二十話 少し変わったこと
猪を狩った日から少しして、俺が腰抜けという噂は消え去っていた。
あの日、ゴブリンを討伐できたのと、絡んできた人たちに一歩も引かなかった態度が人に伝わって、噂を上書きしてくれたらしい。
何でそんな話が伝播しているのかというと、理由は二つあると知った。
一つは、俺をこっそり監視していた凄腕の狩人が、組合に事の顛末の報告を上げ、それが職員の人たちの間から流れたこと。
もう一つは、テッドリィさんが殴り飛ばしたあの二人が、俺を貶めようと嘘混じりの話を広めたこと。
これらが上手いこと合わさって、広く人々に知られる結果になったのだと、いつも対応してくれる男性職員が教えてくれた。
噂が良いものに変わったのは嬉しい。
だけど、なにごとも良い影響には悪い側面もあるようで――
「あのー、テッドリィさん。なんでそんなに不機嫌なの?」
「あぁん!? 誰が不機嫌だってんだ、コルァ!!」
聞いただけなのに、怒声が返ってきた。
見ての通り、テッドリィさんはここ最近機嫌が悪い。
それもこれも、俺の話に付随して新しく流れた噂が原因なんだよね。
「いやいや。眉が吊りあがっていて、喧嘩口調なんだから、怒っているでしょ?」
「うっせぇなぁ。別にバルトに怒っているわけじゃねぇんだよ。周りの雑音が酷すぎてなぁ。おい、コラァ! 誰が年増で、若いツバメを囲ってるんだってんだ、オラァ!」
組合事務所までの道を歩きながら会話していると、突然に近くで内緒話をしていた男の胸倉を掴んで脅す。
「ひぃ、言ってません言ってません!」
「いいや、言ってたね。お前ぇも、唾つけていた若い男が絡まれたから、あたしがぶち切れたって思ってんだろ、あぁッ!?」
「えっ!? 違ったんで――いえ、なんでもありません!!」
底冷えのする目で睨まれて、通りがかりの男が情けない声を上げる。
しかし、周りでそれ見ていた人たちは、ヒソヒソと会話を始めていた。
テッドリィさんは、そういう彼ら彼女らにキツイ視線を浴びせて黙らせると、八つ当たりのように俺の襟首を持って引きずり始める。
ここまでの光景で分かるように、どうやら俺とテッドリィさんは恋人かそれに似た関係であると、邪推して噂されているらしかった。
だが、そう受け取られても仕方がない気も、しなくはない。
日々の行動だけ列挙しても、こんな感じだ。
一つのテントで共に寝起きしている。組合事務所に行くのも一緒。依頼は別々のものを受けるが、終了後は待ち合わせて夕食にする。
これはテッドリィさんに言わせれば、わざわざテントを二つ買うのは経済的ではないし、どうせ行く場所が同じなら時間を分ける必要もないし、夕食は食べつつ意見交換出来る貴重な機会だ。といった理屈があるそうだ。
まあ、さっき見知らぬ男に怒鳴りつけていたみたいに、彼女自身が噂に屈したくなくて、意固地に続けているって可能性もあるかもしれないけどね。
あと噂を後押ししているのは、どれだけテッドリィさんが口汚い言葉を使っても、俺が怒らないことがあるらしい。
普通なら険悪な状態になるはず。なのにならないのは、そういう肉体的な関係を結んでいるからだ。と言う理屈のようだ。
悲しいかな、一つのテントで寝起きしても甘い状況にはなったことがない、至って健全な先輩後輩関係のままである。
そんな風に、俺とテッドリィさんの関係性は変わってないのだけど、冒険者組合側は噂が沈静化するまでこっちに配慮しようとしてくれているようで。
「昨日の報酬を渡した際にもお伝えしましたが、バルティニーさんには鍛冶仕事の依頼を主に受けてもらい、合間にお二人で魔物の討伐を行っていただきたいのですよ。もちろん、鍛冶仕事をする日はテッドリィさんは木こりの護衛をして下さって構いません」
「その護衛のときは、開墾作業が集中している場所からちょっと離れた、伐採量と人が少ない場所に配置がなりそうって、昨日は言ってましたよね?」
「ええ、まあ。例の噂を気になって、木こりと草摘みの人たちの手が止まりがちになってしまうからと、先方からお達しがありまして。なにぶん娯楽の少ない開拓村では、この手の話は燃えるように広がってしまいがちでして。しばらすれば、噂は自ずと鎮火するものではあるのですが」
恐る恐る職員さんが言うと、テッドリィさんは凄く不機嫌そうながら、頭を縦に振る。
「チッ。仕方ねぇな。こっちは組合に仕事もらっている身だからな、文句はいわねぇさ。そうしてくれ」
「ありがとうございます。それでは今日は、バルティニーさんは鍛冶、テッドリィさんは護衛の依頼を受ける、ということでお願いいたします」
職員さんに言われて、俺たちは組合事務所から外へ出る。
