二百八十八話 ゾンビ竜のお値段
ターンズネイト侯爵の紙は効力を発揮した。
冒険者組合に見せればヒューヴィレの町にある一番大きな商会を勧められ、その商会で見せれば支配人という初老の男性にすぐ会うことが出来るほどに。
俺は上にも置かぬ対応をされつつ、ゾンビ竜の骸のことと、それをオークションにかけたいという望みを語った。
すると一も二もなく、商会は契約書を作成した上で、手配可能な超大型の馬車――押し込めばゾンビ竜の骸が全部入りそうな荷台がついた、八頭立てのものが用意された。
その威容に驚いている俺に、支配人は笑いかけてきた。
「下手に分解などしようものなら、オークションでの値が下がりますからな。惜しむらくは、頭の上半分が消失しているという点でしょうね。完全な形でのこっていれば、金貨数百枚は値がつり上がるでしょうに」
「ゾンビとなった竜を、損傷なしで倒せというのは無理がありますよ」
「はははっ、ゾンビは頭を潰さなければ動き続けるのでしたな。そう考えれば、下あごの部分が残っている分、珍しいとも取れますな」
商人の顔で皮算用する支配人に見送られて、俺は商会専属の護衛と共に空の荷台の馬車に乗り、荘園へと戻ることにした。
流石に馬が八頭がかりで引くだけあり、巨大な荷台を引いているのにも関わらず、ものすごい速さで街道を疾駆している。
通常なら一両日はかかる道のりなのに、半日ほどでついてしまうのだから、その馬力の凄さに改めて驚いてしまう。
あっという間に荘園に戻った俺は、入り口から馬車を入れさせ、ゾンビ竜の骸がある場所へと案内する。
すると、開拓地に集まっていた奴隷の人たちや二人の兄さんたちに、驚かれてしまった。
「お、おい。坊ちゃんが帰ってきちゃったぞ」
「しかも、あの大きな馬車。きっと、竜の骸を取りに来たに違いない」
奴隷の人たちは顔を見合わせて小声で喋りながらも、どこかホッとした様子だった。
一方で兄さんたちは、少し苦み走った顔を向けてくる。
「森の中に行ったっきり戻ってこないと心配していたら」
「町まで馬車を呼びに行っていたのか。チッ、抜け目のない」
マカク兄さんの舌打ちは聞こえなかったことにして、俺は荷馬車を竜の骸の脇に止めさせる。
御者の人は、目の前にした竜の骸の大きさに、少し青い顔になった。
「あ、あのー。これをこの馬車で運ぶんですよね」
「そうですが、なにか問題がありますか?」
「いや、馬車で運ぶことは出来るんでしょうが、どうやって乗っけるんです?」
その心配があったかと納得しながら、俺は竜の骸に手をかけると、全身に薄く攻撃用の魔法の水を纏わせた。
魔法のアシスト力を利用して、ぐっと骸を持ち上げると、引きずりながら巨大な馬車の上へ乗せる。
その後、少しスペースが足りなかったので、骸を丸めるような感じで荷台に全身を押し上げた。
俺一人で骸を載せきったことに、御者と護衛たちは手伝おうとした体勢のまま、身動きを止めている。
「……はっ!? さ、早速、荷台からおちないよう、くくりつけますので!」
我に返った御者は愛想笑いを全開にして、護衛の人たちと共に、荷台と竜の骸を縄で結びつけ始めた。
その様子を見ていると、兄さんたちが近寄ってきた。
「バルティニー。その竜、どうする気だ?」
マカク兄さんが眉を寄せながら質問してきたことに、ブロン兄さんも同じ気持ちのようすで頷いている。
「どうするって、売るんだよ。貴族とか豪商とかが参加する、競売会でね」
「貴族も参加するって、よくそんな伝手があったな」
「あるものを出品するのを手伝ったのと、参加者の護衛の依頼を受けた関係でね」
少しはぐらかして答えると、兄さんたちは難しい顔で黙ってしまった。
どうしたのかと見返すと、兄さんたちは視線を交換し合った後で、ブロン兄さんが口を開く。
「その競売会なら、普通に売るよりも高値がつくんだろうか?」
「むしろ、競売会以外じゃ売れないんじゃないかな。こんな珍しくて大きな獲物、下手に一商会が独占しようとすると、周りの反発で取り潰しの憂き目にあうよ」
「そんなものなのか?」
「競売会に出品したものを競り落とすことで、参加した貴族や豪商から勝ち取ったという名分が生まれることで、初めて所有を認められる世界だからね」
オークションの詳しい仕組みについて、ターンズネイト家を護衛していた頃の俺は知らなかったことだが、テッドリィさんと合流した後で行った護衛任務で、行商の人やその護衛たちから色々なことを教得てもらったことの中に入っていた。
『下手に運搬するものの情報が流れると、強盗やら刺客やらが現れて大変なんだよ。主に、護衛代がハネ上がる点がね』
なんて苦笑いして、オークションの出品に際しての苦労話を聞かされたっけ。
