百三十三話 強者の住む区画
果物屋のおかみさんに教えられた、二つの場所に行ってみることにした。
あの五人の冒険者たちに鉢合わせするのもイヤなので、まずは強者が集まる地区にいってみよう。
道行く人たちから声をかけられたりしながら、歩いていく。
小一時間ぐらいで、その地区に到着した。
その町並みを見ての第一印象は、ちょっと豪華そうって感じだった。
立ち並んでいる建物は、ここまでの道行きで見た他の場所のものよりも、だいぶ綺麗で真新しい。
店の商品も一級品なようで、どんな物でもきらびやかに見える。
なんとなくなイメージで、東京の銀座ってこういう場所なんじゃないかな。
魔の森に飲み込まれそうな町には、不似合いなところだなって印象を受ける。
道を歩く人たちの服装や装備も、他の町でもあまり見ないほど立派な作りなものが多い。
そして場所の住民と違い、俺に喋りかけてこない。
その代りに、値踏みをする視線を向けてくる。
『こいつは強いのか、強いならどれほどなのか』
こっちに向けられる目から、そんな感情が読み取れた。
ちょっとだけ不快に感じながらも、気にしていてもしょうがないと、町歩きを再開する。
華やかな場所だけあって、散歩するだけでも、目に楽しい。
防具屋に陳列窓があり、そこに魚鱗の布製の防具が飾られていた。
上半身部と下半身部に分かれていて、小さな魚鱗の布をパッチワークのようにつなぎ合わせて作られたものだ。
港町サーペイアルでは金貨数枚で手に入りそうな粗雑なものだけど、内陸部かつ森に囲まれているクロルクルでは入荷が少ないためか、数十倍の値段がついている。
値段の高さにびっくりした後、他の店の陳列窓も覗いていく。
強い人が多い地区だからか、武器屋や道具屋など、戦い関連の店が多い。
いくつかある食事処の全てから、いい匂いがしている。出てきた客の顔をみると満足げなので、美味しい店ばかりなんだろうな。
さっき果物を食べたばかりだから、入るのはまた今度にしよう。
そうやってぶらぶらと歩いていると、誰かが俺の腕をとろうとするのが、目の端に入った。
腕を引いて避け、誰か確認する。
そこにいたのは、キョトンとした顔で虚空を抱きかかえるようにして立っている、体の線が見えそうなほどに薄地の服を着た女性だった。
その格好と態度から、俺を襲おうとしたわけじゃなさそうだ。
「えっと、何か用?」
尋ねると、女性は俺を見て、ちょっとだけ驚いた顔になった。
「えっ、あらら。腕を取り逃がすなんて、いつぶりかしら。お兄さんって、感覚が鋭いのね」
笑顔で褒めるような言葉をもらったので、俺はなにがしか言い換えそうとする。
そこでふと、この女性が異常なことに気が付いた。
俺は魔の森で狩りをしてきた経験から、気配を察知することは得意だ。
けど、この女性が近づいてくることに気付かず、あと少しで腕を取られるところでようやく気が付くことができた。
つまり普通の人なら、彼女に腕を絡め取られた後で、ようやく気が付くかどうかだ。
そんな気配を殺す技量を持つ女性だとわかれば、警戒せずにはいられない。
「ほんとうに、何の用?」
彼女の一挙手一投足に目を向けながら、再び用向きを尋ねた。
すると、クスクスと笑われてしまった。
「うふふっ、そう身構えなくてもいいわよ。私はただ、そこのお店の従業員ってだけなんだから」
彼女が指差す方向にあるのは……普通の屋敷にしか見えないけど、なんの店だ?
