百十四話 不意の再開
赤服魔導師と会った翌日から、シャンティが町歩きするときは、俺の他に護衛が二人以上が傍につくことになった。
加えて、シャンティの服装も、貴族の子供らしい下手のいい服になっている。
これは、シャンティの町歩きを続けたいと言うわがままと、赤服魔導師とその背後にいる貴族の情報をより得るための、折衷案になったためらしい。
こうなってしまうと、なお忍びでの散歩にはならない。
そのため、事情は理解しているはずだけど、シャンティは少し不満げだ。
「町の人の態度がいつもと変わっちゃっているよ……。魔導師に襲われたら、逃げるしかないので、こんな服と着たり、護衛を数を連れても、意味ないのにな、もう……」
先ほど果物を買った露店で、店主が浮かべる顔が、普段とは違い愛想笑いだったのが、シャンティは気に入らないようだ。
気持ちは分からなくはないけどと思いつつ、ちょっと気になった部分があった。
「魔導師からは逃げるしか、対処する方法はないのか?」
この世界の常識ではそうなのかと尋ねると、シャンティは残念そうな顔になる。
「強力な魔法で森を焼き、山を削り、湖を逆巻かせることができるのが、魔導師という人たちです。魔法を扱えない普通の人にとっては、魔物以上に恐ろしい相手です。そんな人と戦うぐらいなら、逃げた方がいいに決まってます」
それほど、この世界では魔導師は、力がある存在なんだな。
けど、まだ疑問は尽きない。
「魔導師の中には、落ちぶれた末に、素質がありそうな子を見つけに旅に出される人もいるよな。そんな力を持つ人を、野放しにしていいのか?」
そう、俺の故郷にいた魔法教師のソースペラは、その落ちぶれた一人だったはずだ。
もし彼女が山を削るという魔法の力を悪用すれば、俺の故郷は乗っ取られてしまう。
そんな危惧を抱いたが、シャンティは笑顔で否定してきた。
「魔導師と行っても、強弱があります。本当に強い力を持つ人は数が少ないそうで、放流される魔導師は取るに足らない力しかないそうですよ」
「そうなのか……それにしても、やけに魔導師のことに詳しいな?」
「それは、我が家が魔導師たちと仲違いしているからですね。敵を深く知れば、それだけこちら側が安全になりますから」
えっへんと胸を張ってみせてきたので、俺は微笑ましく思って、その頭をなでた。
シャンティは嬉しそうにする。
けど、俺の馴れ馴れしい態度が気に触ったのだろう、護衛の人が咳払いする。
「ごっほん。ちゃんと周囲を警戒していろよ」
「分かってるって。いまのところ、怪しい人物はいないって」
注意を受けたので、周囲の気配をざっと確認してから言った。
けど護衛の人は、この俺の言葉と態度が不真面目だと思い違いをしたようだ。
「再確認するけど、あなたは自分の役割を理解しているのか?」
「もちろん。魔導師がきたら、シャンティを連れて、一目散に逃げることだ」
「……その通り。だが、馴れ馴れしくするな。それと、名を語る際は『シャルハムティさま』だ」
呼び方に注意を受けてしまったので、俺はシャンティにそうした方がいいのかと、目を向ける。
すると、首を横に振って返してきた。
シャンティ本人が嫌なようなので、護衛の人の言葉は無視することにしよう。
「それでシャンティは、今日はどこに行きたいんだ?」
「お前は、また――」
「えっと、行商人が集まる商会の様子を、見にいこうかなと思っています」
声を荒げようとした護衛を無視して、シャンティは俺の手を取ると、引っ張って道を歩き始めた。
俺は手を取られるままに、歩いていく。
護衛の人は、まだ何か言いたげだったけど、護衛対象のシャンティが許してしまった手前、なにも言えなくなってしまったようだった。
シャンティと一緒に、行商人が多く集まる区画――大商会が連なって建っている場所にやってきた。
この町が、この周辺地域における交易の要所だからだろう、たくさんの人や物が行き来している。
様子を見てみると、行商人はお金や物を大商会に収めているようだ。
それ以外にも、居合わせた他の行商人と、物々交換で取り引きしているようでもある。
けど、小箱一つを渡して樽二つが返されている光景を見ると、前世で貨幣を使っていた身としては、ちょっと不思議に思う。
きっと、こんな行商人同士のやり取りによって、ある地方の特産品が、別の地方の村々へ広まっていくんだろうなぁ。
ちょっと感慨深く思っていると、シャンティも興味深そうに行商人たちのほうを見ていた。
「バルト、なんだかよく分からないものが、一杯ありますよ」
物々交換している品々を指して、シャンティはなんの商品か聞きに行こうとする。
一人で行かせるわけには行かないので、俺と護衛の人たちは後についていった。
「こんにちは。なにやら見かけない物を取り引きしているようですけど、それはなんなのですか?」
そうシャンティが声をかけると、邪魔をするなという風に、交渉中だった二人の行商人が睨みつけるような顔を向けてきた。
「ああん? ――いえ、失礼しました!」
「こ、これはですね、ここから馬車で五日ほど行ったところにあります――」
しかし、立派な服を着たシャンティと、俺を含めた護衛を見て、態度を一変させた。
きっと、シャンティがいい家のお坊ちゃんだと、察したんだろうな。
