二百二十七話 廃村に突入
日が出る前の早朝。周囲の状況を確認して、地下壕から這い出る。
すぐに、肌がひりつくほどの寒い風がやってきて、思わず毛皮の外套の前を手で押さえてしまう。
それはイアナも同じようで、身震いと足踏みをしていた。
一方で、チャッコは平気そうだ。穴の中で凝った体を、思いっきり伸ばしている。
その姿を、イアナは羨ましそうに見つめ、手に息を吹きかけた。
「はぁー。バルティニーさん、こんな朝早くに起きて、なにをするんですか?」
「思いついたことがあって、ちょっと実験をしようと思っているんだ」
小首を傾げるイアナとチャッコを連れて、夜闇の先にいた一匹のゾンビへ向かう。
歩き寄りながら観察すると、明らかに陽が出ているときより動きが緩慢だった。
こちらに気づいて近づいてこようとするが、寒さで足が上手く動かなかったのか、すぐに倒れる。そして立ち上がれないのか、這って進みだす。
その姿を観察しつつ、俺はイアナを呼ぶ。
「このゾンビに、水をかけてみてくれ」
「えっ。水って、魔法の水ですよね?」
イアナは首を傾げつつ、這って寄ってくるゾンビに捕まらないようにしながら、魔法で手から水をかけていく。
ちょろちょろと出る水で、ずぶ濡れになったところで、魔法を止めさせた。
その後で、またゾンビの様子を確認する。
最初はさほど違いはなかったけど、寒風が二度三度とやってくると、より動きが鈍くなってきた。終いには、まったく動かなくなった。
試しに石を投げてみたり、鉈で突いてみたり、足で蹴ってみたりしたが、ゾンビは動こうとしない。
停止したゾンビを見て、イアナが不思議そうに聞いてくる。
「これって、どういうことですか?」
「肉が冷えて固まったから、動けなくなったんだろうな」
「……そんなことがあり得るんですか?」
「ゾンビは死体だから、自力で体温調節できない。いうなら、蛇と同じ変温動物だ。そして筋肉や筋は、冷えると硬くなる性質がある。この凍りそうなほどの寒さに水をかけたんだ。凍るまではいかなくても、動けなくなることは不思議じゃない」
解説をしながら、俺は鉈を振り下ろして、動けないゾンビの首を刎ねておく。
さてこの実験で、ある俺の思いつきが、実行可能だと判明した。
東の空を見れば、薄っすらと青くなり始めている。
時間がないので、早く準備しないといけないな。
「イアナ、チャッコ。まず廃村近くまで、移動するぞ」
「バルティニーさんが何をする気なのかは、よく分かりませんけど。移動することは分かりました」
「ゥワウ」
こそこそと移動して、どうしても邪魔なゾンビやスケルトンだけ倒して進む。
そして、廃村の様子がよくわかるほど接近したとき、イアナが俺の毛皮の外套を引っ張ってきた
「バルティニーさん、ゾンビたちが身を寄せ合ってますよ。そしてなんだか、モヤが出てます」
「ゾンビたちの親玉も考えたな。ああやって体をぶつけあうことで、発熱を促しているんだ」
「ゾンビは死体だから、熱を発しないんじゃないんですか?」
「筋肉は、動くと熱を発するんだよ。俺たち人間だって、筋肉を震わせることで熱を出しているんだからな」
「へー、そうなんですか」
感心するイアナを横に、俺はゾンビの親玉に関心していた。
おしくらまんじゅうなんて、この世界の風習にはないのに、よく思いついたな。
やっぱり親玉には、知性があるに違いない。それも、人間と同じかそれ以上のだ。
そんな奴が、廃村に留まっている理由を考えると、候補は二つに絞られるだろう。
一つは、人の町や村を大勢で襲って、配下を増やすため。
でもこれは、あれだけの種類と数のゾンビとスケルトンがいるのに、留まったままなことを考えると、可能性としては低いな。
もう一つは、集めたゾンビたちを引き連れて、森の主を倒して成り代ろうとしている場合だ。
ゾンビやスケルトン一匹ずつは弱くても、知能の高い親玉がいれば、集団戦法で倒す算段はつくはずだ。
俺の予感では、こちらの予想は当たっていると感じる。
そしてもしも、この親玉が森の主に成り代わった場合。新たな主になると手に入るという力で、どんな強化を自身に施すか分かったものじゃない。
それに森の主は、森に住む配下を自由に決められるという。ということは、ゾンビの親玉が主となったら、ゾンビやスケルトンだらけの死者の森が出来上がってしまうに違いない。
想像するだけでも嫌気が走る。
俺の予想が本当に当たっているかは分からないが、いずれにせよゾンビたちの親玉は早めに倒す必要がありそうだ。
