百四十八話 宿屋での語らい
クロルクルの中に入った俺たちは、宿屋に入った。
行商から逃げてきたはずのオゥアマトを、あまり他の人の目に触れさせたくなかったからだ。
部屋代は、オゥアマトが無一文なので、俺が支払っておいた。
部屋に入ってからは、オゥアマトにあげた鉈の調整を、鍛冶魔法でしていく。
これは約束したからということもあるけど、色々と考えなしで危なそうに見えるので、世話を焼きたくなったということが本音だ。
「ほぃ。こんなんでどうかな?」
「んー……おお、手になじむ! ありがとう、友よ!」
鉈の調整に満足してくれたようで、両腕どころか長い尻尾まで使っての抱擁をしてきた。
「はいはい。尻尾で締め付けられると苦しいからね」
「おお、それはすまなかったな。黒蛇族は友には、全身で感謝を表すことが、普通なものだからな」
にかりと笑って、オゥアマトはベッドの上に座りなおす。
気楽な様子に苦笑して、俺もその隣に腰を掛ける。
すると、オゥアマトは興味深そうな目を、こちらに向けてきた。
「それで、呪い師であり鍛冶師でもある、僕の友よ。君はどうして、このような森に囲まれた町にいるのだ?」
「どうしてって、何が聞きたいの?」
「人間という存在は、平原に集落を作って生きる生物だと聞いた。なら、森の中にある町で暮らすなどは、異常も異常。であれば、何かしらの理由があって、ここに住んでいるのだと、そう予想したわけだ」
胸を張っての言葉に、俺はいやいやと首を横に振った。
「俺がこの町に来たのは、大まかな意味で、観光だよ。森の中にある町が、どんなところなのか、見に来ただけ」
「なんと!? 僕の友は、呪い師であり鍛冶師であり、そして旅人でもあったのか! 戦士であり旅人である僕と、似ているな!」
「ってことは、オゥアマトも旅人なの?」
「そうとも。黒蛇族の戦士は、一人前の証を立てるため、身一つで森の中を旅することを命じられるのだ。最低でも、季節が四巡するまでは、集落に帰ることはできないのだ」
「身一つって、武器どころか、お金も渡されないの?」
「もちろんだとも。旅に必要なものは、道々で己の力で手に入れる。そうやって力をつけ、たくましくなって故郷に帰れば、全ての同類から尊敬される戦士になれるのだ」
なかなか大変な習慣だなって、黒蛇族の戦士に同情したくなった。
けど、ふと気になったことがあった。
「旅の途中であきらめてしまった人や、そもそも旅に出なかった戦士は、どんな扱いになるの?」
「それらの軟弱者でも、戦士に変わりはないからな、他の者からは一定以上には敬われるぞ。自らの実力を弁えた、良識ある者としてだがな」
「旅の道中で死んだりした場合は?」
「間抜けと烙印を押されるな。もっとも、季節が何十巡した後に帰ってきた者もいるからな。黒蛇族の寿命を超えた年月の後に、ようやく押されることになる」
ということは、旅に出ただけで、その人が死ぬまでは英雄扱いをされるという感じみたいだ。
こちらの質問が尽きると、こんどはオゥアマトの番になった。
「それで僕の友は、どうして旅をしているのだ?」
「一応は、目標のためかな」
「ほぅ、目標とな」
オゥアマトが興味深そうな顔になると、話を聞く体勢になる。
そんなにかしこまられると、少し話しにくいなと思いながら、俺は口を開く。
「俺の目標は、デカイ男になること。そのためのとりあえずの目標として、魔の森の主を倒し、森を開放して、その土地の主になることを考えているんだ」
「ほうほう、森の主に成り代わり、森の主に収まる気とは。僕の友だけあって、なかなかに壮大な夢を語るものだな」
「そんな言うほどのことじゃないよ。この世界の人間は、そうやって生活範囲を広げてきたって――」
俺が喋っている途中で、オゥアマトが何を言っているのかという目を向けてきた。
なにやら言葉の行き違いが起きていたようで、俺は喋るのを止めて、そんな目をする理由を聞くことにした。
「なんでそんなに不思議そうにしているんだ?」
「いやな。僕はてっきり、我が友は『緑肌の森人』のように、森の主として君臨する気なのだろうと思っていたのだ。どうやら、僕の勘違いだったようだ、許してほしい」
オゥアマトは頭を下げると、俺に話を進めてほしいという身振りをする。
けど、素直にそうするにはいかない。
「森の主として君臨って、そんなことができるの?」
「むっ、人間は知らないのか? 森の主を倒し、その後の主決定戦も勝ち抜くと、その者はその領域の主として認められるのだぞ」
「悪いけど、初耳だ」
「そうか。人間が無意味に森を拓いて、森の主となる権利を放棄しているのが、少し変だとは思っていたのだ……」
どうやら、黒蛇族とこの世界の人たちとは、常識が違っているらしい。
「人が森の主になった場合、どうなるか知っている?」
「まあ、僕が知るのは、黒蛇族と森人の場合だけだが」
「参考までに教えてよ」
「僕の友がそういうなら、教えよう。黒蛇族が森の主となった場合、町一つを囲めるほど巨大な黒蛇となり、森と同族を守護する存在と化す。森人の場合は、姿形はそのままで力強くなり、森が続く限り永遠の命を得られるそうだ」
