百四十五話 森の中の湖にて
朝に、昨夜作った大斧の刃の部分を武器屋に売った。
そのお金で、新しい方の鉈の柄や鞘を買って組み合わせ、身につけた。
朝食を屋台で取りながら、今日はツリーフォクを狙わずに、森の中を探索して地形の把握に努めようかなと、なんとなく予定を立てる。
食事を終えて、闘技場からクロルクルの外へ通じる道を歩いていく。
すると、今までとは違い、この壁に囲まれた通路の中に、たくさんの人の姿があった。
外に出る順番待ちかなとも思ったけど、その割には移動しようとする人は少ない。
不思議に思いながら、人の間を通って歩き、大門よこの勝手口に向かった。
すると、門番に止められてしまった。
「ちょっと、ダメだよ。門の外で出待ちは禁止だって――おや、鉈斬りじゃないか。もしかして、朝早くからツリーフォク探しか?」
「おはようございます。今日はツリーフォク狙いじゃなくて、周囲の森の地理を把握するために、歩き回ろうかなと思って」
門番は俺の要件を聞くと、一転して勝手口を通してくれようとする。
俺は通る前に、気になったことを質問することにした。
「出待ちって、この人たちは、誰を待っているんですか?」
「そりゃあ、もちろん行商たちさ。さっき、先行偵察役の護衛が来て、もう少しで到着するから、大門を開く用意をして待っていてくれって、知らせて来たのさ」
「さっき知らせが来たのに、もうこんなに人が待っているの?」
後ろを振り向けば、十人二十人じゃきかない数の、出待ちをしている人たちがいる。
門番もそちらを見て、続いて苦笑いした。
「行商が来る時期になると、外壁の上で待機して、いち早く到来を知ろうとする暇人が出てくるんだよ。中には、弱者区画の住民に金を握らせて、外壁の上で寝泊まりさせるってヤツもいるそうだ」
「なんでそんなことを?」
「行商が持ってくる商品をいち早く見るためとか、同行している演劇一座の顔ぶれを拝みたいからとかだな。なにせ、クロルクル内は娯楽が乏しい上に、町で一番の娯楽は高いときているからな」
門番は娯楽と口にした部分で、腰を前後に振って見せてきた。
娼館遊びって意味だろう。
たしかに、ウィヤワのいる最高級の娼館だと、一晩で金貨二枚だものな。
普通に暮らしている人なら、節制しても年に一度すら、通うことは難しいだろうし。
それに引き換え、演劇は安い上に、テレビやゲームのないこの世界では、架空の世界を楽しめる貴重な方法だ。
クロルクルの住民たちが、出待ちをしてまで迎えようとする気持ちは、分からなくはないかな。
「説明してくれてありがとう、いってきます」
「おう、行ってこい。ああ、街道上を進む行商たちに近づくなよ。護衛のヤツらに、魔物と間違えられて、攻撃されるかもしれないからな」
門番の忠告を受けて、俺は森に飲まれた街道から外れる道を選んで、森の中に入っていった。
森の中を進み、大体の地形を頭の中に入れていく。
それと共に、どこの木にどんな実がなっているか、身を潜められそうな木の洞がないか、野鳥や野生動物の痕跡の多い場所なども調べていく。
その際、ゴブリンのような人型だけでなく、昆虫型や動物型の魔物に遭遇することもあった。
どうやら、街道沿いは人型とダークドックが多く、そこから距離が離れるごとに昆虫型や他の動物型が多くなる傾向のようだ。
今回は地形の把握が優先なので、できるだけ戦いは回避していく。
昆虫や動物型であっても、この森の魔物は賢いようで、こちらを無暗に襲ってこなかった。
もっとも、じっと様子を窺ってきていたので、こちらが隙を見せたら襲われていたかもしれない。
そんな緊張感のある散策をしていると、進行先から冷たい湿気を含んだ風が、こちらに吹いてきた。
森の間を通るにしては冷たすぎる風に、俺はもしかしたらとこの先に原因があるのかもと思いながら、足を前へと進ませる。
冷たい風を感じた場所から、歩いて十分ほど。
木々の先に、開けた場所が見えてきた。
その場所に入ってみると、そこは綺麗に透き通った水が湧き出している、二十五メートルプールほどの小さな湖だった。
「……森の中に、こんな場所があったのか」
クロルクルの外壁に上ったときに、なぜ気が付かなかったのだろうか。
上を向くと木々の枝が、湖を覆い隠すように伸びていた。
これじゃあ、遠目からだと、ここに湖があるとは気づけないよな。
そんな風に納得ながら、俺は湖に視線を向けなおす。
湖は、水の色から真ん中が一番深い、すり鉢状になっているようだ。
前世の日本で育った身としては不思議に思うけど、この湖に接続する川は存在していない。
たぶんだけど、水脈がほんの少し染み出て湖になっているだけで、大部分の水は地下水としてこの場所を素通りしているんだろうな。
そんな純粋な地下水だからか、澄んだ水なのに、魚影は全く見えないし、虫の姿もない。
俺は湖に近づくと、手を湖面に差し入れる。
