二百二十五話 露営で小休止
ゾンビたちから逃げ続けているが、周囲は見通しのいい平原だ。
逃げる方向に、ゾンビやスケルトンの姿がすぐ目に入る。
後ろを振り向けば、ゾンビの集団がゆっくりと追ってきてもいる。
俺は逃げ切るための作戦を考え、弓矢を手にした。
「イアナ、チャッコ。なにがあっても、真っすぐ進め。ゾンビたちと戦おうとしなくていい」
「はい。わかりました!」
「――ゥワウ」
イアナは走るのに必死な感じで、チャッコは少し不満そうに返事をした。
俺は進行方向にいるゾンビを狙い、走りながら弓を引いていく。
その上で、鏃に攻撃用の魔法で作った水を纏わせた。
「思惑通りにいくかなッ!」
矢を放ち、ゾンビの腹部に命中させる。
次の瞬間、鏃に纏っていた魔法の水が吹き荒れ、ゾンビの腹が内側から爆散した。
水の飛沫と共に、腐った肉と血が撒き散る横を、俺たちは走って通り過ぎる。
そのとき、イアナが腹を失ったゾンビを見て、俺に報告してきた。
「バルティニーさん、あれまだ動いていますよ! 仕留めきれてません!」
「それはそうだろう。急所の頭や胸元を射抜いたわけじゃないからな」
「なら、今のうちに止めを刺した方がいいんじゃないですか?」
「いや、あれには動いていてもらわないと困る。それにさっき言っただろ、戦おうとしなくていいって」
理解しがたいって感じで、イアナは首を横に振る。
けど少しして、ゾンビやスケルトンたちが俺たちを無視して、腹を失ったゾンビの方へ向かうのを見て、分かったような顔になった。
「あれを囮に逃げるんですね。でもあれ? どうしてわたしたちに見向きもしなくなったんでしょう?」
「魔法が使われた場所に集まるっていう、魔物の特性があるからだ。それとたぶんだが、ゾンビやスケルトンは目で見て獲物を判断しているんじゃない。死んだ生き物には見向きもしないことを考えると、生き物が発する微弱な魔力を感じて動いているんだろう」
「そうか! あのゾンビに魔法で攻撃したのは、わたしたちよりも濃い魔力を一時的に発してもらうためなんですね!」
「そういうこと。今のうちに、さっさと距離を取るぞ」
イアナとチャッコを引き連れて走りつつ、俺は後ろに目を向ける。
そこには、腹を失ったゾンビが他のゾンビやスケルトンに組みつかれ、全身を噛まれている様子があった。
同志打ちをするなんて予想外だったが、これから入る死者がうようよしているであろう滅んだ村の中で、使えそうな手段だな。
頭の中でメモを取って忘れないようにしてから、休憩できそうな、ゾンビたちが少ない場所を目指して走り続けていくのだった。
都合よく周囲にゾンビたちの影がない場所を見つけ、ここで休息をとることにした。
といっても、このまま平原の上にいたんじゃ、発見してくれといっているようなものだ。
そのため、一工夫することにする。
「思い描け。地下室。頑丈な地下室」
言葉を口にしてイメージを補強しながら、俺は地面に手をつけ、魔塊の魔力で魔法を発動させた。
少し足元が揺れて一分ほどして、俺の手の下に穴が開いた。
「ここに逃げ込むぞ」
「え?! あ、はい……」
穴の仲は真っ暗なので、俺は指に生活用の魔法で火を灯す。そして困惑するイアナの手を引き、チャッコを連れて、斜めのスロープを下りていく。
五メートルほど歩いて、魔法で作った大きな洞穴に到着する。
厳密にイメージしたとおり、十メートル四方の地下室になっていた。周りは土色ながら、磨き上げられた壁のように、表面はつるりとしている。地面も真っ平になっていて、座っても服に土埃がつかないような感じだ。
つい張り切って、かなり魔塊を使って作っただけあり、快適そうな作りになったな。
出来に満足しながらも、広い中を見て反省する。
次はもっと魔塊を節約し、狭く作って、壁や地面だって荒い舗装のほうがいいな。どうせ一夜の宿にしか使えないんだしな。
肩をすくめつつ、荷物から蒸留酒が入った瓶を取り出す。
瓶に巻いていた手ぬぐいを歯で細長く裂き、こより状にしてから蒸留酒の中に入れていく。その後で、指先に灯していた火で、裂いた布の先を燃やす。
俺の行動を見て、イアナが驚いていた。
「バルティニーさん、そんなことしたら危ないですよ」
