百九十六話 実食と招かれざる客
エルフの集落に戻ってきて、まず黄金の実を入り口付近に置くことにした。
そして俺は、主に運んでくれたオゥアマトに労うため、また水をかけてあげる。
「おお、すまないな」
「体が濡れたところで、風もどうぞ」
「これは、涼しい。だが、冷やしすぎは勘弁だからな」
「そこら辺はわかっているって」
そんなやり取りとしていると、アリクさんが喜色満面な顔で、アガックルをお供に近づいてきた。
「やあやあ、待っていたよ。ちょっと調理場の準備に手間取っちゃってね。お迎えが遅れちゃったことは謝らないといけないかな」
茶目っ気を出しての言葉に、俺とオゥアマトは苦笑いする。
「謝罪はいりませんけど、調理場の準備って、黄金の実を料理するんですか?」
俺は実の純金のような手ごたえがする表面を軽く叩く。
いい匂いはするけれど、とても食べ物といえる感触ではないので、食べられるか疑問に思ってしまう。
けど、アリクさんは満面の笑みで頷いてみせてきた。
「もちろんだとも。その金属のように硬い皮を剥けば、ちゃんと食べられる硬さの部分がでてくるんだよ。そのままでも十分美味しいけど、焼いて食べると茫然とするほどの美味しさなんだから」
説明しつつ、アリクさんは黄金の実に手を触れると、ひょいっと軽々と持ち上げた。
重さが分かる俺とオゥアマトは共に、あんぐりと口を開けてしまう。それを隣に座る狼が、不思議そうな顔で見ている。
アリクさんもこちらを見て、苦笑していた。
「ぷふっ。持ち上げているのは単純な腕力じゃなく魔法だよ、魔塊の魔力を使う方の魔法」
種明かしをするように言ってから、黄金の実を食べるのが待ちきれない様子で、スキップしながら集落の中を進んでいく。
細身のアリクさんが、お化けカボチャのように大きな実を片手で持ちながら跳ねている姿は、とても異様に映る。見かけたエルフの人たちも、ギョッとしていた。
「うおっ――って、アリィトイック様か。空飛ぶ果物の魔物が入ってきたのかと思った」
「さっき集落の中央で、アリィトイック様がなにかやっていたな。あそこに持っていくんだろう」
見て驚きはしているようけど、なんだか変な納得をされているようだ。
けどアリクさんは、周囲の目を気にすることなく、嬉しげに黄金の実を運んでいる。
その様子を眺めていたけど、集落の出入り口にいても仕方がないよな。
俺はオゥアマトと狼と共に、アリクさんの後を追うことにした。
すると、すすっとアガックルが近づいてきた。
またけん制か嫌味を言う気かと、少し警戒する。
「なにか用?」
「用というほどのことではない。ただ礼を言っておきたかっただけだ。アリィトイック様のために骨を折ってくれてありがとう、とな」
アガックルが言うには変に感じて、俺は彼に半目を向ける。
「それって、言葉通りに受け取っていいの?」
「言葉の受け取り方など一つだけだろうに。変なことを言うな」
「だって、アガックルは素直に礼を言う性格じゃないと思ってから」
「……ふんっ。アリィトイック様のために働いた貴様らを労おうと考えたが、それは間違いだったようだな」
機嫌を悪くしたように、アガックルは顔を背ける。そして速足になって、アリクさんを追っていく。
その態度を見て、俺はオゥアマトに顔を向ける。
「いまのって、俺が悪かったりする?」
「アヤツの日ごろの行いを考えれば、友の対応は間違いとは言えないと思いはするが、どうだろうな」
お互いによくわからないと肩をすくめ、集落の中央へと歩いて向かうのだった。
集落中央についてみると、そこにはキャンプファイヤーの木組みに似たものがあった。
その上に、アリクさんが黄金の実を乗っける。
木組みが軋んだ音を立てたが、どうにか折れずに実を保持している。
「さてと、それじゃあ焼いていくからねー」
アリクさんが俺たちに向かって言うや、手から魔法で火を出して、木組みを燃やし始めた。
さらには風を魔法で作り、螺旋状の火柱が上がる。
黄金の実はその火に包まれて、あっというまに見えなくなった。
熱気と明るさに俺が目を細めていると、アリクさんが手招きをしてくる。
「なんですか?」
「火を維持しないといけないからさ、あそこにある薪を、ぽんぽんっと投げ入れちゃってよ」
当たりを見回すと、小山ほどの薪が積んである場所があった。
そこに近づき、一つ手に取ってみた。
「あのー、アリクさん。これ湿っているんですけど、薪に使って平気なんですか?」
「此方が少し前に切ったばかりのものだから、しかたがないんだよね。けど、この日の中に入れればすぐ燃えるはずだから、気にせずに入れていいよ」
そういうことならと、燃えて潰れ始めた木組みの中に入れるように、薪を投げていく。
薪から一瞬だけ真っ黒な煙が出たが、すぐに火が付き燃え始めた。
大丈夫そうなので、薪を次から次へ入れていく。
「ここにある薪って、全部入れるんですか?」
「そうだよ。それが全部灰になるまで、燃やし続けないと、いい焼き加減にならないんだよ」
調理経験があるような発言を信じて、次から次に薪を入れていく。
途中からオゥアマトとアガックル、そして狼も手伝いだし、三人と一匹で薪をくべていった。
程なくして薪はなくなり、あとは燃え尽きて灰になるのを待つだけとなった。
この段階になると、もう風を起こす必要がなくなるのか、アリクさんも魔法を放つのをやめている。
包んでいた炎が消え、真っ黒に煤けた実が現れた。
その姿に食べられるか不安になったけど、漂ってきた空気は焦げ臭くはない。
