二百七十九話 故郷の森
俺の家族と行商人の話し合いが終わった。
「明日出発するそうですけど、本当に帰り道は、俺たちの護衛は要らないんですね?」
「はい。こちらの方々も、なにやらお困りのようですからね。ここで恩を売っておいて損はないと判断したのですよ」
ニコニコ顔の行商人の言葉に、俺は眉を寄せる。
「そうなると、護衛は新米冒険者だけになっちゃいますよ。なにかあったとき、対処できないんじゃ?」
「その点はご心配なく。今晩はこちらの荘園の中で泊まらせていただき、明日早くに冒険者を馬車の荷台に乗せつつ、可能な限り素早く移動すれば、日が落ちて少ししたぐらいにヒューヴィレの町に到着する計算ですので」
「足の速さで、なにかあっても逃げ切れると」
「この目算があっているかどうかと、今後この荘園との商いをするにあたっての試金石にするつもりです」
そういうことならと納得し、俺は行商人と別れると、家の中にいるマノデメセン父さんに近づいた。
「それで、いつ森の中に入って調査すればいい?」
「そうだな。すぐにでも行ってもらいたいが、可能か?」
「できるよ。けど万が一のことを考えて、テッドリィさんとイアナは開拓地の防衛に残したほうがいいよね」
「そうしてくれると助かる。ブロンにつかせた者たちは、魔物を怖がっているからな。バルティニーの仲間が守ってくれると聞けば、安心して休めるだろう」
これで話はまとまったと思いきや、テッドリィさんが口を挟んできた。
「それで、報酬はどの程度いただけるんだい? バルティニーの家族ってことを考えても、このぐらいは欲しいねえ」
言いながら手で示された値段に、マノデメセン父さんは渋い顔をする。
「これから色々と出費が重なりそうなので、もう少し負かりませんかね」
「可能な限りに出せるとしたら、どのぐらいさね?」
「えーっと――このていどかと」
父さんが示したのは、テッドリィさんが提示した三分の二の値段。
テッドリィさんは値上げを要求するだろうと思いきや、あっさりと了承してしまう。
しかし、釘を刺すことは忘れなかった。
「バルティニーの家族だからって、贔屓しているんだ。森の調査依頼の報酬がその金額なら、腕の良い冒険者は誰も受けちゃくれないよ。他の誰かに依頼をだすときは、さっきあたしが出した金額が最低条件だって理解しときな」
熟練冒険者であるテッドリィさんに睨まれて、マノデメセン父さんは顔色を青くして頷く。
その横で、二人の様子を見ていたマカク兄さんが不満そうだ。
「金が惜しい時期だというのに、こうも出費続きとは頭痛がする思いだ」
聞こえるような独り言を、母さんが無言で諫めている。
どういう意味かと、俺はマノデメセン父さんを見る。
「マカクの許嫁が、近々輿入れしてくる予定なんだよ。迎えるために、家具の購入や、宴の準備予算が必要でな」
「へえ、マカク兄さん結婚するんだ。おめでとう」
「ありがとうと、言っておこう。これでこの荘園も安泰に近づくんだからな」
まるで荘園のために犠牲になる覚悟のような物言いだが、マカク兄さんの顔はまんざらでもなさそうだ。
「マカクの許嫁は、絵姿しかしらないが、かなりの美人さんだったんだ」
「……肖像画って、美人に脚色するものだと聞いているけど?」
「こちらも、魔物が出るようになったと言っていないんだ。騙しているのはお互い様なのだ」
なんとも生臭い話だと思いつつ、俺はチャッコに手で指示を送りながら、テッドリィさんとイアナと共に家の外へと出る。
家の扉が閉まったのを音で確認しながら、テッドリィさんとイアナへ声を潜める。
「俺たちは森に様子を見てくるから、開拓地の防衛はよろしく。勝てそうにない相手なら、住民を連れて下がっていいから」
「任しておきな。なに、オーガ以上の大物が出てこなきゃ、楽に対処してやるさ」
「わたしだってちゃんと戦えるようになっているんです。守ってみせますとも!」
勇ましいイアナに安心し、俺はチャッコを連れて、懐かしい故郷近くの森へと進んでいった。
森に入ってすぐに、俺が冒険者になる以前とは、全く様子が違っていることに気付く。
以前の森はこちらの動向を探るような気配で満ちていたのに、いまの森は敵意を剥き出しに見ている感じだ。
森の主が変わっただけで、こうも様子が違ってくるものかと、変な関心を抱いてしまう。
「魔物の気配は近くにないようだし、とりあえず奥に進んでみるか」
「ゥワウ!」
チャッコの大きな返事を受け取り、森の中へと分け入っていく。
するとすぐに、木の上に複数いる虫型の魔物の姿が目に入った。
蜘蛛や芋虫など、複数の種類が混在している。
