百十五話 逃走と反攻
赤服男からの逃走は、今回は少し困難だった。
なにせ、道幅は馬車が通るために広く作られていて、とても見晴らしがいい。
なら路地に逃げ込めばと目を向けると、多くが馬車と仮置きされた荷物で塞がれてしまっていた。
飛び越えていくことも考えたけど、空中を飛ぶときは無防備になってしまうため、赤服男の魔法の餌食になってしまうだろう。
こうなると、この道を走りきり、その先にある次の場所で、赤服男をまくしかない。
相手が普通の人なら、魔法の水で力をアシストしている俺の脚力が勝るため、そこまで逃げ切ることができただろう。
けど、赤服男は自分が生み出す風で、空中を滑空してくる。
その速さは、俺が走るより少し早い。
「はっはー。追いついたぞ!」
赤服男が手を向けてくるのに合わせ、俺は大きく後ろに跳んだ。
「うっくうぅ……」
急激な進行方向の変化に、腕の中にいるシャンティから苦悶の声が漏れる。
けど、そのことに構っていられない。
なにせ目の前で、赤服男が作った風の力で、また何枚かの石畳が上空に跳ね上げられたからだ。
「「「逃げろーー!!」」」
近くにいた人たちが、石畳が落ち始める前に退避し始めた。
俺もシャンティを抱えながら、地面に着地している赤服男の横を通り抜けるようにして、道の先へと駆けていく。
俺たちに追い抜かれて、赤服男は大慌てで脚を動かして、体の向きを変える。
「あっ、くそっ。ちょろちょろと!」
悪態を吐きてから、男がまた風で移動する音が聞こえてきた。
どうやら風の力で体を移動させるときは、あまり細かい方向転換が出来ないようだ。
そして、二つの魔法を同時には、使えないように見える。
ということは、赤服男が空中を移動している間は、こちらに風で攻撃ができないということだな。
でも一応、本当に同時に魔法が使えないのかを、確かめる必要がある。
俺は手裏剣を一枚取り出すと、こちらに風の力で飛んでくる赤服男に投げつけた。
「うぉ!? 風よ、壁になれ!!」
赤服男は手裏剣に驚き、手を前に出しながら大声を出す。
すると、彼の背中を押していた風が止み、手の先から巻き起こった風が手裏剣を止めた。
けど、風で押されていた勢いはついたままみたいで、地面に足が触れると前につんのめり、危うくこけそうになっている。
その姿を確認すると、俺は彼の体勢が崩れている間に、引き離しにかかる。
「うぉっととと。くそぅ、こしゃくな真似を!」
もう一度こちらを追いかけようとする気配を感じて、俺は先んじて手裏剣を投擲した。
赤服男は忌々しそうに手を差し出し、風の壁を再展開して防いだ。
「ええい。このままでは、らちが明かん!」
イライラとした赤服男の声が聞こえたので、俺は振り返る。
すると、立ち止まったまま、こちらに両手を向ける姿が見えた。
たぶんこっちを攻撃する気だなと、俺は左右に小刻みに移動して、狙いをつけさせないようにする。
けど、赤服男は余裕ありげに笑う。
「はははー。そうやって、ちょろまか逃げるのなら、あたりを一掃すればいいだけのこと。風よ、筒となり進め!」
赤服男が大声を張り上げると、彼が前に出す両腕に、それぞれ竜巻が発生した。
その渦巻く風は、手の平から先へと進むと、二本が一本に合わさる。
そして、いっきに道一杯に直径を拡げた、筒状の暴風になった。
さらにその暴風は、道にある全ての物をなぎ払いながら、俺たちへと近づいてきた。
まるで、竜巻を上から見ているような光景だけど、見入っていることは出来ない。
あれに巻き込まれたら、天高く打ち上げられる以外に、道の両側にある店に激突したり、地面に叩きつけられる未来が待っているからだ。
俺は仕方がなく、近くの店の屋根まで飛び、屋根板に伏せることで回避することにした。あの竜巻があるうちは、赤服男は他の魔法が使えないから、跳びあがったときに狙い撃ちされずにすんでよかった。
俺の他に道にいた人たちは、大慌てで付近の店の中に入っていく。
赤服男が放った円筒状の竜巻は、道にある物を巻き込みながら進み、やがて消えた。
竜巻に吹き飛ばされないようにと伏せていた体を上げると、赤服男がこちらを見ながら大笑いする。
「はっはっはー。どうやらこのような攻撃ならば、貴様は逃げるのをやめるようだな」
そして、屋根にいる俺とシャンティに向かって、手を向けてきた。
次の魔法を撃ってくるつもりだなって、俺は屋根の上を走って逃げる。
「さあ、次の魔法は避けられる――」
「なんてことをするんだ!」
「大事な商品がめちゃめちゃだ!!」
赤服男が魔法を使おうとする口ぶりで語っている途中で、周辺の店から人が出てきて猛抗議を始めた。
まずい止めさせないとって、俺は声を上げようとする。
けどその前に、赤服男が周囲に魔法を放つほうが早かった。
「うるさいぞ、凡俗どもが!」
「「「どぉ、わああああああ!!」」」
風に吹き散らされて、抗議していた人たちが木の葉のように地面を転がった。
なんてことをするんだと怒りたくなったが、腕にあるシャンティの重さにハッとさせられる。
そうだ、いまはシャンティの護衛の最中だ。
一番に考えるのは、この子の安全だろう。
そう理屈では分かっていても、心にあるモヤモヤは晴れない。
たぶん、この事態の原因の一つが、俺たちという意識があるからだろう。
