二百五十話 崖下へ戻る
一夜明け、近くに飛んできた鳥を獲って、イアナとテッドリィさんと共に食べる。
初めての夜の森で、昨日の夜は少し取り乱していた二人。
けど、ちゃんと眠れはしたようで、元気そうに焼いた鳥を食べている。
そしてチャッコはというと、さっと草むらに入ってから少し時間を置き、口を真っ赤にして戻ってきた。
自分で狩りをしたからか、とても満足そうに尻尾を振っている。
そんな朝食を終えて、テッドリィさんが質問してきた。
「今日は、アンタが昨日狩った獲物を、下に運ぶんでいいんだよな?」
「そうだね。とりあえず、これだけあれば十分だろうからね」
「内臓を抜いた鹿が三匹、蜘蛛魔物の脚が七本。野草や薬草たくさん。そしてダークドッグと、オオトカゲの魔物が一匹ずつ。イノシシ一匹で大喜びしていた鉱山町に持って行ったら、それこそ救世主のように崇められるんじゃありませんか?」
「大袈裟だろ、それは」
苦笑いして返すと、イアナが小首を傾げた。
「でも、こんな大量の獲物、どうやって下まで運ぶんですか? ここに来るまでと同じで、崖にへばりついていくんじゃ、こんなに多くは持って行けませんよ?」
その心配は確かに当たっている。
一歩間違えれば崖下に真っ逆さまな状況で、一匹何十キロはありそうな獲物を大量に運んではいられない。
そんな当たり前に抱く疑問に、テッドリィさんが良い案を思いついた顔で口を開く。
「先に崖下に投げ落として、後で回収をすれば――って、下にゃ飢えたゴブリンどもがうようよいるんだったね」
「第一、この高さから落としたら、肉がぐちゃぐちゃになっちゃうから駄目だよ」
「それもそうか。それで、バルティニーにはいい考えがあるんだろ?」
もちろんある。
「普通にやるなら、太い木に括りつけた縄や編んだ蔓で、崖下まで下りる方法だろうね」
「なるほど。それなら、重たい荷物を持っていても、滑り落ちる心配だけすればいいですもんね」
イアナは納得した顔を仕掛けて、また首を傾げる。
「普通にやるならって、いいましたよね。ということは、違う方法で下りるんですか?」
「まあね。崖下まで届く縄は用意してないし、蔓を編んだりするのは面倒だからね」
「……なんだか、とっても嫌な予感がしますが、どんな方法で下りるんですか?」
「単純に、荷物を抱えて飛び降りる」
俺があっさり気味に言うと、イアナが苦笑いで首を横に振る。
「またまた、冗談を言わないでくださいよ。こんな高さから飛び降りたら、地面についた瞬間にひき肉になっちゃいますよ」
高層ビルの屋上から飛び降りるようなものだから、そうなってもおかしくはない。
けど、こちらがなんの目算もなく、飛び降りると言ったわけではない。
「なにも、生身で飛び降りるってわけじゃないよ。ちゃんと魔法を使って、安全に着地する予定」
「魔法ってことは、バルティニーさんが獲物とわたしたちを抱えて下りるってことですか?」
頷くと、イアナの顔が真っ青になった。
「バルティニーさんの魔法の腕を疑問視するわけじゃないですけど、そんなこと出来るんですか?」
「簡単だ。崖を飛び出せば、あとは風の魔法で、緩やかに下りて行けばいいんだからな」
エルフの集落で学んだことを活かせば、それぐらい簡単に出来る。
前に俺が戦った魔導師が自力で飛行できていたぐらい、風の魔法で飛んだり浮いたりするだけの難度は低い。
アリクさんがやっていたように、自由自在に速度や高度を変えたりするようになると、一気に難易度は上がるけど。
「飛び降りるぐらいのことは、大丈夫だ」
そう断言すると、イアナは頭を抱え、テッドリィさんは笑顔になる。
「ああ……。高いところ、怖いって言ってあったのにぃ~~」