途端に浴びせかけられる好奇な視線を、テッドリィさんは睨み返しつつ、足音荒く魔の森のある方面へ進んでいった。
俺はその後姿に苦笑すると、ロッスタボ親方がいる鉄と銅を作るための鍛冶場へと向かっていった。
この鍛冶場に来るのも何度目ともなれば、顔見知りも少なからずできるもので。
「よぉ、噂の当人がきたな」
「あのトウが立った姉ちゃんは、何時になったらここに連れてくるんだよ」
「恋人なら、お前さんの仕事っぷりを見せて、もっと惚れさせてやれよ」
こんな風に、からかわれることがあるようになった。
まあ、かけられる言葉には悪意がない挨拶のようなもので、あっちも本気でそう言っているわけではないと分かる。
けど、テッドリィさんの名誉にも関わることだし、こっちも黙らずに言い返すけどね。
「恋人関係じゃありませんよ。あと、自分の武器を作ってくれるとき以外だと、鍛冶仕事には興味がないんだそうで、ここに来ることはないでしょうね」
「くはー。言ってくれるな」
「まだまだガキだってのに、胆の据わり具合だけは大人級だ」
「その胆力を生かして魔物の討伐をしてくりゃあ、鉄を取り終えた石が減って、銅作りのこっちの仕事量も減るんだがな」
「鉄作りは好きなのでこなくなることはないですよ。組合側からはむしろ行けといわれてますし。まあ、魔物の討伐も何日かに一回ほど行ってくれとも言われましたけどね」
「おっ、そりゃあいい事を聞いた。作業仲間に教えてやらんと」
こんな風に気安い会話をしていると、ロッスタボ親方がドワーフ特有の短い足で、ノシノシと歩いてきた。
「仕事しろ! 作業交代して、炉の温度を上げ続けろ! 金払わんぞ!」
「おっといけね。じゃあな坊主。鉄作りはほどほどに手を抜いて、鉄なしの石をあまり作らないようにしてくれよな」
「余計なこと言わずに、ふいごを踏め!」
ロッスタボ親方が足を振り上げるのを、話していた男たちはひょいひょいと避けながら、銅作り用の炉にある装置に足を乗せて動かし始めた。
俺にも何か行ってくるかと思いきや、視線で石が詰まれた樽の場所を指してからは、あっさりと炉へと向かっていってしまう。
こっちがマジメに仕事をすると信用してくれているんだろうと思いつつ、歩いて仕事場へと向かった。
樽精製で鉄を作っていき、二樽分をこなしたら細胞の魔産工場を休ませるために、自主的に休憩に入る。
その休憩時間中に、精製し終わった樽の中身を入れ替え、使い終わった石は規定の場所に積む。
何もしていないと暇すぎるので、ここ最近始めた練習をやることにした。
まず、体内にある体より大きな魔塊を解いて、濃度と粘度が高い魔力を体内に戻して、体の隅々まで広げていく。
ところどころ表現が破綻しているが、魔塊は体内の奥深くにある別の空間に存在しているようなものだし、魔塊からの魔力はそう感じるものなので、そういった表現が一番合っているのだから仕方がない。
とまあ、魔塊の存在場所や魔力の質の考察は置いておいて。
時間をかけて体の隅々まで浸透した魔力を、体外に出さないよう気をつけつつ、腕を曲げ伸ばししてみたり身体を捻ってみたりする。
これは何をしているのかと言うと、魔力で出せる力や骨の耐久力が上がらないか――つまり前世のRPGゲームでいう、補助魔法というものがないかを確かめているのだ。
魔力で水や火が出るなら、命の活力や単純な力場を生み出せても良さそうなものなのだけど、実は上手くいっていない。
最初は魔産工場の魔力を使って、身体を覆ってみたのだけれど、どう頑張っても全く効果がなくて諦めた。
なら、攻撃魔法用の魔塊の魔力を体内に満たしてみたらどうか、と最近試し始めたのだ。
先ほどの通りに、体内に満たすのはすぐに上手くいったのだけど、どうもそこから先へ進めない。
どうイメージを膨らませても、生命力や力場には変化してくれなかったのだ。
それは今回も同じで、自主休憩中の時間を費やしたが、どうやっても変化しない。
樽精製に戻らないと行けない時間になったので、体内にあるどろどろ魔力を魔塊を回転させて巻き取るように回収する。
このとき、魔力の通り道を引っかきながら削り広げるような感触がして、くすぐったさに身もだえしてしまう。
それを準備運動の動きに誤魔化してから、樽精製で鉄を作るのを再開したのだった。
その日の夕食に、テッドリィさんに補助的な魔法がこの世界に存在しているのかを、やんわりとした表現で聞いてみた。
「魔力で水や火が出てくるんだから、傷が早く直ったり、持てなかった物が持てるようになったり、身動きが素早くなる魔法があるんじゃないかなって思うんだけど。聞いたことある?」
