二百四十六話 町と岩壁の様相
森の中を歩き回り、チャッコに鼻を使ってもらって、ようやくイノシシを一匹だけ仕留めることができた。
冬に入ってまだ浅いこの時期は、脂が乗っていて美味しく肥えているはずだった。
それなのに、獲ったイノシシは冬を越し終わった後のように、痩せている。
「これはもう、食べ物が本当にないんだろうな……」
森で野草を見つけられないのも、崖上に行けない魔物や野生動物が食いつくしてしまっているんだろう。
ここまで深刻だと、アリアル領にゾンビが出たから不猟になっている、というわけじゃないはずだ。
マインラ領に住む人と野生動物、そして魔物が長年かけて森の恵みを越冬のために取り続け、いよいよ次代に育つ分まで食べてしまった結果、こうして枯渇してしまったんだろう。
もしかしたらだけど、ここの森の主は食料が必要ない魔物で、森に恵みをもたらす力を、自己強化に当てている可能性もある。
どちらにせよ、この森の中で食料を得るには、他の地域の森に比べて十倍以上は苦労しないといけないことは間違いない。
これ以上の食料探索は無駄と判断して、全員で鉱山町に戻ることにした。
痩せたイノシシを担いで運んでいると、周囲のざわつきが耳に入ってくる。
奪いにくる人がいるかもしれないと警戒する。
だが、それは杞憂に終わり、無事に冒険者組合の建物に入ることができた。
職員たちは、俺の背にあるイノシシを見て、まるで貴族を迎え入れるかのような態度になる。
「よくぞ獲ってきてくださいました! ささ、こちらに置いてください」
「いい大きさを仕留めましたね。内臓を入れたそのまま運んできている点も、素晴らしいですよ」
職員は計量やら依頼表の確認やら、どこかへの連絡やらで、大忙しな様子に変わる。
そんな中で悪いとは思ったけど、どうにか少量見つけた野草と、大量に殺したゴブリンやオークの討伐証明の部位も渡すことにした。
「これらも、換金をお願いします」
「肉だけでなく、野草もですか! 冬の時期でこれは、まれに見る大猟ですよ。それにこの量の証明部位! 森の安全性が高まったことは疑いようもありません」
イノシシ一匹と一束に満たない野草と、獲るに足りない魔物の部位で、そこまで大喜びされると心苦しくなってしまう。
テッドリィさんも苦笑いして反応に困っていて、イアナは事情がよく分かっていない顔をしていた。
そしてチャッコだけが、浴びせられる賞賛を堂々とした態度で受け止めている。
職員たちはひとしきりこちらを褒めてから、報酬を渡してくれた。
それは指で輪を作ったぐらいの、小さな革袋だった。
硬貨を十枚も入れればいっぱいになりそうな小袋を開けると、綺麗な小粒の宝石が何個か入っていた。
前世を含めて宝石には詳しくないが、ルビーやサファイアっぽい色の石がある。
イノシシ一匹、野草一束未満、楽な魔物を倒しただけの働きにしては、他の地域だと異常に映る高報酬だ。
しかしこの宝石たちが、この町が直面している食料危機を、如実に表している気もした。
俺は報酬を仕舞うと、仲間と共に組合から去ろうとする。
けど、そうは許してくれない人がいるらしい。十数人規模で、道を遮られてしまった。
見た目で判断すると、冒険者だけでなく、町の人もいるみたいだった。
「なにか用か?」
俺が喧嘩も視野に尋ねると、目の前の彼ら彼女たちが、深々と頭を下げてきた。
「お願いします! オレたちを助けてください!」
「イノシシを獲った位置なんて、大層なことは聞きません! あなたが倒したゴブリンやオーク、その死体を捨てた場所だけでも教えてください!」
予想外の言葉に、俺は目を瞬かせる。
「死体の場所なら、教えてもいいけど……」
「いいんですか!? どこです!!?」
ずいっと迫られてしまったので、あんなものどうするのだろうと不思議に思いながら、大雑把な場所を教えてあげた。
「――って感じの場所に、頭を落とした状態で放置してきた。野生動物も少ないから、死体はまだあると思う」
「おおー! ありがとうございます! おい、行くぞ!」
「死体を肉食の獣が食っていたらもうけもの。それがダメだったとしても、肉が手に入る!!」
「ゴブリンやオークはまずいだけで、食べられないわけじゃないからな!」
わらわらと出ていく彼らを、呆気に取られてみてしまう。
