二百九十三話 次への旅路
俺に今後の予定を話すと、グランダリア侯爵は去っていった。
その後で執務室の中で、俺はヘプテインさんと話し合うことにした。
「美味しい話を紹介してくれたことについてはお礼を言いますが、貴族社会の軋轢に巻き込まないで欲しいのですけど」
「あははは、申し訳ない。グランダリア侯爵から、君のことを紹介してくれと頼まれてしまったものだからね。家格が低い家からの申し出は、恩人であるために退けられるが、同格以上の家からの申し出は断れなかった」
ヘプテインさんは申し訳なさそうにしていたが、すぐに口元に抑えきれなかった笑みが浮かんだ。
「大物貴族かつ大金持ちのグランダリア侯爵に恩が売れたことは、当家と君にとって悪い話じゃないはずだ」
「恩の見返りで、ヘプテインさんは反魔導師派に有力貴族が入るし、俺は開拓後の土地を手に入れられるわけですね」
「そうだ――と言いたいところだが。当家への見返りは、それだけではないぞ。なにせ売った恩は二つあるのだからな」
「一つは俺を紹介することですよね?」
暗にもう一つは何なのかと尋ねると、ヘプテインさんは調子に乗って失言をしたことを悔やむような顔になる。
じっと見つめて発言を求めると、渋々といった感じで口を開いてくれた。
「グランダリア侯爵が優秀な人材を求めていることは知っていたからね。競売会にゾンビ竜を出されることを知って、彼に君の情報を文で渡したんだ」
「だから俺のことを、あれだけ詳しく知っていたわけですね」
「私が教えたのは、君の名前だけだよ。その後の情報は、グランダリア侯爵が集めたものだ。実際、彼が語った君の二つ名の中には、私が知らなかったものがあった。もっと言ってしまえば、競売会の開催後すぐに、彼がこの家に来るなんて思わなかった。なにせ彼の領地とこの場所は、中々に離れているからね」
要は、グランダリア侯爵は貴族的にとてもやり手な人物で、ヘプテインさんは利用しようとして逆に利用された形になってしまったんだろうな。
そんな相手だからこそ、貸しを二つも作れたことを喜んでいるわけだ。
俺が少し呆れ気味な態度をとっていると、ヘプテインさんは慌てた感じで言い訳をしてくる。
「恩人である君を、結果として売るような形になってしまったことは申し訳なかった。けれども、悪い話じゃないと思ったからこそ、君に伝えようと思ったんだ」
確かに、悪い話ではない。
むしろ、俺が使える攻撃魔法の数々を考えたら、破格の条件で土地持ちになれる、うまい話だ。
ヘプテインさんは善意から、こちらに話を持ってきたことは理解し、納得することにした。
けれど、少し可愛い程度の反撃をすることにする。
「グランダリア侯爵との繋がりを作ったのですから、ヘプテインさんに貸し一つですよね?」
「うぐっ。まあ、そうなるな」
「港を開拓する際に、何らかの援助が必要になったら、ターンズネイト家にも動いてもらいますから」
「……分かった。できるだけのことはすると、約束しよう」
「父上。バルティニーさんにやり込められたからと、不貞腐れるのは止してください」
顔に内心を出さないように表情を固めるヘプテインさんだが、隣に立つ息子のシャンティには心の中を見抜かれてしまっていた。
ヘプテインさんは、余計なことを言うなといった表情をする。
しかしシャンティは、父親よりも命の恩人である俺の側に立つ気らしく、知らぬ顔で視線を逸らす。
親子喧嘩に発展しないといいけどと気を揉みながら、グランダリア侯爵から伝えられた予定に従うと、さらに五日間この町に滞在しなければならないため、どう過ごそうかと考えを巡らし始める俺なのだった。
オークションが行われた町から、俺たちは一路、爆走する高速馬車に乗ってサーペイアルの港町に向かっていた。
初めてサーペイアルに向かったときも、この馬車に乗っていたなと懐かしむ俺とは反対に、屋根に張られたロープを掴むテッドリィさんとイアナの顔は必死だった。
「早く移動できるのはいいことだけどさ、この物凄い速さの馬車は大丈夫なのかい?!」
「そうですよ。景色が物凄い速さで後ろに流れていて、体に受ける風も痛いぐらいなんですけど!」
「しょうがないだろ。グランダリア侯爵がこれに乗って、サーペイアルに向かえって言ってきたんだから」
二人の愚痴に付き合いながら、爆走する馬車を襲うとする無謀な魔物に、俺は矢を放つ。
突き刺さり、転がる魔物の横を、一秒も経たずに通り過ぎる。
この早業に、屋根に同乗している冒険者たちから拍手が起こった。
「貴族の横やりで余計な荷物を載せることになったと悲観してたけど、弓使いの兄ちゃんだけで三人分の働きは優にあるな」
「兄ちゃんも凄いが、あの犬も凄いよな。平然とこの馬車と並走してるんだからよ」
彼らが視線を向けた先には、馬車を引く六匹の馬たちと、その横を楽しそうに走っているチャッコの姿があった。
「ブブブッルルル」
「ゥワウウ」