突き刺すような冷たさが、皮膚や筋肉を素通りして、手の骨にまでやってきた。
そんな芯まで冷えそうな水を、すくい取る。
匂いを嗅ぎ、舌先で触れ、味を確かめる。
その確認で経験上安全だと判断して、一口飲んでみることにした。
癖のないすっきりとした味で、井戸水によくある変な匂いとかは全くない。
なんとなく、前世の日本で飲んだ、名水と呼ばれる湧き水と似た感じだ。
これはいい場所を見つけたなと思いつつ、もう一口飲みながら周囲を見回す。
俺という人間がいるにもかかわらず、野生動物が湖に口をつけて水を飲んでいる姿が目に入った。
それも、草食と肉食の動物が、隣り合って水を飲んでいる。
どうやら、この場所は野生動物にとって、戦闘禁止区画になっているようだ。
たぶん、血で湖が汚染されて、水が飲めなくなったら、肉食動物も困るからだろうな。
のどかな風景に、思わず頬が緩む。
しかしそのとき、動物たちが不意に顔を上げた。
それと同時に、湖で一番深い中心部分から、水を跳ね飛ばすような音が聞こえてきた。
俺は警戒して弓矢を掴むと、音のしてきた方へ向けると、湖面から上半身を出した人がいた。
濡れた茶色の髪が、顔の上半部を隠していて、あまり人相は見て取れない。
肌は、前世の黒人のものよりも、真っ黒に見えた。
服を着たまま入水したらしく、粗末な衣服をつけている。
そんな風に容姿を観察していて、一つ目についたものがある。
それは、その人の首についている、鉄の輪。
この世界で首輪をつけているのは、ある人たちしかいない。
――奴隷だ。
俺がそう気づいたことを悟られたのか、湖の中にいる人が舌打ちする。
「ちッ、ここまで追ってきたのか。見られてしまったからには――」
途中で言葉を切ると、その人は湖面の下へ潜ってしまった。
意味が分からずに、俺はじっと湖を見つめる。
すると、湖の底をこちらに這い進んでくる影が見えた。
俺が弓矢を持っているのを見て、矢を湖の水で防ぎながら接近する気だ!
そう気づいて鉈に持ち替えた瞬間、黒肌の人が水をまき散らしながら湖から出てくる。
そして湖の上を滑るような物凄い速さで、俺に襲い掛かってきた。
その手には、石を加工したナイフが握られている。
「くっ!」
俺はその場から飛び退り、ナイフの攻撃をかわす。
鉈を構えなおして至近で対峙すると、黒肌の人は普通の人ではないことが分かった。
肌には鱗。濡れて垂れた前髪から覗く瞳に、縦長の虹彩。長い毛のない尻尾。口から出ているのは先が二股の舌――
「――トカゲの獣人か?」
問いかけるように呟くと、返答が尻尾による一撃と共にきた。
「トカゲのような軟弱な種族と一緒にするな!」
尻尾の打ち付けを避けながら、その長さに驚いた。
おおよそで三メートルはある。
百六十センチをやや超える程度の体に比べて、尻尾が長すぎだ。
俺は距離を測りなおしながら、もう一度言葉をかける。
「トカゲじゃなかったら、なんの種族なんだよ」
その問いかけは、この黒肌の獣人にとって意味ある言葉だったようで、自慢げに胸を張ってみせてくる。
「ふふんっ、よくぞ問いかけてくれた。この長い尻尾をみてわかるように、僕は竜と同じ血の流れをくむ黒蛇族の戦士、オゥアマトだ!」
よほどその生まれを誇らしく思っているようで、褒めてくれることを期待するような目を、チラチラと向けてくる。
けど俺は、なにをどう褒めたらいいかが分からない。
お互いにそのままの状態で数分が経過する。
オゥアマトが沈黙に耐えきれなくなり、大きく口を開けて何かをしゃべろうとする。
そのとき、腹の虫が鳴く音が、静かな湖に響き渡った。
もちろん発生源は、オゥアマトだ。
「くうぅ。満足に食べ物をもらっていなかったのに、冷たい水の中に入ったから……」
空腹を自覚して力が抜けたのか、オゥアマトは座り込み、ぐったりと横になった。
なにもせずに無力化できたことは喜ばしいけど、オゥアマトがあまりにも食料が恋しそうな情けない顔をしているので、仏心がでた。
「待ってろ。ちょっと何か獲ってきてやるから」
俺が鉈を収めながら言うと、オゥアマトは意外そうな顔をした。
「いいのか? 僕に暴れられると困るからって、食べ物を出さないように言われていたのに?」
「誰と勘違いしているか知らないけど、俺とお前は初対面だぞ?」
「そうなの?」
オゥアマトは口から舌を出すと、チロチロと小刻みに動かす。
「ん~……あ、本当だ。初めて知る匂いの味がする」
匂いで味と首を傾げかけるけど、その疑問は棚上げすることにした。
「勘違いが解けたようで、なによりだ。じゃあ、獲物をとってくるから、待ってろ」
「ありがとー。できれば、お肉をー」
力なく言った後、オゥアマトは尻尾を体に巻き付けて、本物の蛇のようにトグロを巻き始めた。
大丈夫かなと思いながら、この湖に水を飲みに来るであろう獣を探して、森の中を探索し始めるのだった。
明日は更新をお休みする予定です。