百九十一話 狙うべき獲物
アリクさんから狙う獲物の情報を得た次の日、オゥアマトと一緒に、森の中を進んでいく。
もちろん、オゥアマトの配下である狼の魔物も一緒に行動している。
エルフの集落がある、アリクさんが主になっている領域は、神経質なほど注意するほどの危険はない。なので、途中までは気楽な旅路だ。
その中で俺は、前を歩く狼の魔物に注目していた。
久しぶりにエルフの集落から出られたことで、嬉しそうに歩いているその姿が、なんとなく前と少し違う気がしたからだ。
「なあ、オゥアマト。その狼、太ったんじゃないか?」
俺がなんとなく告げると、オゥアマトと狼が一斉にこちらを見た。
オゥアマトは意外な言葉を聞いたって感じの顔だけど、狼の方は睨みつけるような半目になっている。
けどその狼の顔も、全体的に大きくなっている気がしなくもない。
気になり、俺もじっと見返していると――
「ゥオオオン!」
――と吠えられてしまった。
その声の響きは、失礼なことを言うなって感じだ。
でも吠えてきたということは、実は太ったという実感があるんじゃないだろうか。
そう考えて見つめていると、オゥアマトが仲裁するように、狼の頭を撫でた。
「友よ。こいつは太ってなどいないぞ。ただ少し、体格が大きくなってはいるがな」
「……成長したってこと?」
「そうとも。エルフの集落ではいい運動といい食事が取れたことで、骨格と筋肉が大きくなったのだな。体を触ればわかるが、毛皮の下はかなりの筋肉質で、さわり心地がいいぞ」
そうなのかと、つい手を伸ばしかける。
けど狼は触らせるかとばかりに、俺の手に軽く噛みつこうとしてきた。
予兆は見えていたので、さっと手を引く。俺の手のすぐ先で狼の顎が閉じ、カチンとトラバサミが閉じたような音がでた。
怖いなと思いつつ、ひっこめた手を再び伸ばして、狼の頭をさらっと撫でてやった。
俺の反撃が予想外だったのか、狼は一瞬静止し、やり返すようにこちらの手を噛もうとしてくる。
手を引き、さらに上げて避けると、カチンカチンと連続して音が鳴った。
噛みつけなかったことで、狼の鼻筋に皺が生まれ、その四肢に力が入っていく。
これは飛びかかってくるなと、こちらも避けるために身構える。
お互いに相手の行動の予兆を見逃すまいとしていると、俺たちの間にオゥアマトの尻尾が降ってきた。
鞭で地面を叩いたような音の後で、軽く土埃が舞う。
「仲が良いことは結構なことだが、今は移動を優先させたいのだが?」
オゥアマトの控えめな注意に、俺と狼は構えを解く。
それでいいと表情で語ったオゥアマトが進行方向に向き直る。その瞬間、狼が軽くこちらに体当たりしてきた。
衝撃と共に、毛皮の柔らかな感触と、空気を思いっきり入れたボールのような張り詰めた弾力を感じた。
オゥアマトが言っていた通りに、いい体をしているじゃないかと思いつつ、反撃しようとする。
けど、俺がよろめいている間に、狼はすまし顔でオゥアマトの横に並んでいた。
いまから反撃に出たら、きっとオゥアマトに止められてしまうだろう。
やり返す機会を失って、俺は狼との勝負に負けたという気分になる。
雪辱戦はまた今度だなと、狼がそうしているように、俺も何事もなかったかのような顔で、森の中を進んでいくのだった。
アリクさんの領域を出た瞬間に、やるかやられるかな空気が漂う森に変わった。
俺たちは、ここまでとは一変して、注意深く周囲を観察しながら移動していく。
少し森の奥へ進んだところで、大樹の洞の中で休憩することにした。
「ふぅ~。なんだか、ここまで緊張するのが久しぶりだから、隠れ身の感覚が鈍っているや」
「うむ、確かに。ここはあまり急がず、じっくりと進むが吉だろうな」
平和なエルフの集落に長期間滞在した弊害が、こんな形で出るとは思わなかったと、二人して肩をすくめる。
そして休憩という時間を有効活用するため、アリクさんに頼まれた獲物について確認しておくことにした。
「アリクさんが言うには、蔓が寄り集まって獣の形になったような見た目ってことだけど、オゥアマトは見たことがある?」
「いや、見たことはないな。そも、ここらの森は危険だからと、黒蛇族でも滅多に来ない場所だ。そこに住む魔物のことは、偉大な戦士が語り伝えること以外に知りようがなかったからな」
「じゃあ、その話の中に、アリクさんが欲しがっている獲物と似た話はなかった?」
