二百話 友と別れ、次なる場所へ
俺とオゥアマトと狼は、用事を済ませるために、一度黒蛇族の集落に戻っていた。
まずは、エルフにつなぎをつけてくれた、長老に報告するためだ。
久しぶりに会った長老は、相変わらず仏像のように座って眠っていて、俺たちが座礼をすると目を開けたようだった。
「久しいな。オゥアマト、その友の人。よく成長したようだ。喜ばしい」
「はい。長老さまが、森人に会う手はずを整えてくれたからです」
「よい。同胞の成長が、我が生きる意味。礼は不要だ」
長老は短く言い終わると、また寝入るかのように静かになってしまった。
こっそり視線を向けると、話は終わりとばかりに目を瞑っている。
相変わらずよくわからない人だという印象を抱いているうちに、オゥアマトに連れられて村長宅から出ることになった。
少し体を伸ばしてから、俺はオゥアマトに顔を向ける。
「それで、オゥアマトはこのあと、プレゥオラと腕試しするんだっけ?」
「そうとも。偉大な彼の戦士と戦い勝てれば、次の森の主と戦う景気づけになるからな」
村長宅から、そのままプレゥオラがいるであろう、訓練場へ向かう。
黒蛇族の子供たちが、前と同じく土濡れで必死に訓練をしている。
少し長く離れていたからか、その人数が減っている気がする。
俺がこの里に来たときであった、あの三人の子供の内、一人の姿がないみたいだった。
そんな観察をしている間に、オゥアマトはプレゥオラと腕試しの話をつけてしまったようだった。
「緑肌のところで暮らした成果、思う存分披露するといい!」
「より一層手強くなった、僕の力に驚くがいい!」
戦う前の口上を放ち、二人は素手素足で戦い始めた。
エルフの集落で、オゥアマトはかなり腕を上げていたようで、プレゥオラがやや押される形になっている。
見ると、フェイントのかけ方や、攻撃の見切りなんかが上手くなっているみたいだった。
そういえばオゥアマトって、エルフ数人を相手にした模擬戦を繰り返していたんだっけ。
それを考えれば、あのぐらいの芸当はできるようになって不思議じゃないのかも。
かなり手強くなったオゥアマトに、プレゥオラは少し悔しそうな顔をしている。
「素手素足の戦いでは、互角以上か。だが、私は呪いの術が使える。この場で使って卑怯とは言うまいな!」
「もちろんだとも。呪いを含めた攻防に勝ってこそ、僕がプレゥオラに長じた証明となるのだからな。だが、そちらが呪いを使うように、こちらも奥の手を使わせてもらうが、構わないな?」
「それこそ、当たり前だとも!」
プレゥオラは口から火を吐いて、けん制してきた。
しかし、魔法を使うエルフを相手に、散々訓練を重ねたオゥアマトに、それは通じないだろう。
現に、プレゥオラが吐く火の範囲を見切り、尻尾で足払いを仕掛けていた。
自分が吐いた火で視界が塞がれていたためだろう、プレゥオラはまともに食らい、両足が宙に跳ね上げられている。
危険な状況に陥ってしまっているけど、プレゥオラは尻尾を地面に叩きつけることで、無理やり体勢を整えてみせた。
流石は、偉大な戦士と評されるだけはあるなって、俺は観戦しながら感心する。
けどオゥアマトは、プレゥオラが構えなおす姿を、黙って見てはいなかったようだ。
「はあぁぁぁ!」
アリクさんに施された、力を限界まで使う方法を使ったのだろう。オゥアマトの四肢と尻尾に、かなりの力が入るのが見えた。
それこそ、軋むような音が聞こえてきそうなほど、体の筋肉が張り詰めているようだった。
オゥアマトの異様な雰囲気に、プレゥオラは警戒している。
だけど、オゥアマトが次に放った突進は、どうやらプレゥオラの予想を超えた速さがあったようだった。
「とおおぉぉああああ!」
「なっ――くあぁっ?!」
一瞬でプレゥオラをタックルで倒して、オゥアマトは馬乗りになった。
そして、両手でプレゥオラを押さえつけると、その首筋に大きく開いた口で噛みつく。
オゥアマトが歯の先が触れる程度に、噛むのを寸止めすると、二人は動かなくなった。
やがて、先に声を出したのは、プレゥオラの方だった。
「参った。オゥアマト、お前の勝ちだ」
言葉を受けて、オゥアマトはプレゥオラの首から、口を離した。
「僕の勝ちだな、プレゥオラ。偉大な戦士から見て、僕の成長具合はどう映った?」
「文句なしに、この里でお前に匹敵する者は少ないと断言しよう。今は短時間しか使えない様子の、その強大な力を上手く使えるようになれば、里一番になれるだろう」
プレゥオラの指摘を受けて、オゥアマトは押さえていた手を退かした。
戦いで限界の力を引き出したためか、その腕は小刻みな震えが走っている。
それを悟らせないためか、オゥアマトはぎゅっと拳を握ると、不敵な笑みを浮かべた。
