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二百六十九話 チャッコとの模擬戦・後編

 チャッコが跳びかかってきたのを見て、俺は咄嗟に横に身を投げ出す。


「くぅ――」

「ゥワウ、ウウゥゥ?!」


 牙から避け切った俺の耳に、チャッコの不可思議な鳴き声が聞こえてきた。

 ハッとして後ろを見る。

 すると、チャッコが着地を失敗し、盛大に地面に転がっていた。


「……なにしているんだ?」

「ゥゥウウウ、ゥワウ!」


 こんなはずじゃという感じに鳴いてから、チャッコはよたよたと立ち上がる。

 その様子を見ると、どうやら体に纏った風の魔法を、しっかりとコントロールできていないようだった。

 というか、どうやって風の魔法を習得したんだ?

 崖上から飛び降りるときに、俺が使ったのを見て覚えたっていうのか?

 疑問は残るものの、俺は全身に魔法の水を纏いながら、チャッコに助言する。


「魔法を纏うとき、最初は薄くやったほうが、制御しやすいぞ」

「ゥウワウ!」


 チャッコはひと鳴きすると、向こうから吹きつけてくる風が弱まった。

 ちゃんと俺が言った通りに、魔法の効力を弱めたようだ。

 それで、がぜん動きやすくなったのだろう。チャッコは、その場で軽く飛び跳ねて、動きの調子を確かめ始める。

 その動きはあまりに速く、一瞬残像が見えるほどだ。

 厄介な戦い方を覚えられてしまったなと苦笑しつつ、俺はチャッコを手招きする。


「ほら、かかってこい」

「ゥワウ!」


 呼びかけに応じて、チャッコがこちらに飛び込んでくる。

 その速さは、俺の予想以上のもので、やっぱり一瞬で目の前に現れるぐらいに高速な動きだった。

 だが目に留まらない速さでも、一直線に来ると分かっていれば、防げないこともない。

 ましてや、こちらが反撃することなんて容易い。

 俺は体を極力脱力させながら、纏った水を動かすことで手を振り上げる。

 その動きは、筋肉に依存しないため、チャッコ以上の速さを生み出すことができた。


「てやっ!」

「ゥワウ!?」


 危うく顔を俺に殴られそうになったチャッコは、こちらの胸元を蹴って跳び退こうとする。

 しかし、この体の上は魔法の水が覆っている。

 チャッコの足が触れた瞬間に、その足を絡めとるように水を覆わせる。


「ゥキャウ?!」


 足が俺の胸から離れずに、チャッコは空中でガクッと静止した。

 けれど、そこでみすみすこちらの攻撃を、チャッコは許さない。

 動きを止められた原因を推察したのか、体から周囲に突風を吹き荒れさせてきたのだ。

 その風で、足に絡みついていた水を吹き飛ばしつつ、離脱を図ろうとする。

 けれど、俺だって黙ってそれを見ているわけじゃない。

 先ほどと同じように、纏った水を動かすことで手を素早く振るい、チャッコの体を平手で殴ってみせた。

 チャッコの腹をぐっと押すが、早さを優先したために威力が弱いと、自分でもわかる攻撃だった。

 その結果、チャッコを大きく弾き飛ばしただけに終わる。

 チャッコは飛び退って仕切り直し、十メートルほどの距離を開けて、再び対峙しあう。

 そこで俺は、さっきチャッコに当てた手を上げて、呼びかける。


「一発当てたんだから、こっちの勝ちじゃダメなのか?」

「ゥワウ!!」

「分かったよ。そう大声で抗議するなよな」


 まだまだと言いたげなチャッコは、次にジグザグ移動でこちらに迫ると、俺の周囲を跳びまわって攪乱し始める。

 魔法を使う前の戦いの焼き増しだなと感想を抱きながら、俺は動きを注視していく。

 一秒経つにつれて、チャッコの動きにあった淀みが、段々と取れていくように見えた。