そして、いいカモになるかもしれないとも思ったんだろう、荷馬車に乗せている商品をあれこれと見せ始めた。
シャンティはその一つ一つを確認して、たまに質問を返していく。
「その白い砂のようなものが、海から作る塩なのですね。高価なようですけれど、山で取れる岩塩と何が違うのですか?」
「そりゃあもう、味が違います。料理人によっては、岩塩よりもこちらの塩がいいと言う人もいるぐらいで。それで、海の塩は手間がかかりますので、お高くなるわけです」
この町から近い港町は、俺が少し前までいた、サーペイアルしかない。
けど、前世の移動教室の資料館で見たような、砂浜に塩田を作っていたりはしていなかったように思える。
でもこの世界には、魔法があるんだ。
鍛冶魔法に似たやり方で、海水から塩を取り出して作っているのかもしれないな。
方々を駆け巡る行商人の話は面白いし、自分のためにもなるな。
そんな風に思っていると、急に悪寒がした。
虫の知らせだと察して、周囲を見回す。
すると、いた。
昨日、俺とリフリケに魔法をぶっ放してきた、あの赤服男だ。
大商会の偉そうな人に向かって、何かを要求しているようで、こちらには気づいていない。
なら、今のうちに退散するべきだろう。
まず俺は護衛の人たちに、あの赤服が例の魔導師だと小声で伝えた。
続いて、シャンティと行商人の話を打ち切りさせる。
「シャンティ。ここから離れるぞ」
「え、なんでです――あっ!」
俺が警戒している先に、シャンティは目を向けて、大きな声を出した。
きっと、昨日聞かせた話の通りの男がいて、驚いたのだろう。
そのことは、反射的な行動だから、咎めたりできない。
けど、その一声で、赤服男にこっちの存在を知られてしまったようだった。
「――昨日と格好は違っているが、お前たちは!」
赤服男はこちらを指差すと、ゆったりとした服をはためかせながら走り寄ってくる。
俺はシャンティを抱えると、依頼通りに逃げに徹することにした。
「シャンティ、揺れるから舌を噛まないように」
「はい、分かりました」
シャンティがきゅっと口を閉じるのを見て、俺は走る速さを上げる。
そして、水を纏う魔法を使う準備を始める。
その間に、護衛の人たちが、俺と赤服男とを分断するように立ち、武器を構えていた。
「怪しいやつめ、近寄るな!」
「近寄れば、攻撃する!」
護衛の人たちが警告を発するけど、赤服男は意に介さない。
「役目を果たす絶好の機会を逃すか! 退け! 魔法も使えぬ、ザコども!!」
赤服男が手を翻すと、突風が吹き荒れた。
すると、護衛の人たちの体がふわりと浮き、それぞれ別の方向にある店の壁に激突した。
「なんとぉ!? ぐはっ――!」
「ぐぶっ。シャルハムティさま、お逃げください!」
献身的な行動をした護衛に言われなくても、もうすでに逃げ始めている。
俺は、魚鱗の布の防具の中で薄く展開するように、下半身全体に魔法の水を纏わせ終えていた。
「一気に逃げる!」
俺が言葉とともに加速したことで、シャンティが口だけでなく目を瞑る。
そして、こちらの首に腕を回して、しがみついて来た。
俺も抱きしめ直しながら、一気に道の上を走っていく。
これで昨日も逃げ切ったから大丈夫だろう――なんて、安心できそうはなかった。
「広い道と入り組んだ地形でなければ、お前に追いつくことなど容易い! 風よ、体を運べ!!」
嫌な予感がして、俺は後ろを振り向く。
さっき声を上げた赤服男が、見えない巨人に手で投げられたかのように、こっちに吹っ飛んできた。
よく見ると、ゆったりとした服が、背中から風を受けているかのように、ぱんぱんに張っている。
風の魔法で、自分の体を押し出しているのか!?
このままだと、赤服男がこちらに激突する。
俺は退避するために、近くの建物の屋根に跳び乗った。
しかし、赤服男は追いかけることを諦めたりしないようだ。
「ははっ、逃すか! 風よ、体を運べ!!」
赤服男は空中にいながら急制動すると、一気に屋根の高さまで跳びあがってきた。
その姿を見て、俺は逃げ場所の選択を間違ったと後悔した。
まずい。この周辺の建物は、屋根の高さが一定だ。
風を遮るものがないから、ここにいたら風の攻撃を受けることになってしまう。
俺は赤服男がこちらに手を向けてくるのを見ながら、矢のような速さで屋根から道路へと飛び降りた。
「くっ、逃げ足だけは速いな。風よ!」
俺が着地した瞬間に前に飛び出すと、すぐ後ろにあった道路の石畳数枚が、上空に跳ね上げられた。
それを見て、居合わせた人が悲鳴を上げる。
「逃げろー!!」
「「「うわああああー!!」」」
空から降ってくる石の塊から逃げようと、人たちが四方八方に散らばる。
幸いなことに、落ちてきた石は誰にも当たらなかった。
でも、近くにある商会の建物に一つが落ちて、屋根に大穴が開いたようだ。
あの赤服男、滅茶苦茶だ。
周囲の被害を減らすためにも、俺は急いでここから離れることにした。
「逃すか! ええい、退け退けぇ!!」
「「うひゃあああああー!!」」
赤服男は道路上にいる邪魔な人たちを、魔法の風で吹き散らす。
そして、自分の体を弾丸のように飛ばして、俺たちを追ってきた。
やっぱり簡単に逃してはくれないか。
こうして俺とシャンティ、そして赤服男による、追いかけっこが始まった。