「大丈夫だって。ランタンと同じ仕組みで、油じゃなくて酒精から灯りを取る方法だから」
要は、アルコールランプだ。
「それは、俺が誰も入ってこられないように、入口を狭めてくる間だけ使う物だ。だから、そんなに量は減らなさない」
「えっ。もしかして火を消して、ずっと暗い中で過ごすんですか?」
「いやいや、俺が魔法で火をつけるから、安心していい」
イアナの頭を撫でてから、俺はスロープを登り、穴から周囲を見回す。
魔法の発動を感知したのか、ちらほらとゾンビの姿があった。
頭を引っ込め、指ぐらいの大きさの空気穴をいくつか残すように、鍛冶魔法で穴を土で厚く覆った。
これでゾンビやスケルトンは入ってこれない。
俺は地下室まで引き返し、指先に生活用の魔法で火を出現させてから、蒸留酒で灯していた火を消した。
封をする前に瓶を掴み、イアナに差し出す。
「手足がかじかんでいるようなら、少し飲んだ方がいい。前にも言ったが、凍傷が防げる」
「いえ。ここまで走って来て、体が温まっているから必要ありませんよ。むしろ、汗ばんでいるぐらいです」
「じゃあ、汗は手ぬぐいで拭いた方がいい。体温が下がって風邪ひくからな」
「そうですね。じゃあ、失礼しまして」
イアナは手ぬぐいを掴むと、手を袖の中に入れて、服の中でごそごそと拭き始める。
俺も水を体に纏ったことで少し濡れているので、温風の魔法で全身を乾かすことにした。
すっかり乾かし終わると、イアナが不思議そうな目で見ていることに気が付いた。
「なにか気になったか?」
「あ、いえ。バルティニーさんの魔法って、教えてもらったものと少し違うなって思っていたんです」
「路上生活時代に、親切な工房の親方から教わったことと違うと?」
「はい。魔法を実演してもらったときに、一つずつしか使えないって言われました。右手で火を灯して、左手で水を出すことはできないって。でもバルティニーさんは、右手と左手で別々の魔法を使いましたよね?」
なにを不思議がっていたか、説明されてわかった。
「そこは俺も勘違いしていたところだな。でも、練習すればできることだって、エルフの人たちと交流して知ったんだ。そしてこれができなきゃ、次の高みに進めないってこともな」
「魔法に高みなんてあるんですか?」
「あるとも。俺がさっき使った、温風の魔法がそうだな。あれは、風と火の属性の魔法を同時に使うことでできる魔法だ。その練習で、右手と左手へ別々に魔力を集め、それぞれ火と風の属性にしてから混ぜ合わせて、魔法を発動させるんだ」
イアナは訓練方法を想像しようとして、途中であきらめたようだった。
「ほへー。聞いているだけでも、なんか難しそうですね」
「難しいことは難しいが、要は慣れだ。右手で空中に円を、左手で地面に四角を描き続けるようなものだからな」
イアナは試すように、右手で円を左手で四角を描き始めるが、すぐに両方の図形とも歪んでいる。
それを見て俺が微笑むと、ぷくっと膨れられてしまった。
「いいですよーだ。どうせ魔法を使えないんですから、できるだけ無駄ってものですしー」
「できないからって、拗ねるなよな」
苦笑いして、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、魔力の塊を回せなかったって言っていたよな」
「はい、そうですよ。いっくら唸っても、ビクともしませんでした」
「……塊がある場所は、分かったのか?」
「そりゃもう。そうじゃなかったら、回そうとすることすらできないじゃないですか。えーっと……あ、このあたりですね」
イアナが指したのは、鳩尾の部分だった。
俺とは場所が違うなと思いつつ、もう一つ質問する。
「大きさはどのぐらいだ?」
「そうですねぇ……握り拳の半分ぐらい、ですかね?」
大きさまで把握できているなら、イアナに魔法を使う才能がないはずがない。
もしかしたら、昔の俺のように、魔塊を収める場所の壁を動かそうとしていたんじゃないだろうか。
「なあ、イアナ。どうせ休憩中で暇なんだから、ちょっと練習してみないか?」
「ええ~、いまさらやったところで、できるわけないですよ。才能があっても、子供の内から練習しないとできないんですから」
そんなことも知らないのかという口調だったが、こちらはそんな常識なら十分承知している。
