二百十六話 イアナとの訓練
アグルアース伯邸で、ゾンビやスケルトン討伐の準備が整うまで暮らすことになった。
綺麗な寝具で寝れて、良い食材の美味しい料理が上げ膳据え膳で来て、とても快適だ。
けど、部屋に居続けるのも暇なので、運動に適した広さの中庭を貸してもらい、イアナとチャッコと共に訓練をすることにした。
まずは準備運動代わりに、俺とイアナでチャッコと追いかけっこをする。
「イアナは、チャッコの逃げ道を塞ぐように動けばいいから」
「は、はい。でも、チャッコちゃん早くて――ああ! 抜けられました!!」
「ゥワワン♪」
俺たちの中で一番身動きが素早いチャッコに、イアナは翻弄されている。
かく言う俺も、楽し気に逃げるチャッコの毛並みを、指先で撫でるぐらいが精一杯だ。
少しして、運動で体が温まったところで、イアナの訓練に移る。
彼女が振るう野球バットのような棍棒を、俺はわざと紙一重で避けていく。
「いっせ、のー!」
「腕だけじゃなく、体のひねりも加えれば、もっと速く振れるはずだ」
「はい! やってみますッ!」
この訓練はイアナに攻撃し慣らせるためだけど、俺の見切りの精度を上げるためでもある。ちなみにチャッコは追いかけっこに満足して、芝生の上で日向ぼっこだ。
「ほら。当たらないからって、無理に大きく踏み込み過ぎない」
不用意な行動を注意しつつ、イアナの出足を横から軽く蹴る。
ぐらっと彼女の体が傾き、すてんと転んだ。
「痛たっ。お尻、打っちゃいましたよ」
「愚痴る前に立つ。野生動物や魔物は、攻撃を待ってはくれないよ」
「うわわわっ! 顔! 顔を蹴ろうとしましたよね!!」
「大丈夫。軽く避ければ当たらないように蹴ったから」
「それって、避けなきゃ当たるってことじゃないですか!!」
こんな風にときどき反撃して、手を抜いたり油断できないように工夫してやる。
立ち上がったイアナは油断なく棍棒を握って、俺の動きに目を配りなおす。そしてまた元気に攻撃してきた。
俺は楽々と避けつつ、殴るぞ、蹴るぞと、フェイントを入れる。ときたま本当に、軽く攻撃してやる。
「わわっ! この、このこの!」
「甘い甘い。というより攻撃が雑だ、ぞッ!」
「痛いッ! その指でおでこを弾くやつ、とっても痛いんですけど! むきーー!」
一向に当たらないことに業を煮やしたように、イアナは滅茶苦茶に棍棒を振り回す。
そんなことをしても、腕と棍棒の長さは一定だ。勢力圏内から外に出てしまえば、当たりようがない。
イアナが振り回し疲れた頃を見計らって、体を密着する距離まで近づき、腕を掴み腰に手を回して保持する。
社交ダンスでペアを組んだ姿に似た格好になったからか、イアナが恥ずかしそうに赤くなった。
「う、うえぁ?! な、なんで抱き着いてきているんですか!?」
「なに赤くなっているんだ。こんなの、投げる前段階だろうに」
「は、はい?! 投げるって――」
俺は前後反転するように回転しながら、イアナを巻き込み投げた。
訓練なので、地面に叩きつけたりはせずに、地面に軟着陸させるような感じで。
投げられたイアナは、少しの間茫然とした後で、猛烈に怒り始めた。
「もう、もう! バルティニーさんは!!」
「なに怒っているんだよ。痛くないように投げただろうに」
「違いますー! そういうことじゃないんですー!! もっとこう、乙女心的な部分で怒っているんです!」
「……それは、男装している身で言える台詞か?」
俺の指摘に、イアナは自分の格好を見て、寝転びながら肩を落とすなんて器用な真似をする。
「ううぅ、男装止めちゃおうかなぁ……」
「俺は構わないぞ。流石にドレス姿になるとか言い出したら、面倒みきれないが」
「そんなことは言いません!」
なにをそんなに怒っているのか理解することを棚上げして、俺はイアナの手を取って引っ張り起こす。ついでに背についた土埃を払ってやる。