むしろ、鼻血が出そうなほどの濃密な甘い匂いだった。
そんな匂いにつられたのか、エルフの人たちが周囲に集まってくる。
彼ら彼女らはアリクさんが何か作っていると分かったようで、一度引き返すと、手製の酒や料理を携えて戻ってきた。
そうして集落のほぼすべてのエルフが集まった頃、ようやく全ての薪が灰になった。
「さーて、じゃあ切り分けて行こうかな。たぶん一人一口ずつになっちゃうだろうけど、我慢してよね」
アリクさんが音頭とナイフを取り、真っ黒になった黄金の実に刃を入れる。
その瞬間、切れ目から噴出するように、甘い匂いが押し寄せてきた。
さきに漂っていたものよりも格段に濃密だけど、とてもフルーティーな匂いだ。
だからか、甘さによる鼻の痛みは感じずに、いつまでも嗅いでいたくなってしまう。
その感情は、俺だけじゃなくエルフの人たちもそうみたいで、鼻を少し上げたうっとりとした顔をしている。
けど、人一倍嗅覚が鋭敏なオゥアマトと狼は違うらしい。
オゥアマトはすごく甘過ぎる菓子を食べたようなしかめっ面をしているし、狼はくしゃみしながら前足で鼻を拭いていた。
その姿を微笑ましく思っていると、目の前に金色のプリンのようなものが漂ってきた。
手を差し出すと、その上にポトリと落ちる。
周囲に目を向けると、エルフの人たちも手に同じものを持っている。
視線を黄金の実に向けると、アリクさんが切り分けた実を、魔法で周囲に配っている様子が見えた。
「――これで全員に生き渡ったかな。まだ少し残っているけど、それは後で誰が食べるか決めるからね」
アリクさんは集まった全員に向けて言葉をかけると、手に持った焼いた実の欠片を掲げ上げた。
「これは此方が知る限りで、一番の甘味だよ。みんな、しっかり味わって食べてね」
そう言うと、率先して一齧りしてみせた。
「う~ん~。やっぱり、ものすっごく美味しい~♪」
美味しさに悶える姿をアリクさんが披露すると、エルフの人たちも挙って手にある実を食べていく。
アガックル、オゥアマト、そして狼も、一口食べて驚きの顔を浮かべている。
一方で俺は、まずじっくりと実の欠片を観察することから始めた。
焼いた果物にしては重く、断面がとても滑らかで、染み出てくる水分で表面は潤っている。見た目は本当に、型抜きしたプリンにそっくりだ。
手のひらに乗る分しか量がないので、とりあえず端を一齧りして、味を確かめてみる。
噛んだ感触は、固い粘土みたいで、食べ物だとは思えない。
けど、齧り切ってから口に広がった味と匂いは、筆舌には表せないほどの多種多様な洪水だった。
前世で食べた様々なフルーツの味が現れては消え、ときには混ざって昇華し、舌を大いに楽しませてくれる。
齧り取った爪の先のような欠片を、さらに歯で押しつぶすと、さらに別の味が広がった。
散々にかみ砕いて味を楽しみ尽くし、飲み込んで胃の中に入れる。すると、空腹時に甘味を取ったときのように、全身の血が栄養を細胞に配ろうと働く感触がした。
体中から歓喜の声が上がるような状態のまま、俺は焼いた黄金の実の欠片をさらに一口食べる。
一度目の体験より衝撃は少ないけど、その代わりにより一層味を楽しむことができた。
食べる手は止まらず、一口さらに一口と食べている間に、あっという間に欠片は手の上からなくなってしまった。
けど、名残惜しさは不思議とない。
それは胃の中に感じる、確かな重みがあるからだろうな。
ほっと満足の息を吐く。
そしてふと周囲の様子を見る。
すると、エルフの人たちの多くは、切り分け残った黄金の実に視線を注いでいた。
あんなに美味しい実ならもっと食べたいと、その目は語っている。
俺ももらえるのなら、もう一欠けら欲しいので、気持ちはわかる。
匂いのときは駄目そうだったオゥアマトと狼も、食べるとなったら話は別なようで、熱い視線を向けていた。
周囲の目を感じて、アリクさんは微笑む。
「それじゃあ、残りをどう配るかを――」
アリクさんはふと言葉を止めると、なぜか顔を上に向けた。
そして、独り言のようなものを呟く。
「そういえば君も、理性を失う前は、この焼いた実が好きだったよね」
少し物悲しそうな表情の後で、手を真上に向ける。
どういうことか、俺やエルフの人たちが不思議に思っていると、集落に差し込む光が陰ったような気がした。
まさかと思って上空を確認したとき、真っ黄色な炎が迫ってくる光景が視界に入る。
周囲一帯の森を治める空飛ぶ竜の攻撃だと直感したけど、対応できる時間はもうない。
あとはあの炎に焼かれるしかないと悟りそうになる前に、アリクさんが水の魔法で集落を火から防いでくれた。
やがて炎の姿が消えると、その代わりのように、羽を広げた巨大な竜が現れる。
その姿を見て、アリクさんは旧友に出会ったような口調で喋りかけた。
「まったくもう。いきなり攻撃だなんて酷いじゃないか。そんなに、焼いた実が食べたいのかい?」
「GKRIWAAAAAAAAAA!」
返答は、獣性のみを満杯に詰めた叫び声だった。
けど、アリクさんは諦めないように言葉をさらにかける。
「この残った分で満足して帰るなら、喜んであげるけどさ。どうする?」
「HRWQAAAAAAAAAAA!」
「そうか、満足しないか。それなら、追い払わないといけないよね」
アリクさんが手を向けると、空飛ぶ竜は大口を開ける。
そして、アリクさんが魔法で手から、竜が口から、お互いへと巨大な火を浴びせかけたのだった。