百三十七話 戦いの報酬差
クロルクル内に入ってきた魔物の掃討は、ターフロンと闘技場にいた人たちが参加してすぐに終わった。
壁に囲まれた通路には、多数の魔物とそれよりは少ない野生動物たちの死体が、ごろごろ転がっている。
それらの間に隠れるように、奮闘むなしく散った人が倒れていた。
中には、急所に矢が刺さった死体もあった。
生き残り疲れ切って座っている人たちの数を、俺は壁の上に座りながら確認する。
おおよそ四分の一ぐらい、数が減っている。
俺が通路内で戦っていたときは、これほどの死者が出ているなんて思わなかった。
もしかしたら、オーガと一緒に闘技場まで下がったときに、一気に魔物に殺されてしまったのかもしれない。
これほど大量の人の死体を、高い場所から俯瞰してみた経験は、前世も含めて今回が初めてだ。
無念そうなその顔の数々を見ると、俺が攻撃魔法を最初に使っていたら、もっと死者の数は減らせたのかもしれないなって、考えてしまいそうになる。
けど、もしそうしていたら、手ひどい打撃を受けた通路内に招き入れた魔物たちは、森に逃げ散っていってしまうに違いない。
門を閉じた後に使ってみたらと、考えてみる。
前線は混戦になっていた。魔法で狙えるのは後方だけだ。
魔法で後方の魔物を吹っ飛ばしたら、その破壊から逃げるために、魔物たちは必死に通路を前に進むだろう。
そうなったら、混戦はさらにひどくなって、今よりも多くの被害がでたかもしれない。
もしかしたら逆で、住民たちの横をすり抜けるようにして、闘技場まで魔物たちは一目散に走っていったかもしれない。
……もし、たら、れば、を考えたらキリがないなって、自嘲する。
それに、自分が上手くやれていればなんて考えは、ただの傲慢でしかないよな。
自分に降りかかることは、結局は自分自身の行動の結果だ。
前世でだって、チビだと馬鹿にされて何もしなかったら、馬鹿にされっぱなしだった。
女性を暴漢から助けようとしなければ、前世の俺は刺殺されず、生まれ変わることもなかった。
この理屈は、この世界だって同じだろう。
だから冷たい言い方かもしれないけど、死んだ人はその人の行いが悪かったせいで死んだってことになる。
気に病むことはない。
――って言い訳じみたことを考えている時点で、気に病んでいるんだよな。
周囲の人たちは、どう折り合いをつけているのだろう。
壁上や、壁に囲まれた通路内を見回して、人々の様子を確認する。
誰も彼もが、死んだ人のことなんか気にしていなかった。
「はぁ~、ようやく終わったぜ。弓を射ち続けて疲れちまったよ」
「こっちなんて、弦で指切っちまって、ヒリヒリするぜ」
壁上の射手たちは、自分がどれだけ頑張ったかを言い合っている。
通路内の生き残りたちも立ち上がると、ターフロンの指示の下、魔物、野生動物、人間の区別なく、死体を処理し始めた。
「日暮れ前までに、作業を終えるぞ。いつも通り、魔物の討伐部位と素材、そして換金可能な動物は、俺たちと射手の取り分だ。お前ら弱者は、部位を取り終えた魔物と、人間の死体を好きにしていい」
ターフロンの乱暴な分け方に、俺は驚いた。
けど、周囲の人たちはそれで納得しているらしい。
唯一、あの五人の冒険者たちが反論しようとするけど、肩を痛めていた男に押しとどめられていた。
ならと、俺は発言しようとする。
その気配を察知したわけじゃないだろうけど、ターフロンは俺に顔を向けてきた。
「鉈斬り! オーガを生け捕りにできた功績が大きいお前には、特別報酬を出してやる。楽しみにしておくんだな!」
言葉を受けて、俺は口をつぐむ。
同じ境遇の人が声を上げないことには、待遇の改善にはつながらない。
ターフロンが宣言するまで、俺は足止め役の一人だったから、抗議する価値があった。
でも、特別報酬を受け取ることになった俺が、魔物の足止め役だった人の報酬を上げろと言ったら、それは単なる施しの言葉にしかならない。
俺の意見で、今回だけは、足止め役の人たちの報酬は上がるかもしれない。
けど、次には繋がらない。
それでは意味がないと、そう思った。
だから俺は何も言わず、ターフロンに身振りで聞こえたと返事するだけにしたのだった。
通路内の掃討と、死体からの素材の剥ぎ取りが終わると、すっかり夕暮れだ。
クロルクル内に戻ると、町は宴会ムードになっていた。
野生動物の死体を、屋台の店主たち総出で捌いて料理し、壁上にいた射手や、後詰で戦ったターフロンたちにふるまっていく。
肉の一部を店の中にしまっていることから、あれが料理の代金となっているんだろう。
店主の一人が、俺にも料理を手渡してくれた。
ありがたく受け取って食べようとして、店主たちが料理を差し出さない人たちがいることに気が付いた。
それは、素材を取られてボロボロになった、ゴブリンやオークやダークドッグなどの魔物の死体を抱えた、足止め役の人たちだった。
どういうことかと思っていると、俺に料理を手渡してくれた店主が、耳打ちしてくる。
「ターフロンさんから、報酬の話を聞いていると思うけど。彼らの取り分は、魔物と人間の死体だけなんだ。だから、この料理は渡せない」
「……俺も彼らと同じ、通路での足止め役だったんですけど?」
