百八十一話 森人の集落へ
緑肌の森人の集落を目指して、森の中を旅していく。
こうして再び森林行をして思うのは、俺もすっかり森での生活に慣れてしまったなってこと。
浅く長く眠ったり、深く短く眠ったりと、睡眠の質を自由自在に変えられるし、半ば自動的に食べられる草やキノコを採れるようにもなっている。
そして黒蛇族の里で連日訓練していたお陰で、より危なげのなく魔物を仕留められるようになった。
なんだか、人の町で暮らすよりも、魔物が徘徊する森の方が居心地がいい気さえする。
でもこの価値観は危ないので、自制しよう。
一方で、オゥアマトも俺と共に暮らして、変わってきたことがある。
それは、俺の料理も好んで食べるようになったことだ。
その中でも、スープがオゥアマトのお気に入りらしい。
「温かい水はいいな。朝に飲めば、体が温まって動きがよくなる。その上、料理の匂いに引き寄せられて、獲物が向こうからやってくるのもいい」
味よりも、効能の方がお気に入りっぽいけどな。
一方で、オゥアマトに従っている狼の魔物は、俺の料理を食べない。
オゥアマトが手ずからあげれば、食べるんだけどな。
でも代わりに、出汁に使った骨を、バリバリと美味しそうに食べる。
「ゥオオン」
一本食べきると決まって吠えて、もっと寄越せと言ってくる。
はいはいとあげると、ぱたぱたと尻尾を振って、新しい骨を齧り始める。
ここで、犬みたいだなと頭を撫でようとしてはいけない。伸ばした手を噛みつきに来るので、大変危険だ。
オゥアマトが撫でる分には、いいらしいけどな。
そうやって二人と一匹で旅をしていき、十日ほど経ったある場所でオゥアマトに料理禁止令を出された。
「ここから先は、強力な魔物がいる領域に入るからな。隠れ進んでいくぞ」
恐れ知らずに見えるオゥアマトが警戒するなんて、どんな魔物なんだろうかと、楽しみに思っていた。
実物を見るまでは。
俺とオゥアマトは木の陰に隠れて、ある魔物をやり過ごそうとしている。
その魔物とは、分厚く硬そうな焦げ茶色の鱗を持つ、五両編成の電車よりも大きなトカゲ。
ファンタジーな映画で見たことがある、翼のないドラゴンにそっくりな魔物。
オゥアマトが言うに、あれは竜の一種だそうだ。
その映画では翼がないドラゴンは低級だなんて台詞があったけど、この世界で実際にみるとそんな言葉は鵜呑みにできないと分かる。
あれの前に出るだなんて、それこそ突っ込んでくる電車に立ち向かうようなものだ。戦いにすらならないだろう。
魔法を使えば倒すことが可能かと試算するけど、どんな魔法なら通じるのかすら分からない。
俺の一番殺傷力が高い魔法――武器に魔法を纏わせる攻撃でも、あの巨体には軽症を与えるのがやっとな気さえする。
そんな恐ろしげな相手なので、気軽に挑めるような相手ではない。
息を殺してやり過ごし、そそくさと移動し、安全そうな場所で一息つく。
「あんなのがいるなんて、思ってもみなかった」
「ここらは古い森であり、森の主の広大な縄張りの片隅だからな。強い魔物が多いわけだな」
「森の古さと大きさ、そして魔物の強さに、何の関係があるの?」
「知らないのか? 主が長年同じな領域を古い森といい、強い魔物が集まってくる。そして主が治める領域が広いほどに、魔物の数が多くなるのだ」
「ということは、ここら辺の森は強い魔物がうじゃうじゃいるってこと?」
「そうだ。先ほど見た竜など、ここらの森では上の下ぐらいの強さだぞ」
「えっ。あれが森の主じゃないの?」
「あれなど、ここの主の餌に過ぎん。なにせ主は、空を飛び、火とか酸とか毒とかを吐く竜だからな。地に根差した生物が及ぶ相手ではないな」
そんな竜なら、広大な領域を長年治められるなと納得する。
「でも、黒蛇族は強い相手と戦って、血肉を得るんじゃなかったっけ。ここの魔物は絶好の相手だと思うけど、戦わないのか?」
「もちろん、戦うとも。だがそれは竜種以外だ」
