百五十一話 相談語り
闘技場周辺から遠ざかるように歩いていると、唐突に左腕が重くなった。
ハッとして顔を向けると、ウィヤワが笑顔で抱きついていた。
半ば予想通りの顔があって安心半分、相変わらず動作を察知できないことに悔しさ半分で、彼女に言葉をかける。
「心臓に悪いから、そういう登場の仕方は、やめてくれない?」
「あら。こうされるのが嫌なら、感覚をもっと鍛えればいいのよ。それに、さっき戦っている姿を見ていたけど。私が教えた動きのコツ、練習してないでしょ」
実際その通りなので、俺はぐうの音も出ない。
言葉に窮していると、俺が困っている姿が面白いのか、ウィヤワの笑みが深くなっていく。
このままではいけないと、話題を変えることにした。
「それで、ウィヤワはどうして町に出ているんだ?」
「私だって、四六時中娼館にいるわけじゃないわ。散歩ぐらいするわよ」
その散歩で、わざわざ闘技場まで足を運ぶだろうか。
目的はきっと――
「――行商が連れてきた奴隷を見に行っていたんだろ。奴隷を売る先に、娼館も入っていたはずだし」
合っているだろと言外に問うと、ウィヤワは首を横に振る。
「それもあるけど、いい男がいないか探してもいたのよ。ほら、行商の商品を買うために、お金を蓄えた人ばかり集まっているんだしね」
それで、今夜の相手に俺を選んだとばかりに、さらに強くこちらの腕を抱きしめてきた。
男としては、ありがたいお誘いだ。
でも、いまは悩みごとがあるので、そういう気分ではない。
拒否する気で、腕をウィヤワから引き抜こうとする。
相変わらず、どこをどうやっているかわからないが、その細腕から腕を抜けない。
苛立って、少し力任せに引き抜こうとする。
その前に、ウィヤワは自分から腕を放した。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないの。娼婦だって女なのよ、傷ついちゃうわ」
ウィヤワの目に、涙が浮かぶのが見えた。
彼女のキャラじゃないし、少しわざとらしく感じたので、たぶん演技だ。
けど、演技だと分かっていても、綺麗な顔に涙を浮かべられると、対応に困ってしまう。
俺があたふたしていると、その様子でからかう気持ちが満足したのか、ウィヤワは一転して笑顔に変わった。
「その様子だと、私を嫌ってってことじゃなさそうね。なにか、悩みでもあるの?」
質問に「はい」とも「いいえ」とも答えずにいると、ウィヤワはまた俺の腕をとって抱きしめる。
今回は、俺にちゃんと見える動きだった。
「その悩み、話してみない? 娼婦っていうのは、男性の悩みを聞き、心と体を癒すことも仕事のうちなのよ」
「……本当に?」
「本当よ。けど多くの男性は、裸で抱き合ってスッキリしたら、悩みが消えることがよくあるのだけどね」
茶目っ気を出しつつも、俺を心配していることは伝わってくる。
それが演技なのか本心かは、分からないが、相談をしてみてもいいなって気にはなった。
「そこまで言うのなら。けど、金貨二枚なんだよな。この町で稼いだ分が吹っ飛んだ上に、足が出ちゃうな……」
予定外の出費に、ついつい愚痴が出てしまった。
すると、ウィヤワがぷくっと頬を膨らませる。
「お金がないって言って、私を値切ろうとしているの?」
「え、いや、そういうつもりじゃなくて」
あたふたと言い訳しようとすると、ウィヤワが吹き出した。
「ぷふふふっ、ごめんなさい。からかっただけなの。あの一夜で、体を使って雄弁に語り合った仲ですもの。あなたは、そんな不誠実な人じゃないって、分かっているわ。ちょっと、真面目過ぎるきらいがあるけどね」
冗談だったと知って、俺は心臓に悪いと、焦って増した鼓動を抑えるべく、胸元に手を当てる。
ウィヤワは悪戯が成功したことに、ご満悦の様子で、料金について話しだす。
「金貨二枚は、朝まで私を占有する代金よ。短時間で済ますなら、それ相応に払うお金は少なくなるわ」
「そういうもの?」
「他の娼館でも、よくやっている売り方なのだけど、知らなかったの?」
「前に言ったと思うけど。娼館に行ったのも、娼婦を抱いたのも、ウィヤワのときが初めてだよ」
だから娼館の値段など知りようがないと伝えると、ウィヤワはとても嬉しそうな顔になる。
「そう言えば、私が初めての娼婦だったのよね」
「……なにか、面白いこと言ったつもりはないんだけど?」
「うふふふっ、違うの。こういう仕事をしているとね、お客の初めての相手って言われると、どうしてか嬉しくなってきちゃうものなの。それが、どんな初めてでもね」
上機嫌になったウィヤワは、俺の腕を抱えたまま歩き出す。
その様子から、俺を放す気はなさそうだ。
仕方がないとあきらめて、ウィヤワの提案通りに、悩みを相談することにしたのだった。
悩みを相談するつもりだけだったのだけど――
「娼館の部屋にきたからには、まずは体でのお話合いをしないと」
――って、ウィヤワがやけに乗り気だったので、何回かお相手をした後になってしまった。
