二百三十九話 朝の運動
訓練は続き、次は相手を入れ替えることになった。
俺の相手はチャッコで、イアナの相手はテッドリィさんが行う。
「いくぞ、チャッコ」
「ゥワウ!」
俺が声をかけると、チャッコがこっちに飛びかかってきた。
避けると、近くで顎が閉じ、カチンと歯が噛み合う音がしてくる。
お返しに、こちらはチャッコの後ろ首を掴もうと手を伸ばす。
チャッコは四つ足で素早く移動して避けると、俺の手に噛みつこうとしてくる。
手を引いてやり過ごすと、続けてを体当たりを仕掛けてきた。
俺は横に跳んでかわすと、反撃で尻尾を狙って掴みかかる。
それをチャッコが避けて反撃し、俺もかわして反撃する。
段々と速さが上がり、高速でやり取りする俺の目は、チャッコ以外の風景が溶けたように輪郭が歪み続けている。
こちらはかなり必死に行動しているが、チャッコはまだまだ楽しそうな顔でいる。
やっぱり、機動力ではチャッコに負けている。
魔法の水を体に纏えば、もっと追いすがることができるだろうけど、それじゃあ訓練にならないしな。
位置を入れ代え立ち代え、攻防を続け、フェイントにチャッコが引っ掛かったことで、俺が襟首を掴んで勝利する。
「ふうっ。俺の勝ちだな」
「ゥウウ、ゥワウ!」
悔しげに、もう一回と鳴いたので、応じることにした。
次も同じような攻防が続いたが、俺のフェイントを警戒しているようで、なかなか引っ掛からない。
けどそれが逆に、チャッコの積極性を奪う結果となり、俺が粘り勝ちを収めることになった。
ほぼ全力で運動しているので、短時間だけど息が上がってきた。
「はぁ、はぁ。これで二連勝。って、まだやりたいわけ?」
「ゥワワン!」
「よっし、付き合ってやるよ!」
まだまだ元気なチャッコに促され、俺は三度目の追いかけっこに興じる。
息が上がっているので、俺は今回、激しく動くことを止め、ギリギリで避ける訓練を自分に課すことにした。
「ゥワウウ!」
チャッコが飛びかかってくる軌道を見極め、大きく一歩横にずれて避けた。
俺が疲れていると見たのか、チャッコはこちらの足を狙って、噛みつきにくる。
手加減して噛んでくるんだろうけど、生えそろった牙にワザと当たる気はない。
足を下げて避けると、チャッコは連続して噛もうとしてくる。
退くだけでなく、横移動や、バスケのピポットのような動きも入れて、連続して避ける。
俺が必死にかわし続けていると、チャッコが攻撃方法を体当たりに変えてきた。
見切り、ギリギリで避ける。
すると、チャッコが横を通り過ぎざまに、後ろ足でこちらの体を蹴りつけてきた。
予想外の攻撃に、俺がよろめく。
チャッコは着地と同時に、今までで一番の速さの体当たりを仕掛けてきた。
避けきれないと悟り、俺は足を踏ん張り、チャッコを受け止める体勢になる。
高速の体当たりが、俺の腹に決まった。
だが俺は倒れず、チャッコの上半身を抱える。そして背中の筋力任せに、チャッコを真上に放り投げた。
「よいーしょーっと!!」
「ゥワワウウウ?!」
縦回転しながら上空を飛んだチャッコは、数瞬後には回転を止めて、着地の体勢に入った。
それどころか、落下地点にいる俺に攻撃しようと、前足を振り上げてもいる。
わざわざ攻撃を食らう気はないので、俺はチャッコが降り立つ場所を開けてあげた。
着地したチャッコは、口惜しそうな顔を俺に向ける。
「ゥゥウウゥ。ゥワウ!」
負けた、と宣言するように鳴くと、運動に満足したのか、俺に撫でろとすり寄ってきた。
冬毛の間に指を入れて、引っ掻くように掻いてやると、目を細めて気持ちよさそうにする。
スキンシップをしていると、テッドリィさんとイアナがこちらを見ていることに気が付いた。
「なんだよ、二人して」
声をかけると、二人は顔を合わせ、苦笑いを交換し合う。
「だって、なぁ。ちゃんと見れば、程度の高い攻防だと分かるが」
「飼い犬と楽しく遊んでいる飼い主のようにしか、見えませんよね。今なんて、遊び終わりに撫でているようにしか見えませんしね」