するとなぜか、イアナは嬉しさと恥ずかさをないまぜにしたような顔になる。
「どうしたんだ、いったい?」
「……バルティニーさんって、けっこう女性の扱い上手いですよね?」
「そんなこと、初めて言われたぞ」
けど改めて考えてみると、その評価は合っているかもしれない。
今まで親しくなった女性と、険悪な状況になったことはないしな。
これは、気難し屋なテッドリィさんが教育係だった賜物かもな。
それはさておき――
「――ほら、訓練を続けるぞ。次は避けないから、思いっきり打ち込んで来い」
「いつもの奴ですね。ふふんっ。いまのわたしはバルティニーさんへの怒りで、いつもの倍は力が出そうですよ!」
言うだけあって、たしかに今までで一番踏み込みが鋭く、振る腕の力強さも格段に上がっている。
感心しながら、俺は腕に攻撃用の魔法で作った水を薄く纏わせ、イアナの攻撃を受け止めた。
水の膜を貫通した衝撃が、ビリビリと腕の骨を振るわせてくる。
「今までで一番いい――」
思わず褒めようとして、途中で言葉が止まった。
なぜかというと、イアナの棍棒が持ち手部分からぽっきりと折れ飛んで、中庭に落ちたからだ。
無残な状態になった棍棒を手に静止するイアナに、俺はなんと声をかけていいか少し迷った。
「あー。ここまでの道中で、野生動物や魔物相手に使ってきたからな。ヒビでも入っていたんだろう」
慰めると、イアナは涙目で見上げてきた。
「ば、バルティニーさん、ど、どうしましょう……」
「どうするって、新しい物を買うしかないだろう。手ぶらで戦えるほど、イアナは強くないし」
「それはそうですけど。お金、そんなにないですよ?」
心配はそこかと、俺は苦笑いする。
「弟子の武器を買うぐらいしてやるよ。これからの戦いにも支障がでるしな」
「えっ! 買ってくれるんですか! やったー!! これで棍棒から、ちゃんとした武器に持ち替えられるー!!」
現金に喜ぶ姿が微笑ましいが、訂正を入れないといけない。
「言っておくが、イアナに買うのは棍棒だぞ?」
「えっー!! なんで、どうして! 普通の剣とか槍とかでいいじゃないですか!!」
「おいおい。今まで、棍棒を使って訓練してきただろうに。剣や槍に買い換えたら、一から剣や槍の扱い方を覚える必要があるぞ」
「そ、それは、そうかもしれませんけど……」
「言っておくが、剣や槍は使いこなすことが難しい。鉈や棍棒みたいに、力任せに振ればいいって武器じゃない」
忠告を重ねていくと、イアナが諦めたように項垂れた。
「ううぅ……分かりました。わたしに棍棒を買ってください。お願いします」
「いいものを買う気でいるから、心配するな。それに棍棒は手入れが楽な、いい武器だぞ」
「とかいうバルティニーさんは、鉈を使っているじゃないですかー」
「鉈だって、剣や槍より保ちが良い上に、手入れが楽だぞ。じゃなきゃ、ずっと使ったりするもんか」
イアナの反論が止まったので、俺は傍らに控えてくれていた、女性の使用人を手招きする。
「はい、なんでございましょう」
「見て聞いていたと思うけど、イアナの武器を買いに行きたい。武器屋の場所を知る人に、道案内を頼みたいんだけど」
「それでしたら、わたくしが同行いたしましょう。武器の買い出しに同行したことがございますので、当家御用達の武器屋の場所は把握しておりますので」
「……貴族用じゃなくて、冒険者向けの武器屋がいいんだけど」
「ご安心ください。装備を整える費用でしたら、依頼をお受けしていただいた段階で、当家持ちでございますので」
いや、お金じゃなくて品質を問題にしているんだけどなぁ……。
でもとりあえず、その贔屓にしている武器屋にいってみようか。見て駄目そうなら、街中を歩いて探したり、最悪は俺が鉄材から作ればいいしな。
そう結論付け、訓練で流した汗を濡れ手ぬぐいで拭いて身綺麗にしてから、使用人の案内で俺たちは街に繰り出したのだった。