荒唐無稽に聞こえる話に、俺は唖然とする。
けど、オゥアマトは気付かないように、話を続ける。
「森に出る、醜く愚かなチビと、醜悪なブタなどは、過去にサルと猪が森の主となった際に、その主が生んだモノの子孫という話もあるのだが。これも知らないのか?」
「いや、それも初めて聞くよ」
ブタという蔑称は、闘技場での戦いから察するに、オークのことだな。
そうすると、チビはゴブリンのことだろうな。
となると、魔物と呼ばれている存在は全て、森の主となった野生動物が生んだものって可能性もあるな。
ここまでの話は、俺としては興味深いものだった。
けど、この世界の人たちにとってみたら、生活の役に立たない知識でしかないだろうとも思った。
なにせ、人が生活するには畑が必要だ。
畑を広げるには、森を開墾するしかない。
森を開墾してしまうと、そこで森の主は生まれなくなる。
生まれなくなるのだから、人間が森の主になる機会も失われる。
だから、森の主に成り代わる知恵が過去にあったとしても、伝え続ける意味は薄くなる。
ゴブリンやオークたちの種としての成り立ちも、人の生活には関わりのないことだ。
魔物は人間にとって邪魔な存在だから、見つけ次第に倒す。それだけ分かっていれば、問題はないのだから。
こんな風に、人間社会では消えてしまった情報は、この世界でいくらでもあるんだろうな。
そうやって世の無常に考えていると、オゥアマトに突かれてしまった。
「おい、僕の友。黙っていないで、君の目標のことを、もっと聞かせてくれ」
「ああ、そうだったね」
俺はオゥアマトに、デカイ男になりたいという目標を語った。
理由については、前世のことは誤魔化して、子供のころに小さいと馬鹿にされた影響で、力の強い者が弱い物を虐げることに我慢ができなくなった、って感じで伝えた。
オゥアマトは黙って聞き、俺が語り終わると、一つ頷いた。
「なるほど、良い目標だ。力ある者が力なき者の牙となり、力なき者は力ある者の手足となるのは、黒蛇族の価値観に合う道理だ」
感心した様子の後で、オゥアマトは疑問顔になる。
「だが、デカイ男が目標とは、漠然とし過ぎてはいないか?」
「漠然としている、だって?」
思いもよらない言葉を受けて、俺はオゥアマトが次に何を語るかに注目する。
オゥアマトは考えをまとめるように、宙に視線をさまよわせながら喋る。
「そうであろう。デカイ男とは、何を指して言っているのだ? 体格だけならまだしも、心の持ちようも含んでいっているのだろう?
ならば、どう精神的に大きくなりたいかを語らねばダメであろうが。どんな強敵にも屈さぬ勇気を得たい。弱者を救う慈悲心を持ちたい。物事にも動じぬ寛容さを身につけたい。というような目標をだ」
オゥアマトの指摘に、俺は頭を殴られたような気がした。
チビだった前世では、俺を馬鹿にするヤツの鼻を明かしたい、背を伸ばしたいというだけが生きる目的だった。
生まれ変わって、体格に恵まれても、その気持ちを引きずったままだった。
デカイ男になるという目標は、前世から引きずった気持ちから派生した考えにすぎないと、今更ながらに気付かされたのだ。
加えて、攻撃用の魔法が扱えるようになって、背もかなり高くなり、力や見た目で馬鹿にする人の存在はいなくなった。
そう、俺が前世から抱いていた目的は、すでに果たし終えていたのだ。
そのため『デカイ男になる』という今世の目標は、土台のない宙に浮いた目標になってしまっている。
オゥアマトはその状態を見抜いて、新しい土台を設定しろと教えてきたのだ。
けど、すぐにそれを定められるほど、俺の中に確固たるデカイ男というものがない。
そうして俺が何も言えずにいると、オゥアマトは訳知り顔で頷き、こちらの肩に手を乗せてきた。
「僕の友は、いま独り立ちの荒野に立った。自分がどうなりたいのか、考え悩みながら、その野を進むといい」
その上から目線に、少しだけむかっとした。
「なんだか、ずいぶんと偉そうに言うな」
「ふふんっ。なにせ、僕が集落から出るときに通った道だからな。いわば僕は、僕の友の先輩という立場だ。気持ちが分かるつもりだぞ」
そういえば、オゥアマトが旅に出たのは、戦士として一人前になるためだった。
俺が抱いた怒りが理不尽なものだと分かり、自己嫌悪で気持ちが沈む。
オゥアマトは俺の様子を見て、ニヤニヤと笑う。
「僕は旅の疲れを取るために、寝させてもらうとする。その間に、大いに悩んで、答えを見つけるといい」
オゥアマトは言い終わるや否や、ベッドの上に横になった。
そして、膝を抱きかかえると、尻尾をぐるぐると体に巻き付けると、すんなりと寝入ってしまう。
その平和そうな寝顔を見て、俺が悩んでいるのに気楽だなって、また身勝手な考えがよぎってしまった。
いけないと意識を入れ替えて、俺はどんな『デカイ男』になりたいのかを、じっと考えることにしたのだった。




