二百八十五話 対ゾンビ竜
魔法で弓の水分を抜いて剛性を元に戻し、弦を張り直した。
万全に戻った弓を肩がけにすると、森の中を走り続ける。
俺の後ろには、こちらを執拗に狙ってくる、鱗と皮が燃え尽きて腐った肉が顔の表面となったゾンビ竜の姿。
燃え尽きた鱗と皮は再生しないようだが、腐って灰色に変色した顔の肉には焦げ目一つ残っていない。
刺さったはずの二本の矢の傷跡すら、どこにあるのか分からない。
それどころか、失った鱗と皮の分を補填するかのように、腐った肉が盛り上がっているように見えた。
「まさか――!」
俺は直感から、手裏剣をゾンビ竜の目へ投げつけた。
鱗と皮がなくなって剥き出し同然になっていた目に、手裏剣は容易く刺さった。
「グィゥオオオオ、グゥジ、ィオオオオオ!」
目を潰された怒りの声を上げるゾンビ竜。
そこで変化が起こる。
刺さった手裏剣はすぐに抜け落ち、潰れたはずの腐った眼球がゆっくりと再生し始める。
どうやら、火への耐性の他に、肉体が燃え尽きないよう再生能力も得ていたようだ。
――森の主が得られる力は、どんな能力でも即座に獲得可能なのか。
そんな愚痴を心の中で呟きつつも、エルフの里でアリクさんから見聞きしたことを思い出す。
森の主が使える力は、上限が決まっている。
だからこそ、アリクさんは寿命と里の土壌改善以外、森の主の力らしいものを持っていなかった。
空飛ぶ竜だって、広範囲の森の主を倒して力を多量に取り込むことで、最強生物を目指していた。
この事例を考えると、ゾンビ竜が使える森の主の力は、火への耐性と弱い再生能力でほぼ打ち止めと考える方が理屈に合う。
仮に能力を増やせたとしても、あと一つか二つが限界だろう。
そんな予想を立てつつ、雑居ビル並みに高さと太さがある樹木の陰に入りながら逃げる。
「グィゥオオオオ、グゥジ、ィオオオオオ!」
ゾンビ竜が叫びながら巨樹に突っ込む。
樹木の中身が破断する音が響くが、倒木と化した音は聞こえてこない。
少しの間だけ振り返ると、ゾンビ竜は倒れなかった巨樹をよろよろと迂回していた。
よほど強く当たったのか、頭の一部がへこんでいるが、それも徐々に復元されている。
ゾンビ竜の動きが鈍っている今が好機と判断した俺は、地面に手を着けながら、土属性の攻撃用魔法を展開した。
「『石の杭』を食らえ!」
一部を日本語で叫んでイメージを強化しつつ、ゾンビ竜の腹下の地面から、丸太のように太い石の杭を複数発生させた。
勢いよく伸び上がった杭の切っ先は、ゾンビ竜の腹へ突き刺さると、体内へと侵入していく。
だが背中の皮や鱗を貫通することはできないようで、俺がいくら魔力を込めても、ある一定以上は刺さらないようだった。
しかし、行動を阻害する楔は打てた。
杭が折れるまで、こちらが一方的に攻撃できる時間だ。
俺は手に水と風の攻撃用魔法を展開した。
細かな稲光が発生し、空気中の物質が電気分解された臭いが発生する。
「火に耐性を得たのなら、雷でも食らえ!」
俺の手から太い稲光が伸びて、ゾンビ竜に直撃した。
「グィゥ、オオオオ、グビォ、ィオオ、オオオ!」
感電したゾンビ竜が、腐汁を口から滴らせながら小刻みに絶叫する。
腐っていても電の力で筋肉が収縮するのか、ゾンビ竜は身を捻ることすらせずに、電撃を浴び続けている。
やがて腐った肉が焦げる嫌な臭いがしてきたところで、俺は魔法の強さを上げた。
しかしある瞬間に、動けない様子だったゾンビ竜は、唐突に電撃を意に介さないようになる。
そして、体を動かして腹に突き刺さっている石の杭を壊し始めた。
明らかに、森の主の力で電撃に対して耐性を獲得している。
しかしそれは、俺の予想通りの行動だ。
そも、腹に石の杭を刺している――つまり電撃が体内から地面に流れる道があるので、雷の魔法の効力は弱いと思っていた。
それなのに雷の魔法を使っていたのは、ゾンビ竜に森の主の力を浪費させるためだ。
これで、ゾンビ竜が耐性を得られるのは、出来てあと一回だ。
俺は次に、腕に火と水の属性の魔力を集めて、魔法を発動させる。
「今度は高温の熱湯だぞ!」
ゾンビ竜に力を使わせるために、俺はあえて宣言しながら、攻撃用の魔法で手から熱湯を発射する。
通常、水は百度までしか熱せられないが、魔法なら温度の制限は関係がない。
魔力を込めれば込めるほど、高温の熱湯を発射できる。
そして目論見通り、火に耐性を得ているゾンビ竜でも熱湯は別系統の攻撃と判断されるようで、熱湯を浴びせかけられた顔の肉があっという間に変色する。