そして、それが間違った常識であることもだ。
「暇つぶしの試しでいいから、やってみろ。できたら、もうけものだろ?」
「そりゃあ、そうですけどー……」
イアナは目を瞑って集中を始め、一・二分で止めてしまった。
「やっぱりできませんでした」
「いや、諦めるの早すぎだろ。回す方向を変えようとしてみたりしたのか?」
「やりましたけど、できませんでした。もういいじゃないですかー。わたし、バルティニーさんみたいに、魔法の才能がないんですから」
「とりあえず、俺の教える方法で回してみろ。まずは、魔力の塊の中心に棒を刺した想像をしてみろ」
「串焼きの肉みたいにですか?」
イアナは首を傾げながらも、こちらが言う通りに想像してみたようだ。
「はい、できました。それで次はどうするんです?」
「その棒を回すことで、魔塊が連動して回るようにしてみろ」
「刺した棒の方を回すんですね……うむむむっー」
初めてやるからだろう、イアナは目を瞑りつつ、難しそうな顔でうねっている。
次第に頭が右に左に、前に後ろに傾きだす。きっと回す方向を変えるときに、つい動かしてしまっているんだろう。
やがて、フクロウのように、頭の頂点が左斜め下まで回った。
そのとき突然、イアナの目がくわっと開く。
「いまちょっと回り――まわわわっ?!」
変な体勢だったことを自覚したからか、イアナは横に転がった。
「おいおい、大丈夫か?」
「あはははっ、ちょっと失敗しちゃいました。けど、いま本当に、魔力の塊が回ったんですよ!」
誤魔化し笑いから一転して、こちらに迫ってきたイアナを、俺は手で押し返す。
「寄ってこなくていいから、もう一度やってみろ。今度は首を傾げないように注意しながらな」
「分かってますって。一度できたんですから、二度目だって――あれ? うむむむっー」
イアナはまた首を傾げ始め、今度は首を真横に倒すあたりで止まった。
「あっ! できましたよ、ほらほら!!」
首を横に倒しながら、イアナは器用に喜んで見せてきた。
たしかに、彼女の体から魔力が放出される感じを受ける。
「けど、首を横に倒さないとできないんじゃ、意味ないぞ。見た目、変な奴にしか見えないしな」
「分かってますよ。この回し方を忘れないようにしながら、いま首を戻すところなんですから、黙っていてくださいよー」
イアナは唇を尖らせながら、徐々に頭を縦に戻していく。
そして、真っすぐになったところで、ドヤ顔を決めた。
「ふふん、どうですかバルティニーさん。見事にできているでしょう」
「一度回転を止めて、そのままの状態でできたら認めてやるよ」
「えっ?! そんな横暴なー。でもいいですよ、やってみせますとも」
イアナは頭を両手で挟んで動かないようにしてから、唸り始めた。
けどすぐに、彼女の体から魔力が出てきた感覚がしだす。
イアナは頭から手を外しながら、得意げな顔を向けてきた。
俺は努力を認めて、その頭を撫でて褒めてやる。
そこで、イアナは調子に乗った。
「やってみたら簡単でしたね。これで、これからわたしもバルティニーさんみたいに、魔法をバンバン使ってみせますよー!」
「いちおう言っておくが、その方法で生み出す魔力は生活用の魔法――灯りや水を出すとか、石の形を変えるとか、簡単なものだけにしか使えないぞ」
「……えっ? そうなんですか? ゾンビを煮溶かしたり、上空高く飛び上がったりできないんですか??」
「できないな。でも、生活用の土属性の魔法は鍛冶魔法にはなるぞ。まあ、技術を学ばないと意味がないけどな」
「ううぅ。やっぱりそう楽にはいかないんですね……」
萎れるイアナに、俺は餌を吊るしてやる気を出させることにした。
「なにごとも練習だ。生活用の魔法が上手くできるようになったら、攻撃用の魔法の使い方も教えてやるよ。押しかけでも、イアナは俺の弟子だしな」
「むむっ。そういきいたら、やる気がでてきました。上手く魔法をつかうために、まずはなにをすればいいんですか?」
チョロく乗ってきたので、休憩中の暇な時間を潰すため、あれこれと教えてやることにした。
そんな風に俺たちが魔法であれこれやっている横では、チャッコは前足に顎を乗っけて、すやすやと眠り始めていたのだった。