二百九十二話 グランダリア侯爵の求め
グランダリア侯爵が語り始めたのは、自分の領地についてだった。
「ここより北方へ随分と進んだ場所にある大陸沿岸部が、我が治めるトゥレ領だ。海塩作りを盛んに行う、擁する港から貿易を行う、我が領地ながらに栄えている場所だ」
海岸を要する土地と聞いて、グランダリア侯爵の厳つい顔の偉丈夫な見た目に、海の男の遺伝子が刻まれているように思えた。
「貿易ということは、サーペイアルからの船も、その港にくるんですか?」
「其方は、あの港町と関わりがあったのだったな」
グランダリア侯爵は惚けているが、サーペイアルに関わっているからこそ、一介の冒険者である俺に声をかけてきたのだと直感した。
しかしその指摘はせずに、グランダリア侯爵の話の続きを聞くことにする。
「あの港町に関わっていたのなら知っているであろうが、貿易という行為はなにかと危険がつきものだ」
船に続いて魔物が港の中にやってきたり、その魔物を狙ってより大型の魔物がやってきたことを、俺は体験して知っている。
もちろん危険は港に関してのことだけではなく――
「外洋に出れば、海の魔物に狙われてしまうということですね」
「陸地近くを通れば魔物に襲われる危険は薄まるが、今度は座礁という自然の驚異が待っている。特に貿易船は、荷物を満載にするため、喫水線が深くなりがちで船足も遅い。どこを通ろうと、一定の危険はつきものなのだ」
少し言葉を切ると、グランダリア侯爵は苦々しそうな顔に変わる。
「荷の安全を図るために、冒険者を雇い入れ、腕が良ければ直属の配下に遇してはいる。だが、人とは陸地に住まう生き物だ。船に強力な武器を積めど、海の上ではどうしても武力が足らん。そこで当家では、昔より魔導師を連盟から借り受け、船守として同乗させている」
魔導師がいれば、海の魔物にそれなりに対処できることは想像しやすい。
帆に魔法で風を当てて船足を早くして逃げることができるだろうし、直接攻撃魔法で撃退することだって期待できる。
いい手に思えるが、グランダリア侯爵の顔つきからそれは違うのだと予想も立った。
「長年に渡り当家は魔導師連盟と手を組んで歩んできたのだが、月日が経つにつれて見返りという名の連中からの要求が増え続けた。船の安全を守るためと呑みに呑んできたものの、つい最近許容できる度合いを越した。各地で見つかった珍しい素材の入手に、国の予算だけでは足らぬと、多大な金銭を要求してきたのだ」
グランダリア侯爵は、恨めしそうな目をこちらに向ける。
「ゾンビ竜のことですか?」
「それが止めになったことは事実だが、他にも珍しい海の魔物、多量のスケルトンやゾンビの死骸。鉱石の町に現れた希少金属のゴーレムと、その崖上の大地で発見された強き魔物たちと霊薬になりうる草花。魔導師たちが欲して止まない素材の数々が、この数年で急激に市場に出回るようになったからだ」
俺に心当たりのある数々に、なんだか申し訳ない気分になったが、こちらを恨むのは筋違いだとも思った。
「魔導師の金遣いが荒くなったのは分かりましたが、グランダリア侯爵はそれでどうしたいのです?」
「当然、これ以上当家の富を連中に分けてやる気が失せた。ついては、魔導師を乗せぬままに貿易船を動かしたい」
「その護衛に、私を使いたいと?」
話の流れとして当然の選択肢を聞いたのだが、グランダリア侯爵は首を横に振った。
「ゾンビ竜を倒せる逸材を、ただ一隻の船の運航に使うなど、無駄の極みだ。違う仕事を頼みたい」
別の仕事というものが想像できずにいると、グランダリア侯爵は懐から一つの筒を取り出した。
キャップを外し、中から取り出したのは、数枚の丸まった地図だった。
それらを広げながら、こちらに示してくる。
「これは当家と当家の貿易船のみが有する、大陸海岸線の詳細地図だ。大型船が座礁しうる危険な場所も、書き込まれてある優れものだぞ」
軽く拝見させてもらうと、この世界にしては珍しいことに、前世の地図のように細かく地形が書き込まれたもの。
内陸部は白塗りのような状態だが、海岸線に限っては、この地図を持ってさえいれば迷いなく船を動かせそうだと、素人目にもわかる立派な地図だ。
「すごい地図であるとは分かりましたが、それをどうして私に見せるのでしょう?」
「無論、君に働いてもらいたい『場所』を示すためだ」
グランダリア侯爵は地図の中から、一番尺度が大きい地図――海岸部だけ書かれた大陸地図といえるものを取り出した。
そして大陸中央よりやや南に、彼は指をつけた。
「書き込んではいないが、この辺りが我らがいまいる街だ。そして北方にあるここが、我が領地。サーペイアルの町とは、大陸の反対側に位置している形だ」
グランダリア侯爵の領地を、時計の文字盤でいう十二の位置だとすると、サーペイアルは五か六の位置にあたる。
その他にも、彼は港町がある場所を示して教えてくれるが、大陸は未だに多くの領域が魔の森――魔物の住処なため、港町の数はかなり少なくて両手の指で数えても余るほどだった。
大陸の規模にしては、その数はあまりに少ないように思える。
特に大陸の右回りの航路、グランダリア侯爵の領地とサーペイアルの港を最短で繋ぐ道には、ほぼ全くと言っていいほど他に港がなかった。
意外な事実に眉を潜めていると、グランダリア侯爵が口元に笑みを浮かべる。
「どうやら、現状の問題に気付いたようだな」
