百五十二話 黒蛇と一緒
ウィヤワの相手をしていたら、すっかり夜になってしまった。
とっていた宿に戻ると、オゥアマトが暗い部屋の中で起きていて、こちらに視線を向けていた。
俺があげた鉈を持っていて、部屋の中に一歩でも誰かが入れば、襲ってきそうな雰囲気をまとっていた。
その様子に驚いて俺が身構えるのと、オゥアマトが戦気を霧散させるのは同時だった。
「なんだ、僕の友か。遅いお帰りだったな」
中に入れと手招きに応じて、俺は構えるのを止めて部屋に入る。
俺が部屋の扉を閉めると、オゥアマトは何かに気が付いたように、先の割れた舌を出して、チロチロと動かす。
「なんだ、友よ。どこに行っていたかと思えば、女を抱いてきたのか」
「……その通りだけど、なんでわかった?」
「ふふーん。黒蛇族の匂いを舌で味わう力を、舐めては困る。獲物が一筋でも怪我を負っていれば、血の匂いで地の果てまで追っていくことができるのだからな」
凄いだろ、と胸を張る。
確かに凄いけど、そんな特技を使う場面じゃないだろと呆れつつ、ベッドに腰を下ろす。
すると、オゥアマトはするするとベッドの上を移動して、こちらに近づいてきた。
「それで、友の奥方はどこにいるのだ。僕に紹介してくれてもいいだろ?」
「……なんだって?」
ニヤニヤ笑顔のオゥアマトに問い返すと、きょとんとした顔が返ってきた。
「なんだ。肌を合わせた後に、喧嘩でもしたから、僕を紹介できないのか?」
「いや、そうじゃなくて。俺に奥方――妻や配偶者はいないぞ」
「またまた。ついさっき抱いてきたことは、僕は分かっている。隠さなくてもいいだろう」
「いや、本当にだよ。抱いたのは、娼婦――そういう行為を商売にする女性なんだから」
考え違いを正そうとしていると、オゥアマトに眉をしかめられてしまった。
「人間というのは、繁殖行為を売り物にしているのか? それで作られた子は、どうなるのだ?」
口ぶりから、黒蛇族には売春という行為が、存在していないらしいと分かった。
どう説明したらいいかと、少し頭をひねる。
「えっと、商売にしているのは人間だけじゃなくて、他の獣人もだぞ。娼館には、犬や猫の獣人の姿もあったし。それと、子を作らないような特殊な実を、商売女は食べているはずだ」
「なんと!? 子ができなくしているのなら、なぜ繁殖行為を行うのだ?」
「子を作るためじゃなくて、オゥアマトが言う繁殖行為で快楽を得ることが、商売女を買う側の目的だからだろうな」
一般論として語ると、オゥアマトは信じられないという表情を、さらに深めた。
「分からん。町村に住む人の行動は理解できないが……僕の友も、その目的で女を買ったのか?」
「そうだ――と言えないこともないが、今回の主目的は悩みを聞いてもらうことだったな。お陰で、ちょっとした指針になりそうな助言ももらえたし」
ウィヤワとの行為を思い返して説明すると、オゥアマトは頭を抱え始めた。
「うむむっ。なんだか、混乱してきたぞ。繁殖行為の相手でしかない能無しのメスが、どうして呪い師であり鍛冶師でもある僕の友に、助言ができ得るのだ……」
黒蛇族の文化とよっぽど違うようで、オゥアマトは頭から湯気が出てきそうなほど、悩みに悩んでいる。
けど俺は、そんなに変かなと首を傾げた。
「どんな人でだって、なにか秀でた部分はあるものだ。その人の職や役割で、その長所が消えるわけじゃないだろ。なら、誰であっても、他人に助言はできるだろ」
前世ではチビで非力な俺にも、自分より大柄な相手に立ち向かう方法を、よく知っていた。
同じように、誰にだって長所や特技と呼べるものがあるのは、当然なことだろう。
俺からそんな説明を受けて、オゥアマトは一応は納得してくれた。
「……なるほど。それもまた道理だな。だが、その者よりも、自分のほうが長じていた場合、その者の助言はどのように扱うのだ?」
「そりゃあ、一考する価値があれば取り入れるし、聞くに堪えないものだったら聞き流すだけだろ」
「そういうものなのか? 黒蛇族では、先達の言うことでも、自分より劣っている相手の言葉は、聞くこともしないのだが」
オゥアマトは腕組みして、うんうんと唸りながら、また考えだした。
だけど少しして、思い悩むことを放棄したように、ベッドに倒れ込む。