そんな回想をしている間に、ブロン兄さんを押しのけて、マカク兄さんが詰め寄ってきた。
「その競売会とやらで、アレはどのぐらいで売れそうなんだ!?」
「そういわれても――」
値付けをするのは俺ではないし、俺は物の価値など良く分からない冒険者だ。
助けを求めて、荷台に竜の骸を縛り付けている御者に話を振った。
「この立派な竜がどのぐらいで売れるですか? 恐らくですが、競売会の落札開始値段は、金貨五百枚は下らないかと」
「五百枚!?」
「開始でそれですので、数千万枚――貴族の方々が結託して共同所持を狙えば、数万枚に達することもあるやもしれませんね」
「十数万枚……」
珍しいゾンビ竜の骸なので、それ以上の値段がついてもおかしくないと思っている俺の横で、驚きを通り越して絶句する兄たち。
二人は少しして再起動すると、御者に改めて詰め寄った。
「バルティニーに入るのはどれぐらいだ?」
「当商会で運搬や出品など、こまごまとした雑務を行いますので。そうですね。代金の半分は確実かなと」
契約書では俺が落札額の八割貰えることになっているので、御者の人は嘘を言っている。
けれど、たぶん金の亡者のような顔つきの兄さんたちを見て、一般的な商いの通例を持ち出して、多少なりとも少ない値を告げようとしてくれたのだろう。
しかしながら、大商会の一員がもつ価値基準と、荘園の経営で四苦八苦している人物との価値観は、合致しなかった。
「ゾンビの竜に、そんなに価値があったなんて」
「兄さん。それだけあれば、荘園の経営は安泰どころか、開拓しきっていない部分を開拓し尽くしても余るぞ」
兄さんたちが興奮した様子で語り合うのを見ながら、俺は御者の人に出発するように身振りした。
分かったと頷きがかえってきて、小さな仕草で護衛たちに馬車に乗るように促している。
すると、彼らはさっと馬車に飛び乗り、ガラガラと車輪の音を派手に立てて、街道に向かって爆走していく。
「に、逃げたぞ!」
「どういうことだ、バルティニー!?」
「これから競売終了までの一切のことを、商会にまかせてるんですよ。その方が、分け前が良かったので」
通常の売り主なら、自分の目がなくなるような条項は飲めないのだろうが、俺は別に気にしない。
ゾンビ竜の骸が大金に化ける可能性があろうと、俺は旅暮らしの身だ。
どれだけの大金があろうと、持って歩けるわけでなし。
むしろ宝石に換金する手間を考えたら、邪魔でしかない。
その宝石だって、滅多にやる気はないが、俺なら魔法で生み出せるのだから、お金に固執する理由すら薄くなる。
そんな思惑で平然としている俺が信じられないのか、兄さんたちは化け物を見るような目つきでこちらを見てくる。
「金貨数万枚だぞ、数万枚!」
「それを易々と投げ出すような真似をして。そんなに冒険者は稼げるっていうのか!」
口角から唾を飛ばす二人に、俺は肩をすくめる。
「そんな大金は稼げはしないけど、毎日腹いっぱい食べるぐらいは稼げるよ。それ以上の金貨なんてあって、どうするんだ?」
「それは、ほら。武器や防具を買い直したり」
「防具はともかく、武器は俺自身で作れるし整備できるから、経費はさほどかからない」
「なら、酒や博打、女を抱くのに必要だろ」
「俺には恋人がいるのに、それを聞く?」
俺が本気で金貨を欲していないと察したのか、兄さんたちは話をテッドリィさんやイアナに向けた。
「あんたたちも、こいつになんか言ってやってくれ!」
「大金を棒に振るような真似は、君たちだって見過ごせないだろ!?」
二人に詰め寄られて、テッドリィさんは鼻で笑い、イアナは苦笑いを浮かべた。
「ふんっ。あたしは十分に大事にされているって実感がある。バルティニーが稼いだ余分な金をどう使おうが、知ったこっちゃないね」
「ちょっともったいないって思いますけど、バルティニーさんはお金に無頓着なきらいがあるってしっていますから。それに竜程度なら、楽に仕留められるぐらいお強いので、この機会を逃しても次があるかなって思いますし」
取りつく島のない返しに、兄さんたちは誰かに助けを求めるように視線を巡らす。
そして二人同時にチャッコを視界に入れると、諦めたように肩を落とした。
あんまりに失意な態度を見せられて、俺は少し気になってしまう。
「そんなに荘園の経営は難しいの?」
「……難しくはない。代替わりの際に、長年の付き合いだからと下手に買いたたかれていた商会を取りやめて、ちゃんとした根付を行う商会にしたからな。今までよりも、もっと多くのお金が手に残るはずだ」
「それなら、なんで俺のお金を当てにするようなことを言っていたんだよ」
「金は腐らないものだ。なら、いくらあったって困らないだろ!」
よく分からずに首を傾げると、マカク兄さんを落ち着かせて、ブロン兄さんが苦笑いを浮かべて話の続きをしてくる。