「もちろん、これからの旅路の中で、この力を十全に使いこなせるようになってみせるとも。そして森の主を倒し、里に凱旋してみせると約束しよう」
「ふっ、その大言を恥じる時期がこないよう、励むといい」
会話を終えると、立ち上がって握手し、お互いの健闘を称え合った。
二人の戦いに触発されるように、この後の子供たちの訓練は、より一層熱が入ったものになっていく。
訓練の終わりを待たずに、俺とオゥアマトは黒蛇族の里を立ち去ることにした。
少し森を歩いて進むと、里で雌と子作りに励んでいたはずの狼もやってきた。
こうして、二人と一匹でまた旅が始まると、俺は思っていた。
オゥアマトがあることを切り出すまでは。
「僕の友よ。相談がある」
「次に行きたい場所でもあるの?」
「いや。ここでお互いに分かれないかという、提案をしたいのだ」
意外な言葉に、俺は面食らった。
「なんでまた急に?」
「これから僕は、強い魔物ばかりでるあの森に籠り、肉体の限界を常に維持する方法を身につけるつもりでいる。訓練を修める期間、森の主を倒して土地を持つという夢がある友を、僕は引き留める気はないからだ」
友達っていう割りには、水臭いことを言うなぁ。
気にしなくていいと言おうとして、オゥアマトのこちらを突っぱねている態度が目に入る。
一人で訓練したいか、俺が近くにいて欲しくないんだろうと察した。
「そっか。それじゃあ、ここでお別れってことになるのかな」
「いや、別れは少し先だ。友の忘れ物を見届けないといけないからな」
「……忘れ物って?」
持ち物は全てあるし、何かを忘れている気はなにもないんだけどな。
不思議にしていると、オゥアマトは自分の配下の狼を指さす。
「僕とこいつがしたように、友も戦った子狼がいるだろう。きっと狼は再戦を待っているはずだぞ」
すっかり忘れていたことを、オゥアマトは思い出させてくれた。
そういえば、この狼の魔物は再戦を希望する特性があると、かなり前に教えてくれていたよな。
「そうだね。じゃあ、戦いに行こうか。あ、でもさ。次に戦うのも、同じ個体なのか?」
「そうだとも。前の戦いの後で、お互いがどれほど強くなったかを確かめるためだからな。狼の側に立って考えれば、他の種族に成長で勝るのは当然。もし負ければ、群れ全体が鍛え方を見直す機会となるのだろうな」
その考えを聞くと、負けた相手に従うのも、成長のヒントを掴むためにやっていることなのかな。
本当はどうなのだろうと、オゥアマトに従う狼に目を向ける。
教えてやるかとばかりに、顔を背けられ、太腿を尻尾で軽く叩かれた。
真実はどうでもいいなって思い直す。
それから少し時間をかけて、狼の魔物の群れがいる花畑にやってきた。
俺がオゥアマトに装備を全て預けると、群れから一匹が前にでてくる。
前に戦ったのと同じ個体なのか、見てわからなかった。
かなり成長していて、他の狼と遜色ない体格をしていたからだ。
俺が花畑に踏み入ると、出てきた狼は無警告に飛びかかってきた。
「グルグアアアアアアア!」
大口を開けて、俺の顔をめがけて飛んできた。
その動作をみてようやく、俺は前に戦ったあの子狼だと実感する。
そして、狼の動きが見えるようになっていることに少し驚いた。けど、アリクさんの魔法って滅茶苦茶速かったもんなって、変な納得をする。
そんな複雑に感情が絡み合った気分で、俺は飛びかかってきた狼の首を素手で掴んで止めて、宙ぶらりんにしてやった。
「クルアァ?」
子狼としての本能が残っているのか、母親に加えられた子供のように、目の前の狼は足を折り曲げて丸くなっていた。
その様子を少し笑ってから、俺は仕切り直すために、少し遠くに投げてやる。
地面に着地した狼は、四つの足を地面につけて、警戒した目になった。
どうやら、俺が以前より格段に実力が伸びていると分かったらしい。
逆に俺は、容易い相手になったなって思っていた。
「ほら、来いよ」
手招きして誘うと、怒ったようにまた飛びかかってきた。
この後、何度かの交差があり、結果的に俺は狼を地面に押さえつけて、その背にまたがることで、勝ちを手にしたのだった。
これでこの狼は、俺の配下になったな。
そして二人と二匹で狼の群れのいる場所から立ち去り、程よい森の中で俺はオゥアマトと別れることした。
「お別れだ、僕の友よ。心が躍る、楽しい出会いであったな」
「じゃあね、オゥアマト。俺も楽しかった。またどこかで会えるといいね」
「そうだな。将来、再開しようではないか」
明確にいつどこでとは言わずに、俺たちは握手をして別れた。
「ゥオン」
「ワゥン!」
俺たちに付き従う狼も、別れの鳴き声を上げて、それぞれ分かれる。
そうして俺は振り返らないまま、森を抜けて人里へ出ようと目標を決めて、一歩ずつ進むことにしたのだった。