「うむ、考えても理解できん。人間の考えることは、僕にとって複雑怪奇に過ぎる」
「複雑って、あくまで、いまのは俺の考えってだけだぞ。他の人にも、それぞれ別の考え方がある。中には、オゥアマトと同じ考えの人だっているかもしれないぞ」
「それはそれで、怪奇に聞こえるな。人によって根本の価値観が違ったら、どのような土台の上で話せばいいか、迷うではないか」
俺としては価値観の相違なんて普通なんだけど、黒蛇族では価値観の統一がなされているようだ。
興味深いなと思って色々と聞こうと思ったのだけど、オゥアマトは考え疲れを癒すために寝る気なようで、ベッドの上に丸くなってしまっている。
あららと肩を落としつつ、俺もウィヤワとの数戦で疲れた体を休ませるため、ベッドに体を預けて、寝に入ったのだった。
翌朝、オゥアマトと並んで町中を歩いていると、周囲から視線がやってきた。
意味が分からずに、二人して首を傾げる。
そのとき、人々が内緒話をする声が、耳に入ってきた。
「あれが、鉈斬りが森で拾ったっていう、無礼打ちにされた馬鹿な行商が執着していた奴隷だよな」
「どんな別嬪かと思えば、トカゲの獣人じゃねえかよ。期待して損したぜ」
「おいおい。可愛がられるしか能のない女が、森の中を逃げて生き延びたり、闘技場で魔物と戦って勝てるはずないだろうがよ」
人々が話すことを拾い聞くと、オゥアマトの存在は、昨日のうちに拡散されてしまっていたようだ。
大体は、奴隷を逃がした行商を、あざ笑う方が主なようだけどな。
周囲に注目されて、居心地悪くしていないかと、俺はオゥアマトを見やる。
けど、心配いらなかった。
オゥアマトは堂々とした歩き方で、周囲の人たちに存在感を示している。
むしろ、もっと自分に注目しろと言いたげだ。
そんな態度だからか、周囲の人たちはオゥアマトを題材に噂することがつまらなくなったようだ。
やがて別の話題――行商が持ってきた、どの商品を買うかに移っていった。
オゥアマトは自分のことを言われなくなったのが不満なようで、ぶすっとした表情になる。
「もっと、偉大な戦士である僕を、称えてくれてもいいだろうに」
「まあまあ。この町の人にとってみたら、久々の行商の方が重要度が高いだけだよ」
「むむむっ。納得がいかんが、理解はしよう」
オゥアマトが渋々といった顔をしているのに苦笑いしつつ、朝で腹が減っているので、屋台へと歩いていく。
初めて見る、なにかの穀物の粉を練って耳たぶのような形にし、動物出汁のスープで煮た料理を買うことにした。
「オゥアマトも、これ食べる?」
「昨日、あれだけ肉を食って食い溜めしたので、正直必要ないのだが……」
それでも、食べたことのない料理に食指が動いたようだ。
「悪いが、一杯もらいたい」
「分かった。じゃあ、二杯ね」
「あいよ。すぐによそってやるからな」
クロルクル通貨の木板で払い、木の器に入ったスープを受け取る。
スプーンはついてこなかったけど、ぬるめの温度なので、手指で食べろってことだろうな。
そう思っている俺の横で、オゥアマトが開けた大口の中に、一気にスープを流し込んだ。
そしてそのまま一息に、ごくりと飲み干してしまった。
「けぷっ。うむ、肉の味が汁に溶けていて、いい味だ」
「そ、そうですかい……」
満足そうなオゥアマトの賛辞を受けて、店主は『ちゃんと味わってくれよ』って顔をしている。
二人の姿に苦笑いしつつ、俺もスープを飲んでいく。
ちゃんと出汁と塩味が効いたスープで、穀物の練り物にも塩気が入り込んでいて、とても美味しかった。
そうやって朝食を堪能した後で、さてどうしようかと、この後の予定を考えようとした。
そのとき道の先から、こちらに手を振りながら近寄ってくる人影が見えた。
いや、人影じゃなくて、手を振る人を先頭に近づいてくる、十人ほどの集団といった方が正しい。
誰だろうと目を凝らすと、先頭を歩く人は、ターフロンだった。
「よお、鉈斬り。ちょっと話したいことがあるんだがよ!」
大声で俺を呼び止める彼の横には、昨日行商から買い取った少女がいた。
彼女は熱に浮かされたような顔で、ターフロンの腕に抱き着きながら、力が入ってなさそうな震える足で必死に歩いている。
あの少女が何をされたかは、舌で匂いを感じ取っていたオゥアマトが、教えてくれた。
「あの男と隣の女。昨晩は、子供を作ろうと必死だったようだぞ」
