百十九話 空は白む
リフリケを赤服魔導師に連れ去られてしまった後、ヘプテインさんはあの男を雇っていた貴族に抗議文を出した。
返事はすぐに返ってきたようだったけど、内容を見てヘプテインさんは激怒した。
「競売会の開催する前に、解雇してあるだと! その後にあやつが何を使用と、当家の預かり知らぬことだと!!」
返事の手紙を握りつぶし、床に叩きつけて踏みにじる。
そしてイライラとした様子で、椅子に腰を下ろす。
対策を話し合うとして、集められていた俺や護衛の人たちは言葉を発せずに、ヘプテインさんの様子を見つめる。
けど、俺としては少し以外だった。
リフリケは影武者として雇われていた子だ。
彼女がシャンティと間違えられて連れて行かれたのなら、役割を果たしたことになる。
なのでヘプテインさんみたいな大物貴族なら、「よくやった。では、リフリケに感謝しつつ、領地に帰ろう」って言うかと思っていた。
そんな考えが顔に出てしまっていたのか、ヘプテインさんは俺をジロッと睨みつける。
「ターンズネイト家は開拓民を祖とする貴族だ。一度懐に招き入れたのならば、犬猫とて仲間とみなし、見捨てはせんのだ」
俺に注意のような言葉を告げてから、ヘプテインさんは気持ちを立て直したようだった。
「問題は、あやつが魔導師という点だ。貴族に雇われていたことを考えれば、落第生であったところを拾われたのだろうから、大して強くはないはずなのだが……」
ヘプテインさんが言葉を濁した続きは、こう言いたかったのだろう。
赤服魔導師が使う攻撃用の風の魔法は、とても危険だと。
もしくは、攻撃魔法は誰が使ったとしても、とても殺傷力が高いのだと。
攻撃魔法の威力は、魔導師としての訓練を受けていない俺が、自己流な魔法で強力な魔物を倒せてしまっていることからも、証明できるだろう。
そんな相手と真正面に戦っては、勝ち目がないに違いない。
ヘプテインさんの苦悩した声は続く。
「しかも、指定してきた場所が、目印岩とはな。あの岩はその名前の通り、この町に集まる何本もの街道からも良く見えるほど、大きな石だ。そして、あの周辺は草原で見晴らしがよく、隠れ場所もない。風を使う魔導師にとって、有利な場所となる」
ヘプテインさんは悩みに悩んでいるようだった。
ターンズネイト家のしきたりとしては、リフリケを助けに行くべきなのだろう。
けど、侯爵家の当主としては、助けに向かわせた人たちがやられて、二次被害が出るのも防ぎたいんだろう。
そんな二つの考えの板ばさみになって、ヘプテインさんは決断しかねているようだった。
この部屋に集められた護衛の人たちも、どちらの判断がいいか考えている様子だ。
一方で、俺はやるべきことを、すでに決めていた。
「申し訳ありませんけど。俺は部屋に戻らせてもらいます」
これ以上、このなにも決められなさそうな会議が続いたら、徹夜になってしまいかねないからだ。
部屋を辞しようとすると、ヘプテインさんに呼び止められた。
「待て。まさか、君は――」
「はい。日の出ごろには、その目印岩とやらに行くので、もうそろそろ寝ないと、明日の戦いに響きます。なので、部屋に下がらせてもらいます」
きっぱりとした口調で告げると、ヘプテインさんだけでなく護衛の人たちからも驚かれた。
ヘプテインさんは厳しい顔を、俺に向ける。
「その心意気は大いに買う。だが、吾の手勢は貸せんかもしれんぞ?」
「期待してません。はじめから、俺一人で行くつもりです。そもそも、あの赤服男は、俺一人でこいと言っていましたしね」
「……なにか考えや、勝ち目があってのことか?」
「ないとは言いません。けど、さっきヘプテインさんが言っていたように、心意気ですよ。間違ったことは間違いだと言い、非道には力で対抗するのが、俺の生き方なんです。たとえ、敵わないと分かっていたとしてもです」
目礼をしてから、部屋の扉を開ける。
すると、目の前にシャンティがいて、危うくぶつかるところだった。
「おっと。盗み聞きをしていたのか?」
悪戯っ子を咎めるみたいに、俺はシャンティの頭を乱暴になでる。
ぼさぼさ頭になったシャンティは、いつぞやに買ったあの短剣を握りしめながら、真摯な目を向けてきた。
「バルト。僕もリフリケを助けに行くよ!」
幼い正義感からの言葉だろうけど、覚悟は決まっている目をしていた。
でも、シャンティを連れて行ったら、全ての意味がなくなる。
