百三十八話 一夜の逢瀬
ウィヤワに連れられて、俺はスプートム娼館の中に足を踏み入れた。
前世も含めて、初めて性的なお店に入ったけど、なんだかごく普通な内装だった。
変に性欲をあおるような物品は置いてないし、壁の色もごく自然なもの。
娼館だと事前に知っていなかったら、誰かの住居だと勘違いするだろう。
それこそ、ターンズネイト家が借りて、俺も住まわせてもらっていた、あの屋敷に建築様式が似ている。
違いをよく探して、ぱっとで見える部屋の数が少し多いかなと感じるぐらいだろうな。
そうやって内装を眺めていると、ウィヤワが俺の腕を引っ張り、二階に上がらせようとする。
「ほらほら。私の部屋は、二階の奥なんだから」
細腕に見えるのに、どこにそんな力があるのんだと思いたくなるほど、ウィヤワは俺をぐいぐいと引っ張っていく。
俺はわたわたとついていく。
二階に上がると、木製の扉が閉められた部屋が、十個ほど並んでいた。
もうすでに他の客がいるのか、どれかの部屋から、薄っすらと声が聞こえている。
やっぱり、防音は期待できないよな。
そんなことを思っていると、ウィヤワが俺の耳元に口を寄せてきた。
「防犯の観点から、わざと部屋の外に声が漏れる作りになっているの。周りの音を聞いて、お客が興奮するって効果も、あるみたいだけどね」
俺が何に注目しているかを悟っているような言葉に、ちょっとドキッとした。
ウィヤワは意味深に微笑むと、こっちこっちと、さらに奥へと引っ張っていく。
そして引き入れられたのは、二階の角部屋だった。
少し手狭そうながら、綺麗にしている室内。
机の上に金属製の鏡と化粧道具が、箪笥の上には小物が置かれている。
ベッドは三人が横に並んで寝られそうなほど大きいもので、ちょっと調度品の中で浮いている感じがある。
けど、ウィヤワの私室だと言われたら信じてしまいそうな、ありふれた感じがしている。
だからか、見知らぬ女の人の部屋に入ってしまったような気がしてきてしまう。
ちょっと落ち着かないでいると、ウィヤワが微笑ましそうな目で、こっちを見てくる。
「ふふっ。もしかして、経験がないの?」
挑発するような言葉に、ちょっとだけムッとした。
でも、娼館に入ったのは初めてなので、ウィヤワの言っていることは合っている。
変に見得を繕ったって、彼女には見破られてしまう気がして、正直に白状することにした。
「まあね。娼館に入ったのは、初めてだよ」
「あら、そうなの? ちょっと意外だわ。この町に来るような人だから、こういうお店にも通いなれていると思っていたわ」
「すべての男性が、娼館通いをするわけじゃないだろ」
「それもそうね。あなたほどの腕があるなら、女の方からすり寄ってきて、相手に不足しなかったでしょうし」
すり寄ってくる女性を演じるように、ウィヤワは俺の体にしなだれかかってきた。
その態度が、俺と関係を持ったテッドリィさんとフィシリスを馬鹿にしているように思えて、手で軽く突き放す。
「生憎、そういう手合いの女性と、深い仲になることはなかったよ」
俺が少し腹を立てていると伝わったのか、ウィヤワは誤魔化し笑いで話の流れを変えてきた。
「あらあら。もしかして、お相手とは純愛だったの?」
「……一人とは、半年同棲していたよ」
「その人と一緒に、クロルクルには来なかったの?」
「人生の目標を達成してこいって、選別を渡して、俺を家から叩きだしたよ。だから、いまは一人だ」
「そうなの。男の夢のために、愛しい人から身を引けるなんて、いい女性だったのね」
ウィヤワは同情するような言葉を言うと、俺の手を握る。
そして、指と指を絡めながら、俺の目をじっと見つめ始めた。
「同じ女性として、その人に嫉妬しちゃうわね。こんな仕事をしていると、愛し愛されてなんて、夢のまた夢だもの」
ウィヤワの瞳に吸い込まれ続けているかのように、俺は目を離せない。
そのまま、彼女の語る言葉をきいていく。
「だからね。その女性との百分の一でいいから、今夜一晩だけの愛を、私にちょうだい。代わりに、私からもあなたに、精一杯の愛情を込めて相手をするから」
少し気恥ずかしそうに言いながら、ウィヤワは繋いだ手を引いて、俺をベッドに導いていく。
その力加減は、軽く振り払えそうなもので、無理強いはしないと語っているように感じた。
それが逆に、振り払うことをためらわさせる。
ウィヤワと今日会ったばかりだったら、彼女のことを、愛を欲しがる悲しい女性と思い込んだかもしれない。
けど、気配と動きを巧みに隠し、変に関節技が得意なことを、俺は知ってしまっている。
それを考えると、ウィヤワがそんな柔な性格をしているとは、どうしても考えられなかった。
でも、その演技に騙されてもいいと、不思議にもそう思えてくる。
一晩だけの愛が欲しいのなら、望み通りにしてあげたいと、男性としての欲から考えてしまう。
こうやって男性を操る手管があるから、この娼館で一番なのかな?