「グウゥオオオオオ、ゴグッ、ウオオオオオオオオ!」
ゾンビ竜は顔を振って熱湯を回避しようとするが、腹部が杭で刺し止められているため、上手いようにいかないようだ。
回復能力によって変色した肉が崩れて新しい腐った肉が現れてくるが、それが熱湯によって火傷を負う。
そのサイクルを繰り返すことで、ゾンビ竜の足元には、湯気立つ熱湯と変色した腐った肉がたまっている。
俺はその様子をじっくりと観察して、ゾンビ竜が森の主の力で熱湯に耐性を得ないことを確認した。
どうやら、電撃の耐性で力を使い果たしていたようだ。
そういうことなら、魔塊の消費を抑える意味でも、もう遠慮は要らない。
俺は手から熱湯を止めると、改めてゾンビ竜へ手のひらを向ける。
そして、集中して魔法の準備を始めた。
エルフの里で空飛ぶ竜相手に使った、あの未完成な光の魔法を、若干だけ改良した魔法だ。
まずは光の属性の魔力を大量に溜め、そこに火属性と水属性を合わせていく。
使用している魔塊から引っ張ってきた魔力は、エルフの里では魔塊の全てだったが、ここではその十分の一にも満たないものだ。
それなのに、火と水の属性の魔力を少しだけ注入した途端に、あっという間に制御限界だと感じる反応がやってくる。
――複合させる種類が多くなると、込める魔力が少ないのに、威力と制御難易度が一気に上がるのが、この魔法の欠点だな。
暴走しそうな魔力を抑えながら、ゾンビ竜の頭に狙いをつける。
ゾンビ竜は熱湯で損傷した部位を再生させながら、熱で白濁して濁った瞳をこちらに向け、腹が刺さった杭で裂けることも気にせず逃げようとする。
どうやら、俺がこれから放つ予定の魔法の脅威を察したようだ。
だが、もう準備はほぼ整っていた。
「発射!」
言葉とイメージによって、暴れる魔力に方向性を示しながら、俺は強く目を瞑る。
その瞬間、まぶたを閉じていても網膜を焼きそうな光を一瞬だけ感じ、続いて踏ん張っていた俺を後ろに強烈に弾き飛ばす衝撃を受けた。
ゴロゴロと後ろに転がり、木の根らしきものに引っかかってから、素早く立ち上がる。
ゾンビ竜がどうなったか確認すると、顔の中心を狙っていたのが少し逸れていて、上顎から上だけが綺麗に吹き飛んでいた。
そしてその後ろにある森は、ゾンビ竜の頭を始点に放射状かつ広範囲に抉れている。
距離が離れるほどに被害は薄くなっていっているものの、航空機の落下痕のような有様だった。
――超威力で、おいそれと試し打ちできなかったから、被害の予想がズレたな
そんな反省をしながら、俺はゾンビ竜の様子を観察する。
上顎以上が吹っ飛んでいるが、その断面にある焦げた部分が、新たな腐った肉に置き換わり始めていた。
しかし欠損部位を補填するほどの回復力はないらしく、再生は途中で止まる。
俺は用心のために、弓矢でその断面を射抜いてみたが、全く反応が返ってこない。
これは絶命しているだろうと、ゾンビ相手に変に感じる感想を抱きつつ、鞘から鉈を引き抜いた。
頭を落として止めを刺そうとして、ちょっとだけ嫌な予感がした。
よくよく観察して、腹に複数の杭を突き立てているにしても、ゾンビ竜の四肢がしっかりと地面に着いたままなのが変に感じた。
活動を止めたのなら、もう少しぐらいは力が抜けているんじゃないだろうか。
まさかと思いながらも用心のために、地面に手を着けて、土の攻撃用魔法を発動させた。
ゾンビ竜の首下の地面から、逆向きのギロチンの刃のような形の岩が上へと伸びる。
その刃が首の腐った肉に触れた瞬間、ゾンビ竜が突如暴れて、岩の刃を折り飛ばした。
「グウウオオオオオオオオオ、ィイウグウ、グウオオオオオオオオオオ!」
ゾンビ竜は喉だけで雄叫びを上げながら、狂ったように大暴れを続ける。
付近に俺がいると勘違いしているのか、四つ足を激しく上下させて周囲を踏み荒らし、下あごだけの頭を大きく振るって地面ごと空間を牙で抉った。
やがて残存する全ての力を使い果たしたのか、不意に全身の力が抜ける。
また死んだふりかどうかを判断できず、俺はもう一度、魔法でゾンビ竜を攻撃してみた。
再び伸び上がった岩の刃が、ゾンビ竜の首下へと入り、そのまま上へと突き抜けて、その首を体から切り離した。
――ゾンビは頭と胴体を切り離せば安心なのだから、これでもう大丈夫。
そうは思いながらも、俺は少しの間、ゾンビ竜が動き出さないか慎重に観察し続けたのだった。