そいつらは、攻撃準備をするかのように、こちらへと態勢を向けつつある。
大人しく待っているわけもないので、俺は素早く弓矢を番えると、次々に放った矢で三匹ほどを貫き殺す。
木から落ちた魔物の落下音の中、チャッコも地面を蹴って飛び出した。
「ゥグルア!」
気合を込めて吠えた後で跳び上がると、前足の爪を振るって一匹。跳んだ勢いのままに、牙でもう一匹を仕留める。
瞬く間に仲間を減らされて怒ったのか、虫の魔物たちの中から、チャッコを狙って糸を吐くものが現れた。
空中に白い線を引くように、糸がチャッコの行く先を狙って突き進む。
チャッコは木の枝を後ろ足で蹴って糸を避けると、巧みに方向転換して跳び上がり、もう一匹の魔物をかみ殺す。
その一撃で魔物たちは、勝てなさそうなチャッコから狙いを外し、こちらへと攻撃をしかけてくるようになった。
とはいえ、この程度の魔物に、俺も苦戦するつもりはない。
弓矢で素早く撃ち落としていき、すぐに全滅させることに成功した。
「……チャッコ、倒した魔物を食べるかい?」
「ゥグルア」
不味そうだから要らないと、チャッコは咥えていた蜘蛛型の魔物を森の奥へと投げ捨てる。
俺も好んで食べる気はないので、この森での作法に従い、倒した魔物の腹を裂いてから放置し、使った矢を回収してから先に進むことにした。
十匹ほど集まっていたゴブリンや、ダークドッグに肉片を上げていたオーク、朽ちた木に住んでいた白蟻の魔物などを倒しつつ森を探索する。
その中で俺は、代替わりしてすぐの森だけあり、大した大物は育っていないようだと判断した。
現に、俺はここまで一度も、魔法のお世話になる事態に遭遇していない。
「この分だと、森の主も大したことないヤツなのかもな」
「ゥワフ」
当てが外れたと、チャッコは尻尾を下ろして、つまらなそうにする。
戦闘凶の気があるので、強者であるはずの森の主と戦ってみたかったのだろう。
慰めによしよしと撫でると、チャッコの尻尾が上向きになる。
そうして調子よく進んでいくと、進む先に気配を感じた。
茂みの中へ隠れながら進み、なにが居るのか窺うと、初めて見る生物だった。
それは、ゴリラの体にトドの頭をくっつけたような魔物。
俺はその姿を、護衛を続けた旅路の中で、他の冒険者の武勇伝から聞いている。
たしか、土を好む巨人――ノームだ。
冒険者の話によると、身の丈は三メートルはある魔物のようなことを言っていた。
しかし、目の前にいる魔物は、せいぜい俺と同程度の背丈しかない。
弓矢を構えがてら観察する中で、きっと幼い個体なのだろうと予想をつけた。
そして初めて見る相手なので、俺は一撃で仕留めるために、矢に攻撃用の魔法で風を纏わせて放つことにした。
「すぅ――フッ!」
頭に照準を合わせて放った矢は、一瞬後にはノームのコメカミに突き刺さっていた。
拳銃で頭を打たれたように横倒しになったのを見ながら、俺は念のために鉈を引き抜きながら、倒れたノームへ静かに近寄る。
ノームが動かないこと、その体に血潮が行き交う音がないことを確認してから、鉈を鞘に納めた。
「これがノームか。オーガ並みの強敵と聞いていたんだけどな……」
あっさりと倒せてしまったことに首を傾げていると、こちらに近寄ってくる気配を感じた。
意識を集中させて探ると、こちらに真っすぐに近寄る五つの気配がある。
魔法を使った影響で近づいてきているのかとも考えたが、それにしては近寄ってくる挙動に迷いがない。
まるで、俺たちがここに居ると、確信しているかのようだ。
警戒しながら、俺は弓矢を構え、射程に入り次第に気配の一つへ矢を放った。
「ポゥオオオオオー……」
森の茂みの奥で、矢で射られた何かが鳴き声を上げながら倒れる。
枝葉の隙間から見えた姿は、俺の足元に倒れているノームと同じものだった。
まさかと思い、次に近い気配へと、俺は弓で矢を放つ。
「ポゥオワアアアアア……」
断末魔を上げて倒れたその姿は、ノームだ。
そして、その叫び声に招かれるように、新たにこちらに近づく七つの気配が現れた。
この状況に至って、俺は確信した。
「こいつら、死んだら仲間を呼び寄せるのか」
面倒な特性に舌打ちしたくなるが、対処方法を考えないといけない。
ノームの死体が仲間を呼び寄せるなら、囲まれる前にこの場から逃げ出すことが最優先だろう。
しかし、チラッとチャッコを見ると、敵が複数近づいてくる気配に、ウキウキワクワクしている様子である。
これは一時撤退を提案しても、チャッコは聞き入れないだろう。
そして集まってくるノームを、近づいてくる個体がいなくなるまで、倒し続ける決意を固めたのだった。