なんて頭の隅で思いながら、俺はウィヤワに誘われるがままに、ベッドへと向かったのだった。
全裸である俺とウィヤワは、全身が汗まみれのままで、ベッドの上に並んで横になっていた。
お互いに、まだ呼吸が荒い。
息を整えながら、ウィヤワが顔を向けてくる。
「はぁ、んっ。体に跡がつかないように、優しく抱かれたのって、久しぶりだわ」
満足とも不満とも取れない声に、俺は返事をする。
「愛が欲しいって言われたから、ウィヤワを愛しく思いながらしたからね」
ウィヤワは少し驚いた後で、悪戯っ子のような笑みを向けてきた。
「あら。あの言葉、本気にしちゃっていたの? 単なる誘い文句だと、見抜いていると思ったのだけど?」
「いや、そうだと分かってはいたよ。けど、愛を込められるだけ込めて抱いてみようって、そう思っただけ」
「……その顔は、負け惜しみってわけじゃなさそうね」
ウィヤワは微笑むと、俺の胸に頭を乗せてきた。
「どうしたの?」
「ううん。一晩だけでも愛してくれるなら、ちょっと甘えてみようかなって。嫌だった?」
「……別に構わないけど」
俺はウィヤワの頭を軽く抱きながら、手で頭を撫でてやる。
けど、どことなく彼女の術中にはまっていて、こうするように仕向けられているような気もした。
気にし過ぎかなと、少し意識を入れ替える。
「なんだか、さっきの言葉だとさ、こうやって男の人に甘えられないような感じに聞こえたんだけど?」
「ふふふっ。事後に、こっちを労ってくれる男の人は稀ね。出すもの出したら、『近寄るな、離れて寝ろ』なんて、冷たいことを言う人もいるわ。そうあしらわれることを好む娘も、いないわけじゃないけど」
自分は違うと言いたげに、ウィヤワは俺の胸に頬を擦りよせて、耳を当てる。
心音でも聞いているのかなと思いながら、俺は彼女の頭を、ゆっくりと撫でていく。
少しして、満足したのか、ウィヤワは俺の胸から顔を上げた。
そして幸せそうに微笑むと、唇を合わせにきた。
しばらく啄み合った後で、ウィヤワは俺の構内に舌をねじ入れてきた。
こちらにキスの仕方を伝授するように、ゆったりと導くように舌が動く。
俺はその動きに応えながら、舌同士を絡み合わせていく。
一分を優に超える時間、深く深くキスをしあい、ウィヤワは顔を放した。
「ふふっ。あなたのこと、気に入っちゃったわ。出会ったときに、手取り足取り教えるって言ったのは、商売文句みたいなものだったけど、本当に色々と教えてあげちゃおうかしら」
ウィヤワは俺の腰の上にまたがると、唇に舌を這わせながら、妖艶に微笑む。
教えてもらえるなら、それに越したことはないけど――
「――俺が知りたいのは、その動作が掴めない動き方の方なんだけど」
「うふふっ。まだまだ夜は長いわ。そんなのは後にしましょう」
ウィヤワは微笑んだまま、俺の上に体を倒していく。
大きな二つの乳房が、二人の間に挟まれて、柔らかく潰れていく。
その感触に、俺の中の性欲が呼び起される。
俺の様子を見て、ウィヤワはより微笑みを強くする。
それは、好物を目の前にした女の子のようでありながら、解き放たれる前の猟犬を思い起こさせる、不思議な表情だった。
「さあ、共に身動き取れなくなるまで、夜の勉強を頑張りましょう。そしてその後は、動けないまま手を繋いでおしゃべりして、どちらからともなく眠りに落ちましょう」
その望みを叶えてくれたら、あの動作が読めない不思議な動きを教えてくれると、そう言いたげだ。
百戦錬磨の相手にどこまでついていけるかわからないけど、この勝負を逃げては男が廃ると、全身全霊で当たることにしたのだった。