「……ゥワウ!」
チャッコが不服だと鳴くと、テッドリィさんは笑い、イアナは少し怖がるような顔になる。
俺は反応に困り後ろ頭を掻くと、二人に別の話題を振ることにした。
「それで、そっちの訓練は俺たちの見学なわけ?」
「ちげーよ。ちゃんとあたしが、イアナに棍棒の使い方を教えてたんだよ。横でバタバタ動かれて、気が散っちまったんだ」
「そうですよねー。それにバルティニーさんもチャッコちゃんも、わたしからしたら技術が高すぎて、見ても参考になりませんよ」
息が合った様子に、会ってそんなに時間が経っていないのに、もう二人は仲良しなようだ。
性格が合ったのか、それとも女性同士で気安いからなのか。
なんとなく、男の俺は疎外感を感じた。
そこでチャッコが撫でる手が止まっていると催促してきたので、指先で揉むようにマッサージしてやる。
そんな俺たちをよそに、テッドリィさんとイアナは訓練を続けるようだ。
「いいか。変に乱打する必要はない、一撃に全力を込めるように心がけな。そうすりゃ、こちらを女だって侮るバカや野生動物と魔物は、振った威力に怖がって尻込みしやがる」
「はい、わかりました!」
「棍棒を振るときに大切なのは、腕だけじゃない、足腰もだ。踏み込んで、腰を捻って加速させて、渾身の力で腕を振り下ろせ」
「はい、やってみます!」
テッドリィさんの講義に従って、イアナは棍棒を振るっていく。
「体の動きが連動してねえが、最初はそんなもんだ。振り慣れれば、どこをどう動かせばいいかわかるようになってくる」
「はい、振り続けます!」
「よし。だが手の皮が剥けるまで、振らなくていいからな」
「えっ、そうなんですか?」
「当たり前だ。これは訓練だぞ。手の皮が剥けて、棍棒を振れなくなったら、街中で喧嘩を吹っかけられたときに困るだろうが」
「なるほど。言われてみればそうですね」
仲良く喋りながら、訓練は続いていく。
観察していて気づいたが、どうやら男性と女性とでは、体の使い方が少し違うように見える。
男性は意識しなくても、全身を同時に動かす傾向がある。だが二人を見る限りでは、意識しないと女性は各部を順番に動かす感じがある。
これは俺の単なる勘違いかもしれない。
けれど、男性なら男性に、女性なら女性に教えたほうが上達が早いんじゃないかなとも思った。
考えが合っていてもいなくても、これからのイアナの訓練はテッドリィさんに任せた方が良いだろうな。
そんな考察をしていると、こちらに近づいてくる気配を察知した。
俺とチャッコが顔を向ける先には、冒険者の一団の姿がある。
彼らはこちらに来ながら、イアナたちを見ている。
嫌な感じがあったので、チャッコをイアナたちの護衛に残し、俺だけが向こうに歩いて近寄っていったのだった。
俺が立ちはだかると、近づいてきた冒険者の一団が止まった。詳しく見ると、数は七人のようだ。
「なにか、俺の仲間に用があるのか?」
先制で問いかけると、彼らは俺の姿を見て、薄ら笑いを浮かべる。
「ははっ。女連れだからって、粋がるのは良いがな。武器を忘れてきているぜ」
「まっ、そんな珍妙な格好をする物好きだからな。他人に見せられる武器なんて、持ってなさそうだけどなぁ」
嘲笑が巻き起こるが、俺は半目を向け、もう一度挑発交じりに問いかける。
「なんの用かと聞いたんだ。顔の横にあるのは、耳に似た飾りなのか?」
「うぜえな。テメエの仲間だか知ったこっちゃねえよ。こっちはな、いい女がここにいるって聞いて、誘いに来たんだよ」
「色宿を定宿にする、物好きな女だってのも、分かっているんだぜ」
「しきやど? なんのことだ?」
「ははっ、仲間なのに知らねえのか。あの女はな、男を宿に連れ込んで、しっぽりとやる淫売なんだよ」
あまりにも頓珍漢な言葉に、誰かと勘違いしているんじゃないかと思った。
テッドリィさんは、男勝りな性格で荒々しい見た目をしているが、純真かつ身持ちが硬い人だ。
見知らぬ男性を連れ込むような女性じゃない。