「ふむっ、とんと覚えはないな。蔓の化け物というからには、植物なのだろ。黒蛇族は植物よりも肉が好きだからな。過去の偉大な戦士たちが見つけていたとしても、食指が動かないと戦わなかったかもしれないな」
「ああ。殺した相手の肉を食べて、力を取り込むことが、黒蛇族の流儀なんだっけ?」
「基本的にはな。倒した相手が食えないものの場合は、もちろん食べなくてもよいことになっているぞ」
「でも、食べられない相手とは、極力戦わないんでしょ。竜の話のとき、そんなこと言ってたし」
「うむっ。食えない相手では、勝った後に徒労感が生まれるからな。どうしても忌避しがちになる」
そんな話をしていて、ふと思った。
「もしかして、クロルクルの町にきた大樹の魔物の止めを、こちらに任せたのって……」
「さ、さてな。なんの話やらー」
視線を逸らしてとぼける姿を見て、直感した。
「やっぱり、食えない相手だからって、やる気をなくしていたんだ?」
「人聞きが悪いな。やる気はあったとも。ただ、友の方が楽に倒せるだろうという気がしただけのことだ」
「……仮にあの大樹が、美味しそうな獣の魔物だったら、オゥアマトは自分で倒していたでしょ」
「そう、していたかもしれないが、仮の話をしても仕方がないことだぞ、うん」
歯切れの悪い言葉を受けて、俺は白眼視する。
けど、なんとなくオゥアマトらしいという気もしてきて、すぐに白い眼を向けることを止めた。
「さて、お喋りで変な緊張は取れたし、森歩きを再開しようか」
「うむうむっ。そうしよう、すぐ移動しよう」
オゥアマトが渡りに船と頷くのを合図に、俺たちは木の洞から出る。そして周囲の気配を探りながらの森林行を再開させた。
すると、先ほど話題にしていたからか、すぐにアリクさんに依頼された獲物らしき魔物を見つけることができた。
俺たちは木々の陰に隠れながら、様子を観察していく。
それは鹿や馬のようなシルエットながら、大型トラックより一回りは大きい体をしていた。
アリクさんの情報通り、体は全て深緑色の太い蔓でできているようだ。遠目だと、緑の縄で精巧に作った動物の人形に見えなくもない。
森の中を歩く姿は、緩慢だった。たぶん大きい体と、関節にあたる場所が曲がりにくい蔓の体だからだろうな。
もっとよく見ると、蔓の体のあちこちに葉が茂っていた。その中には、葡萄や桃に似た実が確認できた。
果物が見えたからか、蔓の魔物から甘い匂いがしてきた気がする。
錯覚かと思ったけど、オゥアマトが先割れた舌を口から出して匂いを確認する姿を見ると、勘違いというわけでもないらしい。
ここでふと、少し前の問答を思い出した。
俺はオゥアマトの耳に、口を近づける。
「果物だけど、食べられそうだね。戦う気はでた?」
「むっ。元からやる気だとも。それに果物ばかりが、あの魔物の体から獲れそうなものではないぞ」
「そうなの?」
「そうとも。匂いを舌で確認してみたが、野菜特有の青い匂いが感じられた。エルフの集落の畑にあったものより、かなり上物っぽいぞ」
ということは、どうやらあの蔓の魔物は、動く野菜と果物畑なやつのようだ。
けど、どうしてそんな体を持っているんだろうと、まるで人間に都合のいい生き物みたいで、なんとなく落ち着かない気分になる。
その答えは、すぐに判明することになった。
空から人ほどの大きさの鷲っぽい鳥が、すれ違いざまに蔓の魔物にある葡萄を掠め取ろうとする。
大きな鉤爪が、ピンポン玉のように大きな葡萄の粒を掴んだ。その瞬間、まるで仕掛け罠のように一本の細い蔓が体から飛び出し、鷲っぽい鳥を絡めとったのだ。
「ギィィワァーー!」
悲鳴を上げて鳥は逃げようとするが、蔓が蛇のように動き、どんどんと拘束具合を増していく。
やがて嘴と翼の先が出るような形で、雁字搦めになってしまった。
「ギィ、ギィィ、グゥワ」
苦しそうに鳴く鳥は、どんどんと束なった蔓の体の奥へ引き込まれていく。
やがて鳥の姿が完全に没して、鳴き声もすぐに聞こえなくなった。
一連の光景を見た後で、俺はオゥアマトと顔を合わせる。
「あの体にある食べ物って、餌を呼び寄せるための撒き餌みたいだ」
「鳥を取り込んだことを考えると、動物を栄養にしているのだろうな」
一筋縄ではいかなさそうな相手に、狼が座って待ての体勢をとる横で、俺たちはどうやって戦うべきかと頭を悩ませるのだった。




