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二百七十二話 過ぎ去った日々

 行商に教わり辿り着いた場所は、職人が多く住む区画の片隅で、一件のごく普通な住居があった。

 冬から変わったばかりの夏の季節ということもあって、家の扉や木窓は開け放たれていて、その奥から鍛冶作業の音が聞こえてくる。

 前世なら『キンキン』と金を打つ音が聞こえるところだけれど、この世界には鍛冶魔法がある上に、スミプト師匠はその名手なためそんな音はしてこない。

 魔法で柔らかくした金属を錬る際に起こるのは、パン生地や陶芸粘土を捏ねるときのように、作業机が押されて軋む微かな音。

 一定の間隔で繰り返されるその音はどこか聞きなれたもので、懐かしさから、つい顔が綻んでしまう。

 そんな俺の表情が珍しいのか、イアナとチャッコが不思議そうな顔でこちらを見ている。

 放っておいてくれと身振りしつつ、作業音が止んで仕事が一段落するまで待ってから、俺は開けっ放しの扉から家の奥へと声をかける。


「こんにちは。スミプト師匠はいますか?」


 幼い頃と同じ感じで問いかけると、意外な返答がやってきた。


「俺を師匠と呼ぶのは誰だ! 俺はその呼び名が一番嫌いなんだ!」


 不意の怒声に、俺は困惑する。

 事情をあまり伝えず連れてきたイアナとチャッコは、どこか俺を責める目を剥けている。


「バルティニーさん。スミプトって人に、どんなイタズラをしたんですか」

「ゥワフ」


 謝るなら早い方が良いと言いたげに鳴いたチャッコの頭を、俺は力強く撫でて黙らせてから、もう一度屋内へ声をかける。


「スミプト師匠。どうして怒っているんですか」

「だー! 分からねえやつだな! 俺はもう弟子は取らねえって決めてるんだ。師匠なんて呼ぶんじゃねえ!」


 苛立たしげに足音を立てて、スミプト師匠が作業場所から玄関まで出てきた。

 その表情はイライラとしているが、俺にはその理由がよくわからない。

 故郷の荘園では、いつも楽しげにしていたのにと疑問を持ってしまう。

 疑問に思うのはスミプト師匠も同じようで、俺やイアナの格好をジロジロと見てから眉を寄せる。


「その装備ってことは、冒険者だろ。誰かに頼まれて、俺のようなしがない鍛冶師に、嫌がらせにきたのか?」

「そんなわけないじゃないですか。純粋に、スミプト師匠に会いに来たんですよ」

「じゃあ、武器を作ってもらいにきたのか。悪いが、日用品以外は作らないと決めているんだ。帰ってくれ」


 俺の顔を見ながら、帰れと言われたことに衝撃を受ける。

 拒否されたと驚きつつも、冷静な部分で、どうやらスミプト師匠は俺が成長してしまったせいで、誰なのか分かっていないようだと悟った。


「スミプト師匠、俺ですよ。バルティニーです」


 忘れていた名乗りをすると、スミプト師匠は一層眉を寄せて俺の顔を見始める。

 そして過去の俺の顔と共通項を見つけ出したのか、一気に破顔した。


「お前、バルティニーか! おわー、三年しかたってないのに、ずいぶんと大きくなりやがって! 誰だか全く分からなかったぜ!」


 気安い調子で、平手でこちらの肩をバンバン叩いてくる。

 大して痛くもないので平然と受けていると、スミプト師匠が感心したような声を上げた。


「はー。バルティニーは立派な冒険者になっちまったようだな。二つ名はもらったのか?」


 この世界でいう、冒険者で一人前になったのかという問いかけに、俺は苦笑いする。


「なんだか色々とあるみたいです。有名なのだと『鉈斬り』と『浮き島釣り』ですね」

「おお! あの演劇にもなった、有名な冒険者は、お前だったのか!」


 驚きに目を見開くスミプト師匠の言葉に、俺も驚いていた。


「演劇って、なんですか?」

「港町にて悪徳商会の横暴を止め、その際に助けた魚人の少女との種族を超えた愛の物語。いまじゃ旅一座の辻公園どころか、劇場で演者が真剣に演じる演目になってるぞ。それなのに、その演目の中心人物であるバルティニーが知らないのか?」

「生憎、少し遠いところに居ましたので、知りませんでしたね」

「なら、人気の演目で常にこの町のどこかでやっているから、見に行ってみろよ」

「いやですよ。どうせ、俺とかけ離れた感じに脚色されているに決まってますし」


 他愛無い会話で旧交を温めていると、俺の裾が引っ張られた。

 後ろを向くと、イアナの姿。

 スミプト師匠を紹介して欲しいのかと思いきや、その目はなにかしらの期待感で輝いていた。


「……いや、見に行かないからな?」

「ええー、面白そうじゃないですか。バルティニーさんがどんなことをしていたのか気になりますからね。特に、昔の恋人というあたりに!」


 言葉面だけなら昔の恋人に嫉妬しているように感じなくもないが、明らかにこちらを弄って楽しむことが目的だと、イアナの表情は語っている。


「見ても楽しくないと思うけどなぁ……」

「ふふーん。そんなことを言っていいんですかね、バルティニーさんは。それだけ話題の演目なら、顔なじみに会っているテッドリィさんも、その情報は入手しているはずです。そしてテッドリィさんは、その演劇を見る気まんまんになるはずです」