それに色宿っていう宿に心当たりなんか――と考えて、はたと考え付いた。
昨日止まった宿が、その色宿ってところじゃないかと。そしてテッドリィさんは知らずに、単なる宿として使っているんじゃないかなとも。
「……そっちの勘違いだ。誘ったところで、断られるだけだぞ。それどころか、悪ければ殴られるぞ」
親切心から忠告したが、冒険者たちは聞き入れなかった。
「テメエの言葉なんて知るか。いいから、さっさと退けよ」
「断られようとこの人数だ、無理やりに連れてっちまえば」
情を交わしたテッドリィさんへのゲスな発言に、とても腹が立った。
「そう知って、通すわけないだろ。馬鹿か?」
「はぁ? そっちこそ馬鹿だろ。こっちは大人数で武器を持ってて、そっちは単独で丸腰なんだぜ」
「面白い、やってみろよ。百を数える前に、地面にはいつくばっているのは、そっちだろうがな」
「ははっ。望み通り、やってやるぜ!」
冒険者たちが、一斉に襲い掛かってきた。
まだ武器を使う気はないようで、全員が拳を振り上げて突っ込んでくる。
ちゃんと連携が取れているから、それなりの実力を持っているらしい。
けど、先ほどまでチャッコと訓練していたからか、俺にとって彼らの動きは鈍すぎた。
こちらからも近づき、一人の顎を殴り、もう一人のコメカミに肘を食らわせる。
「ごぁ――へぅ?!」「あこぁ――」
顎を殴られた男が前のめりに、もう片方が足から崩れるように倒れる。
仲間がやられたことに驚く彼らを他所に、俺は男の背後に回り、後頭部に肘を叩きこむ。
別の一人の膝を横から蹴りつけて挫くと、蹴り飛ばして、他の奴らの巻き添えにする。
倒れたのは三人。起き上がる前に、一人ずつつま先で顔を蹴り上げて、失神させた。
これで合計五人倒した。
残る二人に顔を向けると、彼らは腰から剣を抜いた。
手入れはされているようだが、よく見れば刃こぼれがちらほらある片手剣を、俺を押しとどめる盾のように見せつけてくる。
「く、くそっ、なんなんだお前は!」
「聞いてねえぞ。今までの仲間から離脱したあの女に、こんな強い新しい仲間がいるなんて」
「オレだって知らねえよ。あいつら、オレらに適当を吹き込みやがって!」
責任の擦り付けあいの言葉を聞いて、俺は首を傾げる。
「そういえば、さっきも誰かから聞いたようなことを言ってたな。誰から聞いたんだ?」
対話を持ち掛けると、二人は助かったという顔になる。
「そ、そうだ。昨日酒場で会った、気落ちしている奴らがいたから、酒を奢りがてら事情を聴いたんだよ!」
「悪い女に捨てられたって聞いて、同情して、酒の勢いで仕返ししてやろうってことになって――ああくそっ、嘘をつかれたんだ、騙されたんだ!」
みっともなく喚く彼らを見て、白けてしまった。
俺は倒れて呻く人たちを指す。
「騙されたっていうのなら、見逃してやるよ。こいつらを持って帰れ」
「へっ、本当か――いえ、本当ですか!?」
「ああ。お前らが言った人たちに、ちょっと心当たりがあるからな。嘘じゃないってことは分かったし」
「た、助かった。へ、へへっ。それじゃあ、失礼しまして」
二人で倒れた仲間を引き起こすと、重そうにしながら広場から出て行く。その最中、彼らの呟きが聞こえてきた。
「同情して大損したぜ。やっぱり旨い話はねえってことだな」
「オレらを騙しやがったアイツら、絶対見つけ出して、ギタギタにしてやる」
恨みが俺にじゃなく、彼らに嘘を伝えた人たち――恐らくはテッドリィさんが昨日別れたあの冒険者たちに、向かっているようだ。
安心はできないけど、常に警戒が必要なほどじゃないだろう。
俺は肩の力を抜くと、今日は朝から災難だなと気を落とす。
この後、護衛依頼を出した行商人に会いに行く予定なんだけど、そのときまで厄続きなのは勘弁してほしいところだ。
30日から1月2日まで、更新をお休みします。
楽しみにしていらっしゃる方々、申し訳ありません。
それでは皆様、良い年末と、良い来年をお過ごしくださいませ。