「ああ、うん。そうなんだろうね」
予想していた通りとはいえ、反応に困ってしまった。
屋台の店主に器を返しながら待っていると、ほどなくしてターフロンの一団が近づき終えた。
俺は、ターフロンの後ろにいる人たちに、ちらりと視線を向ける。
木こりじゃない、見かけない人たちだなって分かると、ターフロンに視線を向けなおす。
「それで、話したいことってなに? もしかして、この黒蛇族のこと?」
先制して尋ねると、ターフロンは笑いながら首を横に振った。
「ぐはははっ、そんなわけあるか。そいつは、行商から逃げて、この町にたどり着いた時点で自由の身だ。今更、奴隷うんぬんなんて話を持ち出すかよ。そもそも、持ち主だった行商は、死んでしまったから意味すらねえよ」
ならどうしてかと首を傾げると、ターフロンは後ろにいる人たちから一人の腕を掴むと、俺の前に出してきた。
「後ろにいるこいつらはな、ツリーフォクの木材が欲しいって行商たちだ。特にこいつは、長年この町に貢献し続けてくれた行商だからな。その要望に応じてやりたいわけだ」
「それで、俺にツリーフォクを獲って、その人たちに納品しろと」
「おう、分かっているようじゃないか。なに、いつものように人手は貸してやるし、無理言って頼みを聞いてもらうからには、報酬に色をつけてやるぞ。なにせ、懐が豊かな行商さまたちが、お願いしているんだ。気前よく払ってくれるだろうさ」
ターフロンが笑顔で俺に安請け合いすると、集まっている行商の人たちが待ったをかけてきた。
「そんな口約束をされては、困ります!」
「そうです。余計な支出を強要されるのは――」
しかし、その訴えは、ターフロンが睨み付けて中断させられる。
「ああん? 誰に向かって、偉そうな口利いているんだ? そもそもお前らが、ツリーフォクから取れる木材を欲しいって言ってきやがったから、我輩がこうして骨を折ってやっているんだったよなぁ?」
「それは、そうですが――」
「なら、無茶を通すために、代金を上乗せするぐらい、普通の町でもやっていることだよな。なのに、何の不満があるっていうんだ?」
この町の実質的支配者である、偉丈夫のターフロンに睨まれて、行商たちは視線を横にずらした。
言い合いから逃げる姿勢を見て、ターフロンは念を押しする。
「ツリーフォクをあいつが獲ってきたら、通常の料金に上乗せする。それでいいんだな?」
行商たちが威圧に負けて、全員が渋々と頭を縦に振った。
すると、ころっとターフロンの機嫌がよくなった。
「まったく。最初からそう言ってくれれば、面倒な真似をせずに済んだんだ。だがこれで、この町にいるときだけは、我輩の指示に従った方が利口だと分かっただろう。ということでだ、鉈斬りは依頼を受けてくれるよな?」
笑いながら威圧的に言ってくるが、俺はどんな相手でも脅しに屈する気はない。
これが、ウィヤワが言っていた、俺の信念の一部なんだろうな。
そんな気持ちを抱きながら、ターフロンの『提案』に乗るかどうかを考える。
「……受けてもいいが、条件がある」
「ほぅ。言ってみろ」
分不相応な願いは却下すると、ターフロンが目で告げてくる。
けど、彼が警戒するほど、そんな大した条件じゃない。
「単に、前に仕事を手伝ってくれた木こりを、今回もつけてほしいってだけだ。俺がツリーフォクを倒しにいくとき、また呼んでくれって言われていたからな」
「ふっ、なんだ、そんなことか。よしよし、そのぐらいはお安い御用だ。だが、前よりも木こりの人数は増やさせてもらうぞ。作業人数が増えれば、その分だけツリーフォクの量を確保できるだろうからな」
こちらもターフロンの要求を聞き入れ、これからツリーフォクを探して倒すことに予定を決めた。
念のために装備を手で触れて点検していると、オゥアマトが遠慮がちに声をかけてくる。
「なあ、友よ。僕も同行していいだろうか?」
「いいと思うけど、ツリーフォクと戦いたいとか?」
「いや、そうではない。僕の友の戦う姿を、少し拝見してみたいと思ってな。それと、黒蛇族はとても力持ちだ、運搬作業なら力になれる」
そういうとならと、俺はオゥアマトの同行を許可した。
そして、木こりの人たちが来るまで、クロルクルの大門で待つために、二人そろって移動を開始したのだった。