二百七十七話 家族会議
家族と俺の仲間たちだけが席に座ると、マノデメセン父さんが口を開いた。
「事の起こりは、一年前。ブローマインが結婚して荘園の従業員となり、マセカルクに許嫁を作って荘園の経営を任せ始めた直後だった」
「スミプト師匠を追い出した頃ってこと?」
「……ああ、その後のときだ」
俺の指摘に苦い顔をしてから、マノデメセン父さんの話が続く。
「最初の異変に気付いたのは、森で狩りをしているシューハンだった。魔物の姿が森の際近くに現れたという話だった」
しかしその報告を、マノデメセン父さんをはじめ、誰も信じなかったそうだ。
理由は、父さんが生まれてからこのかた、そんなことはなかったからと、シューハンさんが未熟な鍛冶用の奴隷の鏃を気に入っていない様子だったかららしい。
その言葉に、俺は眉を寄せる。
「異常事態だと嘘を吐いて、スミプト師匠を呼び戻そうと、シューハンさんが画策したとでも? あの人は口数が少なくて実直だから、本当に大事なことしか言わない性格だって知らなかったの?」
「知っていた。少なくとも、自分の利益のために嘘を吐くような器用ものじゃないということはな。だがあのときは、新体制に移そうとした矢先だったんだ。シューハンであっても、溜め込んでいた不満が嘘という形で噴出したのだろうと、高をくくっていたのだ」
忙しい頃だったことは理解したが、シューハンさんの言葉を疑うなんて、あの人柄をよく知る俺には考えもつかなかないことだ。
どうして父さんは疑うなんて真似をしたのかと、少し呆れてしまう。
「それで。森の異変に気付いたのは、何時頃だよ」
「昨年の夏の熱帯夜のことだ。ブローマイン」
父さんに指名されて、ブロン兄さんが会話を引き継いだ。
「その夜、俺は妻と共に開拓地に作った家にいたんだ。いつもは森の木々や草が風に揺れる音しかしない、静かな場所なんだが、その時は違ったんだ。バシャバシャと、外に置いていた水樽を手でかき回しているような音がしたんだ」
最初は気のせいだと思っていたマカク兄さんでも、いっこうに音が止まないため、様子を見ることにしたらしい。
「どうせ喉が渇いた奴隷の誰かが、寝ぼけて外の水樽を使っているんだろうと思ったから、警戒感なく外に出たんだ。そうしたら、月明りの下で、水樽に顔を突っ込んでいる魔物が数匹いたんだ」
容姿の説明からすると、ゴブリンだったらしい。
「思わず驚いて声を上げると、向こうも驚いたらしく、水樽から顔を上げてこちらを見てきた。俺は慌てて立てかけてあった農具を取って、先を向けたんだ」
ゴブリンは一人だけ出てきたマカク兄さんに近づこうとする素振りを見せたが、他の家に住む奴隷の人たち数人外に出てくると、一転して森のある方向へと走り去ったらしい。
「それから、ちょくちょく開拓地の近くで魔物の姿を見るようになった。奴らは最初、森の木々に隠れながらこちらを観察しているようだった。しかし次第に距離が近づき、行動が大胆になってきた。そして先の冬の時期に、とうとう開拓地の仲間で入ってくるようになった」
そこから慌てて石塀を高く作り直したのだけれど、もう後の祭りだったそうだ。
「段々と数や種類が多くなってきて、終いにはさっきだ。もう、安心して開拓に力を注げられる状況じゃない。こうなることは目に見えていたから、早めに資材や武器を調達してくれと頼んでいたというのに」
ブロン兄さんから避難の目を向けられて、マカク兄さんが怒り出した。
「高価なものを大量に買う余裕なんてあるはずがないだろ! 元は後継者だったんだ、うちの財政状況は理解しているだろ!」
