二十三話 変調の理由
あの日以来、俺とテッドリィさんは森の探索の依頼を受けないことにした。
それでも、俺は狩りしにいくし、テッドリィさんは木こりの護衛をしにいくため、森と接することは多い。
だからか、なんとなく森の様子が少しずつと変わってきと、夕食のときの会話で話題にすることが多くなっていた。
「森の際まで動物たちが現れるようになったのに、魔物は逆にあまり見なくなったよね」
「ああ。だから木こりの護衛の人数を減らそう、なんて話が出てきたらしいな」
同じような会話は、俺たちだけでなく、他の冒険者たちもしているようで、食堂のあちらこちらから聞こえてくる。
しかしこの変化について知識のある人はいないのか、明確な答えは耳に入ってこない。
そんな風に森の雰囲気が変わったことで、開拓村の住民と冒険者たちは漠然とした不安を感じているみたいだ。
「テッドリィさんは冒険者になって長いんでしょ。なら、何か心当たりってないの?」
「あたしは主に商隊の護衛をやってきたかんな。悪ぃが、魔の森の仕組みに関しちゃ、さほど詳しくはねぇんだ。まあ、なにか不都合なことが起きんなら、組合側から通達があるだろうよ」
そういうものかと納得しながら、夕食を食べ終えた。
翌日、テントから抜け出して、明るい日差しの下で背伸びをする。
すっかりテッドリィさんと一緒に寝ることが当たり前になっちゃったなと思いながら、軽く運動して体を解していく。
そのうちに、テッドリィさんも起きてきて、寝癖でぼさぼさな頭を掻きながら外に出てくる。
こういう姿を恥ずかしげもなく見せてくるってことは、心を許してくれているって証だとは思う。けど、俺は男としてテッドリィさんに認識されていないんだろうな。
「くあぁ~~……口元にヨダレの痕でもついてんのか?」
あまりまじまじと見すぎたようで、テッドリィさんは大あくびをしながら首を傾げ、口元を腕で拭っている。
その仕草に、思わず苦笑してしまう。
「口元じゃなくて、相変わらず寝癖が凄いなって思ってただけだから」
「ああ、コレか。整えずにおくと、男が幻滅して避けてくれっから、楽なんだよ」
一応の理由はあるらしいが、それはそれで――
「……女性としてそれでいいの?」
「うっせ。あたしはな、好きになった男の前以外に、おめかしする気はねーんだよ」
「あれ、そんな相手いるんだ?」
「バーカ、いねーよ。おめかしする気はねぇ、って言っているって分かれよな」
テッドリィさんは立ち上がりながら、俺にデコピンしてきた。
相変わらず、目に涙が浮かびそうな痛さだ。
額を押さえて恨めしげな目をすると、満面の笑みを浮かべられた。
「はは、これで目が覚めたろ」
「もうとっくに目は覚めてたし。コレが必要なのは、テッドリィさんの方じゃないの?」
「おっ、じゃああたしにしてみっか?」
前髪を上げて顔を突き出しながら、挑発してきた。
じゃあお言葉に甘えて。
力いっぱいデコピンをすると、すぐにやり返された。
「あ痛ッ!」
「そうか、痛いか。バルトの方はイマイチだったぜ」
テッドリィさんは自分の額を平手で叩きながら、堪えていない様子だった。
「……次に機会があったら、痛いって叫ばせてあげるし」
俺には水膜で体を覆って力を増強させる魔法があるのだ。これを使えば、何倍もの力でデコピンができるはずだし。
そうとは知らないテッドリィさんは、面白げに口元を歪める。
「そのときを楽しみにしとくよ。さて、今日も仕事しにいっか」
「その前に腹ごしらえしないと、働けないよ」
「おお、そりゃそうだ」
行きつけの食堂に行こうとテントを畳もうとしていると、冒険者組合の職員さんが数人、このテントだらけの場所にやってきた。
テッドリィさんと首を傾げ合い、周囲の冒険者たちも不思議そうにする。
そうしている間に、その職員さんたちは口々に大声を上げ始めた。
「魔の森の変調を確認し、特殊な依頼が発生しました!」
「強い魔物の討伐任務です。もちろん、強い魔物を倒した分に見合った報酬が払われます!」