「それは、あまりに強いから戦いを挑まないってこと?」
「いや。竜種は強い相手なのに、黒蛇族と祖が同じなので、倒しても食えん。病気になってしまうらしい。戦うだけ損だから、戦わずに済ますわけだな」
その理屈が本当かどうかはわからないけど、黒蛇族が竜と戦わないことはわかった。
「それにしても、なんでこんな場所を通らないといけないんだ。迂回すればいいのに」
「したいのは山々だが、森人たちの集落は、天飛ぶ竜の領域の中にあるのだ。どう迂回しても、結局は同じだ」
「……なんでまた、そんな辺鄙な場所にあるんだよ」
「僕が聞いた話によるとだ――大昔にとある森人が、小さな領域の森の主となった。その後で天飛ぶ竜の主が生まれ、次々に周囲の森の主を倒して領域を広げていった。しかし唯一、主となった森人は倒せず。今でもそのままなのだという」
「それって、飛ぶ竜より強い人ってこと?」
「さてどうだろうな。長年双方生き続けているのなら、同等の実力だと考えるのが普通だと思うぞ」
そんな人に会いに行くのだと聞いて、知らなかったこととはいえ、今更ながらに心配になってくる。
するとオゥアマトが、気休めの言葉をかけてくれた。
「なに。件の森人が治める領域に入れば、危険な魔物など一匹もいなくなる。それまでの辛抱だ」
「その辛抱って、何日間?」
「ふむー、これでも最短距離を進んでいるからな。うまくいけば、三日。逃げ隠れして時間がかかっても、五日ぐらいだろう」
意外と近い場所なようで、安心した。
三日から五日なら、耐えられそうだ。
気が楽になったので、あらためてこそこそと森の中を移動することにしたのだった。
強い魔物がいる森の中を進んでいると、色々と驚く。
羽のない竜を、オゥアマトが従えているのと同種の狼たちが、三、四十匹の群れで襲い掛かって倒していた。
かと思えば、狼たちは自分より小さなリスっぽい魔物から、全速力で逃げる。
そのリスの魔物は、琥珀石のゴーレムに踏みつぶされた。
ゴーレムは、羽のない竜の尻尾の一撃で粉砕されてしまう。
そんな単純な実力ではなく、なんらかの相性が存在しているような光景が、あちらこちらで見ることができた。
そして見かけるどの魔物も、他の領域の森なら主となれそうな実力がありそうなことにも、驚かずにはいられない。
もしかしたら、この森から出て行った魔物が、新たな森の主となるという事例もあるんじゃないだろうか。
ちなみに、竜に砕かれたゴーレムから、核と大き目な琥珀石をいくつか回収しておいた。
森人の集落でお金が使えるとは思えないので、これで売り買いする気でいる。
それはさておき。
危険な領域に入ってから、四日が経った。
神経を張っているので、俺もオゥアマトも、そして狼の魔物も、どこか余裕のない顔で森を進んでいた。
しかしあるとき、ふと森の様子が変わった気がした。
なんというか、命の危険だらけの場所が、不意に終わったように感じた。
不思議に思って周囲を見回すけど、先と後ろの森の光景に、さほどの違いはない。
けどこの感覚を、オゥアマトは覚えがあるようだ。
「どうやら、森人の治める領域に入ったようだ。ここからは、周囲を警戒する必要がないぞ。友も、料理を存分に作ってくれていい」
「ゥオン!」
オゥアマトと狼は、もしかして俺に料理を作れと言いたいのだろうか。
それならと、料理の準備をしていく。
危険な領域内を旅している最中に、食べられる植物や、戦闘を回避しきれずに倒した魔物の肉を獲ってあるので、それを使う気だった。
いつも通りに竈と鍋を、鍛冶魔法で土から作っていく。
オゥアマトと狼も慣れたもので、その間に薪を用意してくれていた。
さて作ろうと、竈のしたに薪を入れ、生活用の魔法で火をつけようとし――
「申し訳ないけど。森林火災防止のために、ここで火をおこすのは止めてほしいな」
――注意してきた誰かに腕を握られた。
俺たち全員が、ギクリとした表情をする。