「父さんに言わせると、俺たちのこの気持ちは、荘園の経営に携わると起こる病のようなものらしい」
「話しぶりからすると、どこかわるいってわけじゃないんでしょ?」
「税を払ったり、生活費や奴隷の世話で目減りするお金。そのお金を稼ぐために売ることで、みるみる減っていく作物。より作物を増やそうとして開拓に手を出せば、資材調達の分だけ資金が減る。こうしてあらゆるものが減り続けるのを目にし続けることで、減ること自体が怖くなっていくようになると、父さんは語っていた」
「その怖さを少しでも軽減するために、差し迫って必要のない大金を持っておきたいってこと?」
兄さんたちが神妙な顔で頷くのを見て、俺は逆に呆れてしまった。
「理解できない。生活できているのなら、それでいいじゃないか」
言い切った俺の言葉に、マカク兄さんが怒り顔になる。
「よくない! 不作が数年続いてみろ、いまある資金なんて枯渇するんだ! そうなる前に、手を打とうとして何が悪い!」
「悪くはないけどさ。人の金を当てにしようというのは、筋違いじゃない?」
「分かっている! 分かっているが、俺に許嫁がくるんだぞ。少しでも安定した暮らしをさせてやりたいじゃないか……」
ここでようやく、マカク兄さんが何に拘って荘園を経営しようとしていたかを理解した。
「要するに、妻になるかもしれない人に、良い恰好をしたかったってことか」
俺が端的に告げた言葉に、マカク兄さんは図星を突かれた顔になると、黙ってしまった。
その肩に、ブロン兄さんが手を乗せる。
「痛いほど、気持ちはわかる。俺だって、妻の腹に子供がいると知って、開拓地を広げようと志したほどだしな」
「兄さんもかい?」
「ああ。むしろ、お見合いで許嫁を決めたお前と違って、俺たちは恋愛結婚だからな。その気持ちはより強いかもしれない」
「それは違う。俺のこの気持ちは、兄さんのものに負けちゃいない」
変な意地で言い合いをしそうなので、俺は手を叩いて中止させる。
「二人の意見は分かったけど、俺の金を使って兄さんたちの良い人が喜んだとして、それで嬉しいの? 自力で稼いだ金で喜ばせてやったって、胸を張りたいと思わないわけ?」
俺の正論に、兄さんたちは悔しそうに黙ってしまった。
二人の様子を見て、つい論破するような口調になってしまったけど、俺だって今世の兄弟に不幸になって欲しいわけじゃない。
「しょうがないな……。俺は旅暮らしで近くにいれなくて、危ないときに手助けできないんだ。ブロン兄さんの結婚祝いと、マカク兄さんの婚約祝いとして、ゾンビ竜を売ったお金の『一部』を贈るよ」
顔を上げ、表情が明るくなった兄さんたちに、俺は釘を刺すことを忘れない。
「あくまで一部だからね。あまり期待しないように!」
力と威圧を込めて言うと、兄さんたちは仰け反った。
「あ、ああ、分かったとも。期待しないで待っている」
「少しだったとしても、嬉しいさ」
「分かってくれたならよかった。それじゃあ俺たちは、森の様子見に戻るから。それで、十分に安全を確認できたら、荘園から出ていくから、そのつもりでいてよ」
念押しするように言ってから、俺はテッドリィさんやイアナ、そしてチャッコを連れて二人の近くから去った。
離れる道すがら、テッドリィさんが半笑いの顔を近づけてくる。
「とか何とか言って、ゾンビ竜を売り払ったお金、全部あいつらにくれてやる気だろう?」
「……やっぱり、テッドリィさんにはバレていたか」
「そりゃあねえ。なんたって、アンタは金払いのいいお人よしだ。自分の兄弟ともなれば、大金をポンと手放して不思議はないさ」
責めるというよりも、むしろ褒めるような口調に、俺は思わず頬が赤くなった。
そんな俺の横に、イアナが近づいてくる。
「でもですね。バルティニーのお兄さんたちって、大金を手にしたら身を持ち崩すような気がしてならないんですよね。数万枚も金貨を手にしたら、滅亡一直線じゃありませんか?」
「そんな気は確かにあるねえ。どうするんだい?」
テッドリィさんに問われて、俺は頭を捻った。
「そうだな。それじゃあ、金貨数十枚分ずつ、毎年贈るようにしようか。オークションを頼んだ商会に頼めば、やってくれるだろうし」
「おいおい、それでいいのかい? 商会が潰れたり傾いたりでもしたら、預けていたお金が全部なくなるんだよ?」
「一度手放すと決めた時点で、俺のお金じゃなくなったんだ。その後のことを気にしても、しょうがないでしょ?」
「そりゃそうだけどねえ。お金に無頓着と嘆けばいいのか、教え子が大物に化け始めたと褒めればいいのやら……」
テッドリィさんは困惑するような身振りの後で「バルティニーの思うようにしな」と、こちらの頭の首に腕を回してきたのだった。