「詳しくは、冒険者組合の建物内で説明しますので、早めに来てください!」
職員さんたちの声に、まだ寝ていたらしい冒険者たちが、テントから起き抜けてくる。
にわかに慌しくなった周囲を見回してから、俺はテッドリィさんに顔を向け直す。
「どうします?」
「気にすんな。腹減ってるし、食堂行くぞ」
「……なにか重要な依頼っぽいけど?」
「あれだけ大声で叫んでんだ、他の誰かが受けんだろ。それに、強い魔物なんてぼかしているあたり、きな臭い話っぽいだろ」
つまり、いま職員さんたちが声高に言っている依頼を受けるつもりはないらしい。
いいのかなとは思いつつも、テッドリィさんは俺の教育係の先輩なので、従わないわけにはいかない。
それに、胡散臭そうな話だなっていうのは、俺も思っていたことだし。
冒険者たちが組合の建物に我先にと移動するのを横目に、俺とテッドリィさんは食堂に入って朝食を頼んだ。
いつもは冒険者たちで賑わっているのだが、今日このときばかりはやや閑散としている。
そんなちょっとだけ違う雰囲気の中で、腹いっぱいになるまで、パンやスープを追加注文していったのだった。
すっかりお腹も膨れたので、依頼を受けに冒険者組合の建物に向かう。
すると、建物からは意気込んだ様子の冒険者たちが出てきて、我先にと開拓村の外――魔の森へと走っていく。
何が起きているのかと首を傾げながら、テッドリィさんと共に建物の中に入った。
いつもは依頼を受けたり終えたりした冒険者たちでひしめいていて、暇そうに酒を飲んでいる人もいたりするのに、いまは人自体が少ない。
それを不思議に思ったのだけれど、テッドリィさんは気にした様子もなく机で仕事中の職員さんの前まで歩いていく。
気にしていても仕方がないしと、俺も依頼を受けるべく後に続く。
そのとき、職員さんと二言三言喋ったテッドリィさんが、おもむろに大声を上げた。
「はぁ?! 木こりの護衛の依頼がないって、どういうこったよ!」
「ですから、魔の森に変化が見られたので、木の伐採はしばらく中止になったと説明したではありませんか」
「知るか。あたしらは、いまここに入ってきたばっかりなんだよ!」
テッドリィさんの物言いに、その職員さんは理不尽なと言いたげな顔をする。
そして助けを求めるような目を俺に向けてきた。
俺は受けていない説明を聞きたいので、気がつかない振りをして、ぺこりと頭を下げて挨拶する。
その態度で、こちらが何も知らないと理解したのか、職員さんは仕方がないという態度をした。
「分かりました、説明します。もう少し早く来てくれれば、二度手間にならずにすんだのに」
「うるせぇ、食事中だったんだよ。さっさと話せ」
テッドリィさんが噛みつかんばかりに歯を剥くと、職員さんは引きつった笑顔になった。
「分かりましたよ。魔の森の変調、それについてはお気づきですね?」
テッドリィさんと俺が頷くのを見てから、職員さんは続きを話す。
「変調があった理由について、様々な情報と過去の文献を紐解いた結果。おそらく間違いないだろうという予想を得たのです」
「前置きはいらないんだよ、さっさと話せって」
「分かってますよ。その予想とは――あの魔の森の領域に、新たな主が立ったというものです」
かなり端折られた説明を受けて、テッドリィさんは首を傾げる。
「魔の森の主ってのは、復活しやがるのか?」
「元の個体ではなく、魔物たちが主導権争いをして、勝ち残った個体が新たな主となるのです」
テッドリィさんはまだ納得いっていない様子だったが、俺は理解できた。
なにせ、故郷で聞いた祖先の武勇伝の中には、新しい森の主と戦ったというものがあったからだ。
でも、流石に武勇伝だけあって、どうやって倒したかの話は残っていても、どうして新しい主が出来るかの話は含まれてなかった。
だから、魔の森の雰囲気が変化した理由が、新しい主が生まれたからだとは予想がつかなかったのだけれど。