テッドリィさんも同じように、信じられないものを見る目を向けている。
チャッコは後ろ頭を足で掻いて興味なさそうにしているが、イアナは小首を傾げてこちらに質問してきた。
「ゴブリンやオークが食べられるなんて、初めて知りましたよ。どうせなら、足の一本でも持ってくればよかったですね」
その発言に、俺とテッドリィさんは同時に否定しにかかった。
「いやいや! ゴブリンやオークが食べられるなんて、故郷で狩人の先生に教わらなかったから!」
「長年冒険者をしているあたしだって、こんなこと初耳だよ。他の地域じゃ、絶対に食べないものだよ!」
「……でも、実際に食べているらしい人がいたわけですから、食べられるものなんですよね?」
「それって、毒草を毒抜きすれば食べられるからって、毒草も食べ物だって言っているようなものだぞ」
「食べ慣れない変な物を口にすると、腹を壊すよ。止めて置くほうが身のためだね」
「うーん、わかりました。食べ物があるうちは、食べ控えようと思います。でも、わたしのお腹って丈夫だから、食べても平気な予感がするんですよね」
元・路上生活孤児なイアナは、食に対するバイタリティーが異常なほど高いようだ。
そのことに俺とテッドリィさんは、呆れと感心を混ぜた表情を浮かべるしかできなかったのだった。
携帯食料を節約して食べ、素泊まりで宿で一泊し、朝になった。
どうせ町に居ても、食堂で食事なんてできそうにないので、俺たちは組合に寄らずに森に入ることにした。
歩き進んで町からある程度離れたところで、岩壁を目指して進んでいく。
壁面にたどり着くと、町近くでは掘削で穴だらけだったが、ここには穴が作られていなかった。
岩壁に沿って歩き、上に登れそうなルートを探していく。
多くの場所が垂直に近い斜面だが、ときどき崩落などで斜角が六十度未満の場所も見つかる。
そんな比較的緩い坂の中で、ここならいけそうだという場所を見つけた。
この岩壁の下から三分の一ぐらいまで、砕けた石が積み上がった、砂利の斜面になっている。
そこから上は垂直に近い岩壁だが、乗れそうな足場が飛び石のようにある。
足を踏み外しさえしなければ、どうにか登頂できそうだった。
「崖下の地面に砕けた白骨がいくつもあるから、野生動物たちもここから上っているみたいだな」
四つ足の動物が上れるのだから、より器用な人間が登れないはずがない。
そう思っての呟きだったが、イアナはとても嫌そうな顔をしてくる。
「白骨があるってことは、崖から落ちた動物がいるってことじゃないですか。もっと安全な場所を探しましょうよ」
「探すのは構わないけど。近くに、これ以上良さそうな場所はないぞ。それに、これ以上町から離れると、上から獲物を持って戻るとき大変だと思うぞ」
「……バルティニーさん。行くの、やめましょうよ~」
泣き顔で頼んでくるイアナに、テッドリィさんがお得意のデコピンを当てた。
「こらっ。冒険者のクセに、尻込みしてんじゃないよ。大金が稼げそうなんだ。ちょっとの危険ぐらいどうってことないって気持ちを持ちな!」
「ううぅぅ……。わたしは、生きるために冒険者になったんです。崖から落ちて、死にたくなんかありません!」
ヒートアップする二人を、俺は落ち着かせる。
「待った。この崖をこのまま上るなんてことはしないぞ。鍛冶魔法で移動しやすくするから、落ちる心配はしなくていい」
「……どうにかするっていうんですか?」
ムスッとするイアナの頭を、落ち着けと軽く叩くように撫でる。
「俺が先に行って、鍛冶魔法で危険な場所や、足場が不確かな場所は補強する。だから、危険はない」
「……どうせなら、上までの階段を作ったらいいと思うんですけど?」
「一見、上に行けなさそうに見えることが重要なんだ。階段なんて作ったら、誰でも上に行けるだろう」
「そうなったら、あたしらの取り分が減るし、腹を空かせたゴブリンやオークどもに横取りされちまうね」
テッドリィさんの補足説明を受けて、イアナは抵抗するのを止めたようだ。
「ううぅぅ……。分かりました。上ります、上ればいいんですよね! ああもう、高いところは怖いのにー!!」
イアナは高所恐怖症らしい。どうりで、必死に拒否してくるわけだ。
少しでも安心させるために、命綱を使った方がいいだろうかと思案しながら、俺は上れそうな砂利坂を上り始めたのだった。




