百八十九話 アリィトイックとの模擬戦
アリクさんとの模擬戦が始まった。
俺とアリクさんはお互いに、片手剣の模擬剣を持って向かい合う。周囲には観客がいて、戦いが始まるのをじっと見ている。
観客の中には、オゥアマトとアガックルもいる。こちらを見る目に含まれる感情はそれぞれ違うようだけど、俺がどれだけやるのかを見定めようとしている感じだ。
アリクさんは観客の視線を気にしていない素振りで、俺に模擬戦開始の合図を送ってきた。
「それじゃあ、始めってことで」
軽い調子の言葉に肩透かしを食らった気分だった。
けど、そう考えてもいられなくなった。アリクさんの空いている手から、風がこちらにやってきたのだ。
山おろしの突風に似た魔法の風に、思わず目をつぶりそうになる。
けど、こちらに走ってくるアリクさんの姿に、目を閉じることが致命傷になると悟る。
俺は目を半開きにした状態で、逆に斬りかかりにいく。
アリクさんが防ぎ、お互いの模擬剣が甲高い音を立てた。
「おやおや。初見初手の相手だと、だいたいこれで一本とれるんだけどなー」
「せっかくの機会なので、早く終わったらもったいないでしょ?」
「それもそうだね。ほいっと」
こちらに知らせるような掛け声の後で、アリクさんは再び手から風を俺の顔に当ててきた。
柔らかい毛布を瞬間的に当てられたような感触だったけど、驚きで俺は目をつぶってしまう。
けど体は硬直させずに、アリクさんの脛のあたりに蹴りを放つ。
単なるけん制だけど、仮に当たったら行動を少し阻害することができる。
でも、振り上げた足は空振りに終わった。
ならと後ろに飛びのいて、目を開ける。追いかけてくるアリクさんが、すぐ目の前にいた。
こちらの胸元を狙って、模擬剣が突き出してくる。
慌てて剣を振るって、対応する。
「くっ――とや!」
突いてきた模擬剣を払い、斬り返しでアリクさんの肩口を狙う。
だけど俺の剣を持つ手に、唐突に現れた火がかかった。
「――あっつ、ってまずっ?!」
熱さに驚き、アリクさんの魔法だと気付いたときには、俺の手は反射的にあらぬ方向に跳ねあがっていた。
今の俺は胴体の防御が、がら空きの状態だ。
目の前のアリクさんの顔が、罠にかかった獲物を笑う表情を作る。
これは一本取られたと口惜しく思いながら、足掻くことは止めない。
俺は空いている手から生活用の魔法で水を放ち、アリクさんの顔に浴びせかけた。
「うわっぷっ――」
鼻か口に水が入ったのだろう、アリクさんは反射的に顔をそむけた。
その秒にも満たない隙で、俺はアリクさんの攻撃を地面を転がって避けることに成功する。
立ち上がり構えなおすと、アリクさんは咳き込んで、顔を手で拭っていた。
「げふほ。いやあ、咄嗟の事態になると魔法の発動を失敗する人が多いから、今のは決まったとおもったんだけどねー」
「俺は魔物との戦いで魔法を使うこともあるので、咄嗟でも失敗はしない自信がありますよ」
「そっか、経験の差かな。同族の子たちにも、実戦経験を積ませたほうがいいかもね、これは」
お互いに暢気に話しているけど、俺はアリクさんの隙を伺っていた。
けど、視線と剣先は常にこちらに向けられていて、不意打ちはできそうにない。
オゥアマトとの模擬戦を見ていて、アリクさんは魔法が上手なのはわかっていたけど、武器や体術の腕も立つようだ。
小細工は無理そうだ。真正面からいくしかないな。
俺は右手の模擬剣を握り直し、左手に細胞からの魔力を集めていく。
呼応するように、アリクさんも同じ行動をとる。
「いきます!」「いくよ!」
お互いに同じ言葉を放ち、同じように前に出る。
けど先に手から魔法を放ったのは、俺の方だった。
左手を横に振りながら、生活用の魔法を発動させる。それも二属性を混合させたものをだ。
「片手だけでできたの!?」
両手じゃないと混ぜられないなんて、実戦で使えない。片手でできるように練習するに決まっているだろう。
そんな思いを乗せて、驚くアリクさんの顔へ、水主体で土属性を混ぜて生み出した泥水が飛んでいく。
直撃すれば、単なる水と違い、目を開けることが難しくなるはずだ。
そんな俺の思惑は、アリクさんが手から放った魔法の風で、泥水が吹き飛ばされるまでだった。
吹き散らされた泥水は、反射されたかのように、散弾状でこちらに向かってくる。
俺は左腕で目の周りを覆いながら、アリクさんに接近する。
腕や体に泥水がかかる感触を得ながら、模擬剣を振り下ろした。