「なるほど。でも、それなら前の主が倒されてから十年も新しい主が立たなかったのには、なにか訳があるんですか?」
そう俺が職員に尋ねると、まだ納得していないテッドリィさんを置いて話を進ませることが出来るからか、少し嬉しげな顔を浮かべられた。
「その通りです。主導権争いで疲弊したところを狙い、勝ち残った個体を間引いて、主を出現するのを遅らせていたのです。十年も保ったのは、なにげに凄いことなのですよ」
ふーんと、その偉業について、曖昧に納得しておく。
話している間にテッドリィさんは悩むことを止めたようで、職員さんに睨みつけるような目を向ける。
「つまりだ、魔の森に向かったヤツラは、その新しい主を倒しにいったわけだ。たしか、主を倒せば広がった領域は、倒した冒険者の領地になるんだったか?」
「いいえ、今回は少々事情が違います。昔から森の一定領域に君臨する主は強大で倒すことが難しいため、そのような措置がとられます。しかし新しい主はまだ生まれたてで少々貧弱なので、倒しても領地としては認められません。ですが、それ相応の報奨金が支払われます」
「つーことはだ。伝説になるような強者じゃなくても、大金を得られる機会ってわけか?」
「その通りです。ですが、生まれたてとはいえ、主が立った魔の森は一気に手強くなります。魔物が活発に人を襲うようになり、木を切り倒そうとすると襲ってくるようにもなります。付近に村があれば、手勢を集めて襲ってくることもあります」
付け加えられた説明に、俺は驚いた。
「それって、この村が襲われるってことですよね。大変なことじゃないですか!?」
「そうならないために、冒険者に頑張っていただきたいんです。このままだと、この村から商人が逃げ出して、沢山いる冒険者たちを賄う物資が追いつかなくなってしまうんですから」
「だからこその、さっきの召集つーわけか」
テッドリィさんは寝癖が残っている頭を掻くと、俺に顔を向けてきた。
「バルト、どうするよ?」
「どうするって、何が?」
「かー、分かれよな。魔の森に行くか、村内でやる依頼をこなすか選べってことだよ」
選択肢を渡されたことに、驚いてしまう。
「俺が決めていいんだ」
「あたしは教育係だからな、バルトの選択を尊重するさ。で、どうするよ?」
改めて考えると、ちょっと悩むなぁ。
デカイ男を目指す俺だ。もちろん、魔の森の主という相手と戦って勝ちたいっていう気はある。
だけど、多くの冒険者たちは森の中に入っているだろうから、完全に出遅れちゃっている。
今から向かっても、戦果が得られるかは微妙かもしれない。
逆に村での依頼――鍛冶場の仕事を選べば、安全にお金が得られる。
それ以外の依頼も、冒険者たちの多くが森に行ったため、楽に選ぶことが出来るはずだ。
それでもやっぱり――
「――魔の森に行ってみたいかな。魔物との戦闘にならなくっても、良い経験になりそうだし」
その決定を聞いて、テッドリィさんは嬉しそうな顔になると、俺の頭をぐりぐりと撫で始めた。
「よっし、そうこなくっちゃ。きっとバルトは、肝の太い良い男になるよ」
「ちょっと、止めってって」
恥ずかしがって撫でている手を払うと、職員さんが咳払いをした。
「こほんっ――ということは、お二人とも魔の森へ向かうということでいいですね」
「おうよ。なにか問題でもあんのか?」
「いえ。ただ、魔の森の主以外でも、魔物を倒した場合はいつもより高めに報酬を支払います。なので、証拠となる部位はちゃんと集めておいたほうはいいですよ」
「そりゃいい。主ってヤツと戦えなくたって、稼ぎは期待できそうだ」
「忠告、ありがとうございました。いってきます」
職員さんに礼を言った後、俺とテッドリィさんはすぐに魔の森へと向かう。
近づいていくと、冒険者たちが戦っていると思わしき音が、段々と大きく聞こえてきた。
戦いの予感に、テッドリィさんは好戦的な笑みを浮かべ、俺は弓矢の具合を確かめながらやや緊張した面持ちになったのだった。




