二百十四話 アグルアース家の大白亜屋敷
徴税官と共に、俺たちはアグルアース伯の屋敷に向かった。
少し離れたところから見えてはいたけど、間近までくるととても壮観な建物だった。
かなり広大な庭園があり、違う種類の冬に咲く花が、それぞれ区画ごとに管理されている。
ふんだんに純白の石材が使われた、三階建てかつ横にもかなり広い屋敷。ぱっと外観を見ただけで、数十もの部屋があった。
思わず圧倒されるこの建築物が、何に似ている気がした。
よくよく考えると、欧州風の大聖堂や、アメリカ合衆国のホワイトハウスに近い。
前世の日本を覚えている俺でも驚くぐらいだ。イアナなんて驚きすぎて、大口を開けたままになっている。
「ほへぇ~~……これが、お家ですか~~……」
感想を口にするイアナの目を見ると、現実を見ていないような、遠い目つきになっている。
目の前で手を振っても反応がないので、額を指で小突いてみた。
すると脳が再起動したかのように、ハッとした顔になる。
「ば、バルティニーさん。あ、あれ、本当に人が住んでいるんですか?」
「当然住んでいるはずだ。というよりもだ、あれほど大きいのだから、十家族分ぐらいの使用人がいても変じゃないぞ」
「そ、そんなにですか……」
イアナが審議を問う視線を向ける先は、アグルアース伯家の事情をよく知るであろう徴税官だ。
彼はにっこりと笑いながら答えてくれた。
「バルティニー殿が言ったように、この屋敷には百人から二百人の使用人がいます」
「あれ? 振れ幅が広い気がするんですけど?」
俺が問うと、徴税官は頷いた。
「長年仕えている方は五十人ほどです。しかし、臨時雇いや行儀見習いを引き入れたり、逆に他家や商家に送り出したりしていますので、数は常に変動します。食料が厳しい冬の間は、親が病気などで死んでしまったり、子だくさん過ぎて困っている家の子を積極的に雇い入れたりするので、これからもっと人数が増えるでしょうね」
「孤児を引き取るなんて、アグルアース伯は慈善家なんですか?」
「そう言うと語弊がありますね。伯爵さまは、財は無為に蓄えるのではなく、ほどよく使ってこそ金品が領地に回るという、経済の基本を知っておられるのですよ」
言葉の意味がよく分からなかった。
けど、使い道のないお金が余っているから、困っている人を助けるために使っているって言いたいのかなと感じた。
そしてこの地域では、施しが人徳にならないって考えがあるらしいから、お金で子供を買っているってことかな?
よく理解できないまま、俺たちは屋敷へと再び歩き出す。
このとき、建築物に興味がなさそうなチャッコは、ようやく移動するのかって顔をしていた。
鉄格子の門を開け、広い庭園を抜けて、ようやく屋敷の前にやってきた。
扉は重厚な木でできているようで、黒茶色に艶光りしている。金属製の取っ手は、金かメッキか分からないけど、とにかくピカピカだ。
ここでまたもや、イアナが驚きで固まった。
彼女の軽く肩を叩いて再起動させてから、俺は顔を横に向ける。
ものすごく薄い気配で佇む、スーツのようなものを着た老紳士が立っていたからだ。
あまりの気配のなさに、チャッコは警戒して歯を?いているし、イアナは気づいてさえもいない。
老紳士は俺とチャッコを見て微笑むと、急に存在感が出てきた。どうやら、意識的に気配の濃さを調節できる人のようだ。
「アグルアース伯爵家の屋敷に、ようこそいらっしゃいませ。私、当家の筆頭家令をさせていただいております、プラシカルと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
そう声をかけて、イアナと徴税官は初めて、筆頭家令のプラシカルさんの存在に気付いたようだ。
イアナは茫然としているが、徴税官は驚きから胸を押さえつつ文句を言い出した。
「も、もう、プラシカルさん。いきなり登場して声をかけてくるのは、あれほどお止めくださいと」
「これは失礼をいたしました。ですが、この声かけは老人の密やかな楽しみでございますので、お目を瞑ってくださると幸いです」
プラシカルさんは言いながら、チラリと俺とチャッコを見てくる。
なんとなく、こちらの実力を測るための、通過儀礼なんだろうと予想がついた。
チャッコもそう悟ったのか、戦闘態勢を解きつつ、少しうずうずとした調子になる。
