二百二十話 拠点到着&状況把握
ゾンビ討伐の拠点は、滅びた村から馬車で二日の距離に建てられていた。
馬車の御者に案内されたとき、これが俺たちのためだけに建てられただなんて、嘘だろと思った。
なにせ、街道上にたまにある宿屋よりも、立派かつ堅牢かつ大きな建物だったからだ。
それこそ、どこぞの貴族が避暑地に建てた豪邸、という感じがある。
ここで暮らすのかと思いかけ、ハッと気づく。
俺たちより先に出た冒険者たちの馬車が、その建物の脇にあった。
「そういえば、チャッコがいる俺たちのために物置を作ったって、言っていたんだった」
思い出して周囲を見回せば、たしかにそれらしい建物がもう一つあった。
けど、決して物置と表現できる、粗末な感じはない。
どう悪く言っても、せいぜい山小屋までだ。普通に見た感じを言うなら、小ぶりな宿屋といった感じだろう。
なにかの間違いかと思った。だが、俺たちを運んでくれた馬車の御者が、その建物に荷物を運び入れている。どうやら勘違いではないみたいだ。
同じ結論をイアナも抱いたようで、ぽかんと建物を見上げている。
「これが、物置の大きさ……。倉庫の言い間違いじゃないなら、やっぱりお貴族さまはお貴族さまだ……」
なにやら訳の分からない理屈を口に出し始めたので、俺はイアナの背を押して、建物の中に入ることにする。
扉を潜ってみると、内装に安心した。
実用一辺倒に見える、素っ気ないものばかりだったからだ。
机や椅子、調理場にいたるまで、ウィートンの村に滞在中使っていた、あの離れの宿に似た雰囲気を感じる。
同じ地域の建築物だから、似ているのは当然だろうけど、見知った感じに安心感を抱いた。
気を少し抜くと、中の寒さが気になった。
視線を巡らして、暖炉を発見。さっそく使おうと足を踏み出すと、御者の人が薪を入れようとするところだった。
少し待つと暖炉に火が入り、段々と温かくなってきた。
するとチャッコが、荷物の中から毛布を引っ張り出し、暖炉の前に敷き、その上にうつ伏せになる。そして、いいだろと言いたげな顔を、こちらに向けてきた。
少し前まで野生だったのに、呆れるほどの順応ぶりだ。思わず笑ってしまいそうになる。
一方、イアナは本当に笑った。
「ぷふっ。チャッコちゃんたら、小さな子供みたい」
その嘲笑を受けて、チャッコはすくっと立つ。そして素早く体当たりして、イアナを軽く吹っ飛ばした。
「どへぇー?! うわたっ、ちょ、チャッコちゃん。顔を踏んだら痛いってばー」
「ゥワオン」
下っ端が偉そうにするなと吠えて、チャッコはイアナの頬を前足で踏みつけ、ぐいぐいと押し付けるように動かす。
一通りの制裁が終わったのか、チャッコは暖炉の前に戻る。
イアナも立ち上がったが、その頬には綺麗な足跡がついていた。
それを見て、笑いをこらえることができなかった。
「くふっ――頬にチャッコの足跡が」
「もう、笑い事じゃないですよ。けっこう、踏まれて痛かったんですから」
「あははっ、いや悪い。でもそれは、チャッコを笑った、イアナの落ち度だろ?」
「それはそうですけど。こんな手ひどい仕返しをしてくるだなんて、思ってませんでしたよー」
頬を撫でさするイアナに、チャッコが文句があるならかかってこいって感じの視線を向ける。
イアナはぐっと口を引き結ぶと、何かを思いついた顔をする。
そして、媚びた笑顔を向けながら、チャッコに近づいていく。
「チャッコちゃん。長旅で疲れたでしょ。体を揉んであげるよ?」
「……ゥワン」
許可を出すように鳴いたことを受けて、イアナはチャッコの首から肩甲骨周りまでをマッサージし始める。
しばらく受けて、チャッコが気持ちよさそうに目を細めた頃、イアナの目が何かを企む光を称えた。
「いまだ! 食らえ、くすぐり攻撃ー!」
イアナが手指を、脇腹の毛並みの奥に差し入れ、掻きまわすように動かしていく。
人間相手だったら、恐らく笑い転げていたことだろう。
けど、狼の魔物であるチャッコには効かなかったらしい。
むしろ、整えた毛並みを崩されて、怒り心頭のような顔になっている。
「ゥワワワン!!」
「えっ、ひゃあ?! ごめんなさい、ごめんなさい! 踏まないで―!」
イアナは押し倒され、またもや頬を踏まれていた。
よほどチャッコは怒っているようで、踏みつけたままで、脇腹の毛並みを舐めて整えている。
きっちりと綺麗な状態にしてから、チャッコは前足でイアナを軽く叩いてから、毛布の上に寝転がり直した。
「ううぅぅ……。上手くいくと思ったのに、逆にひどい目にあっちゃった……」
「いや。くすぐりが成功していても、同じ目にあったと思――くふふっ」
俺は言葉の途中で、笑いを堪えるために口に手を当てる。
なにせ不思議そうにするイアナの両頬には、くっきりと足跡がついていて、とても間抜けに見えたからだった。
拠点に物資を運び終えると、早速近場を見回ることにした。
偵察なので、荷物なしの身軽な状態で、イアナとチャッコを連れて平原を進む。
夕方に差し掛かる頃だからか、吹き抜けてくる風が肌に痛くなってきた。吐く息も白くなってきている。
あまり長居はしない方がいいなと、毛皮の合わせを手で握り、ゆっくりと進んでいく。
少しして、すぐにゾンビに出くわした。
廃村に集結しているという情報は本当らしく、平原に点在する姿が見える。
特に決まった方に向かっているようではなく、あちこちにふらふらと移動している。