馬たちとチャッコは、人間には分からない言葉で会話をしているように見える。
以前に乗ったときよりも、馬車の挙動が優しい気もするので、チャッコが馬たちを誘導しているのかもしれない。
何はともあれ、馬車の旅は平和に進んだ。
馬車旅を終えてサーペイアルに着いた。
以前きたときも、漁師と冒険者の活気にあふれていた港町だったが、いまはそれ以上だった。
違いを探して気付いたのは、職人と観光客が町の熱気に加わっていることだ。
「これは魚鱗の小布を張った防具だ。水に濡らすと接着が落ちちまうから防水性はないが、それでも最高の防刃性を持っているよ。魚鱗だけの防具より、耐衝撃性もあるのが強みだよ!」
「料理や彫刻など、手作業で刃物を使う人には、魚鱗の布で作った手袋はどうだい! こうして野菜をスパスパ斬れちまう包丁を握って引いたって――この通りに、傷一つついちゃいない!」
「おっちゃん、この魚ってどうやって食うんだ?」
「魚の素人が美味しいものを食いたきゃ食堂に行きな。安値で美味い料理が沢山あるからよ」
わいのわいのと賑わう町に、少し圧倒される。
グランダリア侯爵が用意してくれている船に行くため、港に向かわないといけないのだけれど、大通りの人ごみの中を行くことは止めることにした。
「みんな。俺についてきて」
以前、半年ほど暮らした町だ。
裏道を進んで目的地に行くことなんて、朝飯前にできる。
生活感溢れる小道を通り続けて、大通りの喧騒が遠くなってきたところで、テッドリィさんとイアナが周囲に目を向け始めた。
「大通りを外れれば、のんびりとした町並みじゃないか」
「でもこの道って、入り組んでいて迷いそうですけど。バルティニーさん、大丈夫ですか?」
「道はちゃんとわかっているよ。迷ったって、潮騒が聞こえる方向に歩けば海岸に出れるから、港へ行くのは問題ない」
「なるほど。って、そういえばバルティニーさんはこの港町で暮らしていたんですよね」
イアナの言葉に、テッドリィさんが意地悪い顔つきになる。
「バルティニーは、あたしの前に恋人になっていたっていう、魚人の女に会って行かないのかい?」
現在の恋人から昔の恋人の話を持ち出されて、なにをどう言ったらいいか迷ってしまう。
結局のところ、本心を語ることにした。
「会ってみたいって気持ちはあるかな。フィシリスが背中を押してくれたお陰で、冒険者を続けようと思えたからこそ、こうして二人とチャッコにも出会えたんだし」
「そうかい。それ以外には?」
「そのほかって、どういうこと?」
「アンタも立派な冒険者になったんだ。もう一人ぐらい女性を囲ったって、あたしは文句は言わないよ」
意外な言葉に、俺は眉を寄せる。
「フィシリスとよりを戻せってこと?」
「別に喧嘩別れしたわけじゃないんだろ。ならそういう選択だってしていいはずさ」
「言い分は理解できるけどさ。フィシリスは、海の魔物の大物を釣り上げる漁師だよ。幸せに暮らしている可能性が高いと思うけど」
「向こうが幸せなら、ちょいっと顔を出すだけでもいいさ。昔の男よりも、いまの男をとるのが女性の性ってもんだから心配いらないよ」
そういうものなのかなと首を傾げる。
「それでもまずは、グランダリア侯爵の船に向かうのが先だよ。先方が即日出航を狙っていたら、遅参するだけで予定が狂っちゃうし」
「そこまでキツキツに、予定は組んじゃいないと思うけどねえ」
「そうですよ。そんなに急がなきゃいけないなら、わたしたたちが港の美味しい魚介料理が食べられないじゃないですか!」
「ゥワフ!」
イアナの抗弁にチャッコも同意する。
俺としても、サーペイアルの町とフィシリスの様子は気になるところなので、船の出航に余裕があれば嬉しい。
なにはともあれ、港に向かうために足を進めていると、俺たちの進行方向を塞ぐ形で人が現れた。
彼らはこちらの装備を見ると、舌打ちしてから内緒話を始める。
「チッ。迷い込んだ旅人かと期待すれば、冒険者じゃねえか」
「一人はトウが経った女だが、残りは若い男女と大きな犬だぞ。やっちまわねえか?」
「馬鹿ぬかせ。冒険者相手に危険を冒せるか」
彼らは目くばせし合うと、裏道を別々に逃げ始めた。
その後ろ姿を見たチャッコが、こちらに追跡するかと視線を向けてくる。
「いや、追いかけなくていい。大して強そうじゃなかったから、驚異にならないよ」
「たしかに、駆け出し冒険者と同程度の強さだろうねえ」
テッドリィさんの意見に、イアナは同意でうなずいてから、首を傾げる。
「でも、どうしてこんな場所で待ち伏せなんてしていたんでしょう?」
「旅人狙いって言ってたから、大通りから裏道に人を引き込む仲間がいるんじゃないかな」
「カツアゲなんて、セコイねえ。そんな時間と労力を払うなら、冒険者組合で仕事を取りゃいいのにさ」
その通りだと同意しつつも、俺はつい気になって、連中が去って行った先に目を向ける。
弱い相手ながらも、犯罪者が町中にいる様子に、俺の胸の内は騒めいたのだった。