 どうやら、跳びまわって動く間に、チャッコは身に纏う風と身動きを合致させようと試みているようだ。

 上達ぶりが目覚ましなと思いつつ、俺は手を出さずにやりたいようにさせてやる。

 その余裕の態度が気に障ったのか、チャッコは俺の真後ろに回ると、こちらに跳びかかってきた。


「ゥワウウウ!」


 軽く振り返りながら横目で確認すると、高速の体当たりだ。

 何もせずに攻撃を受ければ、俺が地面に盛大にヘッドスライディングしそうなほど、速度と威力が乗っている体当たりだった。

 けれど、物理的な攻撃において、俺が纏う魔法の水は無敵に近い防御性を誇っている。

 少し魔力を融通し、体を覆う厚みを増やすだけで、チャッコの体当たりは小動こゆるぎ程度で済んでしまう。

 この結果に驚き顔になったチャッコは、大慌てで退散しようとする。

 しかも、先ほどの攻防を学習して、水を体に纏わりつかせないように、暴風を体から発しながらの退避だ。

 けれど、俺も長々とこの攻防につきやってやる気はない。

 あまり悠長にしていると、チャッコの動きが目で追えなくなるかもしれないからな。

 俺は体の周りに魔法で新たに風を起こすと、纏っている水を少しだけ混ぜる。

 この二属性の魔法によって、弱めの電撃を生み出して、チャッコに浴びせかける。


「ゥ――キャウゥゥ!」


 パシッと電撃が当たる軽い音の後で、悲鳴が聞こえた。

 体ごと振り返ってみると、チャッコが四肢を振るわせて地面に立つ姿がある。

 その震えは、電撃を食らった後遺症なのか、それとも電撃という道の攻撃を食らったことによる恐怖かは分からない。

 けれど、大分戦う意思を削ぐことができたことは、チャッコの困惑げな瞳を見ればわかった。

 俺は片手を上げると、そこに電撃を生み出して、バリバリと音を立てさせる。


「さてチャッコ。まだ魔法勝負をする気かな?」


 軽く脅し気味に声をかけると、チャッコの顔は葛藤するものに変わった。

 それならと、手に生み出す電撃の威力を、徐々に上げていく。

 最初は火花程度だった光と音がが、段々と強まり、小さな雷かという具合まで増す。

 それを見て、チャッコは降参する気になったようだった。


「ゥワウゥゥゥ……」


 悔しそうな声を出しながら、地面にペタリと全身で伏せ、降参を示す。

 これでこちらの勝利が決まったが、念のために意思確認をする。


「俺の勝ち、でいいんだよな?」

「ゥワウゥゥ」

「俺の実力に、不満や不信はないんだな?」

「ゥワウゥ」

「これからも、一緒に旅するってことでいいんだな?」

「ゥワウ」


 全てに肯定的な鳴き声が返ってきたので、俺は魔法を解いてから、伏せるチャッコの頭を撫でてやる。

 手が触れるとき、ちょっとおっかなそうな顔をしていたのが少し面白くて、俺は微笑んでしまった。

 この笑顔がチャッコにとっては不満そうだったが、勝者である俺に従う姿勢を示すためか、鳴いたり吠えたりはしてこない。

 こうして、勝負の決着はついた。

 俺とチャッコは並び立つと、傍で観戦していたイアナとテッドリィさんに近づいていく。

 さぞかしやきもきか呆れさせたと思っていたのだけど、二人の表情は予想と違っていた。


「ん? どうしたの二人とも。なんだか諦めきったような顔しちゃって」

「だって、ねえ、テッドリィさん」

「ああ、そうだねぇ。なんというか、次元の違う戦いを見せられた気分だよ」

「……そうかな?」


 俺がチャッコと共に首を傾げると、イアナが疲れているような声色で語ってくる。


「あのですね。最初のほうは、なんだかすごい攻防をしているんだなって、理解はできたんですよ。でも、後半のあれはなんですか。バルティニーさんもチャッコちゃんも強そうな魔法使うし。最後なんて、バルティニーさん雷を放っていたじゃないですか」