「それは、お前がやることなすこと、全て裏目に出ているだけじゃないか! スミプトが荘園で鍛冶をやってくれていれば、安く良い品質の武器や防具、鉄製の柵なんかを作ってくれたはずだ! それに蓄えはあったのに、それを高額な奴隷なんかで散財して!」
「長い目で見れば、この方が安上がりなはずだったんだ!」
言い争いをする二人を見ながら、俺は思わず呟いてしまう。
「二人とも魔法の素養はあるんだから、スミプト師匠から鍛冶魔法を習えば、魔法を使える奴隷なんて買わずに済んだだろ」
この指摘に、ブロン兄さんとマカク兄さんから、恨めしい目がやってきた。
「習ったさ。だけど、道具を作ることが壊滅的に下手で、しかも一向に上達しなかったんだ」
「俺は後継者となって勉強することが増えていたし、そもそも荘園の主となった後で荘園の経営と鍛冶仕事を両立する余裕があると思うか?」
二人の言い分に納得しつつ、俺は質問を返す。
「それで、俺に頼みたいことってどんなことだよ」
ブロン兄さんとマカク兄さんはお互いに目を合わせると、二人してマノデメセン父さんへと向き直る。
すると、父さんは仕方がないと肩をすくめた。
「バルティニーに頼みたいことは、魔の森の様子を見てきて、可能なら森の状態を以前のように戻してほしい」
「……それがどんな無茶か、知っていて言っている?」
俺が聞き返すと、父さんだけでなく兄さんたちも首を傾げていた。
本当に知らないようなので、俺は魔の森の主を倒す困難さ、森の主を倒した後には次の主になろうと魔物たちが暴れ回ること、そして次の森の主が立っても以前の森のようになるかは五分だと教えた。
「なぜ森の様子が元に戻らないかは、森の主の考え方が大別して二種類あるからだ。森の領域を広げようとする『領域奪還型』と、森の領域を保持しようとする『領域安堵型』だ」
俺からの掻い摘んだ説明を受けて、三人は理解してくれたらしい。
「つまり、前の森の主は、その領域安渡型という魔物だったわけだな」
「仮にバルティニーが今の森の主を倒し、次の主になろうと戦う魔物の混乱期を経ても、そのどちらが次に現れるかは分からないわけか」
「その混乱期というものがあるのなら、いまの森の主を倒すことに意味が薄いな」
認識の甘さに、俺はついつい苦言を出してしまう。
「……楽に倒せるように言っているけど、森の主を倒せたら、その場所を領地としてもらえるほどに達成困難なことだから」
「我が家のご先祖様は、成し遂げられたことだぞ?」
「そもそも、魔の森の主を倒すような実力がある冒険者なら、豪商や貴族の護衛になったり、殺した魔物や野生動物を売って生活するほうが楽だよ。その方が、新しい土地で開墾で苦しむよりも、安全に大金を稼げるんだから」
「冒険者の割りに、現実的で夢のない話だな」
「昔ながらの夢を追いかけていると語る人に、馬鹿だと笑う人が多いぐらいに、冒険者は現実的な人たちばかりだよ」
いまは一般的な話をしている段階なので、その馬鹿な夢を俺が持ち続けているとは、この場では語る場面ではないと判断した。
その考えが幸いしたのか、父さんと兄さんたちは小難しい顔になる。
そして父さんが困り果てたような顔で、俺に聞いてくる。
「森の主を倒すことが大変だということ、そして冒険者に討伐を頼んだとしても無理なことは分かった。それじゃあ、どうやって荘園の安全を守れというんだ?」
「冒険者を雇い入れるか、戦える奴隷と武器を揃えるか、さもなきゃこの土地を手放すかだね」
あっさりと素早く俺が答えると、マカク兄さんが怒鳴ってきた。
「土地を捨てろだって! 俺たちに死ねと言いたいのか!」
「別の場所でだって、人は生きていけるよ。実際に俺たち冒険者は、各地を転々としながら暮らしている人が多いんだから」
「そういう問題じゃない! 先祖代々から守り抜いてきた土地を、魔物の存在ごときで手放すなんてことはできないと言っているんだ!」