「あはははっ。やっぱり、バルティニーといると刺激が有り余って、飽きたりしないねぇ」
「笑い事じゃないですよぉ~。こんな高さから飛び降りるだなんて……」
「まあまあ、何ごとも経験だよ。案外、ここから飛び降りた経験で、高いところが苦手なの平気になったりするんじゃないかい?」
「ううぅぅ……。より悪化するような気がしますよぉ~」
イアナは渋っているけど、二人とも飛び降りることは受け入れてくれたようだ。
そうと決まればと、俺は早速飛び降りる準備を始めることにした。
大荷物を三人で分けて抱えると、崖の端に立つ。
俺は腕をそれぞれ、イアナとテッドリィさんの腰を持つようにかける。
一方で、二人は俺の首に抱き着くように腕を回してもらった。
ちなみにチャッコは、俺の荷物の上に寝そべ乗っている。
このとき、イアナが崖下を覗いてしまい、腰砕けのように座り込みそうになる。
「ああ、あの、やっぱり、飛び降りるのは――」
「ここまで上ってきたのに、いまさら崖下を怖がって、どうするの、さっと!」
苦情を聞かずに、俺は二人を抱えて空中へと飛び出した。
崖下から吹き上げる風が、衣服をはためかせ、バタバタと音を立てる。
その音に負けないように、テッドリィさんが楽しそうに、イアナが悲痛な感じで大声を上げた。
「いいぃはあああああ! 空を飛ぶってのは、爽快だねええええ!!」
「いいぃやあああああ! 地面がない、地面が遠い!! 死ぬ、死んじゃううう!!」
二人の声に鼓膜を揺すぶられながら、崖の中ほどまで自由落下する。
その後で、風の魔法を使って徐々に落下スピードを緩めていく。
この緩やかな制動を感じられなかったのか、イアナが大喚きする。
「バルティニーさん、バルティニーさん! 魔法、魔法を使ってください! このままじゃ、死んじゃいますよ!!」
「ちゃんと魔法使っているって。ちゃんと無事に下りられるから、落ち着けって」
「絶対嘘です! こんなに早く落ちているじゃないですかーー!!」
ぎゃんぎゃん騒ぎながら、俺に抱き着く腕の力を強めてくる。
それどころか、足をこちらの下半身に絡めてもきた。
そんなに怖いものだろうかと、思わず首をかしげたくなる。
けど、俺が余裕なのは、自分の力という信じられるもので、空中を下りているからだなと考えを改めた。
「ほら、あと三十も数えれば、地面につくから」
「三十ですね! いーち、にー、さーん――」
イアナは目を瞑り、数を読み上げ始めた。
大人しくなったことにほっとして下り続けていると、二十秒ぐらいで崖下についてしまった。
テッドリィさんは楽しかったと言いたげな顔で、チャッコは欠伸をしながら俺から離れる。
だが、イアナは俺に両手両足で抱き着いたままだった。
「ほら、地面についたから。離れろって」
「いやです。三十まで数えます! にじゅうにー、にじゅうさんー」
本当にきっちり三十まで数えてから、イアナは目を開け、恐る恐るという感じで地面に両足を着けた。
土の感触を確かめるように足踏みしてから、盛大に安堵の息を吐いた。
「あああ~~~、よかったよぉ~。地面だ~~」
安心感からイアナは座り込みそうになり、その途中で内股の格好で固まった。
そして縋るような顔を、テッドリィさんに向ける。
俺は意味が分からなかったが、テッドリィさんは理解したようだった。
「まったく、しょうがないねえ。ほら、荷物を下ろしな。そんで手を引いてやるから」
「お、お手数をおかけしますー」
「声を出さなくていいから、しっかり堪えているんだよ」
二人してゆっくりと森の茂みに入る。
それからすぐに、水を地面にかけるような音が聞こえてきた。
そこでようやく事情を察した俺は、何も聞いていないと装うために、退屈げなチャッコの全身を撫でてやることにしたのだった。