「んっ、ああぁ~……やっぱり、バルティニーとするの、よかったわ~」
「満足そうで、なによりだよ」
「なあに、その上から目線。そっちだって、遠慮なくたっぷり出したんだから、気持ちよかったんでしょ~」
行為が終わっても、ウィヤワは甘えるように体を摺り寄せてくる。
それを迎え入れながら、どう悩みを相談しようかと、頭を悩ませた。
すると、ウィヤワは拗ねた顔になった後で、しょうがないなとばかりに口を開く。
「約束していたし、バルティニーの悩みを聞くわよ。ただし、腕枕ぐらいはしてよね」
ウィヤワは俺の二の腕に頭を乗せると、話してみろって顔になる。
お言葉に甘えて、俺は悩み――なりたいデカイ男の像が、しっかりと固まらないことについて相談した。
ウィヤワは静かに聞いていたが、最終的には呆れた調子になる。
「なんだ、悩みって、そういうこと」
「そういうこと、って……」
他人事のように言われて、ちょっと相談したことを後悔した。
ウィヤワは俺の顔をみながら、違う違うと身振りする。
「気を悪くさせちゃったら謝るし、バカにしたわけじゃないの。ただ、恵まれているなって、ちょっと思っちゃってね」
「恵まれているって、俺が?」
「そうよ。自分の将来について悩めるのって、幸運なことなのよ。奴隷を見れば、理由はわかるでしょ?」
そう言われてみると、そうだと納得してしまった。
他人の意見に従わざるを得ない奴隷には、なりたいものになるという夢を抱くことすら難しいに違いないのだから。
なんだか、この世界に不似合いな夢を、俺が抱いているような気がしてきた。
けど、ウィヤワは気にするなと身振りしてくる。
「ただ単に、私がうらやましがっただけのことよ。バルティニーの人生には、その悩みが必要なんでしょ。恵まれている、いないなんて、あなたにとっては関係のない話なんだから」
そう言って笑ってから、ウィヤワは少し悩ましげな顔になる。
「私にとってみたら、バルティニーは立派に、いい男なんだけどなぁ」
「いい男って、本当に?」
「嘘じゃないわ。女性をたくさん気持ちよくしてくれる人が、娼婦(私たち)にとっては、いい男なんだから」
ウィヤワは微笑みながら、こちらの下半身に手を伸ばし、撫でまわしてくる。
「顔がよくっても、大金を持っていたとしても。身勝手で乱暴な相手なら、こちらは商売以上のことは返さないわ。けど、一夜の関係でも、真摯に私たちに向き合ってくれるいい男には、たっぷりと恩返ししたくなっちゃうの」
「まあ、理屈は分かるけど……」
「バルティニーの言いたい、デカイ男とは違うって言いたいのは分かっているわ。ただ、今のあなたでも、私にとって、とてもいい男ってことを、覚えておいて欲しかったの」
ウィヤワはこちらを撫でる手を止め、話を元の流れに戻す。
「バルティニーにとって、デカイ男って、どういう人のことを指すの?」
「それは……力の強さや体の大きさを変に自慢しなくて、人を受け入れる度量が大きくて、困っている人がいれば助けるような人かな」
口に出してみると、当たり触りのないことばかりだ。
そんな人になろうと本気で目指しているって、自分でも思えてこない。
ウィヤワも同じように思ったようだ。
「なるほどね。けど、バルティニーがなるには似合わないわね、そのデカイ男は」
「そうかな?」
「そうよ。あなたって、自分の中にある信念を貫こうとする人だもの。いま語ってくれた、人のことを気にかける人とは、ちょっと毛色が違うわ」
そんな明確な信念が、俺にあるかなと首を傾げてしまう。
すると、ウィヤワは微笑み返してきた。
「ふふふっ。自分自身のことは、よく見えないものだものね。じゃあ、デカイ男になるための助言をしてあげるわ」
ウィヤワは移動して、仰向けに横になっている俺の腹に乗っかってきた。
そして、俺の頬に手を当てて、こちらの目を覗き込んでくる。
ウィヤワの長い髪が垂れて、見つめ合う俺たちの顔を囲んだ。
外界から隔離されたような視界の中で、ウィヤワは年長者らしい言葉遣いをする。
「デカイ男なんて、急いで目指すものじゃないわ。自分の心に恥じない行動を心掛けていれば、自然とそうなっていくものよ。けど、偏屈に自分の考えを押し通すのもダメよ。それじゃあ、独りよがりにしかならないもの」
なんだか、難しいことを言われてしまったような気がする。
けど、焦って自分の可能性を狭めるなと、ウィヤワは言いたいんじゃないかって思った。
とりあえず、彼女が俺に中に見た、信念とやらが、どんなものかを確認しようと心に決める。
目指すデカイ男は相変わらず定まっていないけど、目指す先が見えたような気がした。
少し心が軽くなった気がしていると、ウィヤワがいそいそと動いている姿が目に入った。
「ウィヤワ、なにしているの?」
「もちろん、相談は終わったんだし、時間いっぱいまで楽しむ、つ・も・り」
秘所同士をくっつけながら、好色に潤んだ目でこちらの協力を頼んでくる。
ウィヤワも好きだなって苦笑いしながら、行為を受け入れる証に、俺の上にいる彼女の腰に手を乗せたのだった。