二百五十七話 お湯で身綺麗に
単なる石を宝石に変える実験をしながら待っていると、鉱山で護衛をしていたはずのイアナとテッドリィさんが戻ってきた。
「お帰り――って、二人ともかなり汚れたね」
見ると、顔や手足、そして髪すら土濡れになっている。
それなのに、不思議と毛皮の外套は綺麗なままだ。
「外套が汚れるのが嫌で、脱いでいたのか?」
聞くと、テッドリィさんが外套を脱ぎ捨てながら愚痴り始めた。
「坑道の中は暖かくて、外套なんて着ちゃいられなかったんだよ。お陰で、汚れずに済んで万々歳だけどね。けど体の方は、こんな有様になっちまったよ」
外套を取り払った彼女の体は、汗と土が混ざった物体で汚れきっていた。
隣で同じように外套を脱いだイアナも、ほぼ同じ格好だ。
そんな二人の様子に、チャッコが嫌そうな顔で少し距離を空け、俺は苦笑いする。
「二人ともそんな格好じゃ、休むに休めないでしょ。水を魔法で出してあげるから、身綺麗にしたら?」
「こんなになっちゃ、濡れ手拭いじゃ追いつかないよ」
「そうですよ。髪の間にも土が入って、じゃりじゃり言っているんですから!」
イアナが頭をこちらに近づけてくる。
言っていたように、髪の奥深くまで土が入り込んでいて、頭皮が汚れていた。
見ていると、鼻に汗と土が混ざった臭気がやってもきた。
腐葉土を間近で嗅いだような感覚に、思わず顔をそむけそうになる。
「言いたいことは分かった。タライを仮に行ってくるから、革鎧とかを拭いて待ってろよ」
俺はイアナの頭を押し退かし、宿屋のカウンターへ向かう。
店主に事情を話して、出来るだけ大きいタライを貸して貰った。
「体を洗う気なら、何往復もしなきゃいけないから、寒くても井戸の側でやった方がいいとおもうぞ」
「その点は大丈夫です。水を出す魔法が使えるので」
タライを借り受けながら受け答えすると、驚き顔になった店主が一つ提案をしてきた。
「なあ、物は相談なんだが。水瓶に水を入れちゃくれないか? 引き換えに宿代はタダにしてやるから」
「それならお安い御用です。けど、井戸があるなら必要ないのでは?」
「寒空の下で水を汲んで、ここまで運んで水瓶に貯めるのは重労働なんだぞ。それに食料が少ないこの時期じゃ、汗が冷えて風邪でもかかったら、死の危険すらあるんだからな」
店主は事情を言い終わると、頼んだぞと水瓶のある場所を指してきた。
後でと約束し、俺はタライを持って部屋に入る。
そこで目に飛び込んできたのは、全裸になっていたテッドリィさんの姿だった。
こちらに一目向けると、外した革鎧を手ぬぐいで磨きだす。
「なんだ、バルティニーかい。寒いから、さっさと扉を閉めてくれよ」
「扉は閉めるけどさ――なんか反応が淡白過ぎない?」
「きゃー、おとめのやわはだをみるだなんてー。って恥ずかしがるように、あたしが見えるかい? それに、アンタにはさんざん見せてきただろう?」
それもそうだけどと、ちょっと釈然としない気分のままに、タライを部屋の中に置いた。
その際に、イアナはどうしているのかと顔を向ける。
彼女も全裸で、服を着たままの状態で、棍棒で外套を叩いて細かい土を落としていた。
以前もイアナは、俺に裸を見せることに抵抗がない様子だったので、そんな予感はしていたけど……。
「どうかしましたか?」
不思議そうに見返してきたので、なんでもないと身振りする。
俺の感情はさておき、二人の体を洗っていかないといけない。
「それじゃあ、ちょうどよく裸になっているテッドリィさんから、洗っていこうかな」
「よっし。頼むぞ、バルティニー」
タライの中で座ったテッドリィさんの頭に、俺は手をかざした。
火と水の属性を混ぜた生活用の魔法で、掌から少量ずつお湯を出していく。