「サーペイアルからの最短航路は、命がけですね」
「当家は、サーペイアルから直接取引はしていなかったから、今まではこれで問題はなかったのだ」
予想が外れたかと思ったが、グランダリア侯爵の『今まで』という言葉が引っ掛かった。
どうやら彼は、これからはサーペイアルとの取引をしたいと考えているようだ。
「どうして急に?」
「サーペイアルは海の魔物と、その皮でつくる防具以外に魅力がない場所だったからだ。そしてその防具も、貴族たちが予約に予約を重ねているため、貿易品にするには適さないものだったのだ。しかし、最近その状況が変わった」
新しい漁師が新しく作り直した大竿で率先して大物を釣ることで、予約数がだいぶ捌けたらしい。
その漁師はフィシリスのことだなと理解しながら、グランダリア侯爵が語る声に耳を傾け直す。
「サーペイアルとの取引を始めるに従って、左回り航路で安全に進ませてもよいのだが、多数の他の領地を中継せねばならないため運搬代が嵩んでしまう。多少なりとさらなる貿易益を得ようとするのなら、右回りの航路をとらざるを得ない。だが、魔物の対処に魔導師が必須となってしまう」
「喧嘩別れをした魔導師に頼むことはできないわけですね」
「加えて、大事な取り引きに連中を使った場合、足元を見られて、さらなる要求を突きつけられる恐れがある。それこそ、サーペイアルと取引するうま味を全て吸い上げられてしまうほどにだ」
数ある問題の解決のために、グランダリア侯爵が地図の一部を指し示す。
そこは、サーペイアルとグランダリア侯爵の領地のちょうど中間の地点だった。
「ここに中継港を作ることができれば、魔導師の世話にならずとも、かなり安全に航行することができる」
「本当にですか?」
「左回り航路で同じ距離を、魔導師不在で何度となく試したが、問題はなかった」
船の素人である俺に航路の危険性は判断できないので、安全性については棚上げすることにした。
しかし、地図を見てわかる問題点が一つあった。
「海岸線しな記載のない地図にも関わらず、サーペイアルからあなたの領地に至る場所までに描かれているものは、森だけですね。加えて俺の記憶が確かなら、この付近一帯は人の手が入っていない魔境だったはずです」
「知っているのなら隠す必要はないな。その通り。この海岸線から大陸の三分の一ほどは、全て魔の森に支配されている」
当然のことを語るグランダリア侯爵の口調を受けて、彼が何を俺に求めているのかを悟った。
「この土地を切り拓いて、港を作れと?」
「その通りだ。そのための援助を惜しまんつもりだ。港を作る資材、開拓に従事する奴隷、冒険者を雇う代金、すべて当家が持とう。そしてそなたに返却を求めることはないと誓おう。その上で成功報酬を払い、そして切り拓いた土地と港はそなたのものとして運営してよいと約束する」
かなり美味い話だが、その裏側にある困難についても予想がついた。
「ゾンビ竜を倒した私でないと対処できないような魔物が、その場所に住み着いているというわけですね?」
「やはり分かってしまうか。いや、理解できる冒険者だからこそ、信用が置けるというものだ」
グランダリア侯爵は懐から折りたたまれた紙を出すと、こちらに差す。
受け取って開いてみると、子供の落書きのようなものが出てきた。
「これは、なんなんですか?」
「地図を作成するために、サーペイアルから右回り航路をとっていた際に、森の中からこちらを見ていたという魔物の姿だ。遠くにいたため、見たという船員に話を聞いてまとめたものの、姿があやふやなのだ」
説明を受けてから、もう一度魔物の絵姿に視線を戻す。
体を地面に対して水平にして歩く生き物で、恐らくは獣型や虫型の魔物だろうということしか分からない。
なるほど、未開の土地かつ未知の魔物がいるとなれば、ゾンビ竜ぐらいを倒せる実力がある冒険者しかなり手はいないことだろう。
「それにしても、こんなあやふやな情報かつ、未開の土地に港を作れなんて、本気で私に依頼をする気ですか?」
「祖先の偉業を超えるためにも、土地持ちの貴族となることが、そなたの野望なのだろう?」
「貴族になりたいわけじゃなく、デカイ男になりたいのですよ」
その二つにどんな違いがあると言いたげな目を、グランダリア侯爵はしていた。
分かってもらえないならいいと諦めつつ、俺は依頼内容を吟味する。
そして、サーペイアルとグランダリア侯爵領の港が直結できたら、どれだけの人が助かるだろうという視点でものを考えた。
「……分かりました。その依頼、引き受けましょう」
「おお! そうかそうか! ゾンビ竜を倒したという、そなたの腕前があれば百人力だ!」
「喜んでくれるのは嬉しいですが、援助の件と開拓予定の場所までの船足は、滞りなくお願いします」
「無論だとも。そなたの働きによって港が出来た暁には、ターンズネイト侯爵の求め通り、親魔導師派から反魔導師派に鞍替えすると高らかに宣言しようではないか」
ターンズネイト家が、俺とグランダリア侯爵と引き合わせたには裏があると思っていたが、どうやら派閥工作に使われてしまったらしい。
問い詰める視線を向けると、シャンティは知らないと首を横に振り、ヘプテインさんは少し申し訳なさそうに眉を動かす。
貴族を十割信用することは、これからは止めようと心に決めた。
けれど、ゾンビ竜の売却に手を貸してくれたのだから、このぐらいの面倒は負ってもいいかなと、考え直したのだった。