二百八十三話 ゾンビ竜とノームたち
一人で森に入った俺は、素早く移動していく。
対応するべきは、ノームの親玉とゾンビ竜。
その他の魔物は相手をするだけ無駄なため、見かけても無視していく。
だが、襲い掛かってくれば、その限りではない。
「ギィキイイィィ!」
痩せたゴブリンが跳びかかってきたので、俺は鉈で首を刎ねて仕留めた。
血を噴き出す死体を放置して先に進みながら、先の戦闘で少しだけ歩みを止めたことで、今後の展開のことで少し思考を裂く余裕が生まれていた。
荘園を出たときは、単純にノームの親玉とゾンビ竜を倒せばいいと考えていた。
しかし、俺がそのどちらも倒した後で、どの魔物が次の主になる可能性が高いかを考えると、それだけでは不十分な気がするのだ。
この森の、いまの最大勢力であり厄介な存在はノームだ。
きっと次の森の主になるのも、このままではノームだろう。
そして現在、ノームの親玉が領域奪還型の森の主であることを考えれば、次に主になったノームも奪還型である可能性が高い。
荘園の平和を願うなら、少なくともノーム以外の魔物が、次の森の主になることが望ましいのが道理だ。
では、その未来を手繰り寄せるためには、どんな手法を取るべきかを、俺は足を止めて考える。
そしてじっくりと考えた末に、結論を出した。
「ノーム単体は弱いんだから、最大勢力から引きずりおろせばいいのか」
そう気づいたのなら、やることは一つ。
この森にいるノームの数を極力減らしてから、ノームの親玉とゾンビ竜を倒せばいい。
しかし俺個人でやるには、手間がかかるため、誰かの手助けが必要となる。
その存在に心当たりのある俺は、さっそく森の中を巡って、目についたノームを殺すことにした。
「ポォォォオオオオ――」
悲鳴を上げて倒れるノーム。
その声に反応して、付近のノームたちがこちらへ近づいてくる気配が感じられた。
俺は包囲を完了される前に、森の奥に向かって一直線に駆けだす。
すぐに、新たなノームが視界に入った。
俺は走りながら足元の石を拾うと、攻撃用の水の魔法を腕に纏わせて投石し、そのノームの顔面を撃ちくだく。
「ポォェエエエエ――」
上がった悲鳴に、周囲の気配が俺が走る方向へと、進行方向を変える。
同時に、新たなノームの気配も近づいてきていた。
俺は企みが上手くいっていることに口元を緩めつつも、ノームの集団に捕まらないように、森の中を走り続ける。
森を走り、適度な距離を進んだら、目についたノームを殺して他のノームを引き寄せることを続ける。
そうやって小一時間も走れば、俺の背後についてくる一団の気配は巨大になり、かなりの数がいるものだと予想がついた。
好奇心から後ろを少し見てみると、三百に届きそうな数のノームが、目の色を変えて俺を追いかけている。
意外に多いと感じながらも、きっと森の中にはまだまだノームがいるに違いないという思いも抱く。
しかし、これ以上引き連れると、このノームたちを押し付ける先がやられかねない心配もあるため、ここら辺で一区切りするとすると決める。
俺は逃げ回る方向を操作して、ある森の一角に向かう。
木々を避け、木の根を飛び越えて進み、やがて鼻に異臭を感じ取れるようになる。
その臭いの元をたどるように走り続け、目論見通りにゾンビ竜が寝そべる場所へとやってきた。
俺は足に水の魔法を纏わせると、一気に前へと跳び出し、ゾンビ竜の体を横から乗り越える軌道をとる。
ゾンビ竜の上を走ると、中身が腐っているからか、足からウォーターベッドを踏んだような感触が帰ってきた。
しかし皮膚や鱗は健全な状態なままなので、変な汁気は足裏には感じられない。
感触を極力気にしないように走り続けていると、今度は足下のゾンビ竜が動き始める気配が足から伝わってきた。
ゾンビ竜は意外と頭部の動きが早いことは、前に見ている。
俺は蹴りつけるようにして、ゾンビ竜の上から大跳躍した。
空中を進む中で後ろを見ると、俺を追いかけてきていた大量のノームたちが、ゾンビ竜を乗り越えようと鱗に指をかけている姿があった。
だが、そいつらは俺に近づくことはもうできないようだった。
なにせ、ゾンビ竜が起き上がり、離れ行く俺ではなく、体の付近にいるノームたちに顎を向けたのだから。
「オオォォ、グゴッ、オォォォォ」
湿った濁音交じりの咆哮と共に、ノームが三匹ほど一気に噛み砕かれた。
絶命に至らなかった一匹が、激痛を訴えるような悲痛な叫び声を上げる。
「ポオオオォォォォォ――」
「「「ポオォォゥワアアア!」」」
仲間が殺されたことで、ノームたちの狙いが俺からゾンビ竜へと移る。
事前予想では、半分ぐらいは俺にくるかもと考えていたのだが、意外なことに全てのノームたちがゾンビ竜へと戦いを挑んでいる。
こうして、木の後ろに隠れた俺の目の前で、三百体一の戦いが始まった。
「オオオォォオォォ、グホッ、オオオオオオ」
「「「「ポオォゥワオオエエエエエ!」」」」
ゾンビ竜は群がるノームたちを噛み砕いて食べ、ノームたちは物量を生かした打撃や噛みつきで対応していく。
