。
ガチッと歯が噛み合う音の後で、大男の頭が後ろに仰け反った。
「くかッ――」
「海水浴でもしてろ!」
顎を抑えてふらつきながら下がる大男の腹に、俺は助走からの跳び蹴りを食らわせた。
派手に吹っ飛んだ後で、大男は船と岸壁の間に入り、海に落ちる。
こうして、ひとまず決着がついたことで、俺の気分はだいぶ落ち着いた。
海の男なら海に蹴落としても平気だろうと思って、大男が落ちた場所を覗き込む。
すると予想外なことに、うまく泳げない様子で溺れかけていた。
どうやら、俺のアッパーで脳震盪を起こしていて、うまく泳げないらしい。
「おえ、うぷぇ。た、たすけ、おぼぇ」
「仕方ないなぁ」
俺は身を乗り出して、水面に浮かぶ大男に手を差し出す。
掴まれた腕に力を込めて引き上げようとするが、向こうの体重が重くて、普通の状態なら持ち上げることができない。
仕方なく、腕に攻撃用の魔法で水を纏わせると、そのアシスト力で強引に桟橋まで引き上げた。
大男は海水を口から吐きながら、鼻水が出ている顔をくしゃりと歪める。
「うぇ、うぇえ、ありが、ありがとう……」
「いいって。俺も怒って海に蹴り落としたのは、やり過ぎだったし」
「そんなことねえ。オレだって、喧嘩相手は、海に落としてきたんだ、ゲホゲホ」
戦い終わった男同士特有の変な一体感の中で、俺と大男は言葉を交わす。
その最中、俺が最初に声をかけた船員が、頭を抱えていた。
「まさか、こんな短時間でやられちまうなんて。一応そいつ、うちの護衛隊長なんだがよぉ」
その言葉に、大男は申し訳なさそうに身を縮ませる。
俺は落ち込むことはないと肩を叩きながら、船員に顔を向ける。
「この人は強いですよ。一対一ならオークどころか、武器を持てばオーガにも引けを取らないと思いますよ」
「楽勝で倒しておいて、よくそんなことを言えるな」
「俺は、オーガを鉈で斬り殺す『鉈斬り』ですよ。オーガの強さならよく知ってますよ」
「……オーガごときじゃ、お前さんの相手にはならねえってことか?」
「ええ、まあ。切り札も使ってませんから」
俺は腕に纏っていた水を掌に集めなおすと、誰もいない場所の海に発射すると、着弾した水の球が弾け、高い水柱を上げた。
轟音と、吹き上がった海水が雨のように落ちるさまを見て、船員どころか大男もあんぐりと大口を開けている。
港や湾内で作業中の人たちも、何ごとかと手を止めている。
少し派手なほうがいいと思っての魔法選択だったが、少し派手過ぎてしまったらしい。
気にするこどのことでもないかと楽観していると、船員が急に媚びへつらう表情を浮かべた。
「えへへへ、旦那。こんな切り札をお持ちなら、最初に言ってくださりゃよかったんですよ。それに雇い主を悪く言う気はないですが、グランダリア侯爵もお人が悪すぎですよ」
「腕試しをしろって、侯爵に言われたのか?」
「恒例行事とはいえ、魔法を使える相手に喧嘩を売ったなんて分かって、肝が冷えましたぜ。なにせ、うちの船に乗っていたどの魔導師でも、あれほどすごい爆発を魔法で放った人はいませんからね」
「そうなのか。それで、腕試しは終わりってことでいいのか?」
「そりゃあもう、文句のつけどころなんてありゃしませんよ。大喜びで船に乗っていただきますとも」
船員は嬉しそうに船に案内しようとして、ハタと身動きを止めて、申し訳なさそうな顔をこちらに向けてきた。
「あのー、仲間たちに事情説明をするんで、ちょいっと待っていちゃくれませんかね?」
船員が示す先は、中型船の甲板。
顔を上げると、船に残っていたらしき船員たちが、武器を片手に恐々とした顔をこちらに向けていた。
先ほどの魔法で、彼らの肝をつぶしてしまい、臨戦態勢を取らせてしまったらしい。
彼らと戦う意味はないので、お任せすることにした。
船員と大男はぺこぺこと頭を下げた後で、急いで中型船へ乗り込む。
階段ではなく、船壁に下ろされた格子状の縄を掴んで上っている姿が、中々に興味深い。
彼らが説得している間の暇つぶしに、俺はチャッコの頭を撫でることにした。
気持ちよさそうに目を細めるチャッコを見て、イアナも背中を撫でに参加してくる。
「チャッコちゃんの毛は、相変わらず手触りがいいですよね。それに、鼻を近づけるといい匂いが――はうっ!」
「ゥワウウ」
調子に乗るなと、チャッコが前足でイアナの頭を押さえる。
チャッコの中では、イアナは地位は最下層の扱いだ。
多少の無礼は大目に見ても、程度が過ぎれば、こうして教育的指導が待っている。
それでも、イアナはへこたれることなくチャッコを構おうとするのだから、彼女は彼女で豪胆だ。
そんな様子を眺めていると、チャッコが警戒するように顔を別の方向へ向ける。
俺も感知していたが、こちらに歩み寄ってくる集団の気配があった。
誰が、どんな用で近づいてきているのかと待っていると、人間と魚人混在の漁師らしき一団がこちらに近づいてくる。
先頭を歩くのは、魚鱗のビキニを着た、魚人の女性。
その勝気そうな顔は、成長していても見間違うことはない。
俺と恋人関係だった、フィシリスその人だ。
彼女は怒り肩を演じながら、こちらに言葉を投げかけてきた。
「おうおう! またグランダリア侯爵の船が、魔法で騒動を起こしやがって! 魔導師を出して、詫びの一つも言ったらどうだい!」
フィシリスの視線は、俺たちを通り過ぎて、グランダリア侯爵の船にいる船員に向けれている。
そして船員たちはフィシリスのことが苦手なのか、俺に助けを求めるような視線を投げている。
魔法で迷惑をかけたのは俺なので、謝るべきだと判断し、フィシリスの前に向かう。
「さっきの水柱は、俺が出したものだ。悪かったな」
「ああん、あんたがやっただ、って…………」
威勢よく睨みつけてきたフィシリスが、俺の顔を見て段々と素の顔になっていく。
俺だと認識してくれているようで安心しながら、挨拶する。
「久しぶり、フィシリス。元気にしていた――って聞かなくても、元気そうだね」
「バル、ト。バルト! うわああ! なんだよもう、強そうになって! 見違えちまったよ!」
「そんなに変わったかな?」
「なんつーか、頼りがいがあるな。あの日、送り出したことは間違いじゃなかった! それに、相変わらず魚鱗の防具、しかもあたいが作ったほうも使ってくれているみたいで安心した!」
「貰ったからには使うよ。もったいないしね」
旧交を温めなおす俺たちを見て、フィシリスが連れていた漁師連中はもしかしてという顔になる。
「もしかして、あの人。『浮き島釣り』のバルトじゃねえか?」
「馬鹿。バルトは姐さんだけの呼び名だ。バルティニーさんと呼ばねえか」
わいわいと騒がしくなりはじめ、このままでは収集がつかなくなりそうだったので、グランダリア侯爵の船員に断りを入れてから、俺たちとフィシリスたちで近くの食堂にて話し合うことにしたのだった。