二百六十二話 坑道の中
「グンツ、いる!?」
店の扉を開け放ちながら問いかけると、カウンターの向こうに驚き顔のグンツがいた。
「お、おう、お前か。宝石の加工はできているぞ。それにしても、大きな音を立てて入ってくるなよな。てっきり強盗かと――」
「宝石と話は後で。坑道の地図持っていないか。あるなら貸して欲しいんだ」
「おいおい、落ち着けよ。なんでそんな慌てているんだ?」
不思議そうにするグンツに、事情を手早く掻い摘んで話した。
「――あのアホ領主め。いつものことながら、変な方向に突っ走りやがって」
渋い顔で呟いたグンツは、カウンターの下をごそごそと手で探り始める。
少しして、畳まれた紙を取り出し、こちらに差し出してきた。
「少し古いものだが、坑道の地図だ。紛失や盗難されたさいの担保に、お前の宝石は預かったままにするからな」
「ありがとう。それじゃ――」
「待て待て。地図だけ持ったところで、坑道に入ったら領主の手下に鉢合わせして、通れなくなるぞ」
グンツはこちらを呼び止めながら、地図を開くようにと身振りしてくる。
俺は素直に従って、地図をカウンターに広げた。
グンツは地図の道に指を這わせながら、口元をニヤつかせる。
「宝石加工の仕事をやっているからな、宝石ゴーレムの話もちょっとは耳に入ってくるんだ。その情報から考えると、お前の仲間はこの道を行くはずだ」
グンツの指が辿る行程は、出入り口から太い道を進んで坑道の奥へ。
そして、ある場所で指を止め、その周辺を巻き込むように、丸く円を描く。
「この辺りで、宝石ゴーレムと戦っていると思う。そして領主の手下どもも、ここを目指して進んでいるはずだ。かなりの大人数ってことだからな、この太い坑道は人であふれかえっているだろうな」
もしグンツに呼び止めてくれなかったら、いざとなればチャッコの嗅覚頼りに行けばいいと考えていた俺は、指摘通りに足止めさせられていたことだろう。
「そうなっていると考えると、俺は坑道を進む人たちと鉢合わせしない道を選んで、助けに行かないといけないわけか」
「その通り。そのためには、少し遠回りにはなるが、入り口すぐの脇道に入って細い道を通って行かないといけない」
グンツの指は言葉通りに細い道を選んで進み、宝石ゴーレムが居そうという場所を回り込むような道順をなぞる。
「この道だと、恐らく宝石ゴーレムの背後に出ることになる。状況を見て、仲間の確保を優先するか、ゴーレムを倒すか考えろ」
「貴重な情報、ありがとう。仲間に犠牲が出ないように、急ぐとするよ」
「無事に戻ってこいよ。預かった宝石を磨いたってのに、披露する前に死なれちゃ、目覚めが悪いからな」
軽い冗談を言うグンツと別れ、チャッコを連れて鉱山へと向かった。
鉱山の出入り口に到着すると、周囲には鉱夫らしき人たちがたむろしていた。
「食料が隣の領地から来そうだから、ひと稼ぎしようとしたってのによ」
「武器を持った大勢の奴隷に入られちゃぁ、仕事にならねえよな」
「俺っちなんて、出ていけって脅されたんだぜ」
口々に愚痴を言う彼らを横目に、俺は坑道に入る。
岩の粉、人の汗と燃える油の匂いが混ざった空気が、坑道の中から緩やかに吹き抜けてきた。
先を見やれば、剥き出しの岩肌の壁に油性ランタンが下げられた、三人は並んで歩けそうな太さの坑道が先まで続いている。
その奥から、岩壁に反射して異様な響きとなった、大勢の人の足音らしきものが聞こえる。
耳をすましてみると、その音の中に金属物――おそらく武器が鳴る音が混じっていることに気づけた。
戦う音がないことから、まだ宝石ゴーレムのいる場所まではたどり着いていないようだと察する。
俺は出入り口付近で地図を広げ、グンツの指で示してくれたルートを頭に叩き込む。
「チャッコ、こっちから行くから」
「ゥワウ?」
俺が一人がやっと通れるような細い脇道に入ると、チャッコは不思議そうに首を傾げ、太い坑道の先に視線を向ける。
恐らく、イアナとテッドリィさんの匂いが、その先にあると言いたいんだろう。
大勢の奴隷が坑道を進む中で、二人の匂いを感じ取れた嗅覚に恐れ入るが、今回ばかりはその鼻に従うわけにはいかなかった。
「こっちの方が、結果的に早道なんだってさ」
「……ゥワウ?」
チャッコはいまいち納得がいっていない様子のままに、俺の後についてくる。