痛痒を感じていないように振舞っているゾンビ竜だが、集られるのは鬱陶しいのか、捕食行動だけでなく四つの太い脚を動かして踏みつぶしを狙い出している。
ノームたちも黙ってなく、尻尾を協力して押さえつけようとしたり、ゾンビ竜の背に何匹も乗って飛び跳ねて踏みつぶそうと試みている。
そのノームたちの行動が身を結んだのか、ゾンビ竜の体表の一ヶ所から、やおら腐汁が飛び出てきた。
「グゥオオオオオ、ォグポ、オオオオオオ」
痛みを訴えるかのようなゾンビ竜の鳴き声。
ノームたちは調子に乗り、腐汁が飛び出てきたところに群がり、皮膚の割れ目に手を突っ込む。
ゾンビ竜は捕食行動で対抗するが、数匹やられるたびに、他のノームたちが群がり直して、傷口を広げようと奮闘している。
意外なノームの奮闘ぶりに、ノームがゾンビ竜を殺してしまう危惧が生まれる。
仮にそうなったら、俺の予定が狂ってしまう。
ノームを殺す手助けをするべきか悩んでいると、ゾンビ竜の行動が少し変わった気がした。
嫌な予感を覚えて、俺は隠れ場所をもう少し離すことにした。
俺が退避を終えた直後、待っていたかのように、ゾンビ竜は大きく息を吸い込み始める。
もしや火でも吐くのかと警戒すると、やおらその大きな顎を閉じた。
そして、吐き出す息を我慢するかのような唸り声を上げる。
「フーンンンンン、ン゛ン゛、ンンンーー!」
なにをしているのか疑問に思った刹那、ゾンビ竜の全身から細かい霧のようなものが立ち上がった。
同時に、強い腐臭がこちらまでやってくる。
俺は顔をしかめて鼻と口を押えた。
そんな強烈な臭気を至近で食らったノームたちはというと、呼吸ができないのか、大きく口を開け閉めしている。
そうして身動きを止めたノームたちを、ゾンビ竜は大口を開けて数匹まとめて捕食する。
三度捕食行為が行われた後、ノームたちは呼吸を取り戻したようで、殺された仲間の恨みを晴らすように攻撃を再開させた。
この一連の攻防を見て、俺はゾンビ竜の心配をすることを止めた。
きっと、先ほどの腐霧意外にも、隠し玉を持っているに違いないと判断したからだ。
そして心配事がなくなったことで、俺は予定通りの行動を再開する。
ノームを可能な限り引き連れて、ゾンビ竜に始末させるという行動をだ。
先ほど回ってきた場所を避けて移動し、目についたノームを殺して引き寄せ、ゾンビ竜の元へと引き連れていく。
そうすれば、ゾンビ竜に殺された仲間の叫びに反応して、引き連れていたノームたちはゾンビ竜へと次々に戦いを挑んでいく。
そんなことを、俺は休憩を挟みながら、三時間ほど繰り返した。
ノームの存在が森にみかけられなくなったため、俺はゾンビ竜とノームたちの観戦に戻ることにした。
俺が大量に引き連れて追加し続けたはずのノームたちは、もう三十匹をきるまで数を減らされている。
ゾンビ竜はというと、全身にいくつも腐汁を垂らす穴を開けられながら一匹だけで戦い続けてきたというのに、勢いが衰える様子はない。
一度死んで蘇った存在なだけあり、体力が無尽蔵になっているのかもしれない。
興味深い事実を、木の上から眺めて見ていると、森の奥からこちらにやってくる気配を感じ取った。
それは一つだけながら、かなり大きな気配だった。
まさかと思って気配がする方向へ、俺は視線を固定させる。
すると少しして、森の木々をなぎ倒す音と共に、魔物が姿を現した。
全長五メートルはありそうな、真っ赤な体毛を生やすゴリラの体に、上顎だけでなく下顎からも牙を伸ばしたセイウチの顔を持つ魔物。
ノームに似た姿から、これがこの森の主である、ノームの親玉だと察した。
そいつは、ゾンビ竜に蹴散らされているノームたちを見ると、両腕を叩く上げて遠吠えを上げる。
「ボッピエエエエエエエエエイイイイイイイ!」
森の中に残響が木霊する中、ノームの親玉は腕を振り上げた体勢のままに走り出す。
ゾンビ竜へ近づき、渾身の力でその大きく太い腕を振り下ろした。
その衝撃にゾンビ竜は体勢を傾がせたが、すぐに元に戻り、怒りの咆哮を上げる。
「グオオオオオオ、グッィジ、ゴオオオオオオ!」
頭を大きく振るいって頭突きを繰り出した。
大質量の衝撃に、ノームの親玉は二歩ほど後退したが、すぐに右腕でゾンビ竜の顔面を殴りつける。
「ボッピイイイイイイイイ!」
「グオオオ、グゥギ、オオオオオ!」
二匹の巨大な魔物は、一歩も引かない決意を示すように共に鳴くと、お互いへと攻撃を繰り出し始めた。
生き残りのノームたちも攻撃に参加しようとするが、二匹の攻撃とその衝撃に巻き込まれて、象の足元にいる蟻のように簡単に蹴散らされて命を失っていく。
「……まさかノームの親玉まで釣れるとは思わなかったけど」
漁夫の利を狙えそうなため、二大怪獣決戦のような状況な戦場を、静かに観戦することにした。
俺は太い木の枝へと飛び移ると、走り回って乾いた喉を生活用の魔法で指から出した水で潤し、携行食を食べながら、二匹の勝負の行方を目で追っていったのだった。