どうやら、プラシカルさんが強者らしいと分かって、どちらの実力が上か試したくなっているようだ。
俺が想像するに、純粋な戦闘力ならチャッコの方が上だろう。
プラシカルさんの立ち振る舞いを見ていると、戦闘者というより護衛者だろうと分かるからだ。
けどその分だけ、誰かを守りつつ自分も生き残る力量は、俺やチャッコより上だと感じる。
つまり、試合なら俺やチャッコが勝ち、殺し合いならプラシカルさんが逃げ延びて引き分けに終わる、という結果になるに違いない。
そう実力を判断すると、プラシカルさんも俺たちの実力を見極めたようだった。
そしていきなり俺に、頭を下げてきた。
「お話は聞いております。当家の護衛が、なにやら失礼な物言いをしたようで。主になり替わり、謝罪させていただきます」
「あの件はもう終わったことですので、お気になさらないでください」
「そう言ってくださって、助かります。臨時雇い扱いの者は、恒久雇い扱いになろうと必死に働くのですが、たまに行き過ぎたものが出てくるのですよ。困ったものです」
雇用事情を話すことで、アグルアース伯の意思ではなかったと伝えるのが目的かな。
俺はもう一度気にしていないと身振りしてから、屋敷の扉を手で示す。
「不躾なお願いですが、中に入ってもいいでしょうか。いつまでも冬の寒空の下にいたら、風邪をひいてしまいそうです」
「それは気づかず、申し訳ありません。当主様にお会いになる前に、温かい茶とお菓子をふるまわせていただきたく思います」
「そこまでしていただかなくても――」
と断ろうとして、きゅるきゅると、お腹が鳴る音が聞こえた。
もちろん、俺の腹からじゃない。
俺がゆっくりとイアナを見ると、真っ赤な顔でお腹を押さえていた。
とても良いタイミングで鳴ったなと睨むと、身振りだけで昼飯以降に物を食べてないからだと反論してくる。
俺たちのやり取りを見て、プラシカルさんが噴き出した。
「ぷふっ――こほん。家令の身なのに、これは失礼いたしました。当主さまと同席かつ同じ料理というわけには参りませんが、使用人が食べる物でよろしいのでしたら、お渡しいたしましょうか?」
イアナが喜ぶ顔をするが、俺は咄嗟に断る。
「そんな、悪いですよ。アグルアース伯だって、お待ちでしょうし」
「いえいえ。当主様との面会時に、お腹を鳴らされては、私どもが怒られてしまいます。なぜ客人のお腹を満たしてやっていないのか、我が領地が貧乏のように思われるではないか、とね」
プラシカルさんが茶目っ気のある態度を見せるので、きっと冗談だろう。
でも、アグルアース伯を出しての例えをされたら、断るのも失礼になる。
「分かりました。ご相伴に預からせていただきたいと思います」
「ご遠慮なくたくさん食べてよろしいですからね。徴税官の方もご一緒なさってください」
「は、はい。頂かせていただきます!」
「そちらの従魔の狼は、どんな種類の肉がよろしいでしょうか。それと焼いた方がいいでしょうか、それとも生のままですか?」
「ゥワワン!」
「肉の種類は何でもいいので、生肉がいいとのことです」
俺が予想して答えると、プラシカルさんは微笑ましそうに見てきた。
「従魔の言葉がお分かりになるとは、ずいぶんと仲がよろしいご様子ですね」
「本当に分かっているわけじゃないですよ。でも、主と従魔という間柄ではなく、同列の相棒ですから」
「なんとなくは分かると。どうやら当主様は、なんとも珍しいお方にお声かけしたご様子ですね」
そんな話をしていると、またイアナのお腹が鳴った。
プラシカルさんは微笑み、屋敷の扉を開けて、俺たちを中に誘う。
「当主様に聞かれては事ですので、一室に案内し次第、すぐに料理をお持ちしますね」
「お手数をおかけします。ほら、イアナも礼を言って」
「え、は、はい! ありがとうございます! ご飯をくれる人は、いい人です!」
「……どさくさ紛れに、なにを言っているんだよ」
「はははっ。そう言われてしまったからには、いい人らしく、たくさんの料理をお出しせねばなりませんね」
プラシカルさんは笑いながら、屋敷の中を案内し始める。
内装も調度品もかなり高価そうな物ばかりだったけど、食事の気配に浮かれるイアナとチャッコの様子が気がかりで、俺には他を気にする余裕がなかったのだった。