俺が首を傾げると、答えを教えてくれた。
「娼館よ。この場所にふさわしい、とびっきり高級なね。どうかしら、私と一回?」
薄布の服越しに、自分の豊かな胸を掴み、こちらに持ち上げて見せてくる。
かなりの迫力で、目にした通行人が生唾を飲み込む音が、ありありと聞こえてくるほどだ。
俺も男なので、強い誘惑にかられる。
けど、テッドリィさんとフィシリスの顔が浮かび、欲望は静まった。
「いや、遠慮しておく。なんだか、あなたはちょっと怖いので」
「あらあら、振られちゃったわね。けど、怖いと言われたのは初めてだわ」
ニコニコとした笑顔だったのに、急にスッと女性の目が細まった。
「どうして、そう思ったのかしら?」
その目は嘘を見破りそうだったので、本音を話すことにした。
「これでも気配察知は得意なんだ。なのに、俺に気付かないまま、あと一歩でこっちの腕を取るところまできた。そんな相手を、怖いと思うのは当然だろう?」
この答えに満足したのか、彼女は再びニコニコ笑顔に戻った。
「ふーん、そうなの――鉈斬りなんて勇ましい二つ名だから、腕力だよりの能無しかと思ったのに。なかなか芸達者なのね」
その口ぶりから、どうやら俺だとわかっていて、ちょっかいをかけに来たとわかった。
「用件は終わったようだし、じゃあ」
娼館に用はないので、立ち去ろうとする。
けど、次の瞬間には、薄布服の女性が自分の腕を俺の腕に絡ませていた。
……何が起こったかわからずに、じっと絡み合っている腕を見てしまう。
俺の表情を見て、彼女の矜持が保たれたのか、するっと腕を放した。
「ふふっ、これだと気づけないのね。じゃあ、次に見かけたときは、この方法でお店に引っ張ろうかしら」
ニコニコと満足そうに笑う彼女に、俺は驚愕の目を向ける。
「何をしたんだ?」
「やぁねえ、教えるわけないじゃないの」
くすくすと笑った後で、いつの間にか俺の耳元に彼女の顔がきていた。
また行動が見えなかった。
いや、見えてはいたのに、警戒できないままに、気付いたときには近づかれていた。
理屈が分からずに驚きっぱなしの俺に、彼女はささやきかけてくる。
「寝所を共にしてくれるのなら、コツぐらいは教えてあげてもいいわよ。あなた、スジはありそうだし。でももちろん、たっぷりとお代はもらうわ」
「……本当に、娼婦なのか?」
「もちろんよ。スプートム娼館のウィヤワといえば、一度でもお相手した人が破滅するほどのめり込む、高級娼婦の一人と言われているんだから」
自慢げに豊かな胸をそらすと、口元だけでにやりと笑う。
そして態度と口調はそのままに、目と声色だけが冷え冷えとしたものに変わる。
「もちろん、坊やが気付いたとおりに、それだけというわけじゃないわよ」
言わなくても察せるよねって感じの言葉に、その声色の冷たさも相まって、頷くしか反応を返せない。
俺が緊張していると、まるでさっきの言葉が白昼夢だったかのように、ウィヤワと名乗った彼女の態度が元に戻った。
「ふふっ、そう怯えなくたっていいじゃないの。あなたに振られた意趣返しなんだから」
クスクスと笑い、ウィヤワはまた俺の耳に顔を近づける。
今度は、俺にも察せられるように、ゆっくりとした動きでだ。
「でも私、あなたのこと気に入っちゃったわ。スプートム娼館で指名してくれたら、色々なことを、手取り足取り、じっくりねっとりと教えて、あ、げ、る」
こちらの背筋をゾクゾクさせるような、艶めくささやき声だった。
俺は生唾を飲み込んでから、あることを尋ねる。
「そ、それだけの力量があって、なんで娼婦なんてしているんだよ」
「あら、そんなことは簡単な話よ。もちろん、気持のいいことが好きだからよ。それでお金がもらえるんだから、娼婦をやらない手はないでしょ?」
当り前のように告げてから、ウィヤワは俺の首筋を下から上へと指で撫でさすって、娼館へと戻っていく。
そして、出入り口の間際で、俺の方に振り返った。
「ふふっ、待っているから」
ウインクと投げキッスをこちらによこして、娼館の中へと消えていった。
姿が消えたのを確認して、俺はようやく緊張を緩めることができた。
あんな人の相手は、していられない。
そう思いながらも、あの見事な気配の殺し方は学びたいなとも、思ってしまうのだった。




