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二百八十一話 森の主の果て

 さらに森の奥深くを目指して進む。

 付近から集まってきたノームを撃滅したからか、近くには魔物の気配がなく、小動物が少しいるぐらいだ。

 果樹になった椪柑ポンカンに似た果物をもぎ、小腹を満たしつつ横を見れば、チャッコがなにか嫌そうな顔をしていた。


「どうかした?」

「ゥワゥ……」


 鼻に皺を寄せていることから、どうやら嫌な臭いがするらしい。

 俺も鼻で呼吸してみるが、森の中でよく嗅ぐ臭いがあるだけで、特段に変なものは感じない。


「チャッコ、どこから臭ってくる?」

「ゥワフ」


 チャッコが、あっちと顔を向ける。

 きっとそっちに何かあるのだろうと予想し、俺はチャッコが導くままに進行することにした。



 少しして、チャッコが嫌がった臭いが、俺の鼻でも感じ取れれた。

 それは、傷み切った肉にカビや雑菌が繁殖したものが発する、墨汁に酢と生ごみを混ぜたような臭い。

 臭いの発生源が目に入らないのに、ここまで臭ってくるということは、異臭の元はかなり強烈な腐乱臭を発する危険な腐食物なんだろう。

 思わず顔をしかめると、チャッコがどうすると問いかける目を向けてきた。


「森の異変に関係しているかもしれないから、見に行くしかないだろ」

「ゥワフ……」


 気乗りしない感じで、チャッコは先導を再開する。

 進めば進むほどに、予想していた通り、異臭が強くなってきた。

 この臭いのせいか、小動物は周囲から消え去り、その代わり虫が多く現れる。

 嫌な光景を目にする予感に、腹をくくる。

 小一時間ほど歩き、強烈な臭いに俺は鼻と口を手で押さえ、チャッコの口周りを手拭いで覆いつつ進んでいると、ようやく発生源が見えてきた。

 あまりの異臭の凄さに、離れた場所から観察する。

 朽ちた木々の真ん中、変色した地面の上に、土色の鱗に覆われた大型トラック並みの生物が横たわっている。


「……あれは、エルフの集落近くの森にもいた、翼がない方の竜か?」


 口呼吸の合間で独り言を呟きつつ、よくよく観察する。

 しっかりと閉じられた眼。

 傷一つない全身を覆う堅そうな鱗。

 しかし、地面につけている腹側には、腐汁が地面に染み出ていて、それをすする虫たちが集まっている。

 どうやら竜は絶命していて、死後も皮膚や鱗が頑丈すぎるために、腐肉をついばむ動物が現れないままに、腐った内側から液化しつつあるようだ。

 この森で見る魔物とは明らかに強さの違う存在から察するに、この竜は以前の森の主だった可能性が高い。

 それがどんな原因かは分からないが、死んで、ノームを率いる他の場所の森の主が、この森まで進出してきたという感じだろうな。

 とりあえず、前の森の主が死んだことは事実だろうと納得し、次はノームの親玉を探そうと踵を返そうとする。

 そこではたと、竜の姿が『ほぼ完全である』ことを思い出した。

 まさかと思いつつ、もう一度腐りかけの竜を観察する。

 死体だけあり、動きはない。

 しかし――鱗や皮膚が、あまりにも艶やかじゃないだろうか。

 それに、腐汁をすする虫はいるのに、排せつ器官から潜り込んで腐肉を食らう種類の虫がいないのは変じゃないだろうか。

 嫌な予感が立て続けに起こり、俺は身振りでチャッコに下がるように指示する。

 俺たちがゆっくりと離れていくと、入れ替わるように複数のノームが竜の死骸の近くに現れた。


「ポォゥ、ポォォア」

「ポオポオオォ!」


 食べ物が落ちていたことを喜ぶ猿のような身振りの後で、ノームたちが竜の死骸に走り寄っていく。

 そして太い腕で竜の死骸の体表を引っ掻き、その下にある肉を抉り取ろうとし始めた。

 その様子を、俺とチャッコは巨樹の根元に隠れながら覗き見ていると、変化が起こった。

 腐乱した死体のはずだった竜の頭が、まず微かに動き、やがてゆっくりと持ち上がったのだ。

 俺たちだけでなく、ノームも驚いたのだろう、動き出した竜の体表に手を着けたまま呆然としている。

 その内の一匹を、腐乱した竜は素早く首を伸ばして咥え、黄色いながらも健全な状態のままの牙で噛み砕いた。

 溢れる血潮で喉が潤ったのか、次に控えめな咆哮が、腐った竜の口から巻き起こる。


「グオ、オ゛オォジュ、オオォグゴオ!」


 腐った気道を震わせているからか、咆哮の中にタンが絡まったような湿った音が混じっている。