「あははっ、冗談言っちゃいけないなあ。君の役目は、闘技場までオーガを連れてくることだろ。足止め役とは、まったく違うよ」
つまり、俺に料理を振る舞うことは、道理に適っていることらしい。
「でも、道具の素材になる部位を取られた魔物をもらっても、使い道がないと思うんですが?」
「いやいや。内臓やら肉やらが、まだまだ残っているだろ。弱者区画のやつらは、あれで宴会をするんだよ。今回のお勤めも、俺たちはどうにか生き延びられた、ってな」
「……ダークドックなどの動物系や、せめて昆虫系の魔物はまだ分かります。けど、ゴブリンやオークもですか?」
気味悪く思って聞くと、店主は当り前という顔で頷く。
「そうとも。ゴブリンは香草をどっさり入れたスープに、オークの肉は果実の甘露煮を塗って天火で焼くんだ。どちらも臭みがかなり強いけど、好きな人は好きな、ツウの味だよ」
人型のものを食べると聞いて、俺は初めて、この世界の常識に嫌悪感を持った。
――いやいや。
他の村や町でも見たことないから、ここ特有の料理に違いない。
嫌悪感を抱く先は、まだクロルクルだけにしよう。
そして、これから肉を食べるときには、何の肉か尋ねることにすることに決めた。
とりあえず、俺の手の中にある料理は、先ほど猪を捌いたものだとわかっているので、安心して食べる。
俺が美味いと身振りすると、話を聞かせてくれた店主は、にこやかな顔で自分の店に戻っていった。
そうしているうちに、足止め役だった人たちは弱者区画に向かっていたようで、その姿は見えなくなっっていた。
あの五人の冒険者たちも、ゴブリンやオークを食べるのかと思うと、ちょっと不憫に思えた。
酒でも買って差し入れに行くかと思っていると、酒が入った器が目の前に現れた。
反射的に受け取り、差し出してきた人に目を向ける。
にこやかに俺に手を振る、娼婦のウィヤワだった。
「はぁい。また会ったわね」
「……なんで、ここにいるの?」
気配と動作の初動を殺すことにかけては、出会った中で一番の手練れだ。
警戒しながら、少しだけ距離を開ける。
すると、ウィヤワは傷ついたという表情になる。
もっとも目だけは、獲物を見つけた猫のような、射通すような瞳だった。
「酷いわ。お呼びと聞いて、この胸を躍らせて、ここまでやってきたのに」
喋りながら、豊かな胸を軽く揺らして見せてくる。
周囲の男たちが、その柔らかそうに動く山を見て、生唾を飲む音を発する。
ウィヤワの末恐ろしさの一端を、俺は知ってしまっているので、同じようなことをする気分にはならなかった。
「お呼びって、俺は読んでないよ」
「それはそうね。でも、私をあなたに宛がいたいって、指名した人がいるのよ。ほら、こっちに来たわ」
ウィヤワから視線を外すことに、ちょっと躊躇った。
けど、こっちに近づいてくる人の気配に、振り返らざるをえなくなる。
なにせ、この町で一番偉いターフロンだと、重い足音と威圧的な気配からわかっていたからだ。
「はっはっは。どうだ、鉈斬り。その女を一晩好きにしていい権利が、お前への特別報酬だ。」
「……どうしてか、聞いてもいいですか?」
「どうしてだと? 昨日、お前がスプートム娼館に遊びに行き、あまりの料金の高さに逃げ帰った、って話を聞いたからだが? ああ、その女を指名した理由の方か。それはそこの娼館で一番高いのが、その女だからだ」
話の訂正をする前に、ターフロンは勝手に話を進め、俺の背中をバシッと叩いた。
「それほどの腕前だ。初めてってわけじゃないだろう。なら、精一杯楽しむことだ。我輩は商売女よりも、生娘を我が色に染め上げるほうが好きな性質だから、利用したことはないが。とても、いいモノだそうだぞ。がはははっ」
ターフロンは笑い声と共に離れ、また別の人に喋りかけている。
ああやって、戦いの功労者に声掛けをしているのか。
豪快なようで、細やかな気配りをするから、この町の支配者みたいな位置に座れているんだろうな。
大きな男の一例に感じ入っていると、俺の腕をウィヤワが両手で抱いていた。
相変わらず、気配も動作も察知できない、見事な動きだって感心する。
「はい、ってわけだから。一晩の、甘い甘い夢を、見させてあげる。あっ、お好みだったら、痛くしてもいいし、こっちを痛めつけてもいいわよ?」
「……痛くされるのは嫌ですし、したら殺されそうだから、どちらも遠慮したいな」
「あら、よく分かっているじゃない。そうやって察しのいい人なら、こっちもたっぷり奉仕しちゃう」
蠱惑的に微笑みながら言葉を止め、俺の頬に口づけるような動きで、耳に口を寄せてきた。
「身も心もとろける、極上の夢を見させせて、あ・げ・る♪ さあ、行きましょう♪」
ウィヤワは豊かな胸の谷間に、俺の腕を挟むと、ニコニコと嬉しそうな顔で、娼館のある方向へと引っ張り始める。
俺は照れて腕を引き抜こうとするけど、前世でいう合気道的なものなのか、どうやっても腕が引き抜けない。
それどころか、乱暴に動かそうとすると、こちらの手首や肘に痛みが走った。
慌てる俺を見て、ウィヤワはより笑みを深める。
その表情に、抵抗するのは無駄だなと悟り、彼女に引き連れられるままに、道を歩いていくのだった。
前作のテグスだったら興味本位で、ゴブリンスープとオークスペアリブを食べに、弱者区画まで足を延ばしたことでしょう。