「影武者を助けに、本人が行くなんてこと、あっちゃならない。それを分からないシャンティじゃないだろ?」
「分かっています。でも――」
「気持ちは分かってる。安心しろ、俺があの魔導師を倒して、ちゃんとリフリケを連れて帰ってくる。だから、シャンティは大人しく待っていてくれ」
笑顔で告げても、シャンティはまだ納得しきっていない様子だった。
俺は本当に大丈夫だと伝えるために、シャンティの頭に手を乗せるように軽く叩いてから、自室へと引き返した。
装備の点検をしてから、赤服魔導師への対策を考えつつ、仮眠を取った。
遠くの空が薄っすらと青くなってきた頃、俺は完全装備な状態で、目印岩を目指して道を進んでいた。
あと少しで町の外に出るというところで、人の気配を察知した。
こんな朝早くに、町の外に出ようとする人は、とても少ない。
赤服魔導師と鉢合わせたのかと、身構える。
すると、その気配があった場所から、両手を軽く上げた男が出てきた。
見た事がある人だ。
貴族に雇われていたらしき、こちらにシャンティを狙うと宣戦布告してきた、あの男だった。
赤服魔導師の前座かと疑っていると、戦う気はないと示しながら、こちらに近づいてくる。
俺はそれ以上近づくなと、鉈に手を添えることで威嚇してから、用向きを尋ねることにした。
「何の用だ?」
「お使いだよ、お使い。こちらの雇い主も、この状況は想定外だったらしくてな。これ以上、レッフーンのヤツに迷惑かけられるのは、我慢ならないんだと」
レッフーン?
と考えそうになって、赤服魔導師がそう名乗っていた気がするって思い出した。
「やっぱり、あの人はあなたの仲間だったんだ」
「元、な。いや、仲間っていうよりかは、同じ主を持つ他人に近い関係だったが……」
困り果てたような顔で言うので、どうやら赤服魔導師――レッフーンは、仲間からも嫌われていたようだ。
「それはいいとして、そちらの雇い主にとってみたら、想定外でも、この状況は喜ばしいんじゃないのか?」
「おいおい、もしかして前の誘拐未遂のことをいいたいのか? あれは貴族間のお遊びみたいなもんじゃねえかよ。あとあの目的は、ターンズネイト家が競りに出てこないようにするためだったんだ。競売会が終わった後だと、意味がないどころか、こっちにとっても害悪にしかならねえんだ」
「だから、レッフーンを倒すために、一緒に戦うと?」
「おいおい。悪いが、魔導師に勝てるほど、強くないぜ。オレの特技は、人を使うことなんだからな」
「……なら、何しにきたんだよ?」
「情報提供ってやつだ。レッフーンが、どんな魔法を使うかの一覧を持ってきた」
男が懐から取り出したメモ帳みたいな小さな紙を、俺は警戒しながら受け取る。
中を確認すると、びっしりと文字が書かれていた。
言っていたように、たしかに魔法の名前と、どんな魔法かの説明書きみたいだ。
「けど、これ本当に、魔法の名前なのか?」
そう、俺が疑ってしまったのにはわけがある。
魔法の名前が、日本語に訳すと『嵐流烈風断旋風』とか『超特大激風倒転弾風』とか、そんな小難しい感じに書いてあったからだ。
そしてその説明を見ると、嵐流烈風断旋風は物を切断する風だし、超特大激風倒転弾風は人や物を押し倒す風なので、名前負けにもほどがある。
俺が疑う気持ちを、メモを渡した男も理解できるのか、苦笑いしていた。
「それは魔導師を育てる学校でもそう教えられる、魔法の正式名称だ」
「……とりあえず、ありがたく受け取らせてもらう」
名前は兎も角、どんな魔法を使うのかを知っていれば、戦いを優位に運ぶ事ができる。
そして、俺も攻撃用の魔法は使えるんだ。
このメモを参考にすれば、新しい魔法を覚えることだって出来るかもしれない。
そのときは、簡単な名前にしようと心に誓う。
俺がメモを歩きながら深く読み始めると、男は身振りで別れを告げてきた。
「それじゃあ、こちらの役目は果たした。それじゃあな」
「一応、言っておくけど。借りには思わないから」
「分かっている。それは、オレの雇い主の、自己満足だ。貸し借りの話にはならんさ」
本当にメモを渡しにきたらしく、男はあっさりと町中に消えていった。
赤服魔導師レッフーンが、どんな魔法を使うか頭に叩き込むと、俺はメモを仕舞って軽く走りはじめる。
もう、東の空は大分明るくなっていて、もう少しで太陽の光が地平線から出てくるようだった。