「ああ、まあ、たしかにそうだな。でも、それがどうしたんだ?」

「非常識だって言っているんですよ! これ、腕試しですよね! 決闘じゃないですよね!」

「腕試しだから、あの程度なんだよ、なぁ?」

「ゥワウ?」


 攻撃する力や魔法の威力を弱めに調整したのにと、俺とチャッコは共に不思議そうにする。

 その俺たちの反応を見て、イアナとテッドリィさんが半笑いになった。


「あれで、手加減していたって言うんですか?」

「本気出したら、どうなるのか知りたいような気がしてくるよ」

「本気っていったら、俺の場合は相手を消し飛ばすことが出来る魔法があるな」


 エルフの集落で空飛ぶ竜に放った、例の光属性を主軸とした複合属性魔法がそれだ。

 チャッコの方はと視線を向けると、実演してみせてくれた。


「ゥワウ!」


 気合一発吠えると、体から風を吹き出し始めたチャッコの姿が消えた。

 一瞬後に十メートルほど離れた位置に出現し、着地の制動に失敗して派手に転がった。

 チャッコは素早く立ち上がると、誇らしげに吠える。


「ゥワウウ!」

「あれで体当たりすれば、大抵の奴は一撃だって感じだね」


 鳴き声を大体の感覚で通訳すると、イアナとテッドリィさんはどうにでもしろという感じの表情をした。


「なんだかバルティニーさんとチャッコちゃんを見ると、地道に努力しても無駄なきがしてきます」

「イアナは馬鹿だねぇ。あいつらだって、ちゃんと努力してあの力を得たんだよ。その努力の仕方が、ちょっとばかり普通のやつとは違うってだけさ」

「そういうものですか?」

「そういうもんだ。冒険者を長く続けていりゃ、あいつらみたいな急激に実力が伸びるやつを見ることなんて、ザラだ、ザラ」


 二人して慰め合っているようなので、そっとして置くことにする。

 その間に、俺は預けてあった荷物を背負いなおしておいた。


「さて、俺たちのことで時間を取らせて、ごめん。じゃあ、次の場所に向かって出発しよう」

「ゥワウ!」

「なんだか、バルティニーさんについていくと、普通の冒険者のままじゃいられない気がしてきました」

「それが面白いんじゃねえか。長年冒険者やってきて、バルティニーとつるむとき以上に面白いことは、滅多に出会えないってもんだよ」

「えー……。わたしとしては、ほどほどに生きられるぐらい稼ぐだけでいいんですけど……」


 先頭を俺とチャッコが進み、イアナが愚痴を言い、テッドリィさんは楽しげな顔つきで、次の目的地までの旅を再開したのだった。



これで、この章はお終いです。

次からは、新章となります。



ですが、申し訳ありませんが、次回更新の日にちを少し開けさせていただきます。


なんと言いますか、およそ一年通して思い付きで更新し続けてきたので、ゆっくりとこの後の展開について考えたく思ったのです。



そのため、次回更新は四月まで飛びます。

もしかしたら、五月に割り込む可能性もあります。


これ以上書かずに打ち切ると将来判断したら、ちゃんと活動報告に上げますので、その点はご心配しないでくださいね。


どうか、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。




ちなみに、自由(邪)神官の、およそ週一連載は続けますので、ご愛顧くださいますようお願いいたします。




ついでに、この場で申し上げます。

テグスの続巻が出ないのかと、私に問い合わせてきてくださる方が、ちょくちょくいらっしゃいます。

大変にありがたいことです。

ですが、こうした質問は作者の私にではなく、書籍の巻末に記載されている編集部あて――テグスの場合なら、ファミ通文庫編集部の連絡先にお問い合わせくださいますよう、よろしくお願いします。