すると、なんだか変なことを聞かされたといった顔をされた。
「それは治療士連中が秘匿してる回復魔法と、普通に風で物や体を移動させる魔法とは違ぇのか?」
「いえ、そういうんじゃなくて。肉体の能力の底上げというか、例えば斬られても大丈夫な皮膚になるとか、拳で岩を破壊できるようになるとか。そういった魔法を知らないかって話だよ」
前世でのゲーム知識がある俺としては真っ当な疑問だったのだけれど、テッドリィさんは呆れてものが言えないという表情だ。
周りで聞き耳を立てていたらしい人たちからも、堪えきれずに失笑する声が聞こえてきた。
どういうことかと疑問に思っていると、テッドリィさんは少し苛立ったように、ステーキのような料理にフォークを突き立てる。
「バルト。お前ぇ、おとぎ話に影響されすぎじゃねぇか?」
そう告げて、目を覗きこんできた。
少し間が空いて、俺がふざけて言っているのではないと分かったのか、テッドリィさんはフォークで肉を口へ運び、噛み切る。
そして、道理が分かっていない生徒に教えるように、静々とした口ぶりで語りだす。
「いいか、バルト。この世の全ての物は、光、闇、火、水、土、風で出来てんのは知ってんな?」
「はい。四属性二側面区別法、だったよね」
「相変わらず、面倒くせぇ方の呼び名を使ってやがんな。冒険者なら、六属性ってだけ覚えておきゃいいんだ」
フォークの肉を食いきってから、テッドリィさんはさらに続ける。
「その六つの組み合わせで物が出来てっから、魔法でもそれにあった方法でしか生み出せねぇ。バルトがやってるような鍛冶は、土の魔法だな。杯に水を入れるのは、水の魔法だ。なら、この料理はなんの魔法で出せるって思う?」
指差す先にあるのは、野菜が入ったスープだ。
それを六属性の組み合わせで考えるとすると。
「えっと、水と土かな?」
水分と畑で取れる野菜で作ったものなのでそう答えたが、間違えていたようでデコピンを食らった。
「あ痛ッ!?」
「馬鹿かよ。それじゃあ、冷たいスープになっちまうだろうが」
「あ、そっか。温めるのに火属性が必要なのか」
そう納得していると、またデコピンを食らわせられてしまった。
「馬鹿か。あたしは剣士だぞ。その説明を真に受けんなよな」
「えっ、今までのは嘘だった――痛ッ!?」
嘘と言った途端に再びのデコピンがきた。
きっともう俺の額は、間抜けなほどに真っ赤になっているはずだ。
「ちげーよ。単純な剣士の頭で考えた理屈だって、その三つの属性が単純に必要だって分かるって話だっつーの。あたしよりも頭のいい、お偉い魔法使いさまでだって、その属性の割合やらなんやらをずーっと研究し続けて、ようやく一つの複雑な魔法――例に使ったようなスープの魔法を生み出せる、っていわれてんのさ。まあ、そんな魔法を研究する物好きはいねーだろうけどな」
痛む額を撫でながら、なんとなくテッドリィさんの言いたいことが分かった。
「なるほど。あるかもしれないけど、治療魔法のように独占されている可能性があるのか」
「それもあるけどな。体を鉄みたいに硬くしたり、手で岩を砕けるようになるなんて研究は、複雑なだけで意味がねぇんだよ。何のために武器や防具があると思ってんだ。それに岩を砕きたいなら、土系の魔法を使えばいい話だろうが」
「そう言われてみれば、そうなんだけど……」
複雑な魔法でなくても、同じような効果の単純な魔法があるなら、そっちが選択されるのは当然のことだった。
例えば、重たい物を移動させたいなら、複雑だという筋力向上の魔法ではなく、風の魔法で浮遊させて運ぶ。剣の攻撃に無傷でいたいのなら、皮膚を硬化させるのではなく、剣を破壊する魔法を使う。と言う具合に。
けど、逆に返せば魔法は外向きのものばっかりで、内向きのを開発できれば切り札になりえるはず、だと思うんだけどな。
と言った考えが顔にでも出てたのか、テッドリィさんがデコピンしようとしてきたので、額を押さえて体を後ろに倒す。
そんな姿を笑ってから、テッドリィさんはフォークの先で俺を指す。
「変なこと考えんじゃねぇぞ。バルトは、ちょこっと役立つ魔法が使えるだけなんだからよぉ。そういった、偉い魔法使いじゃないとできねぇことは、最初からやらねぇこった。その時間で、飯食って体を鍛えろ、よッ!」
「あ痛ッ!」
助言を聞くため姿勢を戻すや否や、デコピンが飛んできた。
額をさすりながら軽く睨むと、誤魔化すように料理をこちらに押し付け始める。
それを食べながらテッドリィさんを見ると、なにやら嬉しげな様子だったので、痛む額についての文句を言うのは諦めたのだった。
ストック切れたので、ここから気まぐれ更新になります。