結論がつき、思考を廃村に集まるゾンビたちに向けなおす。
そして東の空を見る。太陽の光がもうそろそろ現れそうだ。
「イアナ、チャッコ。これから大きな魔法を使う。周囲にゾンビやスケルトンが来たら、対処を頼む」
「分かりました。任せてください!」
「ゥワウ!」
イアナは棍棒を構え、チャッコは尻尾を大きく振りながら、周囲の警戒を始めた。
俺は目を閉じ、魔塊の大半を魔力に戻し、右手と左手に分けて集めていく。
そして、どちらとも水の魔力に変換してから、混合させていった。
「さて、初めてやる魔法だけど、いくぞ。『ゲリラ豪雨』!」
日本語で発して、より強いイメージを引き出し、魔法を発動させる。
俺の手から柱のように太い水が発射され、廃村の上空高くへ飛んでいく。
そして直上に達すると、消火スプリンクラーのように、周囲に水をまき散らし始めた。
凄い水量にあっという間に、廃村とその周りは水煙に消える。
まさに、俺が想像した通りの、ゲリラ豪雨だ。
俺が用意した魔力が尽きて魔法が止まったとき、ちょうど朝日が平原の地平線から顔を覗かせた。
眩い光の中、廃村の全容がはっきりと見えてくる。
濡れたゾンビたちの群れ。その外周のモノだけが、硬直した状態で地面に倒れていた。
しかし、ほとんどのゾンビたちは立っていて、ぎこちないながらも、大きな魔法を使った俺を狙って寄ってきている。
ゆっくりと迫ってくるゾンビたちに、イアナが情けない声を上げた。
「失敗ですか? 失敗ですよね?! 逃げるなら早い方がいいと思うんですけど!」
「慌てるな。作戦が上手くいったかどうかは、これでわかる」
俺が手から攻撃用の魔法で暴風を手から発射すると、ゾンビたちが先頭からバタバタと倒れ始めた。
それを見て、イアナが驚いた顔で聞いてくる。
「風で冷やして、一気に冷やしたってことですか?」
「いや、むしろ集まっていたゾンビがばらけたことで、風通しが良くなったからだ。風の魔法は最後の一押しだな。そんなことより、走るぞ」
「えっ、走るって、どうしてですか?」
「太陽が出た直後が一番寒いが、出た後は段々と気温が上がってくるからだ。このままだと、陽の光に温まったゾンビたちが起き出すぞ」
「うわわっ、それは大変です!」
イアナとチャッコを連れて、俺は倒れ伏したゾンビたちの真ん中を、廃村に向かって走っていく。
途中、寒さは関係なさそうなスケルトンが、元気に邪魔をしてくる。
けどチャッコが、オヤツ代わりに首の骨を噛み砕いて食べて、倒してしまうので問題ない。
走りに走って、廃村の中に突入する。
太陽が出て気温が上がってきたんだろう、ゾンビたちが動き始めていた。
あわよくば、親玉の顔を拝見しようと思っていたが、時間切れらしい。
俺はイアナの腰を抱き、足に攻撃用の魔法の水を纏わせる。そしてチャッコに声をかける。
「その家の屋根に跳ぶぞ」
「ゥワウ!」
「えっちょ――ひあああああ!?」
イアナの悲鳴を聞きながら、俺とチャッコは飛び上がった。
足をつけた屋根に、イアナを下ろす。
へたり込む姿を横目に入れながら、俺は家の周りを見てみた。
「アー……アーー……」「オー……オアーー……」
動きが緩慢なゾンビたちが、ゆっくりと家を取り囲んでいる。
やがてスケルトンもやってきて、顎を鳴らし始めた。
「カタタタタカタタタタ」「カチチチカチチチチ」
音に引き寄せられて、遠くからもゾンビたちが続々と集まってくる。
間近でみてみて、初めてこの廃村に集結した数を概算で掴むことができた。
人や犬ぐらいに大きいモノに限定して、おおよそ二百匹。
小さな野生動物や虫の魔物を含めれば、五百匹を超すだろう。
その異様かつ圧巻な光景に、イアナは顔を青くしている。
「バ、バルティニーさん。これから、どうするんですか。こうなったらもう、ここから下りれませんよ」
「いざとなったら、廃村の外まで抱きかかえて跳んで逃げるから、心配しなくていい」
「空高くから落ちる、あれですか!? ううぅ、嫌だけど、嫌なんだけど、それ以外に逃げる方法はないしー……」
「そう悩まなくてもいいと思うぞ。ほら、あっちを見ろ」
俺が指した方を、イアナは見てぽかんとした顔をする。
「あれって……いえ、あれはなんでしょう?」
「ゾンビたちの親玉だろ。乗り物に座って偉そうにしているし」
俺たちの視線の先には、戸板に椅子を乗っけたような簡易な御輿にふんぞり返っている、ボロボロなマントを羽織ったスケルトンがいたのだった。