これはなにも私の作品だけではなく、読者さま方のお気に入りの作品にも当てはまります。

次巻が気になっている作品がございましたら、編集部あてに質問を入れてみることをお勧めいたします。


どうか、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。




と、業務連絡が終わったところで、以下おまけの分岐ifエンド話です。


長期休載のお詫びで、二本立てでお送りいたします。




______________________


「えっ?」


 目の前の現実が理解できなかった俺は、跳びかかってきたチャッコの牙が首に突き刺さるのを、間抜け顔で見ていた。


「――ごぼっ」


 急に喉から水がせり上がってきた感じがして、反射的に口から吐き出してしまう。

 いや、水ではない。

 破れた気道から中に入ってきた、俺の血だ。

 不思議と痛みを感じないまま、吐き出した血でチャッコの顔が汚れる様を見る。

 そのとき、チャッコは驚いている顔をしていた。

 どうやら、初めて使うであろう魔法の威力に振り回されて、うっかり俺の首を噛み切ってしまったようだ。

 失血で脳に血が回らなくなってきたからか、その驚き顔が妙に微笑ましく思えた。


「まった、ごほ、仕方ない、ごぼっ」


 俺は口に笑みを浮かべながら、チャッコの頭を撫でる。

 それで遅まきながら、チャッコの牙が首から離れた。

 けどそれは、牙で止められていた血が、首から飛び出る結果に変わる。

 失血で体に力が入らなくなり、俺は地面に倒れた。

 ああ、こんな最後か。

 デカイ男にはなれず終いだったなぁ……。

 少し残念に思いながら、こちらに走り寄ってくるイアナとテッドリィさんを視界に入れつつ、俺は二度目の死を得たのだった。


bad end――気を抜いた代償


_____________________________




 鉱山町を出発しようとして、日が遅いからと俺は一泊宿を取ることにした。

 その日の晩、鉱山町で盛大な一揆が起こった。

 発起人が誰かを、宿で休んでいた俺は知らない。

 しかしその一夜で、マインラ領主――ビータン・マインラ・ウィッカーンの邸宅は暴徒によって打ち壊され、ため込んだ宝石財宝は略奪されたらしい。

 なぜこうも容易く打ち壊されたかは、ビータンが鉱山出入り口に多数の兵を置いていたため、邸宅の守りが薄くなっていたから。

 そして、騒ぎを知ったピータンが兵と共に屋敷に戻ると、身ぐるみはがされた家族が寒空の下に放置されていて、邸宅は火に包まれていたらしい。

 この混乱の中で、鉱山に閉じ込められていた冒険者や鉱山夫たちは外に逃げ出し、それぞれの住処に帰れたそうだ。

 一夜で情勢が一変してしまったことを、俺は翌日に冒険者組合の職員から教えられた。


「それにしても、やけに嬉しそうですね。もしかして?」

「もしかして、なんでしょうか? こちらの予想通りの質問でしたら『そんな、滅相もない』とお答えいたしたく思います」

「まだ、なにも言ってないんですけど、そういうことにしておきますよ」


 なんて職員と会話をしていると、冒険者が数人、組合の中に駆け込んできた。


「あのクソ領主、とうとうイカレやがった!」

「鉱山の外に、宝石ゴーレムをおびき出しやがった。鉱山の出入り口周辺の建物は、めちゃめちゃになっちまった!」

「それだけじゃねえ! 宝石ゴーレムが出入り口までの坑道を広げやがったせいで、他のゴーレムたちも続々と出てきているんだ!」


 その言葉に、居合わせた冒険者たちは顔を青くする。


「おい! ゴーレムの大軍が、町に入り込んできたってことか!」

「そうだ、そう言っている!」

「元凶のクソ領主はどうなった! 戦うにしても逃げるにしても、その前に吊し上げなきゃ、気が済まねえぜ!」

「あのバカは死んだ! 外にでて動きが自由になった宝石ゴーレムに、真っ先に潰されたんだ!」


 混乱が起こる中、テッドリィさんが俺の肩に手を乗せる。


「なあ、バルティニー。アンタなら、この騒ぎを終わらせられるんじゃないかい?」

「出来なくはないかな。宝石ゴーレムにしても、ゴーレムにしても、魔法で倒せない相手じゃないし」

「ならさ、これはアンタが目標を達成する絶好の機会だよ」


 意味深に語ったテッドリィさんは、次に組合内に木霊するような大声を上げた。


「よく聞け、お前ら! ここにいるバルティニーは、鉈の一撃でオーガを殺し、腕一本で島ほどもある巨大な魔物を吊り上げる、歴戦の猛者だ! ゴーレムごとき、何体出てこようと、ものの数じゃないと仰せだぜ!」