「はずです、はずですって、脅し文句にしちゃ弱いぞ。それに、テッドリィさんは演劇とか好きそうじゃないけどな」

「何を言っているんですか。女性であれば、いまの恋人の過去が知りたいものです。テッドリィさんだって、絶対に見に行きます。そしてわたしは、それについていくんです」


 イアナがいつになく強気で詰め寄ってくるので、その体を手で掴んで止める。


「止めやしないから、後で行ってこい。そんなことよりも――」


 イアナを軽く押し返してから、俺は顔をスミプト師匠へと向ける。


「どうして俺の故郷の荘園を離れて、この町に引っ越してきたんですか」

「……少し長い話になるぞ」


 スミプト師匠は一度言葉を切り、俺たちに丸椅子を勧める。

 全員が腰を落ち着かせると、会話が再開された。


「バルティニーが去ってから少しして、あの荘園でひと悶着が起きたんだ」

「作物がダメになったとか、流行り病で奴隷の人たちが倒れたとかですか?」

「いいや、そんな大層なことじゃない。お前の一番上の兄貴――ブローマインが奴隷の娘に惚れたんだ」


 俺とイアナは、その何が悪いか分からず、二人して首を傾げた。

 ちなみにチャッコは、興味がない様子で床に寝そべって、前足に顎を乗せてくつろいでいる。

 スミプト師匠はやおら頷くと、詳しい説明を始めた。


「ブローマインは荘園の跡継ぎだ。本来なら荘園の経営基盤をより固めるため、他の荘園や商人、もしくは低い位の貴族の令嬢を嫁さんにもらわなきゃならないんだ」

「そうなんですか。あれ? じゃあ、リンボニー母さんもいいところのお嬢さんだったの?」

「嫁ぐ前は、他の荘園のご令嬢だったはずだな。そんな惚気話を聞かされた覚えがある」


 あの恰幅のいい母さんと『令嬢』という言葉がどうしても組み合わず、思考を放棄した。


「その結婚相手の予定が、ブロン兄さんが奴隷の女性に惚れたことでダメになってしまったと」

「そこまで重大なことにはならないはずだったんだがな。悪いことに、もう一人男性の跡継ぎ――マセカルクが意を唱えた」

「マカク兄さんが? 自分こそが跡継ぎに相応しいとか言い出したとか?」

「その通り。ブローマインを使用人の身分に落として奴隷の娘を結婚させ、マセカルクが正式な跡継ぎになっていいところのお嬢さんと見合い結婚するとな」

「そんな話を、父さんが許すはずが――」

「ところがどっこい、マノデメセン――お前の親父はその意見を認めたのさ。なにせブローマインから反対意見が出なかったからな」

「――恋は盲目って言葉があるけどさ……」


 なにはともあれ、いまの荘園はマカク兄さんが跡継ぎとなっているわけだ。


「でもそれと、スミプト師匠がここにいるのに、どんな繋がりがあるんですか?」

「焦るな。ここまでが前置きだ」


 スミプト師匠は腕を組むと、苦み走った表情を浮かべて話を続ける。


「マノデメセンは、マセカルクに未開墾の土地と数組の奴隷家族を与えて、そこの運営を任せたんだ。開墾には道具が必要とあって、俺も色々と道具を作らされたものだ。しかし俺の手は二つしかないからな。畑作業と開墾作業で消耗する道具の修復が、割とギリギリになってきた」


 俺が鍛冶魔法を習いながら手伝っていたときも、スミプト師匠はひっきりなしに鎌や鍬などの畑仕事道具を修復していた。

 そこに開墾作業が加わったとなったら、鍛冶の作業量が許容限界を超えてしまいそうなことは想像できる。


「仕事が追いつかなくなったから、他の鍛冶師を呼び寄せたとかですか?」

「いいや。バルティニーっていう好例があったからな、マノデメセンが俺に、弟子を取れと言って来やがった。その際に俺は、バルティニーぐらいに魔力の扱いが上手いヤツじゃないと教えないと、難癖まがいの条件をつけた」