そのまま細い坑道を進んでいくが、本道ではないからか、絞られた灯りは弱々しく、そもそも数がかなり少なかった。
それこそ道先案内のように、かなり間隔を空けてポツリポツリとあるだけだ。
そのあまりの暗さに、森で暮らしで夜目が鍛えられた俺でも、近くしか見通せないほど暗い。
仕方なく、生活用の魔法で指先に火を灯して進むことにした。
すると、周囲の岩壁が火の光によりキラキラと光り出す。
そんな一種幻想的な坑道の中を、俺は急ぎ足で進みながら壁を横目で観察する。
何かしらの鉱物が岩壁にあり、それが光りを反射しているようだった。
軽く掘れば手に入りそうなのに、こうして放って置かれているのは、大して価値のないものだからなのだろう。
分かれ道にきたところで、キラキラと光る壁のことを気にすることを止め、地図を広げて道順を再確認する。
その際に、壁に反響して運ばれてきたと思われる、微かな足音と人の声が耳に入ってきた。
「なんだって、ゴーレムなんかと戦いに行かないといけないんだか」
「倒して宝石を取ったとしても、俺たちの奉公年月が短縮するわけでもあるまいしなぁ」
「このクソったれな首輪のせいで、オレたちには戦う以外の選択肢はないんだ。生き残ることに力を注ごうぜ」
話の内容から、領主が送り込んだ元盗賊の奴隷たちの声のようだ。
地図上では離れた場所にいるのに、ここまで聞こえてくる大声でしゃべっているってことは、きっと大勢集まって気が大きくなっているんだろう。
これが森の中だったら、魔物に襲ってくれと言わんばかりの状況だな。
そう苦笑いしかけて、近くに気配があることに遅れて気づく。
ハッとして顔を向けると、少し先の曲がり角から、ゴブリンが数匹現れた。
そいつらはこちらを見て、なにか声を上げようと口を開きかける。
それより前に、俺とチャッコは駆け出して近づき、素早くゴブリンたちを始末した。
「チッ。坑道だと、森や町中と同じようには、気配察知ができないのか」
自分の落ち度に舌打ちしながら鉈を仕舞うと、奴隷たちの声がまた聞こえてきた。
「おい、なにか戦う音がしなかったか?」
「オレたちの足音が、壁に当たって帰ってきた音じゃないか?」
「お前の心配通りに、魔物が外に通じる穴から入ってきていたとしてもだ。五十人近くいるオレたちの敵じゃないだろ」
警戒する素振りのない声に、ひとまず安心する。
そして俺は、森と同じように気配察知が利かないようなので、俺は鉈を片手に持ちながら坑道を進むことにした。
やがて奴隷たちの声と足音が聞こえなくなり、人気のない静けさに、俺とチャッコの足音と息遣いだけが響く。
それから何度か道を曲がり、地図に記載がない横道を無視して、奥へ奥へと足を運ぶ。
しばらくして、不意に聞きなれたイアナとテッドリィさんの声が、小さく俺の耳に入ってきた。
「テッドリィさん、偵察どうでしたか?」
「この先に宝石のゴーレムがいるねぇ。つーわけでだ、あたしらはここで退路の確保をしておくよ」
二人の声の後に、聞いたことのない人たちの声が続く。
「よっしゃ。今日こそは、宝石ゴーレムを倒して、大金を手に入れるぜ」
「遠くの村じゃ、ゴーレム退治に魔導師が出張ってきたって聞いたからな。早めに倒すことにこしたことはないな」
「当たり前のことだけど、命が第一だ。手に負えないようなら、諦めて撤退だぞ」
「分かってるって。でも、岩砕きの大金槌を用意してあるからな。宝石で体が作られていたとしても、砕く自信があるぜ」
「それじゃあお二人さん、行ってくるよ。朗報を待っていてくれたまえ」
軽い調子ながら真剣みが感じられる声の後で、歩き出す足音が聞こえた。
イアナとテッドリィさんと別れた様子に、今のうちに合流しようと、俺は地図を広げて道を確かめる。
声が聞こえたからには、二人のいるところと通じる道があるはずだ。
しかし、グンツがくれた地図には、どこにもそれらしい道はない。
少し古いと言っていたから、記載漏れがあるのかもしれない。
もしかしたら、空気穴でつながっているだけで、道はないのかもしれない。
一縷の望みで、チャッコに視線を向けるが、イアナたちがどこにいるかは良く分かっていない様子だった。
確証もなく道を逸れると迷子になる可能性があるため、俺は後ろ髪を引かれる思いながら、グンツに教わった道順を辿ることにした。
少し進んで、イアナとテッドリィさんの声が聞こえなくなり、少し不安に思い始めた心を押し殺しながらだ。