 いきなり何を言い出すのかと、俺が目を白黒させている間に、状況は次に進んでいた。


「オレ、知っているぞ。オーガを殺した、鉈切りの噂」

「それを言うなら、一人で綱を引いて、小山ほどもある魚の魔物を吊り上げた話だって有名だ」

「それの噂の張本人が、あの若いヤツだってのか?」

「馬鹿、侮るな。あの人は唯一、この周辺のどこかから獲物を持ってくる、凄腕狩人だぞ。その二つの噂の主としちゃ、納得がいく人だぞ」

「それなら、もしかして、大軍のゴーレム相手だって……」

「そうだぜ。倒せないはずがないだろ……」


 なんだか変な風に期待されているなと思っていると、背中をテッドリィさんに押されて、一歩前に出てしまう。

 その途端に、冒険者たちは俺の言葉を待つかのように、一様に口を噤んでしまった。

 なんだか上手く乗せられた感じがあって癪だけど、迫る危機に対応しないわけにもいかない。

 俺は鉈を抜くと、真上に掲げる。


「分かった。お前らの期待通り、俺が外に出てきたゴーレムを退治してやる! それも、今日一日でだ!」

「聞いたか、一日でだってよ!」

「他の人なら法螺だと笑うところだが、だが見てみろ、あの自信ありそうな顔を」

「こりゃあ、期待できるんじゃねえか?」

「よっし。それならオレたちは、あの人が戦い易いように、人々の避難誘導することにしよう」


 俺の啖呵で話は一気に進み、あれよあれよという間に、俺は二十体は居そうなゴーレムたちの前に立つことになった。

 俺の隣にいるのは、チャッコ一匹だけ。他に仲間はいない。

 ちなみに、イアナとテッドリィさんは他の冒険者と共に、避難誘導を行っている。


「バルティニーさんですから、ゴーレム相手でも心配してません!」

「他の奴に邪魔させないから、バルティニーは思いっきりやればいいんだよ」


 なんて俺のことを信じているととれる言葉と共に、送り出してくれた。

 その期待に応えるためにも、俺はゴーレムを駆逐することにする。

 魔法で鉄の素材が変化するからと出し惜しみすることはせず、両手に一本ずつ鉈を持つ。

 そして片方には火を、もう片方には水を纏わせ、チャッコと共にゴーレムの群れへ突っ込んでいった。





 懐かしい思い出を夢に見て、俺は目を覚ます。

 冒険者時代には考えられない広い寝室を目に入れながら、ベッドの上で上体を起こす。

 チェストテーブルの呼び鈴を摘むと、軽く一振り。

 澄んだ甲高い音が響き、隣の部屋から白髪交じりの使用人が現れる。


「領主さま、おはようございます」

「おはよう。少し起床には早いようだが、朝の準備はできているか?」

「はい。準備万端、滞りなく」

「そうか。今日は人と会う約束はないから、楽な服装にする」

「畏まりました。ご用意いたします」


 恭しく頭を下げて、使用人は出てきた扉から戻っていった。

 俺はベッドから降りると、窓際に近寄り、かかっていたカーテンを開ける。

 ガラス窓から見えるのは、断崖絶壁の鉱山がある町並み。

 夢でも見た、あの鉱山町だ。

 そう、俺はあのときゴーレムの群れを倒したことで、この場所の領主となった。

 本来なら望むべくもない展開だったが、ビータンが死に、その家族もゴーレムに追い立てられた暴徒によって殺されたことから、白羽の矢が功績を上げた俺に当たったのだ。

 冒険者たちから降って湧いたような幸運だとはやされたが、誰かの意図をいまでも感じている。


「まあ、前の領主に比べたら、俺がなったほうがよほどましだと、その誰か思われたんだろうな」


 ため息交じりに、窓の外を見る視線を鉱山の上――崖上の森へと向ける。

 領主となり様々な雑務をこなすようになって数年経ち、あそこでチャッコやイアナ、テッドリィさんと共に、狩りに行った時間が懐かしくなっている。

 もっとも、あそこにはたまに狩りには出かけるので、皆で一緒に行動していたことが懐かしいだけだ。

 そう。今では、あの二人と一匹と共に、狩りを行くことはなくなっている。

 チャッコは、俺がここの領主になった直後に、どこかに去って行ってしまった。

 きっといまは、黒蛇族がいる森で元気に暮らしているだろう。

 そしてイアナは、俺の下で二年ほど修行を積んでから、一流冒険者として別の土地へと旅立っていった。

 テッドリィさんはというと。

 回想の途中で、俺はベッドに視線を向ける。

