百三十二話 町の雰囲気
闘技場の出口を進むと、クロルクルの町中に出られた。
魔の森に囲まれている町であり、犯罪者が目指す町ということもあって、荒廃した場所を少し想像していた。
けど、それは間違いだった。
建物は壊れたりしていないし、道にゴミが散乱しているわけでもない。
闘技場の観客狙いらしき屋台はあるし、道の少し先には食料品の店舗も見える。
周囲を囲む高い壁と、道行く人たちの多くが武装した強面じゃなければ、どこにでもありそうな町だ。
どうやら、なんらかの秩序があることようだ。
事前に聞いた情報から、俺はクロルクル内から魔の森の様子を見たら、さっさと出ていこうと思っていた。
けど、これほどちゃんとした町なら、しばらく滞在してもいいかもしれないな。
そんな青写真を描いていると、闘技場から帰るらしき人たちが、こっちに近寄ってきた。
「よぉ、兄ちゃん。見事な戦いっぷりだったぜ。ようこそ、クロルクルに」
「オーガを簡単にやっつけてのけたんだ、次はもっと強い奴と戦ってみせてくれよ」
突然に歓迎気味な声をかけられて、俺は目を白黒させる。
でも、返礼に手を挙げて応えることにした。
居合わせた他の人たちも、こちらへにこやかに手を振り、思い思いの方向へと散っていく。
どういうことかと首を傾げかけて、また別の人の声が聞こえてきた。
声がしてくる方向を見ると、俺が連れてきた五人の冒険者たちが、悪口を言われていた。
「お前らはさ、もうちょっと、ちゃんと戦えよな」
「ゴブリン相手に情けないと思わないのか?」
「それに、オーガにビビッて腰ぬかしやがって、情けない奴らだな」
ニヤニヤと笑いながら詰られて、あの五人は怒ったようだ。
「うるさい! お前らだって、雄たけびで仰け反った口だろう!」
「そうよ! 自分を棚に上げて、信じられない!」
「あんまり舐めた口きくと、ぶっ殺すぞ!」
とても怒った冒険者の一人が、剣に手をかける。
その瞬間、あたりの空気が一気に冷えた気がした。
周囲を確認すると、悪口を言っていた人たちだけでなく、道行く人たちも、冷たい目を剣を抜こうとしている冒険者に向けている。
悪口を言っていた一人が、淡々と告げる。
「おい。クロルクルの住民に向かって、剣を抜いてみろ。その瞬間に、お前の命はないぞ」
脅しというよりも、単なる事実を伝える口調だ。
周囲も含めて異様な雰囲気だと、剣に手をかけている冒険者も分かったようで、ゆっくりと柄から手を放す。
すると、ころっと空気が変わり、人々と町の様子が和やかなものにに戻った。
悪口を言っていた人たちも、また気安そうに冒険者たちに声をかける。
「そうそう、それでいいんだ。ムキになったからって、武器を抜いちゃいけないぜ」
「気に入らないことがあったら腕力に訴えること自体は、この町ではよくあることだけどな」
「けどそのときは、素手でやれよ。それで喧嘩した後は、酒場で酒を奢り合うっていうのが慣例だ。覚えておけよ」
彼らはアドバイスのようなことを言うと、どこかに立ち去っていった。
一部始終を見ていて、クロルクルが普通の町だという感想は、間違いなようだなって思ったのだった。
もともと、クロルクルに来たのは観光目的みたいなものだ。
なので、町の中を歩いて、町並みや人々の暮らしを見ていく。
すれ違う人々の多くが、俺を見ると「鉈斬りの兄ちゃん」と声をかけてくる。
闘技場では見なかった子供もそう言ってくるので、ちょっと不思議に感じた。
呼び込みついでに声をかけてきた、果物屋のおかみさんに、その疑問をぶつけてみた。
「そのことだったら、簡単な話よ。鉈斬りのお兄さんは、オーガを倒したことと、その独特な恰好が噂になっているのよ。もうこの付近じゃ、噂を知らない人はいないんじゃないかしら。一両日中には、町中に噂は広がっていると思うわ」
この恰好のせいだったのかと、魚鱗の布で作った防具をつまむ。
おかみさんは、笑いながら俺の様子を見ていたが、不意に内緒話をする体勢になった。
「ねえ、鉈斬りのお兄さん。なんで、『腰抜け』たちと一緒に歩いているんだい?」
おかみさんの視線をたどると、その先にいたのは五人の冒険者たち。
「腰抜けって、もしかして彼らのこと?」
「そうよ。ゴブリン相手にしょっぱい戦い方した上に、オーガに迫られてへたり込んでしまった、腰抜けだってね」
「それも噂に?」
「当り前でしょ。むしろ、無能な人とは付き合いたくないからって、お兄さんよりも速く噂が流れてきたわよ」
おかみさんの言葉に、ターフロンが「待遇に差が出る」と語っていたことを思い出した。