そうやって悩んでいると、目を閉じていたはずのシャンティが、俺を見上げていた。
そして、尋ねてきた。
「バルトって強いんでしょ。あの人、倒せない?」
赤服男を指しながらのその言葉に、俺は驚いてしまった。
すると、シャンティは義憤にかられている顔で、語り始める。
「あんな風に、強大な力を誇示して弱い人を虐げるのは、悪いことです。けど、僕には倒す力がありません。バルトならどうですか?」
「……いや、いまはシャンティを――」
連れて逃げようとすると、きゅっと抱きつかれた。
「僕のことは無視していいです。あの人を倒せますか、倒せませんか?」
そう言うわけにもいかないだろう。
でも、倒せるかどうかといえば――
「――倒せなくはないと思う」
今まで見てきた、赤服男の風の魔法は、多くが吹き飛ばしたりなぎ倒したりする風だ。
斬撃を伴う風もみたが、あの範囲は狭かった。
そして、二つ同時に魔法が使えないという弱点がある。
それらを逆用しさえすれば、倒せない相手ではないはずだ。
そういった考えが、シャンティに伝わってしまったのだろう、なにか決意をする顔をさせてしまった。
「なら、僕をその辺の店に預けて、あの傍若無人な人を倒してください」
「いや、だから。いまはシャンティの身の安全が――」
「あの人以外だったら、護身術で身を守ることが出来ます。それと、あの人を倒すことは、貴方の雇い主である僕の命令です」
まったく、そう言われても困るんだけどな。
けど、赤服男を倒すことと、シャンティを守ることは、両立できないかといえば、そうじゃない。
でもそれは、シャンティに俺の秘密を一つ教えるということに繋がる。
……ま、仕方がないよな。
こうやって真摯な目で、お願いされちゃあね。
俺はシャンティを抱えたまま、屋根から下りて地面を踏む。
「分かったよ、シャンティ。けど、店に預けたりはしない。俺が抱えたままで、あの男を倒してみせる」
「えっ!? そんな、僕を持ったままなんて、足手まといですよ!」
「ははっ。あの男が倒される様を、特等席で見せてやるって言っているんだ。大人しく抱えられていろ」
俺は魔塊から多く魔力を引き出し、水の魔法を使う準備をしながら、赤服男へと駆け出した。
俺の姿を見て、赤服男は手を向けてきた。
「はっはー。ようやく逃げるのは止めたのか。だが、この偉大な魔導師であるレッフーンさまに、戦いを挑むのは無謀だと知れ! 風よ、切り裂け!」
声から斬撃の風が来るとわかり、斜め前に跳んで回避。
跳んだ勢いを殺さずに、さらに赤服男に接近していく。
「ええい、ならば。風よ、押し倒せ!」
初めて聞く掛け声だけど、大よその予想はつく。
「シャンティ。なにがあっても、息を止めていろよ」
「えっ!? は、はい! ――もぐがぁ!?」
俺は声をかけた瞬間に、シャンティを俺の全身ごと、攻撃用の魔法の水で覆った。
シャンティが驚いて声を上げるが、構わず一気にスピードを上げて走る。
赤服男が驚いた顔をしながら、手から高圧力の風がやってきた。
けど、俺が体に展開している水の表面を、さざめかせるだけで、俺たちの後ろへと過ぎていった。
「なっ!? もしかして、お前も――」
「黙れ。そして、じゃあな!」
息がかかる距離まで肉薄し終えると、赤服男が何か言う前に、俺はその顔面に拳を叩き込んだ。
もちろん、全身を魔法の水で覆った状態での打撃だ。
普通に殴られるよりも、強烈な一撃になった。
「ぷぎゅるあぁぁあああーーー!!?」
不可思議な声を上げて、赤服男は後ろへと吹っ飛んでいった。
そして、ところどころ剥げた石畳の道路を転がっていく。
赤い服が砂塗れになったところで転がり止ると、失神しているのか足を引くつかせながら伸びた。
俺が水の魔法を解除するのと同時に、周囲の店にいた人たちが、恐る恐る出てきた。
そして、失神する赤服男を見つけると、急に威勢がよくなった。
「こいつは魔導師だ。なら雇い主がいるはずだ!!」
「大商会が連なる場所で騒ぎを起こした報いを、受けさせてやる!!」
「おい、鉄縄をもってこい! 魔法で壊れない、一等頑丈なものをだ!!」
商人たちは協力して赤服男を縛り上げると、何処かへと連れて行ってしまった。
状況に取り残されて、俺とシャンティは、ぽかんとしてしまう。
けど次に、シャンティは俺の魔法で濡れてしまった自分の服を抓んで、にっこりと笑った。
「こんな手を持っているなら、最初から使った方がよかったのではないですか?」
その口調が冗談めいていたので、俺も軽口に言い返す。
「おいおい。これは奥の手だから、そうそう見せたくないんだよ。今回はシャンティがお願いしたから、特別に披露したんだからな」
「へぇ~、僕のお願いだからですか。ふふふっ~♪」
「なんだよ、いきなり笑い出して」
「いいえー、なんでもないですよ~♪」
とりあえず、騒ぎが一段落着いたので、俺たちも屋敷に引き返すことにした。
――けど、これで万々歳とはならなかった。
あの道での戦闘のことは、最初に真っ先に転がされた護衛たちによって、ヘプテインさんとミッノシトさんに伝わってしまうのだ。
そして、どんな事情でも護衛の仕事を放棄し、さらにシャンティを抱えたまま危ない真似をしたことを、俺は二人にがっつりと絞られてしまう未来が待っていたのだった。