 無理筋の条件だと思ったが、実はそうでもなかったらしい。


「あの落ちこぼれ魔術師のソースペラの伝手で、条件を突破した奴隷が二人ほど来ちまったんだよ。予想外もいいところだったぜ」

「そうとう優秀な奴隷ですね」

「ああ。かなり高かったらしいぜ。もっとも、魔力の扱いは上手くても、生活魔法が少し使えるだけだったのにな」


 それでも弟子にするには申し分ない人物だったようで、スミプト師匠は渋りながらも鍛冶魔法を教えたらしい。


「あの奴隷たちは、足掛け二年ほど教えて、どうにか実用に足る道具を作れるようになった。さてこれからは、弟子に大筋の仕事を任せて、俺は仕上げを担当すればいいと楽観してたんだ。そうしたら、マセカルクのやつがマノデメセンに要らないことを言いやがった」

「鍛冶魔法が使える奴隷がいるから、鍛冶師のスミプト師匠は必要ない、とかですか?」

「まさにその通りだ。だが、マノデメセンも荘園の経営者だ。れっきとした鍛冶師が荘園から居なくなる危惧は持っていた」


 しかしここで、スミプト師匠が弟子の奴隷たちに熱心に教えていたことが仇となったらしい。


「多少品質は落ちても、使い物になる道具を奴隷たちが作れると分かると、俺は手切れ金を渡されて、おさらばさせられたってわけだ」


 長年仕えてきた人に対して、あまりにも非道に感じた。


「……なんというか。申し訳ありませんでした」

「バルティニーが謝るこっちゃねえよ。それにマノデメセンの気持ちもわかる。俺が無理な条件で弟子を求めたせいで、経営の資金を圧迫させちまったからな。大枚叩いて手に入れた奴隷が役に立つようになったら、余計な出費は控えたいって経営者なら思うからな。もっとも、シューハンのやつは「……いい鏃が手に入らなくなる」って不機嫌だったがな」


 狩人のシューハンさんらしい批判の言葉に、懐かしさから俺の頬が緩んだ。


「事情は分かりました。なにか困っていることがあれば、よろこんで手伝いますよ」

「いや、なにも困っちゃいねえよ。こうして、この町で鍛冶師として腰を落ち着けられているしな。だが強いて言うなら、俺の伴侶になりそうな女性を紹介して欲しいぐらいだ」

「またまた、そんな冗談を」

「いや、割と本気なんだ。まあ、急ぎってほどじゃないけどな」

「生憎と、交友関係が狭いので、紹介できそうな知人女性って人間じゃない人の方が多いんですよね」

「……あの演劇でもそうだったが、どんな冒険を今までしてきやがったんだ?」


 笑顔交じりに会話していると、玄関の方に人の気配を感じた。

 なにげなく振り向くと、布を被せた編み籠を持った女性が一人。

 年齢は俺やイアナと同じぐらいで、愛嬌ある顔立ちをしている。

 その女性は俺たちとスミプト師匠に交互に顔を向けると、気まずそうな表情になる。


「すみません、応接中だとは思わなくて」


 踵を返して去ろうとする女性を、スミプト師匠が呼び止める。


「いや、いいんだ。こいつは俺の弟子で、商売の客じゃねえからな。それで今日はどうした。またあの包丁がダメになったか?」

「あ、いえ。その包丁の刃の調整をしてくれた代金の代わりに、食事を持ってきたんですけど……」

「そうか、助かる! 飯を食いに行ったり、買い出しに出かけるのに、ここは少し不便で困ってたんだ」


 スミプト師匠が招き、女性が家の中へと入ってくる。

 女性は俺を追い抜かし際に、スミプト師匠の楽しそうな表情を見ると、こちらに少し恨めしそうな顔を向けてきた。

 その仕草で、俺はこの女性がスミプト師匠に気があるのだと悟った。

 この直感はイアナも抱いたようで、訳知り顔で口に笑みを浮かべている。

 余計なことはするなと肘で突いて黙らせてから、俺はスミプト師匠に声をかける。


「それじゃあ、俺たちはこの辺で失礼します」

「おいおい、もう少しゆっくりしていったっていいだろ」

「荘園を追い出されたと聞いて、心配できてみただけですから。元気で暮らせているのなら、久しぶりに来たヒューヴィレの町の観光に戻りたいですから」

「そうか? じゃあ、今度時間があるときに、また尋ねてきてくれ」

「はい。それじゃあ、また」

「お邪魔しましたー」

「ゥワフ」


 イアナとチャッコも別れの挨拶をして、俺たちはスミプト師匠の家を後にした。

 その後、道を歩きながら思案する。

 故郷の荘園も騒動の最中なら、家を出た俺が顔を出すと悪影響が現れるかもしれない。

 ここは少し時間を置いて、マカク兄さんが荘園の経営者になった後で里帰りするようにしよう。

 そう決めた俺の心とは裏腹に、現実はままならないものだ。

 ヒューヴィレ観光を終えた俺たちと、宿屋で合流したテッドリィさんが言う。


「喜べ、バルティニー。お前の故郷の荘園に、物資を届けて作物を受け取る行商の護衛仕事が入ったぞ」


 嬉しそうに言うテッドリィさんを見て、俺はここまでの道中で彼女に生まれ故郷の話を寝物語にしていたことを少し悔いたのだった。


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