その中で、この世界で初めて見る、スケルトンがいた。
遠くにいるので目を細めて見る。
保健室の骨格標本が動いているような、筋肉もないのに、本当に人骨が動いている。関節の軟骨は消え失せていて、骨と骨の間に空間ができているのに、当たり前のように崩れずに立っている。
それはなにも人骨に限ったことじゃなく、犬っぽい骨や、ゴブリンぽい骨も、同じように動いていた。
こうして改めて見ると、とても不思議な光景だ。
ゾンビとスケルトンのことを、さらに近づいて観察しようとして、イアナに止められてしまった。
「バルティニーさん。近づくなら、先にその弓矢を使った方がいいんじゃないですか?」
「今日は戦いに来たわけじゃない。ゾンビやスケルトンの特徴を調べにきたんだ。こちらから戦闘を仕掛ける気は、あまりないぞ」
「そうなんですか? でも倒した分だけお金が入るんですから、ここで倒さない手はないと思うんですけど?」
稼ぐためなら、少しでも多く討伐した方がいいだろう。
けどいまは、危険を冒してまで行動するような場面じゃない。
「お金よりも命が大事だろ。その命を守るために、情報が必要なわけだ。ゾンビはともかく、スケルトンとの戦い方を、イアナは知っているのか?」
「知りませんけど、骨なんですから殴り壊せばいいんじゃないんですか?」
「おいおい。ゾンビの成長後がスケルトンなんだぞ。なら、頭と胸以外に急所がないゾンビよりも、スケルトンはもっと急所が少ないと考える方が自然だろ」
「あっ! それもそうですね。うっかりしてました」
「さらに欲を言えば、スケルトンが戦闘でどんな動きをするのか、人骨と動物の骨で動きが違うのかも見ておきたい。そのためには、接近戦を挑まないといけないだろ?」
「なるほど。バルティニーさんのように、二つ名を持つ立派な冒険者は、臆病なほどに慎重なんですね。勉強になります」
失礼な言葉のチョイスだなと思いつつ、俺はイアナとチャッコを留めてから、一人でスケルトンに近づいていく。
冬で下草が枯れているので、隠れ進むことはできないが、極力音を立てないように進む。
五十メートルほどまで近づくと、ゾンビはまだ無警戒なのに、スケルトンたちだけがこちらに顔を向けてきた。
まさか、ここまで感知範囲が広いのか?!
予想外の感覚の良さに、俺は驚きつつも、鉈を引き抜いて構える。
スケルトンたちは対応するように、顎を鳴らし始めた。
「「カタタカタタタ」」「「カチチチカチチチチ」」
人型と動物型で響く音が違うが、やけに耳に触る音だ。
顔をしかめかけて、周囲の気配が変わったことを察して注意する。
見ると、ゾンビたちが急に顎を鳴らすスケルトンに顔を向け、続けて俺の方に動き始めた。
行動から察するに、どうやってかはわからないけど、スケルトンがゾンビに俺の位置を伝えたんだろう。
どうやらスケルトンの役割は、近く範囲の広さを利用した警報機かつ、ゾンビたちの司令塔なようだ。
となると、動きを見るとか言っている場合じゃなくなった。
俺は弓を構えると、スケルトンの頭蓋骨めがけて矢を放つ。
陶器がへし割れたような音と共に、少し遠くで一匹のスケルトンの頭が割れ、バラバラの骨と化して地面に崩れた。
どうやら、頭が急所なのはゾンビと共通のようだ。
そして、一匹分の音が減ったからだろう。スケルトンから遠いゾンビは、こちらに来る足を止めている。
それならと、俺は下がりながら、狙いやすい人型のスケルトンの頭を、矢で射抜き壊してやった。
こちらに来るゾンビの数が明らかに減った。こちらに来ようとする残りも、スケルトンから離れたところで止まってしまう。
そのまま下がっていくと、動物型のスケルトンが顎を鳴らすことを止めていく。
「「カチチカチチ、チチ……」」
音が完全に止まると、ゾンビとスケルトンたちは、再びあちこちにふらふらと移動を始めた。
その様子を見て、俺は今日はもう引き上げることにした。
イアナとチャッコと合流し、拠点へと向かってあるいていく。
その最中、イアナが不思議そうな顔で尋ねてきた。
「バルティニーさん。どうして矢で射抜いちゃったんですか? スケルトンと近づいて戦うんじゃなかったんですか?」
それは、とんちんかんな質問だろう。
「さっきの光景を見て、スケルトンの役割は何だと思った」
「え? 顎を鳴らす音で、ゾンビを操るんじゃないんですか?」
「なら、スケルトンとゾンビ、どっちを先に倒す」
「それはもちろん、スケルトンですよ。放って置いたら、たくさんのゾンビをけしかけられちゃいますし」
そう分かっていても、俺がスケルトンと接近戦を挑まなかった理由までには、思い至らないらしい。
「スケルトンは、見かけたら先に倒す。それ以上の情報は要らないだろう」
「え、でも、接近戦でどう戦うか知りたいって、バルティニーさんが言ったんですよ?」
「言いはした。けどな、接近戦になる前に弓矢で倒す予定にしたんだから、スケルトンの戦い方を知る必要はなくなったろ」
「ああー! それもそうですね。あ、でも、囲まれたとき、危険じゃないですか?」
「待ち伏せや不意の遭遇ならまだしも、視線が通るだだっ広い平原で、動きの遅いゾンビ相手にどうやったら囲まれるんだよ。守る村や家があるわけじゃないんだ、走れば逃げられるだろうに」
「たしかに、言われてみれば……」
質疑の時間は終わりだと、俺は納得して頷いているイアナの背を押し、チャッコを連れて拠点へ戻ることにしたのだった。