再びお互いの武器が噛み合う。だけど、突進の威力と体格差で俺が押し勝った。
「でぇやあああ!」
「おおお、やるもんだね」
アリクさんは嬉しそうにしながら、衝突の衝撃を逃がすためか、後ろに跳び退く。
それを追いかけようとして、俺たちの間に真っ白いなにかが立ちはだかった。
一瞬理解が遅れたけど、熱気から蒸気だと気が付く。そしてアリクさんの放った魔法だとも理解した。
無理に押し通ろうと思ったけど、蒸気の熱さに踏みとどまる。
その代わりに、魔法で手から風を出して、蒸気をアリクさんの方へと押し出してやった。
風で多少冷えるだろうけど、まともに浴びれば軽い火傷は負うはずだ。
そんな期待は、吹き散った蒸気の向こうに、アリクさんの姿がないことで叶わなかったと悟った。
どこに行ったのだろうと顔を巡らそうとして、視界の下の端に動く影が見えた。
悪い予感に跳び退ると、俺の足があった場所を、模擬剣が横なぎにしている。
もちろん剣を持っているのは、地面に四つん這いになった状態のアリクさんだ。
「ちぇっ。オゥトちゃんの動きを、真似してみたんだけどなぁ」
唇を突き出して不満そうにしながら、こちらに指先を向けてきた。
魔法を使う気だと悟って、俺は空の手をアリクさんに向ける。
発射した魔法は、俺は水の膜、アリクさんは風の球だった。
風の球が水を噴き散らして、こちらの肩に着弾。見えない誰かに突き飛ばされたように、俺の上半身が斜めに傾いだ。
こちらが体勢を戻そうとするより先に、アリクさんが低い体勢で突っ込んでくる。
「てぇや!」
短い気合の言葉と共に、俺の太腿に模擬剣が振るわれる。
この崩れた体勢では跳び退けない。けど直撃を貰えば、致命傷判定で模擬戦は終了だろう。
だから俺は、少しの可能性に賭けて、狙われた足を大きく前へと踏み出した。
太腿に衝撃が走る。
当たったのは、模擬剣の柄の部分。刃ではないので、致命傷扱いにはならない。片手剣サイズの、短めな剣身に救われた。
けど安心してばかりもいられない。剣を少しでも引かれたら、太腿に模擬剣の刃が当たってしまう。
俺は体勢が戻り次第に、アリクさんの腕を掴んで、剣を動かせないようにした。
このときのお互いの図式は、足に斬りつけるために上半身を倒したアリクさんと、その手を握って直立する俺という構造だった。
「おや。これはまずいかな?」
アリクさんが呟いた通りに、俺が大変に有利な状況だ。
右手の剣を振り下ろすだけで、こちらの勝ちが決まる。
実際、その通りにしようとした。
「――なーんちゃってね♪」
「ぐがっ?!」
茶目っ気が含まれたアリクさんの言葉が耳に入った瞬間、俺は体を駆け巡った衝撃に硬直した。自然と振るう剣も止まる。
動きが止まった隙に、アリクさんは体を起こして、俺の喉元に指先を突き付けていた。
「はい。これで此方の勝ちだね」
ここで喉にある指から火でも出されたら、防ぎようがない。
「負けました。けど最後、何をしたんですか?」
あの衝撃はどこかで体験したように思うけど、はっきりとは思い出せない。
もやもや感が気持ち悪く思っていると、アリクさんはやって見せてくれた。
「バニーくんが掴んでいる手から体に、弱い稲光を通したんだよ」
アリクさんの腕に風が渦巻き、続いて水滴がその中に浮かぶ。すると電気の小さな火花がバチバチと散る。
その電気の一つが俺の手に当たり、先ほどと同じ衝撃がやってきた。
なるほど、風主体で水の魔力を混ぜた生活用の魔法で作った、弱い電気ショックを食らったわけか。
前に魔導士の男から、魔法で生み出した雷を食らったことがあったので、道理でどこかで体験したと感じたわけだ。
それにしても、相手の体の動きを止めるには、使い勝手の良さそうな魔法だなと、心のメモ帳に残しておくことにする。
なにはともあれ、模擬戦は俺の負けで終わった。
アリクさんと礼を交わして、他の人に場所を譲るために、お互い訓練場の脇へと進む。
そこには模擬戦を観戦していた人たちがいて、熱心に意見交換をしていた。
「弱い方の魔法でも、使い方で色々とできるもんなんだな」
「武器と組み合わせると、もっと幅が出るのではないか?」
ああだこうだと言い合う姿に、俺の負けも無駄ではなかったなって思った。
アリクさんも、エルフの間に活気がある様子を、嬉しそうにしている。
そんな和気あいあいとした空気の端で、アガックルが忌々しそうに俺を見ているのが、少しだけ気になったのだった。