「なら、冒険者や戦える奴隷に頼んで、土地を守ってもらうしかないね」
冷たく突き放すように言うと、マカク兄さんが黙ってしまった。
そして父さんとブロン兄さんも、どの手段を選ぶのか悩むように、黙り込んでいる。
そんな中、リンボニー母さんが小首を傾げながら口を開く。
「その方法しかないのね?」
「他の土地では、そうやって農地を守っているんだ。いままで、この荘園が恵まれていたんだよ」
「そうなの。それじゃあ仕方ないわね」
諦め気味に息を吐き出すリンボニー母さんを見て、父さんや兄さんたちも現状を受け入れ始めたようだ。
そのとき、黙って状況を見ていたイアナが、少し怒り気味に俺に喋りかけてきた。
「家族が困っているんですから、冷たいことを言わずに、バルティニーさんが森の主を倒してあげればいいじゃないですか」
俺なら簡単にできると確信しているような声色に、父さんたちが疑問を抱いた顔に変わる。
さも、俺の語ったことが全て嘘だったと思っている、そんな表情だ。
説明の努力を不意にしてくれたイアナに、俺は頭の痛い思いを抱く。
「イアナ。俺が語ったことに、どこか間違いがあったか?」
「冒険者の立場からすれば、バルティニーさんの言った通りです。けど、バルティニーさんなら簡単に出来そうなことを黙っているなんて、ダメだと思います!」
「あのな。俺はみんなに現状を理解してもらいたかったんだ。仮に今回、俺が森の主を倒したとしよう。その後、俺がいないときに同じ状況になった際に、『バルティニーが出来たんだから』って曖昧な根拠で、森の主を倒しに向かう人を出さないようにするためにな」
反論に口を開いたイアナを手で押し留めて、さらに理由を付け加える。
「それといまの俺たちは、冒険者として行商人に雇われている。依頼が完了するまで、依頼人の利益にならない約束は、極力控えるべきじゃないか?」
「むぅ、その通りはその通りなんですけど。なんだか冷たい言い方です」
「大事に思う家族だからこそ、私情や楽観視を抜きにして、現状を真摯かつ正確に説明しているんだ」
「大切な家族なら、全部自分が解決してやるって言ってあげたらどうですか。その方が、バルティニーさんの目指す『デカイ男』っぽくないですか」
目標を引き合いに出されて、つい俺はイアナの主張の正当性を考えてしまった。
けれど、森の主を倒すと言うことも実行することも簡単だが、それだけを行うのは無責任に感じる。
マノデメセン父さんたちが望んでいるのは、森の状態を俺が冒険者になる以前と同じに戻すことだ。
そんなことをやろうとするなら、取れる道は三つだけ。
一つ目は、領土安渡型の主が立つまで、森の主が現れるたびに倒し続けること。
けれどこれは、かなりの年月がかかるため、現実的じゃない。
二つ目は、森の主を倒して魔の森を開墾すること。
土地が増えるし、魔の森の主を立つをの待たなくていいが、これも先の選択よりかはマシだが時間がかかり過ぎる。それに新たに隣接する森の区域の主が、領土奪還型だったら、また倒さなければいけなくなる。
三つ目は、俺が森の主になるか、俺の息がかかった魔物を安堵型の森の主に仕立て上げること。
時間はもっともかからないが、俺はなる気はないし、チャッコのように物分かりの良い魔物を従えられるかは未知数で、あまり現実的じゃない。
そんな感じで懸念ばかりの選択肢ばかりだが、ここでどれがいいかは、俺が決めることじゃないなと思い直す。
渋る俺の様子を見ている父さんたちに、俺は選択肢を語って聞かせて、どれがいいかを選ばせることにした。
俺が森の主になるという選択肢は、意図して伝えないことは、言うまでもなかったのだった。