どうやら、闘技場の戦いぶりによって、町の人たちが試験を受けた人へ抱く印象が変わるみたいだ。
今回の場合なら、オーガを倒した俺は有名人のように持ち上げられ、ゴブリン相手に苦戦した五人は蔑まれる形になっている。
この町の人たちは、魔の森に囲まれている環境からか、強者を好む傾向にあるようだ。
なかなかに変わった町だなって思っていると、おかみさんがさっきと似た質問をしてきた。
「それで、あの腰抜けたちは、鉈斬りお兄さんの手下になったの?」
俺は首を横に振る。
「いや、仲間にも手下にもしてないよ。俺はこの辺をぶらついているだけで、あの人たちも同じなんじゃないかな?」
「そうなのかい? あたしゃが見るに、腰抜けたちはお兄さんを当てにしてそうだけどねえ?」
そう言われても、この町に連れてきた以上に彼らと関わる気は、俺にはないんだけどなぁ。
俺が少し困っていると、おかみさんが破顔した。
「よっしっ。じゃあ、あたしゃが助けてやろう。その代りに」
「果物を多めに買えばいいんですね?」
「その通りだよ。どれをどれだけ買うかい?」
そう言われても、俺はこの付近の植生には詳しくない。
なので、銀貨を一枚渡す。
「とりあえず、これに見合う量を、適当に選んでください」
「はいよ。銀貨一枚ならじゃあ、これぐらいだね」
おかみさんはひょいひょいと適当に、違う種類の果物を合計五個、俺に渡してきた。
銀貨一枚で、果物五個って。
「少し高いんじゃない?」
「あははっ。まあ、この町に来たばかりの人なら、そう言うだろうね。基本的に、ここは食べ物が高いんだよ。だからどこにいっても、こんなもんだよ」
ならと、多めに買うと約束したので、さらに銀貨を二枚追加で払う。
おかみさんは追加購入に少し驚いたようだったけど、手早く果物を選び、空き笊に乗せて渡してくれた。
「これだけ買ってもらえれば、文句はないよ。じゃあ、あの腰抜けを呼び寄せておくれ」
言われたとおりに、俺は五人の冒険者たちを手招きする。
彼らは警戒した素振りで、少しずつ歩き寄ってくる。
けど、俺が買った果物を一つだけ投げ渡すと、走って近づいてきた。
そして餌をねだる犬のような目で、俺の持つ果物を凝視する。
お腹が減っているのかなと、一人一つずつ果物を渡しつつ、彼らの意識をおかみさんへ向けさせる。
「このお姉さんが、君たちに話があるんだってさ」
「もぐもぐ、はなひれふか?」
すでに果物を食べ始めていた五人は、口を果汁で汚しながら、おかみさんに顔を向ける。
「そうさ。このお兄さんは気ままに歩いているだけだっていうじゃないか。そんな人の後をついていったところで、得るものはないだろう。けど、あたしゃには『有名な』あんたたちにピッタリの場所に、心当たりがあるんだよ。あそこに行けば、あんたたちにお似合いの仲間が見つかるんじゃないかね」
すらすらと反論を許さない言葉の速さで、おかみさんはある場所を一方的に伝える。
五人の冒険者たちも、俺が気ままに歩いていることは分かっていたようで、おかみさんの口車に乗る気になったようだ。
「もぐもぐ、そうか。ならその場所にいってみることにする」
「この兄さんについていくのも、ちょっと怖いと思っていたことろだしね」
町を歩いただけで、怖いことをするような素振りをした覚えはないんだけどなぁ。
けど、彼らは俺のことを、暗殺者かなにかと勘違いしていたんだった。
俺は普通に散歩していただけだけど、きっと下調べしているのだと誤解されてしまったんだろうな。
訂正するつもりはないので、彼らが立ち去るのを素直に見送った。
俺も果物屋から去ろうとして、おかみさんに呼び止められた。
「そうそう、鉈斬りのお兄さんにも、ピッタリの場所があるんだよ」
「……彼らと同じ場所ってわけじゃなさそうですね」
「そりゃそうさ。腰抜けたちに教えたのは、森に出ていく気力がない弱者が集まる区画だよ。お兄さんに教えるつもりなのは、積極的に森で魔物を狩る強者が集まる区画なんだから」
かかっと笑ってから、おかみさんはその『強者が集まる場所』とやらを教えてくれた。
とりあえず町を見て回るつもりだったので、後でその場所に行ってみることにしよう。
でも、この場所だけじゃなく――
「――弱者が集まる場所も、教えてもらえませんか?」
「いいけど。お兄さんにとって、意味のある場所じゃないと思うけどねえ」
おかみさんは少し渋りながらも、その場所を教えてくれた。
これで、この町を歩き回るいい目的地が、二つもできた。
俺はおかみさんに手を振って別れると、果物を食べながら町歩きを再開したのだった。