頭にお湯がかかると、テッドリィさんが驚いたような声をだす。
「ぷぁ!? 水がくるかと思ったら、お湯!?」
「あれ? 熱かった?」
「いや、魔法でお湯が出せるなんて初めて知ったから、驚いただけだよ」
「あー。エルフの人たちに教えてもらった方法だから、普通の人は使えないのかもね」
「そうなのかい。なんにせよ、冬に温かく体が洗えるのはいいことさ」
テッドリィさんは笑うと、頭皮から土を追い出すように揉みながら洗っていく。
髪が洗い終われば、今度は体を濡れ手ぬぐいで擦り洗いし始めた。
「いやー、お湯で洗うと汚れがすぐ落ちていいねぇ。冷たい水だとこうはいかないよ」
「大きな樽や甕さえあれば、お風呂だってできるんだけどね」
「前に実際にやったような口ぶりだねぇ?」
「ちょっと前に、イアナと家で暮らしていたときにやったんだよ。気持ちよかったよ」
「へー、そうなのかい」
理解した口ぶりの後で、テッドリィさんは目をイアナに向ける。
その視線をどう受け取ったのか、イアナは慌てて弁明を始めた。
「別に、一緒に入ったりとかしませんでしたから! 水甕ですから、一人しか入れませんでしたし!」
「……なに変に焦っているんだか。あたしは風呂ってやつの感想を聞きたかっただけだよ」
「え、はい。お風呂は、気持ちよかったですよ。ついつい長湯したくなります。でも、外に出たときが寒いんですよねぇ」
「ふーん、なるほど。鉱夫の護衛は続ける気だし、二人入れるような大樽を買っても、損はないだろうねぇ」
テッドリィさんはそんな予定を立てると、濡れた体を絞った手拭で拭いてから、タライの場所を開けた。
「ほら、イアナ。次はアンタの番だ」
「はい。じゃあ、お邪魔しまーす」
テッドリィさんに続き、イアナもタライの中に入った。
そしてお湯を掛けようとして、タライの用量がいっぱいになりかけていることに気づく。
俺は少し考えて、押しかけ弟子であるイアナならいいかと、ある方法を試すことにした。
「イアナ。目を瞑り、両耳の穴に指を入れて塞いで、息を止めてみて」
「? 意味が分かりませんが、やってみますね」
素直に従ってくれたイアナに、俺はエルフの人たちが衣服を洗濯する魔法を応用して使ってみた。
イアナの全身が球状の新しいお湯に包まれる。
そしてすぐに、速い水流が彼女の全身を洗っていく。
その感触がくすぐったいのか、イアナは目を閉じたまま体をくねらせ、口の端から空気を漏らしている。
一分ほど待ってから、魔法を解除してみた。
すると、すっかり全身が綺麗になったイアナが現れた。
その出来栄えに満足していると、閉じていた目を見開き、イアナがお湯を滴らせながら詰め寄ってきた。
「バルティニーさん! 変な魔法を使うなら、ちゃんと事前に説明してからにしてください!」
「悪い悪い。でも綺麗になったろ?」
「そういう問題じゃないんです! もう!」
一通り起こったイアナは、なぜか気恥ずかしそうに股間と胸元を押さえながら、タライから出ていく。
理由がわからずに首を傾げかけて、そこにテッドリィさんの拳が頭に直撃した。
「痛ッ!? なんでいきなり殴られたの?!」
「お湯とはいえ、女性の体を揉みくちゃに洗うんじゃないよ。まったく、夜のときは優しいってのに、他じゃ気遣いが足りないんだからねぇ」
要領を得ない発言に、俺は首を傾げてしまう。
すると、テッドリィさんとイアナが肩をすくめる。
「まあ、バルティニーも十代の若造だから、黙って悟れって方が酷な話か」
「とても頼りになるいい人なんですけど、ところどころで配慮が抜けているんですよね」
女性同士で通じ合っている様子に、ますます俺は首を傾げざるを得なくなってしまったのだった。