きっと誰もが、俺の腕を握る人が接近していたことに、まったく気づいていなかったに違いない。
恐る恐る、俺は顔を上げる。
すると、とても優しげな笑顔を浮かべた、若葉色の肌の顔が見えた。
髪も艶やかなエメラルドグリーンで、なるほど緑肌だと変に納得してしまう。
二十代ぐらいの中性的な顔立ち。麻木色の袖ありのワンピースみたいな服に起伏がなく、性別はわかない。
「あ、あの。森人の方ですか?」
そう尋ねると、小首を傾げられてしまった。
「おや、人間が森人だなんていうのは珍しい。ああ、そこにいる黒蛇族の子に、その名称を聞いたのかな?」
「え、あ、はい。そうですけど」
「なるほどね。君が黒蛇族の旅人から友に認められた子ってことだね」
笑顔のまましきりに頷いた後で、森人は自己紹介をしてくれた。
「はじめまして。此方は、人間の言うところの森の奥に住まう者――通称でエルフという種族の長、ダグンイドを祖に、イラルカゥを母に持つ、アリィトイックだ。人間の社会風に名を言うなら、アリィトイック・ダグンイド・イラルカゥとなるのかな」
アリィトイックさんかと名を覚えようとして、さらりと『長』と言っていたことを思い出した。
「もしかして、森の主になった森人!?」
「はい、その通りですよ。ああ、大丈夫。他の森の主とは違って、人間は食べませんから」
優しい笑顔で、驚く俺の頭をよしよしと撫でてきた。
その手つきは、どことなく老人が子供にするものだと感じた。
不思議に思い反応できずにいると、オゥアマトが地面に膝をついての座礼をしていた。
「お初にお目にかかる。黒蛇族の旅人、オゥアマトという。この度は僕と友を、この里に快く招待してくださり――」
「ああ、そういう硬い挨拶は抜きでいいから。森人は、基本的に気楽な種族だからね。そういう肩がこりそうなのは、逆効果になるよ」
「――うむ。そういう事なら、普段通りの言葉でしゃべらせてもらう」
オゥアマトはすくっと立ち、長老から頂いた森人の手紙を差し出す。
「これが通行証なのだろ。見分してくれ」
「いや、見なくてもわかるよ。なにせその紙には、此方の髪が一本編み込まれていてね。意識すれば今どこにあるのか直ぐわかるんだ」
驚きで目を開いたオゥアマトが、紙を透かして見始める。
そして真ん中ぐらいに指を伸ばす。
パピルスのような網目から、するりとエメラルドグリーンの髪が一本抜け出てきた。
あんな細い髪で、GPSみたいなことができるなんてと、俺も驚いてしまう。
俺たち二人の様子を見て、アリィトイックさんはよりニコニコと嬉しそうに笑い始める。
「あはっ。驚いてくれて嬉しいよ。なにせ、集落の人たちはみんな知っている能力だからね。いまじゃ、生まれた子に親が教えちゃうから、驚かせることすらできやしないんだよね」
笑って言い、俺を撫で続けていた手を止めた。
「さて、じゃあ集落に案内するね。黒蛇族と違って、ちゃんと柵と畑があるから、人間の君にはなじみ深い光景が見れるとおもうよ。ああ、そういえば、名前は?」
「あ、言い忘れてました。バルティニーです」
「うんうん、バニーくんだね。此方のことは、親しくアリクと呼んでいいよ」
「えっ!? それは、あっ……」
兎だなんて略し方は嫌だと、別の言い方にしてもらおうとして、言葉が詰まった。
なにせこの世界では、バニーと英語でウサギを呼ばないので、どう訂正していいか分からない。
結局、呼び名の変更は諦めるしかなかった。
「……はい、よろしくお願いします。アリクさん」
「なんだかバニーくんは硬いね。あっちで自由に見回っている、オゥトちゃんほどとは言わないけどさ、もうちょっと打ち解けていこうよ」
オゥアマトの略し方も酷いなと思ったが、こちらも日本語じゃないと酷い意味が通じないので訂正できない。
解消できないもやもやを抱えつつ、アリクさんに案内されて、森人――エルフの集落へと向かうのだった。
兎くんと、下呂ちゃん。
こう書くと、一昔前のラノベのタイトルにありそうだなぁ。