 そこには幸せそうに眠る、テッドリィさん――いや、俺の妻の姿がある。

 その姿に微笑むと、使用人が部屋に入ってきた。


「お待たせいたしました。領主さま、奥さまは起こしになられますか?」

「いや、寝かせてやってくれ。昨日は狩りに共に出かけた後で、一晩中一緒したから疲れているだろうから」

「畏まりました。ですが、その愛情の一欠けらでも、他の奥様方にお与えくださいと、僭越ながらご忠告いたします」


 言われたくないことを言われ、思わず俺は渋面を作る。


「領地で採れる宝石と、売却益で買った俺の子爵位が目当てで、貴族の家から送り込まれた人たちにか?」

「皆さま、領主さまを愛そうとなさる、健気な方たちばかりではございませんか」

「それは分かっている。だからこそ、扱いに困るんじゃないか。その中には、前の領主が平民に産ませた娘だっているんだぞ」

「あの方だって、引き取ってくださった領主さまに、ぞっこんではありませんか。それこそ、お抱きになった翌日は、この世の春を謳歌するかのような、とても幸せそうな笑顔をなさいますよ」

「……そこまで慕われる覚えがないんだがなぁ」


 苦い顔で受け答えしながら、使用人の手を借りて、俺は着替え終わる。


「その話はまた後にしよう。それで、領地の状況の報告書は上がってきているか?」

「それはもう。下手なことを書けば、領主さまがすっ飛んでいって現地でお調べになりますからね。とても真摯で丁寧な文章でございます」

「今年の畑の実りは、冬を越せそうか?」

「それはもちろん、平気でございます。領主さまが上に立たれてから、食糧を輸入してくれないと、アリアル領から苦情がくるほどです」

「それで結果的に宝石の流通を制限することになり、マインラ領の宝石の価値と収益率が上がることになったので、聞く気はないな」

「宝物庫に唸るほど宝石がございますのですあから、多少手心を加えられては?」

「加えるのなら、アリアル領だけでなく、他の領主にも融通を利かさないといけない。まったく、これだから貴族の付き合いというのは、肌に合わない」

「まあまあ。宝石爵と名高い領主さまが、貴族の肌でないとしたら、いったい誰が貴族の肌をお持ちなのでしょうか」

「そりゃあ、生まれ持っての貴族たちが持っているだろう。俺はしょせん『いくらでも出てくる宝石』で、地位を買った成り上がりものだ」

「またまた、ご謙遜を。前に行われた貴族の集いで、ご婦人に立派な方と好況だったと耳にしておりますよ」

「付け焼刃が当たっただけだ。娘を押し付けようとする人の対処に、難儀させられた覚えしかない。結納金は大きな宝石一つでいいからとな」

「領主さまがおもてになられると、領民としましては鼻が高こうございます」


 なにを言っても、暖簾に腕押しな使用人なので、会話を切り上げることにした。


「なにはともあれ、いまは領地領民を富ませることに、心血を注ぎたいものだ」

「でしたら、いつものように大粒の宝石を王城にお送りなり、減税を求めなさいませ」

「研磨は王家お抱えの職人に、付け届け付きで依頼するんだろ」


 分かっていると身振りして、俺は執務室へと向かう。

 机に積まれた報告書を手に取りなあら、用があれば呼ぶと身振りして、使用人を下がらせる。

 そしていまだに精度を保っている気配察知で、周囲に誰もいないと探ってから、机の引き出しから拳より一回り大きな石を取り出す。

 片手に持ちつつ、魔法でそれを宝石に変えていく。

 そして逆の手で、報告書を捲って領地の状況を見ていく。

 読み終わる頃には、十個ほどの大粒の宝石が机の周りに転がっていた。


「これらは後で、宝物庫に放り込んでおくとして」


 作り上げた宝石を袋の中に入れてから、机の下に隠し、呼び鈴を鳴らす。

 現れた使用人に、どこの村にどんな指示を出すか伝えて下がらせると、鉱山町の領民から寄せられる要望に目を通すことにしたのだった。




――宝石爵バルティニー end

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[気になる点] イアナが愚痴を言ってますが、この子独り立ちして一流の冒険者になれるのか? いつもながら、ifのお話も面白いですがifだからこそのエンドですね。
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