 聞くからに不快な音に、我に返ったノームたちが慌てて離れようとしている。

 しかし腐った竜――ゾンビ竜は、素早く首を動かして、数匹を纏めて口に咥えて噛み潰し、あっという間に平らげてしまった。

 その直後、俺は周囲にゾンビ竜を目指して進む気配が感じ取れた。

 ノームの死んだら仲間を集める習性は、力量の叶わない相手でも発揮されるらしく、どんどんゾンビ竜の周りにノームたちが集まった。


「「「「ポオオオオオオォォォォx!」」」」


 ノームたちはゾンビ竜に対し、腕や足で打撃し、噛みついたり、拾った石を投げたりする。

 しかしそのどれもが、ゾンビ竜には通じていないようだった。


「グオオオ、オジュッ、オオオゴアオ!」


 ゾンビ竜はいななくと、囲んでいるノームたちを食べ始めた。

 完全に敵わないあいてに、ノームは勇敢に戦うものと逃亡する者に分かれる。

 ゾンビ竜は逃亡を始めた個体を先に狙って、噛みつき、飲み込んだ。

 殺された個体が現れたことで、習性から新しいノームが付近から集まってくる。

 そうして数十対一の戦いになっているのに、ゾンビ竜は楽々とノームを殺して食べていく。

 少ししてノームの援軍がこなくなり、戦っているノームたちに嫌戦の気配が漂ってきた間際、ゾンビ竜はやおら四肢を動かし始めた。

 肉体が腐っているのに、その動きは意外にも俊敏で、尾の一振り、脚の上げ下げで、ノームたちを鎧袖一触にひき肉にしていく。

 そうして一分も経たずに相手を壊滅させると、ゾンビ竜は地面の土ごと潰れたノームたちを口に入れて咀嚼を始めた。

 全てを綺麗に平らげると、体を地面に横たわらせて、また本物の死体であるかのように動かなくなり、ゾンビ竜の腐汁をすする虫たちも戻ってきた。

 やがて、ノームの群れが来たことなどなかったかのように、森は平穏に見える状況に戻ったのだった。



 一部始終を見ていた俺は、戦いが終わったことに、胸をなでおろした。

 死体が綺麗に残っていたことと、死体の頭がついていたことから予感していたが、本当に翼のない竜がゾンビ化していたなんてな。

 しかしここで、不可解なことに気が付いた。

 この森から魔物が外に出ていることと、いなかったノームたちが現れたことを考えると、このゾンビ竜が森の主だと変だ。

 森の主はノームを率いる親玉でないと、道理が通らない。

 となると、俺が故郷を離れた後の森での出来事の経過は――


 まず、何らかの原因で、この森の主だった翼のない竜が死ぬ。

 空いた森の主の席に、どこからかきたノームの親玉が座り、ノームを繁殖させた。

 その後、鱗と皮膚の防御力から丸まる死体が残っていた竜がゾンビ化する。

 一匹倒せばぞろぞろと現れるノームの特性を知ったゾンビ竜は、死体を装って近づくノームを殺し、呼び込み漁で腹を満たすことにした。


 ――おおよそ、こんな感じだろう。

 この予想が正しい場合、この森の状況は厄介なことになる。

 まず、現在の森の主が領土奪還型のノームの親玉であること。

 これを放置すると、近くにある荘園に、魔物がいつまでもやってくることになる。

 しかし、仮に俺がノームの親玉を殺した場合、生前は森の主であったゾンビ竜が次の森の主にそのままなってしまう可能性がある。

 そうなったばあい、いまでも積極的にノームを狩ろうとしていない態度と、以前の森の状況からするに、ゾンビ竜が主となれば領土安渡型の森に戻るだろう。

 だが、森に現れる魔物は、森の主と似たものが多い特徴がある。

 ゾンビ竜が主となったら、この森には各種ゾンビがうようよ現れることに繋がり、食糧を生産する荘園には衛生的に相応しくない場所に変わってしまうだろう。

 それらを考慮に入れてどうしたらいいかは、戻ってマノデメセン父さんやマカク兄さんに判断を任せよう。

 それに、今回の俺の目的は森の偵察だ。

 ゾンビ竜とノームの存在を把握しただけで、成果は十分だろう。

 木々の間から木漏れ日はあるものの、森の空気も冷えてきている。

 この空気は、もうそろそろ夜に変わる頃合いだ。

 明日の朝早くに荘園に着くには、いまのうちに帰路についておく必要もある。

 俺は面倒な相手になりそうなゾンビ竜をもう一度見てから、チャッコを引き連れて、来た道を引き返すことにしたのだった。 


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